第15話
師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。
「今日、先輩に変なこと言われまして……」
「変なこと?」
僕の言葉に、師匠は首をかしげる。
「はい。師匠にお願いを聞いてもらう時の裏技だとかなんとか」
先輩は、度々、本を読みながら対局を行う。今日、対局中に本を読んでいた先輩が、突然、「これは使えるかもね~」と口にした。何だろうと思って聞くと、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらその裏技を教えてくれたのだ。ちなみに、先輩が読んでいたのは、甘々なタイトルの恋愛小説だった。
「私にお願いを聞いてもらう裏技……嫌な予感しかしないんだけど……」
露骨に顔をしかめる師匠。
「いや、そんなに大したことじゃないですよ。ただ、目をウルウルさせながら、上目遣いでお願いするってだけで……」
本当に先輩は何を言っているのだろうか。そんなことで、師匠がお願いを聞いてくれるはずがない。そもそも、恋愛小説から得た技が、僕と師匠の間で使えるという前提が間違っているのではないだろうか。
先輩から、目をウルウルさせるためにと貰った目薬をポケットの中で弄びながら、「変な裏技ですよね」と師匠に話しかける。
だが、師匠は、何かを考えているらしく、僕の言葉に無反応だった。
「目をウルウルさせながら……上目遣いで……………………ゴホッ、ゴホッ!」
急に、師匠が激しく咳き込みだした。
「し、師匠? だ、大丈夫ですか?」
「ゴホッ、ゴホッ! だ、だい、大丈夫」
師匠は、咳き込みながらも、頭をブンブンと振っていた。まるで、頭の中の映像を消去しようとしているかのように。
師匠が落ち着いたのは、それから数秒後のことだった。
「師匠、本当に大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ごめんね、取り乱してしまって。それで、えっと……さっき何か言ったかな?」
いつものような穏やかな表情を僕に向ける師匠。どうやら、本当に大丈夫なようだ。僕は、ほっと胸をなでおろした。
「『変な裏技ですね』って言っただけですよ。そういえば、先輩から、目をウルウルさせるためにって、目薬を貰ったんですよね」
そう告げて、僕はポケットに入っている目薬を取り出した。
「……それ、没収」
「……へ?」
「没収」
「あ……はい」
なぜだろう。表情も口調も穏やかなのに、これまでにないほどの圧を師匠から感じる。
僕が師匠に目薬を手渡すと、師匠は、それを自分の鞄の中に入れてしまった。力強く、鞄のファスナーを締める師匠。
その日以降、僕がその目薬を見る機会は、二度と訪れることはなかった。
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