第4話 お茶会パニック
「お茶会?」
「そ、情報収集するなら、夜会より断然その方がいいんだ」
父の調査を密告した貴族と、闇に通じる王国の要人を探したい。
ペティアの過酷な目的への協力を申し出たコルザは、早速、情報を得るための手段として彼女にそんな提案をしていた。
「そこになら侍女を同行していても不自然ではないし、何より訪ねる理由を考えなくていい。それにいろんな話を聞けるから、知りたい情報を引き出すことができるかもしれないよ」
「お茶会……」
笑顔で言うコルザの意外な提案に、しかし話を聞いていたペティアは、きょとんとした表情を見せると、腑に落ちないと言うように首を傾げた。
お茶会と言えば、招待された各家のお庭や広間で素敵なお菓子や紅茶などを楽しむ、ご婦人方のためのイベント……。
公爵家で開催するならともかく、そこにコルザが出向くなんて、不自然ではないだろうか。
そう思って尋ねると、コルザは笑って理由を話してくれた。
「あー、そっか。ペティアは知らないんだったね」
「?」
「ここ二・三年、この国のお茶会のあり方が随分変わってね。昔は、きみが言うように主にご婦人方のイベントだったけれど、今は特に若い世代で男女問わず流行してる。お茶会の主な目的は、当主たちのいない気軽な場での情報交換と友人たちとの交流だ。ほら、夜会は基本的に当主たちの社交場だから、どうしても気を遣うし自由に会話とはいかないだろう。それに比べてお茶会は仲のいい友人だけを呼んで、心ゆくまで会話を楽しめる。そんな理由からお茶会文化が一気に広まったんだ」
「お茶会文化……」
ペティアが社交界から姿を消した後に発展した意外な文化に、彼女は少し驚いた様子で話を聞いていた。確かに、五年もあれば社交界でのスタイルが変わっていても不思議じゃないが、まさかあのお茶会が、気軽な情報交換の場になっているなんて思いもよらなかった。
「そう。それに南方との貿易が上手くいっているおかげで、砂糖が安定して大量に手に入るようになったって話を前にしたと思うけれど、それを体現するように甘いお菓子が急速に発展していてね。今やルリエル王国は欧州でも指折りのお菓子大国さ。国内栽培されている小麦とバターなんかを使った焼き菓子の誕生もお茶会がブームになった理由の一つだと思うよ」
「そう言えば、確かに最近パティシエが増えてきたような気はしていたわ。このお屋敷にもシェフとは別にパティシエがいるものね」
「うん。そう言うわけで、今では多くの家で頻繁にお茶会は開かれているんだ。規模は様々だけど、数人から二、三十人っていうのが一般的かな。これなら自然といろんな家にお邪魔できるし、情報収集にいいかな、って思うんだけど……」
「……!」
そう言って理由を締めくくったコルザは、ちょっとだけ不安そうにペティアを見遣った。
いくらコルザにとっていい提案だとしても、その話にペティアが乗ってくれるとは限らない。彼女は今までとても慎重に調査を進めてきた人だ。きっとリスクだって分かっているだろう。
「……昼間に友人たちが集まれば、きっと顔を見られる機会も増える。もちろん、使用人は影。私に気付く人なんていないでしょうけれど、万が一と言うこともある……」
「………」
「でも、確かにそうね。効率はいいと思う。それにリスクばかりを考えていても始まらないもの。あなたの提案に乗ってみるわ」
彼の話にペティアはしばらく悩むように俯いていたが、やがて小さく頷くと言葉を返した。
危険を承知で手伝うと言ってくれたコルザのためにも、できるだけ彼に害がない方法を選びたいのも事実。お茶会が日常的なものであるなら、彼の行動を勘ぐられる危険も少ないだろう。
密かにそう付け加えながら了承すると、コルザはほっと笑顔を見せて言った。
「よかった。じゃあとりあえず、今度うちでお茶会があるから、まずはそこで雰囲気に慣れてみてよ。招待したのは友人ばかりだから、ペティアも知っている人たちだと思うよ」
そして、お茶会を情報収集の場にすると決めて三日。
今日はトレフィーヌ公爵家でコルザ主催のお茶会が開かれる予定だ。
朝から慌ただしく準備を進める客間係のメイドや、従僕たちの様子を見ながら彼の自室を訪れたペティアは、すでに日常になりつつある光景に呆れながら声をかけた。
「コルザ、また髪が跳ねているわよ。それにウエストコートのボタンも掛違えてる。あと十分で開始なんだから、エルヴと遊んでないでちゃんと整えて」
「え? ……あれ、ほんとだ」
ふぅと小さく息を吐きながら困ったように言うペティアの言葉に、白い毛玉を離したコルザは、初めて自分の身だしなみに気付いたような声をあげると、ボタンを直しながらドレッサーの前に移動した。彼女の指摘通り、コルザの髪はまた一房だけ重力に逆らって跳ねている。
「もうみんな集まっているかな」
そんな彼の髪を慣れた手つきで丁寧に梳いていると、コルザは嬉しそうに言った。
一方、開始時刻まで数分もない状況に、ペティアは心配げな表情だ。
「おそらくね。コルザも早く行かないと。主催者なんだから……」
「そうだね。あー、楽しみだな、お茶会♪」
「……」
トレフィーヌ公爵家の三階で二人がそんな会話をしていたころ。
お茶会の会場である一階の広間には招待客たちが集い、思い思いに話をしていた。
銀糸の刺繍が施されたテーブルクロスの上には、お抱えのパティシエが腕によりをかけた焼き菓子やクリームたっぷりのケーキ、そしてアールグレイなどの紅茶も用意されていた。
しかし、肝心の主催者がいない状況に皆どうしたものかと苦笑していると、やがてゆっくりと扉が開き、ちゃんと身だしなみを整えたコルザがペティアを従えて部屋にやって来た。
部屋の中には先日会ったアルクを始め、ペティアもよく知っていた昔馴染みが顔を揃えている。
「おぅ、ようやく来たなコルザ~、何主催者が遅刻してるんだよっ!」
すると、扉の近くの席に座っていた赤毛に同じ色の瞳をした青年、アルクが片手を上げながら軽口をたたいた。ただ、コルザが自宅主催に限って遅刻するのはいつものことなのか、周囲の友人たちも含め、本気で咎めているような雰囲気はない。
そのことを感じつつ扉の脇に控えたペティアが様子を窺っていると、部屋の中央に進み出たコルザは言葉を返しながら挨拶を始めた。
「出迎えできなくてごめんよ、みんな。実は髪が跳ねてるって怒られちゃってさ~」
「幾つだ、お前……」
「え、十九だけど? ……ま、そんなことはさておき、本日はようこそ。久々に我が家でお茶会を開催できること、大変嬉しく思います。お時間の限りお楽しみ下さい。では開幕~」
そう言って、隠すことなく理由を語るコルザの簡単な挨拶で幕を開けたお茶会は、用意されていた華やかな紅茶の香りと、焼き菓子の甘い匂いに包まれ、すぐ活気に満ちてきた。
あちこちのテーブルで笑い声が上がり、近況報告や情報の交換、恋愛話に趣味の話など、思い思いの話題で盛り上がる姿は、まさに大人たちがいないからこそ、と言った感じだ。
(これが新しいお茶会……。そして、みんなの五年。一瞬誰か分からなかった子もいるほど、本当に大人っぽくなって……。昔は私もあそこにいたのよね。みんな私のお友達だった……)
そんなお茶会を、ペティアは好奇心とほんの少しの寂しさを滲ませながら見つめていた。
この場にあるすべてを堪能する彼らは、コルザが言うように見栄などなく、本当にありのままの姿で楽しそうに見える。身分を隠し、復讐を願う今の自分とはまさに対極の存在だ。
そう思うとなぜか寂しくて、ペティアは視線を逸らすと感情を誤魔化すように頭を振った。
そして、二度とこの世界に戻れないと分かっていながら感傷的になる自分に言い聞かせる。
(……でも、今は違う。私の目的は復讐だけ。彼らと関わるなんて絶対にダメ……。……私と彼らとではもう、何もかも違うのだから……)
(……さて、挨拶回りもほぼ終わったし、情報収集も始めないと。その前にペティアは……)
笑い声の絶えないお茶会がスタートして三十分余り。
友人たちの間を巡り、挨拶と会話を楽しんでいたコルザは彼らの傍を離れると、入り口付近に置いてきたペティアを心配そうに見遣った。気配を消し、影に徹する彼女はコルザの言いつけ通りそこで、会場全体を見るともなしに見つめている。
(やっぱり誰も、彼女の正体に気付く人はいない、か……。それどころか目さえくれない人がほとんどだろうな。ペティアはそれでいいって言っていたけれど、俺は……)
「やあコルザ、本日はお招きありがとうございます。今日のお菓子も大変おいしいですよ」
「……!」
元は同じ立場にいながら、今や相成れない存在となってしまったペティアのことを想いながら会場を歩いていると、不意にそう言って一人の青年が声を掛けてきた。
すらりとした細身に長い銀の髪をした美しい顔立ちの青年は、文句なしに綺麗な笑みを浮かべ、オレンジを練り込んだパウンドケーキに舌鼓を打っている。
「ああオリヴィエ。久しぶりだね。よかった、パティシエが喜ぶよ」
「さすが、公爵家お抱えのパティシエですね。……そう言えば、最近はお茶会などにもあまり出席していなかったように思いますが、お仕事ですか?」
豪奢な椅子に腰を落ち着け、優雅にお茶を頂く青年――王国きっての美貌を有する伯爵家の嫡男・オリヴィエ・レシュランは、自分たちのすぐ傍までやってきたコルザに、少しだけ不思議そうに尋ねた。友人たちが集まる場には欠かさずと言っていいほど顔を見せていたコルザが、ここしばらくどの場所にも不在だったことを心配しているようだ。
「ん? あはは、ううん、そうじゃなくて……」
「どーせ、この間の侍女と遊んでたんだろう~、なぁコルザ~?」
すると、二人の話をオリヴィエの隣に座って聞いていたアルクが、コルザの答えを遮るように頬杖をついたまま言った。よく通る溌溂とした声で、どこか面白がるように会話に参加してきたアルクは、グランディアーナの店で会って以来、どうにも邪推が止まらないらしく、ニヤニヤと楽しそうな表情を浮かべ、正面に立つコルザの反応を窺っている。
「侍女?」
「コルザに? 冗談だろ」
しかし、コルザが答えるより先に反応を見せたのは、話を聞いていた幼馴染みたちだった。
聞き違いかと思うほど意外すぎるアルクの言葉に、会話の主導権を取られたオリヴィエも、彼の向かいに座って友人たちのやり取りを静観していた黒髪の青年、ラスター・ドニークも、心底驚いた表情でコルザを見つめている。
「あっはっは、それがまじなんだよ~。あ、ほらほらあそこ! 入り口ドアの傍にいる黒い制服の子、見える? あれがコルザの侍女なんだって。笑えるでしょ?」
すると、彼らの反応に満足したのか、周囲を見まわしていたアルクが実に楽しそうな笑顔でほぼ対角線上にある入り口付近を指差した。そこには凛とした品のある雰囲気を纏った少女がいて、何をするでもなくただ静かに会場を見つめている。
「……まあ、俺が彼女を選んだ理由は、姿を見ればみんな分かると思うけど……」
「……?」
確かに使用人にしては綺麗に見えるが、あの子がいなくなって以来、どんなご令嬢にも見向きしなかったコルザが、侍女を傍に置いているなんて……。
そんな感想を抱きながら、唖然とした表情で彼女を見つめる二人に、コルザはしばらく間を開けると、らしからぬほど真剣な面持ちで口を開いた。アルクと違って常にふざけているわけではないが、コルザがこんな場所で真面目さを見せるのは珍しい。
彼女を侍女に選んだことに何か、特別な意味でもあるのだろうか?
「え、なに? お前らやっぱ付き合ってんの? あっはははー笑える」
「え」
コルザの普段とは異なる態度と、意味深な言葉に首を傾げる二人をよそに、笑顔を見せたアルクは身を乗り出すと、そう言って唐突に予想外の爆弾を放った。
確かに、やたら侍女の話に食いついてくるなとは思っていたが、まさかそんなことを考えていたなんて……。
「……」
「なるほどな……」
「そうですか。それならコルザが侍女を付けた理由にも納得ですね」
とんちんかんなアルクの爆弾発言に、一番驚いたのは他ならぬコルザ自身だった。
だが、その一方で同じように話を聞いていたラスターとオリヴィエはなぜか納得した様子だ。それほどまでにコルザが侍女を付けたことが意外だったのだろうが、なぜ誰も、コルザが侍女を選んだ本当の理由に気付かないのだろう?
「だよなぁ~。ま、使用人がお相手ってのは問題ありそうだけど? よかったな、コルザ~」
「……」
どこか寂しそうに表情を曇らせるコルザの沈黙を肯定と取ったのか、話題の中心人物をよそにアルクはさらに笑みを深くすると勝手に盛り上がった。
彼の中では既にコルザと侍女が交際していて、自分たちにそれを報告しようとしている、という結論になっているようだ。
「……違う」
そんなアルクと彼の持論に納得した様子のオリヴィエ、ラスターを順に見つめたコルザは、やがて、絞り出すように呟いた。
誰だってその姿を見れば、彼女の正体に気付くと思っていたのに。もちろん、ペティアが自分の正体を誰にも知られたくないと思っていることや、友人たちとの再会を望んでいないことは分かっている。
それは父侯爵が友に裏切られ、あんな目に遭ったからだと言うことも十分承知の上だ。
それでもコルザは小さいころから一緒にいた彼らに、ペティアの正体に気付いてほしかった。
彼女に、たくさん味方がいることを知ってほしかった、のに……。
「……違うよ。俺が、彼女を選んだのはそうじゃない……」
「ん? 今更隠さなくていいんだぜ、コルザ~。だってそれ以外理由なんて……」
「俺が彼女を選んだのは、彼女の正体が五年前に死んだはずのペティアだったからだ」
そのことが無性に寂しくて悲しくて……コルザは話を続ける三人を見つめると思わず、そう言って本当のことを告げてしまった。
その途端、それまで楽しげに話していた彼らの表情が消え、徐々に衝撃に変わっていく。
よほど衝撃的な発言に、しばらくの間誰も何も言わない痛いくらいの沈黙が流れた。
「……な、何言ってるんだ。冗談はよせよ、コルザ」
しばしの間の後、今聞いたことが信じられないと言うように、声を取り戻したアルクが動揺した声で呟いた。椅子に座ったまま、茫然と目を瞬く彼らは、衝撃と疑いを織り交ぜたような瞳で、部屋の隅にいる侍女と、目の前のコルザを交互に見つめている。
「……。あ、しまった……」
そんな幼馴染みたちの困惑とは裏腹に、それまで沈黙していたコルザは、ようやく自分が口を滑らせたことに気付いたようだ。
困惑顔でこちらを見つめる幼馴染みたちの視線に頭を抱え、今さら後悔を口にする。
「あぁ、どうしよう、これ言っちゃいけなかったのに……。みんなが彼女の正体に気付いたからって呼ぼうと思ってたのに。ああぁこのままじゃ俺がペティアに怒られる……」
「おぅ、そ、そうか。おおお怒ってんのか、からかったこと! なっ。そうなんだろコルザ!」
「え、いや、俺じゃなくて……。いや、今の何でもないから! 俺は何にも言ってないから!」
後悔と同時に自分の計画までしっかり暴露するコルザと、嘘としか思えない彼の発言を、無理にでも聞き間違いだったことにしたいアルクは、互いに主張するように言葉を重ねた。
二人の会話は全く噛み合っていなかったが、その動揺だけは周囲に伝わったのか、周りにいた友人たちが不思議そうにこちらに視線を向けている。
「ちょっと、うるさいわよ。一体何の騒ぎ?」
「……!」
すると、優雅なお茶会の場で騒ぐ彼らに、近くでお菓子を楽しんでいた濃灰色の髪の勝ち気そうな少女が代表して声をあげた。生クリームに粉砂糖と木苺ジャムがたっぷり乗った甘いシフォンケーキを頂いていた彼女は、挙動不審な二人を交互に見つめ、眉を吊り上げている。
「いや、えっと、ごめん。気にせずお菓子食べててサリィヌ。うん、その……」
「……何かあったの?」
「うーんと、その、は、話し合い! が、盛り上がって、それで……。こ、声が大きかったね。ごめんよ。みんなも、ほんと、気にしなくていいから! お茶会を楽しんで~!」
その状況にさらに焦りを見せたコルザは、わたわたと手を動かしながら、声を掛けてきた幼馴染みで伯爵家の令嬢であるサリィヌと周囲の友人に、懸命に言葉を選びながら言った。
ここでこれ以上騒ぎを大きくして、ペティアの生存が会場全体に知られたら、怒られるだけでは済まないとさすがに分かっているようだ。
「……ふーん、まぁいいわ。コルザの家でお茶会は久々だし、今日のお菓子も甘くて最高だもの。でも、あんまり羽目を外しすぎないでよ」
「うん。邪魔しないよう一旦会場を抜けるよ。えーっと、ティア! ちょっとおいで」
そう言って、灰色の瞳を曇らせて不審がるサリィヌに何とか弁解を終えたコルザは、慌てた様子で扉の傍にいた侍女を手招きした。そして、不思議そうな顔で近付いてきた彼女に、いまだ冷めやらぬ衝撃に騒ぐか固まるかしている彼らを指し、短く告げる。
「ティア、悪いけど、この三人を奥の談話室に案内してくれる? 俺もすぐに行くから」
「……かしこまりました、コルザ様。皆様、どうぞこちらへ」
「……」
慣れた様子で指示を出すコルザと、なんの違和感もなく従う侍女の姿は、どこにでもある貴族家庭の一場面のように見えた。だが、今しがた聞き及んだ衝撃の話を考えるとありえないやりとりに、オリヴィエ、アルク、ラスターの三人は、声も出ない様子だ。
そんな彼らの驚きと疑惑の視線に、ペティアは微かな不安を抱いていたが、結局何も言うことなく、彼らを談話室へと案内していった。
「えっ、正体がばれた? 嘘でしょう?」
「いや、ほんとごめん。つい口が滑って……」
「信じられない……」
アルクたちを談話室へ案内し、一度コルザの元に戻ったペティアは、聞かされた事の顛末にショックを受けた顔をしていた。あれだけ正体は明かしたくないと口酸っぱく言っておいたのに、勢いとは言え、あっさり言ってしまうなんて……。
三人を案内した一階奥の談話室に向かいながら、困ったような小声で呟いたペティアは、すまなそうに謝るコルザを見上げると、一旦冷静になって現状を問い質した。
「それで? 私の正体を話して、彼らはそれを信じた?」
「うーん、微妙? ものすごく驚いて、口も利けない様子だったけれど……」
「そうでしょうね。でも、それならまだ弁解の余地はあるわ。さっきのは言い間違いだったと上手く誤魔化してちょうだい?」
「うーん。あいつらには言っても大丈夫だと思うんだけどな……」
他の使用人や屋敷にいる人々に不審がられないよう、立ち位置と表情だけは侍女として振る舞いながら、ペティアは周囲に気取られないような小声で賢明に訴えかけた。
だが、密かに正体に気付いてほしいと望んでいるコルザはどこか曖昧なままだ。
そんな彼の態度に何を感じたのか、彼女はふと立ち止まると、少しだけ怖い顔をして言った。
「何の根拠にそんなことを……。とにかく、私の正体はこれ以上言わないでちょうだい。たとえ彼らが潔白だったとしても、この案件に関わらせていいわけないんだから」
ペティアの正体を巡り、小声でそんな話をしていた二人は、談話室前に着いた途端、気を取り直すと、主人と侍女の立場を以って中へと足を踏み入れた。
部屋の中では三人が各々ソファに座り、用意させたお茶にもお菓子にも手を付けることなく、実に神妙な面持ちをしている。
「お、お待たせ……」
「お~ぅ、待ってたぞ、コルザ~。さっきの件、ちゃんと説明しろ! その侍女がペティアだってのは本当なのか? それとも悪い冗談か?」
そう言って怖い顔をしたアルクは、談話室に入って早々、コルザに詰め寄った。
どうしようもなく嘘が苦手なコルザが、嘘を吐けるわけがないし、自分たちに嘘を吐く理由もないのは分かっている。でも、この侍女が、ペティアだなんて……?
アルクを含め、こちらを見つめる三人の瞳に見え隠れする疑惑と驚き。射るような彼らの眼差しにコルザはしばらく黙りこくっていたが、やがて右斜め上のほうに視線を彷徨わせた彼は、妙に上ずった声で答えた。
「……いや、な、なんのことかな。俺は何にも言ってないよ? 正体を隠してメイドをしていたペティアを屋敷で見つけたから、侍女にしたなんて一言も。ウン。何のことかさっぱり」
「…………」
ペティアに言われたとおり、先程の発言を誤魔化そうと試みた……はずなのに、逆にすべてを白状すると言う恐ろしいほど誤魔化しになっていない弁解に、幼馴染みたちは一瞬、呆気にとられたように目を見開いた。彼のこういう性格はよく知っているつもりだったのだが、度を越えた嘘の吐けなさに呆れてものも言えない様子だ。
「……。お、お前、それ、まじか!」
「はぁ……相変わらず、本当になんて分かりやすい人なんでしょう……」
「いや、ここまで酷いのは初めて見た……」
あまりにもへたくそなコルザの弁解に、幼馴染みたちはしばらく茫然としていたが、やがて気を取り直すと、それぞれに声をあげた。
しかし当の本人は、自分が全部言ったことに一ミリも気付いていないかのようなきょとん顔だ。
その天然記念物級の鈍さに、頭を抱えるオリヴィエやラスターと顔を見合わせたアルクは、もう一度確認するように問いかけた。
「なぁ、真面目に答えろよ。ペティアはあの火事で死んだはずだ。そんなことお前だって分かってるだろう。その彼女がどうやったらこの屋敷にいて、お前の侍女になれるって言うんだ」
「そうですよ、コルザ。自分の発言に責任を持ち、きちんと説明してください」
何も言っていないと言いつつ、ペティアが正体を隠して屋敷でメイドをしていた、まで言ってしまったコルザに、幼馴染みたちは否定的ながらも事実を言うよう求めた。
五年前の大火事で、侯爵家にいた人々はほんの数名の使用人を残して全員死亡が確認されている。それは国が検証し、事実と認定されたからに他ならない。
それを知っていてなお、彼女がペティアだと言うならその根拠は何なのか。嘘なんてつけないはずのコルザの、嘘のような発言に困惑しっぱなしの彼らは、そう言ってコルザににじり寄った。
入口の近くではその様子をペティアが固唾を呑んで見守っている。
「……説明なんて、ないよ。逆にどうしてみんな気付かないのか、俺には不思議でならない。小さいころからずっと一緒にいたじゃないか…! 俺たち、ずっと、なのに……」
「………」
「お前たちならきっと彼女の味方になってくれる。そう思ったから気付いてほしかったのに。国の資料に惑わされ、たった五年で幼馴染みを見失うなんて、悲しいよ……」
説明、証拠、そして国が出した資料……本人を前にしてなお、それらを理由に誰一人心から信じてくれる様子のない幼馴染みたちに、コルザは表情を曇らせると、小さく呟いた。
本当は同じ立場で仲良くしていた友達なのに、なんで。そんな思いで胸がいっぱいだ。
もう既に弁解なんてどこかに行ってしまった彼の切実な様子に、幼馴染みたちはふと口をつぐむと押し黙った。コルザの真剣な様子は、やっぱりどうにも嘘とは思えない。
だとしたら本当に……?
「……では間違いなく、彼女はペティアなんですね。彼女自身もそれを認めるんですね?」
するとしばらくして、逡巡するように黙りこくっていたオリヴィエが、最後にもう一度だけ確認するように問いかけた。ペティアが生きていたなんて信じられないことだけれど、最終的にコルザの嘘がここまで持つ方が断然ありえないという気になったようだ。
「うん。間違いないよ。ねぇペティア。もういいだろう? みんなに教えてあげてよ」
「……!」
固唾を呑んで答えを待つ三人に、コルザは大きく頷くと、扉の傍に待機しているペティアにそう進言した。優しい笑顔で手を差し出す彼の姿に、幼馴染みたちは事実と諦めながらも、まだ頭がついて行っていないかのような表情だ。
「……少し、よろしいですか?」
そんな彼らの視線にも微動だにせず、置物のように押し黙っていたペティアは、やがてそれだけ言うと、コルザを一度部屋の外に連れ出した。そして、何の説明もないまま、誰もいない隣の部屋に入室し、不思議顔でついて来た彼に向き直る。と……。
「……もうっ! 信っじられない! あなた、私がつい三分前になんて言ったか覚えてる? 私の正体を言ったこと、誤魔化してちょうだいって言ったの! まだ完全に信じ切っていない状態なら、誤魔化す方法なんていくらでもあったはずよ。なのに、なんであなたはいつもいつも正直に正面突破なのよ! おかげでみんな信じちゃいそうじゃない!」
「いや、ごめん。でもペティア…本当にそれでいいの? だって、あいつら友達でしょう? こんなに近くにいるのに、本当のきみに気付いてもらえないなんてやっぱり悲しいよ。だから俺、どうしても我慢できなくて……」
「気付かれなくていいのよ。正体が露見するリスクくらい、あなただって分かるでしょう?」
呆れるほど嘘が吐けないコルザに、ペティアは素直に怒りを爆発させると、左手を腰に当て、右手の人差し指をコルザに突きつけながらプンプン怒った。
人の秘密は不用意に詮索しないくせに、一度信用した人には自分の知っていることを全く秘密にできない彼に、昔からそうだと半ば諦めながらも、かなりご立腹のようだ。
「でも…みんなにもちゃんとペティアのこと知ってほしかったんだ。巻き込みたくないっていうペティアの気持ちも分かるけど、やっぱり友達に嘘を吐くべきじゃない。それともペティアは本当に俺たちの中にあの件に関わっている奴がいると思っているの……?」
「……可能性は0じゃないわ」
「!」
寂しそうな口調でもにょもにょ弁解するコルザの問いかけに、ペティアはふと表情を曇らせると硬い声音で呟いた。今の彼女には友人=信用の条件に値しないのだ。なぜなら。
「言ったでしょう、昔とは立場が違うって……。あなたが公爵様のお仕事を手伝っているように、みんな少なからず国に関わり始めている。だから秘密にしたかった。そんな簡単に信用できる状況なら、私だって友達だった彼らを疑いたくないわよ」
「……!」
そう言って嘆くように本心を告げるペティアの気持ちに、コルザは一瞬言葉を詰まらせた。
自分たちがあのころのまま子供だったなら、ペティアは素直に話してくれたかもしれない。国との関わりも、当主の仕事も深くは知らなかったあのころなら。
しかし、ペティアの言うように、今の自分たちは次期当主として父の仕事を学び、国での地位を確立しようとしている時期だ。だとしたら仕事と同じように、闇…スリージェル侯爵家の命を手折った国の要人との繋がりも、引き継いでいる可能性はある。
そんな状況でペティアが正体を明かせば、目的への道が頓挫してしまうだけでなく、彼女が生きていることを知った周りの人間にも危害が及ぶかもしれない。
ペティアはきっと、それが辛いんだ。だから頑なに、人との関わりを避けてきたんだ……。
「信じて、ペティア」
自分たちへの警戒以上に、自分たちへの二次災害を危惧して正体を隠そうとするペティアに、コルザは優しく言った。
「あいつらが昔と変わらないことは俺が保障する。大丈夫、きっと味方になってくれるよ。それに、もし万が一何かあったときは、俺が命を懸けてきみを守るから」
「……! ……私のために命なんて懸けないの。あなたは公爵家の跡継ぎなのよ。まったく、コルザにだけは見つかるんじゃなかったわ……」
自分のために命を懸けるなんて平然と言って見せたコルザに少しだけ戸惑いながら、ペティアは視線を外すと、ゆっくりと怒りを収めていった。どちらにしろ、彼らが事実を認め始めている状況で見苦しく弁解しても、彼らは納得しないだろう。
だとしたら、今の状況でどうすれば彼らを納得させられるか考えた方が得策……。
「わー懐かしいなー、この光景。五年ぶりくらいに見た」
「……!」
頭を切り替え、今後の対策を練ろうと表情を改めたペティアは、不意に背後から聞こえてきた声に目を見開いた。驚いて振り返ってみると、そこにはいつの間にか、隣室においてきたはずの幼馴染みたちがいて、扉の隙間からこちらの様子を窺っているではないか。
どうやら三人とも本当のことを知ろうと、ペティアたちの後を追いかけてきたようだ。
「そうだな。コルザはああやってよく、ペティアの機嫌を損ねていた。……だが今思うと、ペティアが怒るのはコルザに対してだけ。あいつはいつも怒られていた気がする」
「そもそも、あのおしとやかなお嬢様を怒らせるコルザがおかしいのですよ。しかし、ペティアはコルザに甘いので、どんなに怒っていてもすぐに仲直りしていましたけれどね」
そう言って昔を思い出すようにそっと笑みを見せた彼らは、ペティアの視線に気付かぬまま、懐かしそうに呟いた。
彼らにとってこの光景は日常の一幕に過ぎなかったものだ。今はもうないはずの、昔に見た思い出のような現実……。
「え、ちょ…、お前ら、そこで何してんの?」
「はっ!」
そんな不思議体験に浸りながら、懐かしそうに話をしていると、ペティアと同じように彼らの存在に気付いたコルザが、驚きの声をあげた。
扉の隙間から顔を覗かせ、いかにも盗み見ていた恰好を晒す彼らは、しまったと思いながらも逃げる様子はない。それどころか、静かに部屋に入って来た三人は、驚いた顔をしているコルザたちに理由を説明しだした。
「すいません。盗み聞きなんてはしたない真似をしようとしたわけでは決してなく、我々も同席させてもらおうと思ったのです。そうしたら、その、怒り声が聞こえて、それで……」
「このまま話を聞いていた方が、手っ取り早く確証を得られると、アルクが盗み聞き始めた」
「おい、ラスター! てめ、俺のせいにすんじゃねーよ。みんな聞いてたんだから同罪だろ!」
「……では、先程のやり取りをすべて、聞いていたと……?」
二人の前に立ち、正直に理由を説明する彼らに、ペティアは恐る恐る問いかけた。
話をどこから聞いていたのか、それによっては本当に正体を隠すことができなくなりそうだ。
「ええ、申し訳ありませんが、すべて聞かせていただきました。ですが、そのおかげであなたをペティアだと認めることがようやくできそうです。本当に、生きていたんですね……」
「ああ。コルザの言葉を最初に聞いたときは疑ったが、ここまで聞いては認めざるを得ない。さっきのやり取りを見て昔を思い出すほど、きみたちが変わっていないことも分かったしな」
「………」
申し訳なさそうにしながらも、話を聞けたことに満足した表情を見せるオリヴィエとラスターの言葉に、ペティアは一瞬、苛立ちと悔しさを混ぜたような複雑な顔を見せた。
再会したコルザに、ようやっと目的を明かしてまだ三日。お茶会を理由にかつての友人やその家に接触し、情報を集めようとした矢先だと言うのに、何も得ぬままこうして自分の正体を知られたことに、思うところがあるのかもしれない。
「そう……。すべて聞いていたのなら、私も肯定するしかなさそうね……」
「まさか、こんな形で再会するなんて思いもよりませんでしたよ、ペティア」
「ええ、私も同意見よ……」
「よかった、みんなやっと信じてくれたんだね! 何度もそう言ったのに~」
最終的に侍女としての態度を諦め、ようやく自分の正体を認めたペティアと幼馴染みたちの本当の再会に、傍で話を聞いていたコルザは実に嬉しそうな笑顔を見せた。だが、彼のどこか呆れたような声音に、ずっと振り回されっぱなしだったアルクはむっとすると、
「信じられっかよ、そんな簡単に! いくらお前が嘘を吐けないド正直野郎だって分かっていても、スリージェル侯爵家の件は国の調査で死亡が認定されてんだぞ。そもそも生きてるなんて思わねぇよ! だからてっきり、お前がようやくペティアへの未練を捨てて、新しく侍女を選んだのかと思っ……」
「?」
苛立ちに身を任せ、文句のように言葉を続けていたアルクは、次の瞬間あることに思い当たると、突然言葉を失くした。気付いてしまった事実に目を見開き、みるみる表情を困惑に変えた彼は、どうしたものかと首を傾げるコルザを見つめ、衝撃に震える声で言った。
「……ちょっと待て、え、お前なにペティアに侍女なんてさせてんの? いや、その前に何でペティアが侍女してんの? ん? そもそもなんでお前のうちにいたの?」
侍女の正体がペティアだったことで湧き出てくる疑問の数々に、アルクは頭を抱えると、意味が分からないと言うように質問を重ねまくった。ペティアを前に再会を喜んでいたオリヴィエとラスターも、そういえばと言いながら、不可解そうな顔で二人を見つめている。
「確かに真っ当な疑問ですね。ペティアが生きていたこと以上に不可解な現状です。なぜ侯爵家のご令嬢が身分を偽り、使用人などしているのですか? そして、火事から五年も経った今になって、我々の前に姿を見せた理由は何なのです……?」
「いーや、そんなことよりコルザ、お前ええ、なにペティアに侍女なんかさせてんだよ~」
オリヴィエの質問を遮ってなおコルザに詰め寄るアルクをよそに、オリヴィエとラスターはペティアに説明を求めた。年月と言い行動と言い、まだまだ不可解なことはたくさんある。
「ペティア、理由を話していただけませんか? 先程のコルザとの会話を見るに、何か特別な理由があるのでしょう? そうでなければすべてのことに説明がつきません」
「……そうね。突然こんな風に現れたら誰だって疑問に思うわよね。……私がこうしてみんなの前に姿を見せたのは、本当に不運な偶然。そして、使用人をしているのは、ある目的のためよ。目的を遂行するためにはこの立場が一番良かったの」
「ある、目的……?」
そう言ってペティアは、コルザにも話したスリージェル侯爵家の特殊な役目と、今までのことをかいつまんで説明した。五年前の大火事が一家心中ではなく、放火だったこと、王国の要人が関わっていること、そして、その特殊な役目が原因で一家が口封じされたこと……。
彼女の口から語られた事実に、オリヴィエもラスターも衝撃を受けた顔で話を聞いていた。
だがペティアは何を思ってか、友人の裏切りがあったことや復讐の意志を語ろうとはしなかった。その代わりに理由として、父が誰の闇を知り、調査している事実を誰が漏洩したのか、なぜ家族が殺されなければならなかったのか、それを問うために王国の要人を探している。
コルザの元にいるのは、秘密裏に行う仕事の内容を漏洩できたとすれば、きっと情報提供者は父に近しい人物に違いないと思い、目星をつけたのだと語り、彼女は口を閉じた。
「………」
ペティアのとてつもない目的と覚悟に、幼馴染みたちはしばらく言葉を失くしていた。
お嬢様に侍女をさせるなんて何様だとコルザに不満を漏らしていたアルクも、いつの間にか文句をやめ、彼女の話に驚愕の表情を浮かべている。
「……本気、なのか。ペティア……」
誰もが言葉を詰まらせる沈黙の中、そう言って最初に口を利いたのはラスターだった。藍色の瞳を驚愕に染めた彼は、まっすぐに彼女を見つめ、どこか恐れるように言葉を続けた。
「突然すべて失って、その理由を知りたいと願うきみの気持ちは分からなくもない。だが、よく考えてみろ。相手は…内容こそ定かじゃないが、闇と関係を持つ王国の要人。そんな人物の正体を暴けば、きみもただでは済まないだろう。手を出すにはあまりにも危険だ」
「もちろん、承知の上よ。私はたとえこの命を懸けることになったとしても、構わない。そんなことより私は知りたいのよ。すべてを」
「……!」
出来るだけ冷静な口調で危険性を告げるラスターに、ペティアは躊躇うことなく言葉を返した。彼女の声音には強がっている風は一切なく、本心から死すら厭わない心情が読み取れる。そしてそれを現すような強い眼差しに、彼はそれ以上二の句を継げなくなってしまった。
「……ペティアの覚悟は本物だよ。そうでなきゃ、目的のためとはいえ、使用人なんて五年近くも続けられない。そうでしょう?」
すると、ペティアの傍に戻ってきたコルザが、黙り込む彼らにどこか諭すような調子で言った。確かに、ここまではっきり断言されては疑いようもないが、命を懸けることになるかもしれない予測を、そんなことと言ってのけた彼女の決意に、言うべき言葉が見つからなかった。
「でも、話を聞いてしまった以上、俺はペティアを放っておけない。もう二度と失いたくないからね。だから俺も、ペティアを手伝うって決めたんだ。……けれど、俺一人の力じゃ正直限界があると思う。だからさ、みんな、彼女の目的に力を貸してくれないかな?」
「!」
そんな彼らの心情を知ってか知らずか、コルザは黙りこくる幼馴染みたちを見つめると、真剣な面持ちで告げた。
「もちろん、無茶を言っているのは分かっているつもりだよ。でも、ペティアの探している王国の要人…彼の行いは、最悪大きく国を揺るがすかもしれない。たとえどんな大物が相手でも、この国に闇をもたらそうとしているなら止めないと。だから…お願いだ」
ペティアのため、そして国のために途方もない彼女の目的に協力してほしい。
そう言って真剣な眼差しを向けるコルザに、三人は困ったように顔を見合わせた。
たとえ国を揺るがす何かが水面下に潜んでいるのだとしても、相手を探る手掛かりはない。
まさに雲をつかむような話に協力して、自分や、家の立場を悪くしてしまったら……。
「………」
答えない彼らに、コルザは苦虫を噛み潰したような表情を見せていたが、同じように彼らを見つめるペティアの心は凪いでいた。お人好しで、人を疑うことを知らない天然記念物級の素直さを持つコルザの純粋な正義感は確かに正しいのだろう。
でも、何があるか分からない危険で強大な案件に、進んで首を突っ込もうなんて……。
「……まったく、お前、ほんと無茶言うよなぁ」
そんな人がいるわけない。いないでほしい。私にこれ以上関わってはいけない……。
コルザの進言とは裏腹に心でそう願いながら様子を窺っていると、しばらくして両手を腰に当てたアルクが呆れたようにため息を吐いた。やっぱり、答えは否だろう。
そう思ってほっと息を吐こうとした、瞬間。
「ま、お前ひとりにペティアを任せておくのは不安だし~? 俺も協力してやるよ」
「!」
「ええ。もちろん、私も協力させてもらいますよ」
「……ペティアに止まる気がないなら仕方ない。国の未来のため、僕も力を貸そう」
迷いない言葉で、彼らは誰一人否やを言うことなく肯定した。
その、望んでいたものとは真逆の答えに、ペティアは思わず目を見開くと、
「本当にいいの? あなたたちには守るべきものも、将来もあるのよ。危険すぎる……!」
「危険だから協力するのですよ、ペティア。こんな危ない案件に立ち向かう女性を捨て置くなど男の名折れ。女性をお守りし、願いを叶えて差し上げるのは紳士として当然の責務です」
「はっ、相変わらず女には気障な奴。ま、とにかく俺らも協力するって。俺たちでそいつらの化けの皮を剥いでやろーぜ~」
「……」
戸惑いの滲む声で問いかけるペティアの手の甲に軽く口づけながら、オリヴィエは優しく笑い、アルクはそんな彼に冷ややかな視線をくれつつ、意気込むように言った。
本当はこれ以上、誰も巻き込みたくはないのに……。
同調したように頷くラスターも、提案者のコルザも誰一人否定しようとはしない。
それが自分に対する優しさなのか闇を暴こうとする正義感なのかは分からなかったけれど、きっと彼らはもう何を言っても引き下がりはしないだろう。
しばらくの逡巡の後、そう結論を出したペティアは、静かに頷くとこれからのことを口にした。
その夜。
細い三日月が、立ち並ぶ屋敷を薄く照らす真夜中のこと。
しんと静まり返ったある屋敷の一室で、一人の青年が書物机にいる男と向かい合っていた。
灯りのない部屋の中、椅子に座ったまま葉巻をくゆらす男の顔は、闇に交じって窺い知ることはできない。だが、その存在感を現すように場には只ならぬ重い雰囲気が立ち込めている。
僅かに入った月明かりが二人のシルエットをぼんやりと浮かび上がらせる中、青年はどこか緊張した面持ちで口を開いた。
「父上…スリージェル侯爵家を覚えていますか?」
「んん? 懐かしい名だ。……それがどうした?」
息子の口から出た意外な名前に、男が一瞬、驚いたような気配が伝わってきた。
だが、葉巻を手にゆっくりと煙を吐いた男は、息子の真意を測るように小さく笑うと、低く澄んだ声でそう答えた。穏やかで、余裕すら見えるその声音とは裏腹に、向かい合った青年は瞳を揺らすと、今日の出来事を語り出した。
「今日その家の一人娘、ペティア・スリージェルに会いました」
「フフ、馬鹿を言え。あの一家なら五年も前に葬ったではないか」
唐突な青年の報告に、葉巻を咥えながら嗤って見せる。
それがありえないことくらい、分かっていた。
なぜならあの日、屋敷に火をつけたのは他ならぬ自分なのだ。
屋敷のすべてを焼き尽くしてなお、飽くことのない赤き炎。あの日の火事は忘れもしない。
あの方の思想を邪魔する昔馴染みを一族ごと殺した。それは疑いようのない事実のはずだ。
「ええ。しかし、どういう訳か彼女は生きていたのです」
昔に見た光景を思い出した男は口元に残忍な笑みを浮かべ、今更そんなことを言い出した息子を困ったように見つめていた。だがあまりにも真剣な彼の顔つきに、ふと笑みが消える。
「……そうか」
やがて、彼の言葉が真実であると悟った男は、思慮深げに瞳を細め、ひとつ息を吐いた。
息子の話が事実だとするならば、早急に現状の把握が必要だ。
「それで、どこで見たんだ? シフルの娘を」
「トレフィーヌ公爵家の屋敷です。経緯は不明ですが、現在、あの屋敷でコルザの侍女をしているとのことで、本日彼が主催したお茶会の場に、使用人として姿を見せました」
葬ったはずの娘の現在に、男は何かを思案するようにゆっくりと目を閉じた。
使用人をしていると言うこと以上に、引っかかるのは身を置いている家のこと。あの娘なら確かに、トレフィーヌ家の坊やと親交があった。単に坊やを頼ってのことか、それとも……。
「それで、娘は何か言っていたか?」
「……五年前のあの火事の真実を調べている、と」
「む……」
息子の報告で男の頭を過ったのは、やはり、と言う思い。
あのシフル・スリージェルの娘だ。そのくらいのことはしかねない。
そう思いながら男は、息子にその娘が語ったすべてのことを詳細に尋ねた。どこまでの事実が漏れていて、どのような対策を講じるべきか、大事なのはここからだ。
「ペティアは、侯爵様が王国のある要人の闇を調査していたこと、そしてそれが理由で口封じされたことを当時、スリージェル侯爵から聞き及んでいたそうです。そこで、その人物を割り出し、どんな闇が原因で家族が亡くなったのかを突き止めたいと言っていました」
「……では、まだ我らやあの方の影を捕らえたわけではないのだな」
「はい」
息子の回答に、男はどこか安心したように息を吐いた。突き止めたいと意気込んでいるような段階では、まだ直接手を下すまでもない。だが、警戒は必要だ。
そう思いながらゆっくりと顔を上げた男は、従順な息子を見つめると厳かに言った。
「娘から目を離すな。万に一つも、あの方の思想を邪魔するようなことがあってはならぬぞ」
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