散歩の本質

@otyn0308

忘却

 まだ火曜日だというのに一緒に登校している人はもう家に帰りたいと言って、疲れ切っている様子だった。ぼくは詰まりそうになる息が抜けるよう、「はあ」とため息をついてから自分にも気合いを入れるつもりで彼女の背中を押す(叩く?)。


やらねばならぬときがある。


ぼくも正直彼女の様子に引き込まれそうになったが、ぐっとこらえて自分に先ほどの言葉を言い聞かせて自分の足を進める。彼女の重苦しい空気はぼくをも飲み込みそうな勢いと大きさを持っている。


邪気を払うように手を振った。

ぼくも割りかし限界なのかもしれないがそれを無視して人の背中を押しつつ歩く。実質ぼくは二人分の足を進ませていると言っても良いのではないだろうか。


どこに向かっているのかわからなくなってきた。もう進まなければならないことしかぼくにはわからない。だんだん不安になってくる。それもそうだ。今は新学期で新しい学校に来たばかりで、まだ道を完全に覚えていない。しかも全てに疲れ切っていたのかここまでずっと頭を垂れて歩いてきたことに気づき、内心焦りながら顔を上げるとそこは知らない道、風景だった。


どうしよう。いまぼくは迷子だ。そしてこの事実を知ってぼくは完全に意気消沈してしまった。どうにも間に合わないことがわかるとエンジンのかかりが悪いところがある。幸いにも今日の時間割は一度出なかったところでどうにかなってしまうものではない。こういうことから休み続きの日々に変化してしまうことももちろん知ってはいるものの今日は休むことを決意した。


道がわからなくなるほどの錯乱加減で人がまともに授業を受けられるはずがないだろうと自分に気持ち程度の言い訳をした。





 とりあえず近くに名前のある場所がないか探してみる。あった。川だ。あっ、いや、川に隣接された広めの公園を見つけた。とりあえずそこに行ってリセットするということでぼくと彼女は同意した。


ここは田舎だ。護岸工事などされていないしそもそも平野ではない。川まで行くのには坂を下る必要がある。彼女はもう何も見えていない様子で足をただ前に出す。ここは緩やかな下り坂だから何も考えずとも足を進めることができるしそれを続けられる。身体は生きていても心は疲弊しきって縮んでいる。


ぼくは何も言わないが横の人の足取りをみてペースを考えながら歩いていく。何やら彼女はブツブツとつぶやいているが、ほとんど伝えるという意味での言葉の形をしておらず、聞き取ることは難しい。


ここが下り坂で良かった、と思った。

降りるのは簡単なことだ。それがどんなものであろうとも。よくみて降りなければ躓いて一瞬で落ちていってしまう危険もはらんでいることに目を瞑ればの話ではあるが。


ようやく川の雰囲気が漂ってきた。

自分は川が好きだったことを思い出す。それを忘れてしまうほど疲れ、また川から離れた生活を送っていたのか、と驚いた。そして川のことを思い出せてよかったと心から思った。そして迷子になってから今来た道のことをところどころ途切れてはいるものの一応は覚えていることにも安堵した。


そのまま早足にならないよう進む。目的地にたどり着くとき、近くに来たときのほうが危ないものだ。安心感、高揚感、期待、様々な感情が目を覚ます。

ちらりと隣に目をやる。彼女は何を考えているのだろうか。そもそも彼女は彼女自身のことがわかっているのだろうか。見失ってはいないだろうか。不安になってきたので手をつかんで歩く。手を握り返されたことが手の感触から伝わってきた。彼女はまだ生きている。

川の水音が聞こえてくる。無事ついたようだ。

河原に二人で腰をおろした。





 しばらくぼうっと川を眺める。考え事にふける。毎日歯車のように回る暮らしをする部分の脳は死んだとしてもこういう考え事をする部分の脳は死なないようで、ぼくとしては満足しているけれど、社会はそれを許さないことを最近この生活を始めて理解だけはしてきた。


歯車は止まろうとすれば周りに押され、動こうとすれば周りに阻まれる。無職にも才能があるというのはそういうことなのだろうか。無職の才能がないながらも社会からあぶれた歯車は焦燥感に苛まれ再び己がいた場所に戻って回り続ける。


ようやく落ち着いたのか彼女は口を開いた。いつも一緒に登校をするほどの仲であるにも関わらずぼくは彼女の声を数えるほどしか聞いたことがない。長らく声を出していなかったのか声の出し方を思い出すように話し始めた。ぼくは考え事をやめて彼女の声に耳を傾けた。


「こうして社会的に必要とされていないような目的を持って歩くのは久々だった。わたしは長らく川に来ていなかったし今日みたいな歩き方をできていなかった。学校までの道のりは5kmぐらいあるでしょう?、一般的にそれは散歩に近似できるかもしれないけれどわたしは散歩にはしたくなかった。毎回明確な目的を持って歩いていたから。例えば…学校に行くとか家に帰るとかそういうの、あとはいつも荷物があってそれに縛られながら歩いていた。でも今日は途中で逸れて川まで来た。いや、あなたが連れ出してくれた。」


ぼくは言う。

「そう、散歩は自由であるほうが良いんだ。ぼくが今自由でなければならないと言いそうになったのが悔しいな。すべてが自由とは難しい。自由にも秩序があるのかもしれない。」


ぼくがその次の言葉を言えずに苦しんでいると彼女は言った。

「すべての枠組みをなくしたらその中身はすべて流れ出してしまう。自由とはその枠を緩めたり個人に委ねたりすることで、わたしはあなたの自由に干渉することはできない。逆も同じようにね。」


続けて彼女が言う。

「だからわたしは散歩、とりわけ都会のコンクリートジャングルではなくこういった田舎の川の周りを好んで散歩する。すべての線が曖昧で、互いに干渉するも壊したりはしない。ギリギリの距離としなやかさを持っている。」


ぼくは心の中で今まで登校を散歩と呼んでいたことを悔やんだ。そして歩数ばかり気にしてどれだけ運動できたかに縛られて歩いていた。自分で自分を縛っていたことに今気付かされた。歩数も大切ではあるが散歩の本質は歩数にあるのではない。ぼくにとって散歩は運動の手段ではないのである。ここ最近の息の詰まるような思いはここから来ていたのだろうか。


再び静寂が訪れる。





 この後もぼくたちは散歩を続けるのだろうか。あんな早い時間に迷子になれたおかげでまだ午前中だ。気が進むのを待てばよい。嬉しいことに手元にはスマートフォンがあり、一日という決して変えられない枠組みがある。夜になるまでに帰れば良い。それだけを考えて時を過ごす。いまのぼくたちは自由なのかもしれない。



二人はまだ立ち上がらない。

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