第11話 それぞれの覚悟
(……足音)
残骸となったスリージェル侯爵家を訪れてから、一時間は経っただろうか。
ちらちらと雪が舞う中、青白い顔のまま懺悔を続ける彼女の元に聞こえてきたのは、雪を踏みしめる軽い足音だった。
来訪以来、微塵の変化もなかったこの場に現れた足音に、それまで一枚の絵画のようにじっとしていた彼女はそっと瞳を開けると、振り返ることなく、ただその音に耳を傾け続けた。雪を踏む足音は、ペティアを警戒するように、ゆっくりと近付いて来ている。
「……いずれ来るだろうと思っていたわ」
やがて、足音が自分のすぐ後ろで消えたのを確認した彼女は、寒さに震える声で呟いた。
相手は無言のままだが、ペティアにはそれが誰であるのか、容易に想像できた。なぜなら、この状況を願ったのは彼女だけではないのだから。
「私を、殺しに来たのでしょう? ……ラスター」
「……どうして分かった」
振り向きもせず静かに告げる彼女の声に、背後に立つ彼は少しだけ動揺した様子を見せた。
その瞳は普段よりずっと暗く、何も写していないかと思うほど冷めていたが、声には微かな、躊躇いのようなものが滲んでいる。
「公爵邸を出たときから誰かが私をつけていることには気付いていたわ。けれど、秘密を知った父に直接手を下すほど確実な死を望むあなたたちが、私を殺すのに賊を使うわけがない。……だから、私が一人になればあなたは来ると思っていたわ」
「秘密を…そうか。やはり、お前たちはすべてを知っていたんだな。パーティでコルザが頑なに口を利こうとしなかったのはそう言うわけか」
「ええ……」
そう言ってペティアは、いやに淡々とした口ぶりで、すべてを語った。
臆することなく黒幕の名を口にし、妹からコルザが遊びに来たと聞かされて以来、募っていたラスターの疑問に答えていく。
そんな彼女の凪いだ声に、話を聞き終えたラスターは表情を歪めると、短く告げた。
「……そうか。なら、やはりきみには死んでもらうしかなさそうだ」
「もとよりそのつもりよ。ここには普段人は来ないし、夜であればなおのこと見つかる心配もない。……それに死ぬなら、本当はあのとき一緒に死ぬはずだった両親の傍がいい」
最後にそう付け加えたペティアの声には、死に対する恐怖は微塵もないように思えた。
彼女と再会したとき、ペティアは真実を知るためなら死をも厭わないと言っていた。
あのときは、まさかそんなことあるわけないと内心疑っていたが、目の前にいる彼女は既に覚悟を決めたような光を宿している。
「いい覚悟だ。逃げられる心配がないのは助かるよ」
「………」
「……だが、愛する者を傷つけられるのがそんなに嫌なら、こんなマネ、初めからしなければよかっただろう。何もせず普通に暮らせる道もあったはずだ。僕にはきみの心が分からない」
長剣を握りしめ、自分の役目を全うしようと強がって見せたラスターは、家族を失った場所で死にたいなんて、そんな悲しいことを呟くペティアに、心にあった最大の疑問をぶつけた。
ペティアが復讐を思い立たなければ、誰もこんな思いをせずに済んだ。
みんな何も知らず、友達のまま平和に生きていけた。
どこか彼女を責めるような問いかけに、ペティアはふと目を見開くと、複雑な顔で自分を見つめるラスターに静かに思いを吐露していった。
「そうね……。私は私の復讐に誰かを巻き込むつもりは毛頭なかった。怖いものなんてなかったし、守りたいものも全部、失くした…はずだった。こんな結末を迎えることになったのは、あの日、コルザと出逢ってしまったせい。彼に見つかりさえしなければ、私は誰も巻き込むことなく、一生をかけて復讐を遂行していたわ」
「……っ。恨んでいるのか、コルザを」
「まさか。彼を疎んでいたなら、私は多分ここには来ていないわ。コルザには失くしたはずの大切なものをたくさんもらったもの……。途絶えてしまった友人たちとの関係を、もといた華やかな世界を、私にもう一度見せてくれた。だから私はあなたに殺される道を選んだ。私の大切な人たちを、守るために……!」
怖いものも守りたいものもない、この身ひとつだからこそ、思い立った復讐。
結果的に復讐は頓挫してしまったけれど、ひとり険しい道を行く彼女の傍に幼馴染みたちは寄り添い、途方もない復讐を進んで手助けし、失ったはずの絆を、心を取り戻してくれた……。
そんな大切な幼馴染みたちを、これ以上傷つけたくない。守り通したい。だからペティアは今、ここにいるのだ。たとえ彼らが、犠牲の上に生かされることを望んでいないと、分かっていても。
「………」
真剣な眼差しをこちらに向け、きっぱりと断言する彼女の姿は、雪に濡れたみすぼらしいものだと言うのに、とても気高く見えた。こんな状況でなお、曇ることのない自らの意志と、生まれついての気高く崇高な魂が彼女をより美しく、強く見せる。
その姿にラスターは僅かにたじろぐと、まっすぐに自分を見上げる彼女をただ見つめ返した。
すると、そんなラスターの心境を知ってか知らずか、しばらくしてペティアはそれ以上言葉を続けようとしない彼を見上げたまま、静かに呟いた。
「ねぇ、ラスター。私はあなたたちの思惑通り、ここで殺されるわ。証拠資料も全部渡す。……だから、これ以上コルザたちを傷つけないと約束してほしい」
「……秘密を知った者は殺せ。それが命令だ」
願いを告げる彼女の言葉を拒むように、ラスターは短く言った。
これはラスターの嫡男としての役目だった。
たとえ相手が友人だとしても、絶対的な存在である彼らの命に背くわけにはいかない。
「たとえ秘密を知っていても、証拠がなければ空想と思われて終わりよ。あなたのお父様にしてもジャスター公爵にしても、私の復讐相手は知ってなお信じがたいほどに意外だった。加えて私がここでいなくなれば、彼らがこの件を追及する理由はなくなる。だからお願い……」
「……っ」
「なんて…あなたがそれを決められる立場にはないのかしら。じゃあ…そうね。私を今すぐ、彼らの元へ連れて行ってくれる? コルザたちの安全が約束されないまま、おめおめ殺されることはできない。直接説き伏せるわ」
「………。……少し待て」
彼女の真剣な瞳から意志の固さを悟ったラスターはそう言い置くと、闇に紛れるように待機していた使用人らしき男に目配せた。彼の視線に、男が正門の方へ駆けていく。
どうやら、向こうに停めてある馬車に、伯爵が乗っているようだ。
「……守るために捨てるのか。きみがいなくなったら、あいつらはどう思うのだろうな」
馬車に近付き、窓越しに話をする使用人風の男と伯爵の様子を見遣りながら、ラスターは何気ない口調で呟いた。
自ら望んでここへ来たとは言え、ペティアだってそれを考えたことだろう。
彼女が幼馴染みを大事に思っているのと同じくらい、彼らもペティアを大切にしている。
もう一度大事なものを失くす彼らに、ペティアは何を思うのだろう。
「どうかしらね……。悲しむか、怒るか…私にも分からないわ。……でも、どう思われてもいいの。これは私が勝手に決断した勝手なわがまま。大切にされていると分かっているのに、私は彼らを裏切って、共に生きる未来ではなく別れを選んだのだもの」
「あいつらが傍にいたら、怒りそうなわがままだ」
自分を殺しに来たはずのラスターは、ペティアの本音に苦笑交じりに呟いた。
まるでここが、いつも集まって話をしていた談話室であるかのような彼の口ぶりに、少し不意を突かれる。それでもペティアは、最期の会話を楽しむように表情を緩めると、静かに頷いた。
「私もそう思う。でもいいの。怒って早く私のことなんか忘れてくれればいい。そして、今までと変わらない人生を歩んでくれれば、私はそれでいいのよ」
「そうか……」
もうすべてを覚悟した風な彼女の声音に、ラスターはそれ以上何も言うことはなかった。ただ黙って父の見解を待つように視線を馬車に向け、時間を潰す。
するとしばらくして、お伺いを立てに行っていた使用人風の男が戻って来た。
彼は、緊張した面持ちで答えを待つラスターに何かを耳打ちをすると、ペティアには目もくれず、また闇の中へと消えていく。
「……父に状況を説明した」
すべてを息子に任せ、去って行く伯爵の馬車が遠ざかる音を背中に感じながら、ラスターはしばし間を開けると、こちらをじっと見上げてくるペティアに、答えを告げた。
「きみが大人しく死に、証拠をすべて返すと言うなら、他の奴らは見逃してやってもいい。ただし、あいつらにはきみが死んだこと、これ以上我々に牙を剥くようであれば容赦なく殺すことを告げる。もう二度と我らに刃向かう気を削ぐため、これは譲れない」
「分かった、それでいいわ。証拠はこのバッグの中よ。ドニーク家から持ち出したものと、この五年の調査で得た資料、すべて入っているわ。検める?」
「……きみがこんな大事な交渉の場面で、ニセの資料を用意するとは思えないが…念のため」
何の躊躇いもなく頷いた彼女からバッグを受け取ったラスターは、口を開くと中身を検めた。
中には伯爵家から持ち出された重要証拠と、彼女がこの五年で得たメモや資料が入っている。
バッグにぎっしりと入ったその重みを感じながら顔を上げたラスターは、ペティアに向かって軽く頷くと、それを足元に置いた。そして、最後の大仕事に取り掛かるべく、鞘からすらりと長剣を抜く。
「間違いなく、証拠は返してもらった。あとはきみが大人しく死にさえすれば、一応コルザたちの安全は保障する。覚悟はいいか?」
「ええ、もちろん」
「……っ」
命を乞うことも喚くこともなく、ペティアはそっと瞳を閉じると、死を迎え入れた。
そのあまりの頓着のなさにラスターは一瞬、戸惑いを見せたが、すぐに気持ちを切り替えると、彼女を殺すため剣を振り上げた。
「ラスター…必ず彼らを説得してね」
「ああ。そのくらいは応えてやる。さようならだ、ペティア」
彼女と交わす、最期の約束。
囁くように別れを告げたラスターは、ペティアに向かって剣を振り下ろした。そして、鋭い刃が彼女の首元にかかろうと……。
「待てえぇっ!」
「っ!」
……した、瞬間。
自分たちしかいない、夜明け前の静かなこの場所に、突然、横やりが入った。
積もった雪を踏みしめ現れた彼は、迷うことなく二人の間に割って入ると、ラスターの刃を勢いよく撥ね退け、驚いて身を引く彼を怒気を含んだ瞳で睨みつけた。
そして、鋭い刃音と聞き慣れた声に目を見開く彼女には目もくれず、静かに問いかける。
「何のつもりだよ、ラスター」
「……コルザ。一体、なぜここが……?」
慣れない剣を握りしめ、ペティアを守るように立つのは、数時間前、彼女が別れを決めたはずの幼馴染みだった。
思わぬ人物の登場に、ラスターは大きく目を見開くと、どこか戸惑ったように呟いた。
死ぬためにここへ来たペティアが予め、彼に居場所を告げているわけがない。なのに、コルザはどうやってこの場所を特定したんだ……?
「いや、そんなことはいい。そこをどけ、コルザ。僕は彼女を始末しなければならないんだ」
「ふざけるな! そんなの、黙って見過ごせるわけないだろ! お前、自分が何をしようとしているのか分かっているのか? 彼女を殺すなんて、許さないからな」
「許すも何も、彼女との約束はすでに交わされた。ペティアは自らの命ではなく、きみたちの未来を選んだんだ。邪魔立てしてくれるな」
コルザの的確な推察に戸惑いつつも、気を取り直したラスターは語気を強めて言った。
彼女との取引が成立し、父にすべてを任された以上、始末に時間をかけるわけにはいかない。一刻も早くペティアを殺して、そして……。
「……いらない。ペティアを犠牲にして得た未来なんて…俺はいらない。そんなものを得るくらいなら、俺がお前を、殺してやる……!」
「……!」
密かな焦りを滲ませるラスターをしり目に、コルザは怒りに満ちた声で宣言した。
彼がこんなにも怒りを露わにするなんて、今までにあっただろうか。
いつもの穏やかな雰囲気とは全く異なる様子から、コルザの本気を知ったラスター身構えた。
剣などまともに扱ったことのない彼を、普段なら脅威になど思わなかっただろう。だがここにいるコルザはペティアを悪意から守らんとする騎士そのもの。
大事なものをこの手で守ろうとする彼の本気に、知らず緊張が高まっていくのを感じながら、ラスターは強がるように言った。
「きみが僕を殺るのか? そんなことをしてなんになる。自分の立場を危ぶめるだけだぞ」
「構わない。それでペティアを救えるなら、どんな罪でも背負ってやるよ」
「彼女のために罪を負うか。きみにとってペティアはそれほど大事な存在と言うわけだな」
「そうだ。……それに、女の子ひとり守れないんじゃ、この国の未来を担うなんて出来るわけがない。俺は彼女を救って、お前たちの闇も払い除けてみせるよ」
そう語るコルザの瞳に映るのは、ペティアと同じ揺るぎない覚悟。自分の身も顧みず、大事なものを守るためにすべてを捧げんとする強い意志だ。
その眼差しから、どうあっても彼との決闘を免れないと悟ったラスターは、剣を構え直すとゆっくり息を吐いた。
「……そうか。ではきみも共に殺すしかあるまい。ペティアには、きみを含めた幼馴染み全員の安全を約束したが、当の本人がこれでは仕方ないよな」
「! ……待って、ラスター! 私は……っ!」
「きみは大人しくそこで見ていなよ。言っておくけど、俺はきみにも怒ってるんだよ。勝手にこんなことして、俺たちのために命まで捨てようとするなんて……。だから俺も勝手にすることに決めた。勝手にきみを助けるって決めた。反論なんて、聞かないから」
ペティアの言葉を遮るように、振り返りもせずに言う彼の怒気を含んだ声音に、彼女は押し黙ると、それ以上、何も言えなくなってしまった。
コルザたちを救いたくて殺されに来たのは、間違いなく自分勝手なわがままだ。
そうやってすべてをひとりで片付けようとした勝手な自分に、コルザを止める権利はない。そんなこと痛いほど分かっていたけれど、コルザを傷つける原因になった自分を、二度と逢わないと勝手に別れを告げた自分を、守る価値なんて……。
「覚悟はいいな、コルザ。僕は相手が誰であろうと容赦はしない」
「俺もだ。必ずお前を、止める」
彼の想いに泣きそうになるのを必死でこらえながら、ペティアは二人を止めようと言葉を探した。けれど、そんな彼女の想いとは裏腹に、友人同士であるにも関わらず、傷つけ合うと互いの意思を確かめた二人は、次の瞬間、刃を交え激突した。
金属同士がぶつかる鋭い音が間髪を置かず、何度も静まり返った世界に響く。
足元には三十センチ程の積雪。足場がかなり悪い上に、辺りはまだ闇に包まれている。状況としては互いに最悪のまま、二人は自分の意志を通すため刃を交え続けた。
息が乱れても、振るった刃で相手を傷つけても止まらない二人の戦い。どちらかが死ぬまでこの戦いは……。
「……はぁ、はぁ、いい加減、目を覚ませよ、ラスター。お前だって本当は、こんなの馬鹿げてるって、分かって、いるだろう……」
「……」
積もった新雪に幾つもの足跡を残し、十数分間攻防を続けていたコルザは、しばらくして怒気の残る声で呟いた。
数時間前に治療してもらった際の包帯は既に外れ、新しい傷もいくつか増えた彼の姿はとても痛々しく見えたが、その覚悟はまだ微塵も揺らいでいないようだ。
刃を向けたまま、距離を測るようにコルザを見つめ、そのことを痛感したラスターは、何も言わずに押し黙った。自分の行いが馬鹿げているかどうかなんて、言われなくても分かっていたが、コルザと同じようにこちらにも、引けない理由があるのだ。
「もう止めにしようよ、ラスター。彼女を傷つけるのも、闇を背負って生きるのも。お前には似合わない。奴らの闇は俺たちが全部晴らす。そうして俺たちは、大人たちが作り上げてきたものとは違う、もっと明るくてもっといい国を作っていくべきなんだ。だから……」
「……無理だ。僕は彼らの手から逃れることはできない。あの方の命令、父の意向…それだけじゃない。僕は自らの意志で…仕事をしているんだ……」
収まらない怒りを残しつつも、何かを察したように説得を試みるコルザの言葉を撥ね退け、ラスターはいつも以上にぶっきらぼうな声をあげた。
まるで、本心など悟らせまいとするかのような彼の声音に、コルザはある確信を持つと、剣を相手に向けたままさらに言葉を続けた。
「本当に、自分の意志で闇を背負っているの? じゃあなんで俺を殺そうとしないんだ? 普通ならただでさえ手負いの俺が、お前との勝負で拮抗するわけがない。なのにお前は、急所を狙うこともしてこない。殺すと宣言した割に優しすぎる攻撃に思えてならないよ」
「……黙れ」
「ラスター……」
「黙れと言っている!」
「……!」
刃を交えているうちに気付いてしまったのは、彼の迷いか。
殺さなければならないと分かっているのに、心がそれを拒否するかのような無意識に近い行動の指摘に、ラスターは大声を上げると、無理やりコルザの言葉を打ち切った。
普段から表立って感情を出さない彼がこうも取り乱すなんて、理由はひとつしか思い当らない。
「……分かっているさ」
するとしばらくして、己の中で逡巡を繰り返していたラスターが脱力したように呟いた。
そして、コルザが抱いた疑念を証明するように、ゆっくりと本心を吐露していく。
「自らの悪事を隠すために人を殺めるなど、言いきれぬほど悪だということくらい、分かっている。馬鹿みたいに素直で、曲がることを知らないきみに言われなくとも、誰が見ようとも、これが愚かな行いであることくらい、承知している」
「じゃあなんで……」
「僕が裏切れば…妹が殺される。従順な息子、闇の後継者として生きなければ、ナルシアが、僕の妹の命が、危ないんだ……」
「……!」
そう言って本心を告げるラスターの口から出たのは、思いもよらない言葉だった。
ラスターにとってナルシアがどれだけ大切な妹かなんて、父親である伯爵なら知っていて当然のはずだ。それに伯爵だって、愛娘を溺愛していたはずなのに……。
なんでラスターを操るための人質として妹が使われるのか、コルザも、遠くで話を聞いていたペティアもすぐには状況を把握できなかった。だが、彼の口調や表情から、これが間違いのない事実であることを理解した二人は、困惑の眼差しを向け、言った。
「……どうして、そんなことに……」
「父も昔は家族を大切にしていたように思う。だが、四年程前か…あの人が病を患うようになってから、僕たちに対する態度は随分変わった。あの方との関係に固執し、忠誠心を見せるためだと言って、僕を手駒に、妹を人質に差し出した。そして、僕の行いが少しでもあの方の意に反するようであれば、妹を殺すと……」
「だからお前はこんなことを? 妹を守るために……?」
「そうだ」
コルザがペティアを守るため闘ったように、ペティアが幼馴染みたちを守るため命をなげうったように、ラスターもまた、誰かのために自分を犠牲にする立場にあった。
守りたいもののために、そのほかのことを捨てる。それがどのくらい苦しい選択なのか、彼と同じような選択をした二人には、その気持ちがよく分かった。
「……皮肉ね」
するとしばらくして、二の句を告げずに押し黙るコルザの背後で、ペティアが小さく言った。
「ここにいる私たちはみんな、彼らの脅威から…闇から大切な誰かを守るために、殺そうとしたり、殺されようとしている。本当はみんな、誰も傷つけたくなんてないのにね……」
「ペティア……」
「……でも、あなたの話を聞いて覚悟が決まったわ。私は生きて、彼らを告発する。闇との繋がりなんかのために私の家族を殺しただけじゃなく、ラスターを脅してまで後継者にさせようとするなんて、赦せない……!」
雪に濡れた青白い顔に怒りを宿し、ペティアは語気を強めて宣言した。
それは、今まで彼女が持っていた、自分がいなくなることで周りを守る覚悟ではなく、自分自身で戦い抜く覚悟を持った宣言だった。
彼女の思わぬ言葉に、ラスターは一瞬、呆気に取られた表情を見せた。だが、すぐに我に返った彼はどこか怯えたように、
「ま、待て、ペティア……! そんなことをしたらナルシアが……!」
「大丈夫、誰も死なせないわ。だからラスター、あなたも協力して。妹を未来永劫、闇の脅威から守るために。あなたが意にそぐわない仕事をしなくていいように。私に協力して」
「………」
力強い意志を持った瞳でペティアは彼を見返すと、諭すように言葉を紡いだ。
死んでみんなを守るのではなく、生きてみんなを守る。
それはきっと、自分の命をなげうつことよりもずっと苦しくて、険しい道だろう。それでも、自分と同じように誰かのために苦しむラスターを、このままにはしておけなかった。
「……そんなことが、可能なのか?」
ペティアが放つ強い言葉に惹かれるように、俯いたまま声を失くしていたラスターはやがて、微かに震える声で呟いた。自分たちのような若輩者が、本当にあの強大な闇を払えるのか。ずっとそれを間近で見てきたラスターには自信がなかった。
でも、もしかしたら…彼女たちとなら……。
変わらない日常を、変えられないものだと甘んじて享受していた今までを変えることができるかもしれない。友人たちを疑ったりしなくていい新しい当たり前を手にできるかもしれない。
「僕が協力すれば…ナルシアを救えるか……? こんな馬鹿げたことも、もう……」
「ええ必ず、何とかして見せる。だから、あなたたち側の状況を教えてほしい。ラスター、私を殺したあと、あなたはどうする手筈になっていたの?」
「………。……きみを、殺したら……」
ペティアやコルザが見せた覚悟、言葉、これまでのこと、それらを振り返ったラスターはしばらくの逡巡の後、覚悟を決めたようだ。彼女を殺して終わらせるのではなく、彼女たちと共に未来を変えるため、ラスターは静かに語り出した。
「きみの死をコルザたちに見せつけるため、髪でも所持品でも何でも構わないが、ペティアのものだと分かる何かを奪い、持ち帰れと言われている。遺体に関してはこのまま日が昇らないうちに穴を掘って、望み通り両親のもとで眠らせてやるつもりだった……」
「そう。じゃあ私の死の偽装は意外と簡単にできそうね。よかった、指でも切って持って来いって言われてるんじゃないか、ちょっと心配だったのよ……」
「ペティア…怖いよ、その発想……」
雪の積もる地面に座り込んだまま、平然とした声音で恐ろしいことを口にするペティアに、コルザはちょっとだけ表情を引きつらせた。自分が死んだ後のことまで考えているのは流石だが、それにしても発想が怖すぎる。
「……とにかく、そうしてきみの死を証明する何かを持ち帰ったあとは現状を父に報告し、証拠資料を書庫に戻したあと、ペティアがいなくなったと騒いでいるであろうコルザたちに会いに行くことになっている。そして、きみの死を見せつけ、納得させれば終了だ」
「伯爵はそれをすべて、ラスターひとりにやらせるのか? もっと人を使って……」
「父も公爵様も基本人を信用していない。だから動かす人間はいつも最小限なんだ。それにたぶん、すべてを僕にやらせることで責任と、罪悪感を植え付けようとしているのだと思う」
そう言ってこれからの行動を語るラスターの目は、とても苦しげだった。
ペティアを始末したあと、自分がいかな行動をすべきか、伯爵家と闇を守るために何をすべきか、ラスターはそれをすべて事前に伯爵から聞かされていた。
自分の役目はそれらを嫡男の仕事として心得、違うことなく遂行しきること。たとえ自らの手を汚すことになったとしても、大事な妹だけは……。
「酷い人たちね……。でも、ナルシア嬢が手中にある以上、ラスターが裏切らないと思っているのは、私たちにとっても好都合ね。ラスターがすべてを行うのであれば、偽装が露見する可能性は低いもの。さて、じゃあ時間もないし、準備を、始めましょう」
「ペティア? 準備って一体何を……?」
巧みに言葉を操り、大事な妹の命をちらつかせながら言う伯爵の言葉が、ラスターにとってどれだけ恐怖であったか、話を聞いて感じる思いに心を痛めながら、ペティアは気力を奮い立たせると、ゆっくり立ち上がった。長時間雪に濡れたせいで冷えた脚の感覚はもうほとんどなかったけれど、ここで時間を無駄にしている場合じゃない。
不思議そうに首を傾げるコルザをよそに、懐から短剣を取り出した彼女は、
「ちょ…ちょっとペティア何やってんの!」
「何って、私の死を偽装するための証拠作りよ」
そう言って躊躇うことなく、腰まで伸ばしていた髪を三十センチほど切り落とした。
ペティアの一部だったウェーブを描くピーチベージュの髪は、彼女が持っていた髪留めでまとめられ、時折吹く風をはらんでどこか悲しげに揺れている。
「え、ちょ、えっと、ペティア……」
「………」
そして、呆気に取られるコルザとラスターに構わず、切り落とした髪を片手に再度短剣を手にしたペティアは、それを今度は自らの腕に向け、刃を滑らせた。
途端、鋭い痛みとともに、刃を滑らせた部分からつぅ…と血が滴り落ちてくる。
「……っ…これで、いいわ。これなら証拠として、十分でしょう……?」
「な、何してるのさ…! なんて真似を……」
滴り落ちる自分の血で切り落とした髪を染め、死を偽装するための証拠を完成させたペティアは、唐突な行動に驚いて駆け寄ってきた二人にそれを見せつけた。
確かに、血染めの髪なんて見せられたら、斬り殺されたペティアから奪ったようにしか見えないだろう。だが、いくらなんでもこんな演出をするなんて無茶が過ぎる。
「これを見せれば、伯爵も、私の死を、納得…するでしょう」
「大事な髪を…すまない……」
「いいのよ。娘が髪を切り落とすなんて、自分でやったとは思われにくいでしょうし、見せつける証拠としては最適だと思うもの。あとは、とりあえず伯爵の指示通りに動いて。私を、殺したと報告してそれを見せつけ、コルザたちを脅しに、きて……。私たちの作戦は、そのときに文書で伝えることに、するわ……。流石に、頭が回らなく、なってきたもの……」
「ペティア? 大丈夫? しっかり……!」
流血によってさらに血の気の失せた顔をしたペティアは、ふらふらと足元をおぼつかせると、異変に気付いて支えてくれたコルザに寄りかかったまま、ゆっくりと告げた。何時間も雪の中、寒さに曝されていた彼女の体力はもう限界のようだ。
そのことを察したコルザは、今にも頽れてしまいそうな彼女を抱き上げると、同じように心配げな表情でこちらを見つめるラスターに手短に告げた。
「ひとまず、俺はペティアを連れて帰るよ。お前はここで穴を掘って、死体を埋めた体を装うんだろ? 万が一誰かがここに来たとき、掘った形跡がなかったら不自然だからさ」
「分かっている。証拠資料は…この、うちから持ち出した資料だけきみたちに預けよう。そのほかペティアが書き取ったメモはバッグと共にもらっていく。父には、まだ証拠を持ち出してはいなかったが証拠を書き写したと思われるメモを回収した。どうやら、原本と移し替える機を狙っていたようだと伝えておく」
「うん。俺も家に帰ったらすぐアルクとオリヴィエに手紙を出すよ。午後にでもうちに来てくれと書いておくから、お前も来い。俺たちを脅しに来る体を装ってな」
「ああ」
夜明けまでもう二時間余りとなった薄闇の中、これからの行動を確認し合った二人はそれぞれ自分の役目を果たすため、行動を始めた。コルザはペティアを抱きかかえたまま敷地の外へ、ラスターはペティアの死を偽装する穴を掘るため、互いに背を向けて歩き出す。
「……ラスター」
「ん?」
だが、一歩踏み出した途端、ふと足を止めたコルザは、おもむろに彼の名を呼ぶと、どこか念を押すように静かに言った。
「今度は裏切るなよ。一緒に、闇を追い出すんだ」
「ああ、約束する。気を付けて帰れ」
彼の言葉を噛み締めるように、ラスターは振り返ることなくゆっくりと頷いた。
闇を払うため、そして妹を守るため。ラスターの意志はもう揺らぐことはないようだ。
そのことを確かめたコルザは、小さく笑みを見せると、気を失うように眠ってしまったペティアを抱いたまま、ゆっくりとスリージェル侯爵家の敷地を後にした。
夜中降っていた雪はいつの間にかおさまり、空には帰途に就く二人を見守るように、薄い月が浮かんでいる。
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