第6話 調査結果報告!

 大物貴族に通じている密告者を探すため、お家めぐりを初めて早一ヶ月半が過ぎた。

 季節は冬本番を迎え、毎日のように分厚い雲が空を覆い隠しては、街を白く染め変えていく。


 しかし、寒さなどどこ吹く風と言うように貴族たちのお茶会やパーティは盛大に催され、ペティアは侍女としてそれを見守りながら、隙を見ては当主の書斎や書庫、地下の秘密部屋などを回り、証拠を探し続けた。

 だが……。


「とうとううちで最後か~、まじ緊張すんな~」

「そんな間延びした声で言われても、説得力がないですよ。アルク」

 悲しいことに成果は上がらず時は過ぎ、今日はとうとう候補に挙げた最後の家、グランディア侯爵家の調査兼アルクのお茶会が開かれる予定となっていた。

 その先駆けとしてやってきたコルザは、どこか心配そうな表情を見せながらも、大人しく調査をペティアに任せ、少し後からやって来たオリヴィエと三人でペティアの調査を待っていた。

 あえて両親と兄が留守の日にお茶会を設定したこともあり、調査はスムーズに行われていることだろう。お茶会が始まる前には調査を終えて、結果を報告すると言っていたのだが……。

「遅いなぁ、ティア。ちょっと様子を見て来ようかな……」

「侍女を心配する主人がありますか。大人しく待ちましょうコルザ。直に戻って来ますから」

「うーん。そうだね。そろそろみんな来るころだし、邪魔はしたくないもの……」

「なぁお前ら、俺の心配は? もし俺の父上が彼女の探し人だったらどうするよ? 法務大臣でもある父が更迭されたら、この国の法が……、てか俺の家が滅ぶ」

 そわそわと落ち着きのないコルザをなだめるオリヴィエに、もしもを想定して顔を蒼くしていたアルクはちょっとだけ不服そうに言った。すでに嫌疑が晴れている二人と違い、グランディア家は現在調査中……。もうちょっと心配してくれてもいいのに。


「もしあなたの父上が黒だったのなら、潔く死を以って彼女に償いをしなさい。女性を傷つける愚か者など、極刑に決まっているではありませんか」

「……聞くんじゃなかった」

 端正な顔立ちで、真面目に怖いことを言い出したオリヴィエの女性に対する持論から目をそむけたアルクは、精神的に疲れたような顔で、深くソファに寄りかかった。

 もう何も考えずに彼女の帰りを待っていた方が得策かもしれない。


「……失礼いたします」

 そのとき。軽いノックと共に待ちわびていた侍女の声が扉越しに聞こえてきた。

 お茶会の開始まであと二十五分。ようやく調査が終わったようだ。

「遅くなって申し訳ございません。少々手間取ってしまい……」

「ティア~、よかった。遅いから心配したよ」

 そう言って傍に駆け寄ったコルザは、扉を開けて中に入ってきたペティアを出迎えた。

 だがその途端、彼女は何かに怯えた様子で彼の上着をぎゅっと握りしめ、顔を背けてしまった。突然の出来事にコルザは驚いたが、彼女の視線の先にあったものに気付くと納得して、

「あー、アルク。悪いけど今すぐその暖炉…布とかで覆ってくれる?」

「は? 燃やす気かよ?」

 部屋の入り口に立ち、ペティアを隠すようにして振り返るコルザの唐突な物言いに、アルクは訝しげな顔をすると眉根に皺を寄せた。こっちは一秒でも早く白黒はっきりさせたいのに、暖炉に布って…何言ってんだお前、とでも言いたそうな表情だ。


「そうじゃなくて、俺の侍女は火が苦手なんだ。衝立でも何でもいいから、とにかく、すぐにその暖炉の火を見えないようにしてほしい」

「!」

 ソファに腰かけたまま、不満顔でこちらを見上げるアルクに端的に説明すると、彼の言葉にアルクも、様子を見守っていたオリヴィエもようやく事情を察したようだ。

 二人して部屋の隅にあった衝立に急ぎ、暖炉の前へ移動してくれる。

 しかし、その間中、コルザが人目もはばからずに侍女をぎゅうっと抱きしめている姿に、アルクは衝立を立てながら思わず声を荒げた。

「分かった……分かったから、んな堂々と抱きしめてんじゃねーよ!」

「え? だって火が視界に入ったらまずいから……」

「この天然記念物め……」

 ただの使用人に対してならまだしも、相手は幼馴染みで侯爵家のご令嬢。今は仮の姿をしているとはいえ、お嬢様を堂々と抱きしめるなんて何事だ、そう言う意味で注意したにもかかわらず、すっ頓狂な声で首を傾げるコルザにアルクは唸るような声をあげた。

 意味を理解していないことは明白だったが、どちらにしろ、目の前で見せつけられているのはなんか、癪だった。


「まぁまぁ落ち着いて。これでいいですか?」

「うん、ありがとう二人とも」

 そんなアルクの内心に気付く様子もないコルザにちょっとだけ呆れながら、オリヴィエは二人を仲裁すると、衝立の傍を離れた。アルクはまだ納得がいかない様子だったが、暖炉の炎が見えなくなったことを確かめたコルザがようやくペティアを離すと、気も静まってきたようだ。

 三人してそれぞれ座っていたソファに再度腰を落ち着かせ、早速調査結果を聞くことにする。人前でコルザに抱きしめられていたペティアは若干照れたように顔を逸らしていたが、三人の視線に顔を上げると、やがて静かに口を開いた。

「結果から申し上げますと、グランディア侯爵家からは何も出てまいりませんでした」

「そっか……」

「残念でしたね」

「え、全然残念じゃねーよ? お前らほんと、もちょっと俺の心配も……」

 あからさまに沈んだ表情を見せるコルザとオリヴィエに、アルクが食って掛かる。

 しかし、それでなお残念そうな表情を崩さないオリヴィエは、この結果がもたらす事実をオブラートに包むことなくはっきり告げた。


「ですが、グランディア侯爵家が白ですと、候補に挙げた家はすべて外れ。我々はふりだしに戻ったことになります。これを残念と言わず、どうします?」

「う……いや、そうなんだけど……。俺んちが白だったことをもちょっと喜べって……」

 自分と他の三人との間にある明らかな温度差に、アルクはしばらく不満顔でぶつぶつと文句を言っていたが、最終的にオリヴィエの正論に論破されたように黙り込んだ。

 温かな部屋の中に困惑を含んだ沈黙が流れる。

 手掛かりを失った今、これ以上何をどう調査すればいいのか見当もつかない。

 そんなもどかしさに、全員が言葉を失くしていたそのとき。

 不意に扉をノックする音と共に使用人の声が聞こえてきた。

「アルク様、お茶会のご用意が整いました。すでに皆様お揃いでございます」

「……! ありゃ、もうそんな時間か!」

「話し合いは一度中止ですね。後ほどまた集まりますか?」

「そうだね、なにかしら打開策を考えないと、今後動きようがないし……」

「了解。ではそのように」


 いつの間にか、お茶会の開始時刻が迫っていたことを知った三人は、談話室での話し合いを一度中断すると、その場の片付けと一時間後の準備をペティアと数人のメイドに任せ、急ぎ足で会場へと向かった。

 もたらされた結果と、それによって生まれた問題のせいで、時間なんて気にもしていなかった。そんなことを口々に言いながら会場である一階の広間に足を踏み入れると、立食形式の会場にはすでに十数名の招待客たちが集まり、主催者の登場を待っていた。


「みんなお待たせ。始めようか、お茶会」

 そんな彼らの輪の中に入りながら、手早く挨拶を済ませたアルクは、使用人に指示を出して紅茶を用意させると、お茶会をスタートさせた。招待客たちが思い思いに会話や菓子を楽しむ会場は、ふわふわ甘いお菓子と紅茶の香りに包まれ、和やかな雰囲気に満ちている。

「三人そろってぎりぎりなんて珍しいね~。何かあったの?」

「あんまり来ないからお茶会のこと忘れたんじゃないかって話してたところだったのよ」

 すると、珍しく開始ぎりぎりに揃って現れた彼らに、入り口の傍で雑談を楽しんでいたミューナとサリィヌが、ちょっとだけ不思議そうな顔で声をかけてきた。

 二人は生クリームをふんだんにあしらったカップケーキやマカロンタワーが鎮座するテーブルに陣取り、甘いお菓子を存分に堪能していたようだ。


「悪い悪い、ちょっと話し合いしててさ。それよりどーよ、今回のお菓子は。うちのパティシエが一週間悩んで作った新作ばっかなんだぜ。甘いもん好きのお気に召したか?」

 子供のころからよく知る幼馴染みたちをからかうように笑う二人の方に歩いて行きながら、笑顔で弁解したアルクは、そう言って超甘党サリィヌにテーブルの菓子を自慢し始めた。

 これ以上下手に話し合いの内容を突っ込まれないための機転かどうかは不明だが、何はともあれ、女性陣の興味はお菓子に移ったようだ。それが証拠にクールな見た目とは違い、甘いものに目がないサリィヌは話の途端、ひと際甘そうなお菓子にばかり手を伸ばしている。

 そのことを確認したコルザとオリヴィエは、ほっと息を吐くと笑みを零した。

「アルクにしては気の利いた話題の転換ですね」

「うん。あいつも、やればできるんだね。さて、大体一時間くらいしたらティアが迎えに来てくれるから、それまでは俺たちもお茶会を楽しんでいようか。せっかくだし」

「そうですね」


 アルクの絶妙なファインプレーに感心しつつ、お茶会を楽しむことにしたコルザとオリヴィエは、その後アルク自慢の菓子をいただいたり、友人たちとの会話を楽しんだりした。

 行く先々のテーブルでお菓子を自慢するだけあって、並べられた菓子はとても美味しかった。

 そしてあっという間に一時間が経過し、時計を気にしながらペティアの迎えを待っていると、不意に聞き覚えのある声が飛び込んできた。


「あ~っ、コルザ様ぁ~っ!」

「!」

 コルザの名を呼びながら満面の笑みでこちらに寄って来たのは、吊り上がった眉に藍色の瞳、濃い金髪と頬に散るそばかすが特徴の派手なドレスを身に纏った少女だった。

 髪やドレスのいたるところにフリル付きのピンクリボンを散らす派手な少女は、甘ったるい猫なで声をあげると、可愛らしい仕草でコルザを見上げた。

 そんな彼女の姿に、近くにいた数人が明らかに嫌そうな顔で眉をひそめている。

「これはナルシア嬢。ラスターの姿を見かけないと思ったら、今回はきみが来ていたのですね」

「うん。兄様は急なお仕事が入ってしまって。だからぁ、あたしがわざわざ代理できてあげたのっ。兄様もコルザ様といっぱいお話ししておいでって言ってくれたし。嬉しいでしょっ?」

「そうですか。ラスターも大変ですね」

 怪訝な顔をする周囲の反応とは裏腹に、いつも通りのペースを崩さないコルザはそう言うと、上目遣いにこちらを見つめるラスターの妹・ナルシアの斜め上を見遣った。

 家族に溺愛されて育った彼女は、自分のことを絶世の美少女だと確信しており、周囲がどれだけ邪険にしようと自分の美しさを信じて疑わない、悪い意味でド天然な令嬢だった。

 今も眉をひそめる周囲の表情なんてお構いなしに、赤いアイシャドーをばっちり決めた瞳でコルザを見上げ、嬉しそうな笑顔を見せている。その好意をぐいぐいアピールする眼差しに、コルザは困ったように頬を掻くと、できるだけ目を合わさないよう、視線を宙に彷徨わせた。

 もうすぐペティアが迎えに来てくれると言うのに、とんでもないものに捕まったものだ。


「……あーあ、コルザの奴、あんなとこでナルシアに捕まってやがる……」

 そんな二人を遠くから見つめたアルクは、準備を整えて迎えに来たペティアと、彼女に気付いて合流したオリヴィエと顔を見合わせながら心底迷惑そうに呟いた。せっかく準備が整って話し合いを再開しようと言うのに、よりによってナルシアが傍にいるなんて……。

「しかし…コルザが私たちに気付くか、誰かが呼びに行きませんとこのままでは……」

「じゃあ呼びに行って来てよ。俺はやだぜ~。あいつの傍に近付くのだけはまじ勘弁……!」

「う…いえ、私も…遠慮したいですね。女性は愛すべき存在ですが、彼女だけは苦手です」

 話し合いを再開するにはコルザも呼ぶ必要がある、そうと分かっていながらアルクもオリヴィエもナルシアの存在にあからさま嫌そうな顔で尻込みをした。

 同世代の男子は全員自分をお嫁さんにしようと狙ってる、なんて本気で思っているナルシアに近付いたが最後、どうなるかはすでに嫌と言うほど知っている。近付きたいわけがない。

 そもそもコルザが何であんな平気な顔をしているのか、二人には疑問でしかなかった。


「……私が、コルザ様を呼んでまいります。少々お待ちいただけますか?」

「え、大丈夫?」

「はい。私は、コルザ様の侍女ですから」

 そんな二人の様子をペティアはしばらく同意見だと言うように見つめていた。彼女にとってもナルシアは前例がないほど苦手で、正直ラスターが彼女を可愛がる理由が分からなかった。

 だが、自分の目的のためにも心を鬼にしなければ……。

 しばらくして覚悟を決めたペティアは静かに宣言すると、ゆっくり二人に近付いて行った。

 そして、使用人らしく振る舞っていれば大丈夫と自分に言い聞かせ、そっと話に割って入る。

「ご歓談中失礼いたします、コルザ様。あちらでアルク様とオリヴィエ様がお待ちです」

「……! ティア! そうか、分かったよ」

 気配を殺してスッと現れたペティアに、コルザがどこか安心した顔で息を吐いた。

 これでようやく、ナルシアのもとを離れられる。話し合いも再開できる。

 そう思いながら笑うコルザの柔らかい表情を、一瞬惚けたように見つめていたナルシアは、次の瞬間、あからさまに苛立った顔で突然現れた使用人に食って掛かった。


「ちょっとなんなの? 使用人の分際であたしたちの邪魔するなんて、無礼者!」

「!」

「今すぐ出てって! ほら、出てけよ! ここは使用人がいていい場所じゃねぇのよ! せっかくの楽しいおしゃべりを邪魔なんて、最悪! 誰かこいつをつまみ出してっ!」

「彼女は俺の侍女なのでお構いなく。この後別に約束があるので、失礼しますね」

 大声で喚くナルシアの暴言に、ペティアも含めその場にいた全員が嫌な顔を見せた。

 一方で、コルザだけは平然とした様子を見せると、当然のようにペティアを庇った。そして相手が平常心であるかの如くのんびり別れを告げ、背を向けてしまう。

「えっ、なんでよぉ。もっとお話しするでしょぉ、コルザ様ぁ~。ねぇ……」

「申し訳ない。ラスターによろしくお伝えください」

 コルザが背を向けた途端、ナルシアはまた猫なで声を上げて可愛らしい仕草を見せたが、彼は意に介した様子もなく言うと侍女を従えて歩いて行ってしまった。

 彼の後ろを続くペティアは、侍女らしくナルシアに一礼しながらも、現状悪態以上何もなかったことに安心して見せたが、二人の後ろ姿を見送るナルシアの怒りは収まりそうになかった。

 二人の時間を邪魔した侍女を恐ろしい形相で睨みつけ、背を向けて油断している彼女の肩を思いっきりどついてやる。そして。


「あたしの邪魔しやがって! この馬鹿使用人がぁ!」

「きゃっ!」

 猫なで声を捨てた、品のないだみ声で吐き捨てるナルシアの無駄に威力のある一撃に、不意を突かれたペティアは押し出されるがまま態勢を崩した。

 体が前方に傾き、足が床を離れるのを感じた、そのとき。

「おっと! 大丈夫かい、ペティア?」

「……っ」

 間一髪、事態に気付いて振り返ったコルザが両手を伸ばしてペティアを抱き留めた。

 皆が見ている会場のど真ん中で彼の胸に飛び込んだ事実と、素で自分の名前を言うコルザに動揺しなかったわけではない。だが瞬時に頭を切り替えたペティアは、自分の役を演じようと気丈に振る舞うと、侍女を印象付けるように心持ち大きな声で言った。


「し、失礼致しました、コルザ様。ご主人様にお助けいただくなんて、申し訳ございません」

「あ…いや、いいんだ。そ、それより、行かないとな、ティアリー」

 ペティアのいやに丁寧な台詞に、自分が何をしたかに気付いたコルザは、失言を取り繕うように侍女の名前を強調すると、アルクたちのもとに向かいながら友人たちの反応を窺った。

 周囲にいた友人たちは、貴族の娘とは思えないナルシアの言動と行動に辟易していたせいか、コルザのうっかり発言を気に留めることはなかったようだ。

 みんなして心底迷惑そうな顔をナルシアに向け、表情を硬くしている。



「まったく、女性に手を上げるなど言語道断。許せませんね」

「やっぱあいつに関わるとろくなことねーな。大丈夫?」

 お茶会会場に居合わせた友人たちがナルシアに嫌悪を向けている隙に、談話室へと移動した四人は、今しがたの出来事に心底疲れた表情を見せるとペティアを労わった。

 コルザの注意を奪われて醜く嫉妬したのだろうが、会場のど真ん中で人目もはばからずあんな行動に出るなんて、勘違いお嬢様には困ったものだ。

「ごめんよティア。俺が彼女に捕まりさえしなければ……。肩、痛む?」

「大丈夫です。それにしても、本当に変わりませんね…あの人は」

「むしろ年々暴走気味だよな~? はた迷惑な奴。てか、俺、あいつじゃなくてラスターを招待したんだけど。あんな奴をよこしといて兄貴はどこ行ったんだ?」


 ソファに腰かけたまま、暗い顔で俯くペティアのどつかれた左肩を申し訳なさそうに撫でてやりながら一生懸命謝るコルザと、女性に対する無礼に怒りを露わにするオリヴィエを交互に見遣りながら尋ねる。そもそも今日はお茶会ついでにグランディア家を調査し、今後の行動について話し合いをする予定だったのだ。先日ラスターに会ったときは今日のお茶会に顔を出すと話していたのに、これはどういうことなのだろう。

「仕事が入ったらしいよ。だから代理とか言ってた」

「……はー、今度から代理禁止にしよ」

「それより今後の行動について決めましょうか。本当はラスターの意見も伺いたいところでしたが、この際仕方ありません。我々だけでも意見をまとめなければ」


 その後、四人はしばらくナルシアの攻撃ダメージを癒すようにのんびりと話をしていたが、ようやく怒りを収めたらしいオリヴィエの言葉を皮切りに、お茶会前の話し合いの続きを始めることとなった。しかし、目星をつけて回った家はすべて白だったのだ。

 なら、今後何を根拠に探る家を見定め、調査していけばよいのだろう。

「もういっそ、侯爵様が友人と呼んでいたことのある家を全部回ってみる?〈友人による裏切り〉と侯爵様が言っていた以上、そのどこかに該当する家があるはずだし」

「えっ」

 打開策を模索して悩む彼らに、コルザがやっつけ気味に提案する。

 とにかく、今の状況を打破するきっかけを作るには、何かしらの意見が必要だ。そう思って提案しただけだったのだが、彼の言葉にオリヴィエは目を細めると意外そうに言った。


「……ちょっと待って下さい。侯爵様はその人物を「友人」と呼んでいたのですか?」

「……!」

「ティア、どういうことですか? 私たちは、そんな情報一言も……。もしかして、まだ我々に話していないことが、あるのではありませんか?」

「え、あれ……? ティア、こいつらにこのこと…話さなかったっけ?」

「……」

 自分の半やっつけ発言に鋭く反応したオリヴィエの面持ちに、コルザはちょっとだけ表情を引きつらせると、しまったかもしれないと思いながらペティアを見遣った。

 確か、最初に正体を知られたとき、ペティアは彼らに復讐の意志があることを言わなかった。それは覚えているのだが……。

「ええ、そのことはまだお伝えしていなかったかと」

「それはなぜです? ティア……」

「侯爵様が友人に裏切られて、亡くなった。そのことを話せば、実際にその現場を見た私が…友人である=信用に値するなどと思っていないことを、皆様に勘付かれるかと思いまして」

「……!」


 友人による裏切り、密告者を探す大切なキーワードとなり得るそれを黙っていた理由に、オリヴィエとアルクはショックを受けた顔でペティアの凪いだ表情を見つめていた。

 彼女は何を思っているのか、言葉を続けながらも無の表情を崩さずにいる。

「私は、侯爵様の死と共に、人を信じられなくなっていました。だからあのときも、本当は皆様を信用なんてしていなかったのです。危険を承知で皆様にある程度の情報を与えたのは、私の話を聞いた皆様がどう行動するかを見るため。協力なんて求めていなかったし、あわよくばしっぽを出してくれたら、そう思っていました。……酷い、女ですよね……」

 そう言って自嘲気味に表情を歪めたペティアは、ショックを受けた顔で目を見開くアルクとオリヴィエに、秘めていた本心を告げた。

 本当は幼馴染みを信用していなかった、そんな言葉、もう誰にも声に出して言うつもりはなかったけれど、疑問を投げかけられてなお、誤魔化すのはやめにしたかった。


「お前ら、ショックなのは分かるけれど、ティアを責めないでくれよ」

 そんなペティアの、まるで罵倒されることを望んでいるかのような悲しげな顔に気付いたコルザは、固まって動かない二人を見つめるとそっと言葉を紡いでいった。

 彼女がどうして、そんな手段しか選べなかったのか、どんなに心が傷ついているのか、コルザは知っている。だから、そんな悲しい選択しかできない彼女を赦してほしかった。

「彼女は業火に包まれた絶望の中で侯爵様の言葉を聞いたんだ。 “あいつを信用するべきではなかった。”“友だと思って油断した私が愚かだった。”そう言って涙する姿を目の前で見てきた彼女が、どうしたら再会したばかりの友達を信じられる? だから…怒るな」

「コルザ様……」

 自分だって初めは信用できないから、と介入を拒まれていたはずなのに、それでも懸命に庇ってくれるコルザの真剣な表情をペティアは驚いたように見つめていた。

 本当は彼に責められても文句を言えない立場だ。それなのに、本当に……。


「……心外ですね。私が女性を責めるなんて、そんなことすると思いますか? 女性の嘘も、隠し事もすべてを優しく受け止めてあげるのも男の役目ですよ」

「!」

「それに…今こうして本当のことを話してくれた。それだけで十分です」

「そうそう。コルザじゃあるまいし、一気に全部打ち明けるなんて無理っしょ。動向を見張られてたのにはちょっとびっくりしたけど、気にしないよ」

 文句でも罵倒でも受け入れるつもりだったのに。

 そう言って、何でもないことのように許してくれる二人の言葉を、ペティアは目を丸くして聞いていた。こんな、責められて当然の自分を、こうも簡単に許してくれるなんて……。

「お前らもお人好しだな。必死に庇う必要なかったじゃん」

「お前にだけはその言葉、言われたくねーぞ!」

「同感ですね。それよりティア、先程コルザが言っていた侯爵様のお言葉に間違いはありませんか? もしそうなら、我々は、五年前の“当時”に拘りすぎていたのかも知れません」

 二人の反応に満足したような笑みを見せるコルザとアルクの見慣れたやり取りをさらっと流しながら、話を進めることにしたオリヴィエは、ある可能性に気付いたように言った。

 確信めいた光を宿す彼の凛とした面持ちに、申し訳なさげに俯いていたペティアは顔を上げると、気を取り直した表情でそっと頷いて見せた。

 コルザにはあのとき、すべてを話している。間違いはない。


「我々は今まで五年前…当時侯爵が懇意にしていた家を回ってきましたよね。しかし、侯爵が友と呼ぶその人物はそれより前…我々と同じ、幼馴染みのような関係の人物かもしれません」

「しかし、突然再会した旧友に侯爵様が調査のことを話すでしょうか? 年月を経れば立場や環境が変わっていてもおかしくはないですし、それを加味せぬまま秘密を話すとは思えないのですが……」

 そう言って、自らの仮説を話すオリヴィエの真剣な青い瞳を見つめながら、ペティアは首を傾げると彼の答えを待った。

 秘密を聞き出した密告者を侯爵はたいそう信用していたはずだ。気の置けない親友…そしてその人物の人となりをよく知っていなければきっと秘密なんて話さない。かつての友人や幼馴染みで疎遠になってなお、気兼ねない人物がいるかなんて、ペティアには見当もつかなかった。

「それが私に一人、心当たりがあるのです。とある事件をきっかけに、公の場で顔を合わせることはほとんどなくなりましたが、仕事的にも傍にいたであろう、侯爵の幼馴染みが」

「それは一体……?」

「ドニーク伯爵ですよ。ラスターの父親であるヴィルガー・ドニーク伯爵。彼は二十五年近く前まで侯爵様ととても仲が良かったと記憶しています」

「!」


 オリヴィエの口から語られた事実に、コルザやアルクはもちろん、ペティアも驚いていた。

 自分が生まれる前の出来事とは言え、目も合わさぬほど険悪な雰囲気を出していた二人が仲の良い幼馴染だったなんて、信じられなかった。

「ドニーク伯爵が…へぇ……」

「それまじかよ、オリヴィエ? あのお二人は王国一の不仲って有名だったぞ?」

 驚きのあまり疑問さえ出てこないコルザをよそに、アルクが眉根に皺を寄せながら、まさかと言わんばかりの声音で尋ねる。するとオリヴィエはさらに驚きの話を聞かせてくれた。

「ええ、本当です。ですがその実、犬猿の仲だったのはお二人の奥方のようですよ。詳細は私にも分かりませんが、今から二十年以上前、壮絶な喧嘩の後に絶縁したと、父から聞いたことがあります。それはそれは王国中に響く大喧嘩だったと」

「……え、じゃあまさか互いに妻を庇った末、関係が悪化した的な……」

「おそらくそういうことですね」

「……」

 仲の良い幼馴染みが不仲に発展した理由に、コルザたちはしばらく言葉を失くしていた。

 確かにペティアの母は普段こそ物静かで優しい侯爵夫人だったが、ひとたび間違った行いや振る舞いを見かけると、全力で軌道修正をしようとする熱意の持ち主だった。

 その無茶なほど正義感に溢れる性格は、娘にも受け継がれているところではあるが、つまり、スリージェル侯爵夫人はドニーク伯爵夫人の何かを正そうと進言した結果対立し、その溝は両家にまで及んだということなのだろう。


「……なるほど、オリヴィエ様の言いたいことが分かりました」

 奥様方の大喧嘩という想像しがたい事象に未だ思考が回復しない二人をよそに、ペティアは少し悩んだ後で彼の見解を察したようだ。人差し指を顎のあたりに当てたまま、思い当った盲点に衝撃を受けながら言葉を続ける。

「つまり、犬猿の仲であったのがお二方の奥様であるなら、侯爵様とドニーク伯爵は表向き険悪を呈しつつ、実は関係を保ったままであったかもしれないと言うことですね。世間にも奥様にも内緒で、二人は親友として時間を過ごしてきた。しかしその裏で伯爵は闇と密接になり、その調査に乗り出した、侯爵様を……」

「はい。もしかしたら、今日ラスターが不在なのは、天が我々に味方をしてくれているのかもしれません。正直、伯爵は温厚で悪い噂も聞きませんし、家同士の付き合いも皆無だったので候補にすら挙がりませんでしたが、一度調査をしてみる価値はあるかと」

「でも、それどうやって調査するよ? あいつを疑いたいわけじゃねーんだけどさ、ラスターはティアのことも、彼女の調査も知ってる。候補に挙がってたならまだしも、いまさら俺たちが堂々とあいつん家に行きたいなんて言ったって拒否られるか、当日までに証拠を全部隠蔽されるかどっちかじゃね?」

 相手がまた友人であることなどもはや気にした様子もなく意見をまとめる二人に、ようやく回復したアルクが横から根本的な問題を指摘した。

 確かに、七割方彼にペティアの目的を話してしまっている以上、今から彼の家に行ったところで〈疑っているから家探しさせてくれ〉というのも同然だ。もちろん、この仮説がハズレと言う可能性もあるが、正面から訪問するのはリスクが高い気がする。


「じゃあ俺が囮になってあげようか?」

「……?」

 すると、アルクの真っ当な指摘に、珍しく反論の余地を見出せない二人に向かってコルザが提案した。にこやか挙手しながらの一言にしては謎の多い言葉に、オリヴィエが首を傾げながら内容を尋ねると、彼は笑ったままちょっとびっくりすることを教えてくれた。

「実は今、ナルシア嬢から熱烈に求婚されててね。あ、もちろん断る気満々なんだけれどさ。あいつは俺がその気だとでも思っているのか、さっきお茶会で来週、家族が不在の日にお茶においでって無理やり招待状渡されて…困っていたところだったんだ」

「!」

「でも、これを利用してドニーク家にお邪魔できれば、俺がナルシア嬢を引きつけている間にティアに探ってもらえるかな、って。どうかな……?」

 何でもない日常会話のようにさらっと縁談を告げるコルザに、その場にいた全員が凍り付いた。確かに、縁談自体はコルザの年齢的にも決して不思議ではないが、そんな話、侍女であるペティア含め誰も知らなかった。

 しかも相手がナルシアだなんて……。


「まじか。どうりであいつ、コルザに媚売ってくるわけだな。でもいいじゃん。それなら誰にも邪魔されることなく、コルザがあいつに耐えられる限りドニーク家を調査できるぞ!」

「女性の好意を利用するなんて通常許しませんが、彼女に関しては免罪です。コルザが平気だと言うのなら、この千載一遇の好機に乗じるのは良い手だと思いますよ」

「でしょ? ティアはどうかな……?」

 ショックから立ち直った途端、コルザを気遣いながらも全面肯定してくるアルクとオリヴィエをよそに、当のペティアはしばらくだんまりを続けていた。ペティアのことだから、アルクたち同様に肯定してくれると思ったのだが、何か気に食わない点でもあったのだろうか?

 あまりにも反応のない彼女に心配になってコルザが声をかけると、ペティアはしばらくしてどこか怒ったような顔で首を振った。


「……私は、反対です。いくらそれが絶好の機会だとしても、私は、コルザ様に…これ以上、嫌な思いをしてほしくはありません……」

「ティア……」

「だって、相手はあのナルシア嬢ですよ。高飛車で傲慢で自分勝手で自己愛に満ちた、あの…。そんな淑女の片鱗すらない彼女と二人でお茶なんて…絶対、駄目です……」

 そう言ってペティアは、調査云々の前にコルザのことを心配するような表情を見せた。

 確かに二人の言う通り、ナルシア以外家人がいないのであれば、それは調査を行う絶好の機会だろう。それでもあんなお嬢様とコルザを二人だけにさせるのは、なんか嫌だった。

「心配してくれるの? でも、大丈夫だよ。言ったでしょう、俺はティアが目的を果たすための手伝いがしたいんだ。そのためなら、ナルシア嬢との数時間くらい、平気さ」

「……ですが」

「じゃあその代り! もし本当にドニーク伯爵がティアの探し人の一人だったら、何かご褒美でももらっちゃおうかな。それなら納得してくれる?」


 そう言って、なかなか首を縦に振ろうとしない彼女に、コルザはいいことを思いついたように提案した。見返りアリの協力なら彼女の罪悪感も減るだろう。そう思ったのかもしれない。

 そんな彼の心遣いに、しばらく俯いていたペティアは、やがて覚悟を決めたように言った。


「……分かりました。行きましょう、ドニーク家へ」

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