第15.5話 僕の師匠①

 これは、僕が中学一年生の頃のお話。僕に、生まれて初めての師匠ができたお話。


 中学生になって初めての夏休み。僕は、町のコミュニティーセンターで行われている将棋教室へと足を運んだ。理由なんて大したことない。ただ、小学校低学年の頃から祖父に教えられている将棋を、この機会に本格的に初めたいと思ったからだ。


 午後一時。将棋教室が開かれている部屋の扉を開く。そこに広がっていたのは、少々異様な光景だった。


 広い部屋。長机が数多く並べられ、長机一つに、将棋のセットが二つずつ置かれている。少なくとも、二十人以上が一斉に対局を始めても、対局場所が足りなくて困るなんてことはないだろう。


 だが、そこにいる人の数はそれほど多くない。大人が八人。そして、僕と同じくらいの年の女の子が一人。大人たちは、部屋の前方で、将棋を指したり、談笑をしたりしている。女の子は、部屋の後方、それも、余った将棋盤や駒が無造作に置かれている所で、椅子に座って本を読んでいた。


「あ、君が、昨日電話してくれた子かな?」


 談笑をしていた男性が、部屋に入ってきた僕に気が付き、声をかけてきた。年の頃は、六十歳くらいといったところだろうか。


「は、はい」


「よろしくね。私は、この将棋教室を開いてる……まあ、先生みたいなものかな。ここでは、基本、自由に対局をすることになってるから、対局をしたくなったら、声をかけてね。本当は、お金の話もしなきゃいけないんだけど、今回は体験ってことで。また、折を見てしようか」


「……分かりました。ありがとうございます」


 僕は、先生に向かって軽く頭を下げた。


 先生は、「じゃあ、ごゆっくり」とだけ言い残し、再び談笑を始めてしまった。


 てっきり、対局相手を指名されるものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。放任主義的な教室なのだろうか。まあ、それならそれで、のびのび対局ができていいのかもしれない。


 僕は、さっそく、部屋の後方で本を読んでいる彼女に近づいた。真っ黒な長い黒髪。整った顔立ち。そして、冷たい表情。彼女に近づくたび、心臓の鼓動が早くなる。彼女の前に立ち、深呼吸を一つ。


「あの……僕、今日初めて来たばかりなんですけど……一局、お願いしてもいいですか?」


 僕は、恐る恐る彼女に声をかけた。


 僕の声に、彼女は、ゆっくりと本から顔を上げ、まじまじと僕を見つめる。その冷たい表情は、先ほどから全く変わらない。


 数秒後、彼女は口を開く。


「嫌」


 その重い一言が、僕の耳に響いた。

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