知らない人生

たまごかけごはん

知らない人生

「誕生日おめでとう!」

「お前も大きくなったな!」


 親と思われる人々が、机越しに僕を祝う。机の真ん中には、『拓人、誕生日おめでとう!』とチョコペンで描かれた、大きなホールケーキがある。この拓人というのは、おそらく自分のことだろう。ケーキの上には8本の蝋燭が刺さっているので、今の自分は小学2年生か小学3年生なのか。


 何故、こんな曖昧な書き方なのかと言うと、自分には記憶が無いからだ。


 だが、記憶喪失とも少し違う。自分は今、『拓人』という全く知らない人間の人生を辿っているのだ。でも、以前の自分は思い出せない。けれど、自分には自分の人生があったと、直感が告げている。


 それにしても、どうしてこんな現象が起こっているのか。これは病気の類なのか、はたまた全く未知の何かなのか、それすらも今の自分には知る由もない。


 ただ、今の自分は『拓人』という人間を演じなければならない。だから、できる限り明るい笑顔を作って見せる。


 芝居じみたハッピーバースデーを聞き流す。


 ◇


 口慣れない目玉焼きを食べて家を出る。胸の中は不安でいっぱいだった。もし、学校で友達に話しかけられたらどうしよう。もし、途中で自分が『拓人』でないと悟られたら、どうしよう。


 だが、それは杞憂に終わった。


 錆びた校門をくぐり抜けてから、放課後のチャイムが鳴り響くまで、誰一人として自分に話しかける者はいなかった。それどころか、皆どこか白々しい視線を向けていた気がする。どうやら『拓人』は友達が居ないようだ。それは今の自分にとっては都合がいいが、少し寂しくも感じてしまう。


 そんなことを考えながら下校していると、前の方から三人組の上級生が迫ってくる。


「おい、拓人。ちゃんと金持ってきたか?」


 そう言って、真ん中の角刈りが僕の胸ぐらを掴む。すると、残りの二人もニヤついた表情で僕を囲った。『拓人』は彼らにいじめられていたのか。


 当然、自分は昨日までの『拓人』の人生なんて知らないので、金なんか持ってきている筈がない。自分は怯えて声も出せず、小刻みに震えながら首を横に振った。その瞬間、鋭い痛みとともに世界が揺れた。


 気づけば、コンクリートの地面を舐めていた。そこでやっと、自分がぶん殴られたのだと気が付く。


「使えねぇ奴だな!」


 そう言って、角刈りは背中を踏んづける。それに便乗する様に、残りの二人も一緒になって蹴り始めた。自分は亀のように丸まりながら、早くこの地獄が終わってくれと、泣きながら耐え続けることしか出来なかった。


「今日はいつもよりも、痛ぶってやるからな!」


 しばらく耐えていると、彼らはアニメの必殺技を叫びながら、正義のヒーローごっこを始めていた。強制的に怪人役にされた自分は、それを受け入れることしかできない。


 そもそも、自分は『怪人』どころか『拓人』ですら無いのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。そもそも、『自分』って何なのだろう。最初から『自分』が誰でも無いのなら、少なくとも今の『自分』は『怪人』なのではないだろうか。


——そんなことを考えていると、段々と意識も、自己も薄れてきた。


 ◇


「やべ! そろそろ帰らなきゃ!」

「今日はこの程度で済ましてやるよ!」

「じゃあな! 次、金持って来なかったら、また正義のヒーローがボコボコにするからな! 怪人め!」


 自分はコンクリートの上に寝そべって、見知らぬ三人組を見上げていた。怪人というのは、おそらく自分の事だろう。


 何故、こんな曖昧な書き方なのかと言うと、自分には記憶が無いからだ。


 ただ、今の自分は『怪人』を演じなければならない。だから、できる限り残酷な笑顔を作って見せる。


 芝居じみた断末魔を聞き流す。

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