第38話

 師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。


「師匠、この雑誌ありがとうございました」


 僕は、師匠に借りていた雑誌を鞄の中から取り出した。雑誌の名前は、『将棋世界』。将棋指しの間では有名な雑誌だ。プロの対局の解説だけではなく、戦法の紹介やインタビュー記事など、将棋に関するあらゆることが掲載されている。


「B級戦法特集なんて、君も面白いもの読みたがるね」


 僕から受け取った雑誌を鞄の中にしまいながら、師匠はそう口にした。


「B級戦法ってどんなのがあるのか少し興味がありまして。雑誌が出てた時はちょうど金欠で、買えなかったんですよね」


 B級戦法とは、一般的にはあまり指されない戦法のことだ。だからこそ、雑誌の内容はとても興味深いものだった。


「……次、何か読みたいのはあるかな? 私が持ってるものでよければまた貸すけど」


「本当ですか! ありがとうございます」


 ゆっくりと歩きながら、次に何を借りるかを考える。僕は振り飛車党だから、振り飛車に関する本が……いや、プロの名局集とか……それとも、詰将棋の本を……。


 僕がウンウン唸っていると、隣から「フフッ」という笑い声が聞こえた。思わず隣に顔を向けると、師匠が僕に向かって微笑んでいた。


「……何ですか?」


「いや、悩んでるなーって思って」


 師匠の笑みに、僕の心臓がドキッと大きく跳ねる。師匠に顔を向けているのが恥ずかしくなり、僕は顔をそらした。


 しばらく、僕たちは無言で歩いた。その間、僕の頭の中には、先ほどの師匠の笑みがずっと残ったままだった。


「……少し、提案があるんだけど」


 横断歩道を渡り切った時、突然、師匠がそう切り出した。


 僕は、再び師匠の方に顔を向ける。時間が経ったおかげで、恥ずかしさは薄らいでいた。


「提案ですか?」


「うん……えっと……」


 師匠は手をモジモジと動かしている。その顔は、ほんの少し赤みを帯びている。


 先ほどとは全く違う師匠の様子に、僕は思わず首を傾げてしまった。


「……あの、ね……そんなに悩むんなら……久々に、私の家、来る?」


「師匠の家に……ですか?」


「そ、そう。やっぱり、自分で本棚の本を見て選ぶ方がいいかなって思うし……」


 確かにそうだ。頭の中であれこれ考えるより、実際に見て選んだ方が迷いも少なくて済むだろう。


 ちなみに、師匠の家には二、三度行ったことがある。ただ、高校生になってからはご無沙汰だ。久々に行ってみたい。


「分かりました。じゃあ、今度の土曜日か日曜日にお願いできますか?」


「い、いいよ。……部屋、綺麗にしておかないと」


 そう呟く師匠の声は、どこか弾んでいた。

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