第8話! チヨの正体

 今日はいい日だ!


 ハガネは駆けながらそう思った。


 総合武術大会に挑むその日の空はキレイに冴え渡り、朝ご飯に大好物の、それも大好きなチヨの手作りのハンバーグを食べたのだ。


 今のハガネにまるで負ける要素がない。


 今のハガネは正に無敵の女子高生だった。


(そして、大会で優勝して、アタシは!)


 ハガネは意気揚々と会場に向かう。


(アタシは、チヨちゃんに正々堂々と告白するっ!)


 この2人の間柄から、何をもってして『正々堂々』というのか皆目見当が付かないが、本人がその気になっているのだから、まあよしとしよう。


 はたからそんな浮かれ気味なハガネを見ているチヨもそんな気持ちだった。


 だが会場へ向かう河原に架かる橋で、その事件は起こった。


「せやああああっ!!!」


 ごおっ! とつむじ風が起こったかと思うと何者かが、ハガネに襲いかかったのだ。


「ハガネちゃん! 危ないっ!」


 咄嗟にチヨの声が飛んでいなかったら、完全に喰らっていた。


 それほどに紙一重でその攻撃を避けたハガネだった。


「ほう? 避けたか……さすがは金剛の孫娘……いい勘をしている」


「な……なに、アンタ! お爺ちゃんの知り合い?!」


「知り合い……になるかな……まあ昔世話になったもんだよ」


「ハガネちゃん!」


「うん、大丈夫だよ」


「む? 少しはマシな面構えになったか……さっきまでは腐抜けていたようだが……」


「う、うるさい! アンタなんかぶっ倒して、アタシはさっさと武術大会に出たいの!」


「くくくっ、その大会当日の朝を狙って来たのだ。それくらいの事で頭に来ているようでは、まだまだ思慮が浅いな」


「ぬぁあにぃいいいっ?!」


「ハガネちゃん、ダメだよ……アイツの言葉に惑わされないで」


「うん……わかった」


「ここではなんだ。ちょうどおあつらえ向きに、河原で仕合おうではないか」


「ふんっだ! アタシは別にここでも構わないんだけど!」


 そう言って、ハガネは橋の欄干に跳び上がると、そこから一気に河原へと飛び降りた。


 垂直の高低差にして10メートル近くある。常人ならば骨折必至の高さをものともせずにハガネは石の転がる河原にすとっと着地した。


「ふっふ~ん♪ 着いてこれるかなぁ?」


「なんだ? 飛び降りただけでそんなに自慢か?」


 そこに襲撃者は音もなく降り立ったのだ。


「くっ?!」


 その瞬間、ハガネは戦慄を覚える。


 それは初めての感覚だった。


 自分の祖父以外で、これほどの圧力プレッシャーを感じた事はなかった。


「えっ……」


「どうした? さっきまでの威勢はどうした?」


「な、なにを!」


 と強がってみたが、身体が動かない。


 指一本、動かすことが出来ないのだ。


 瞬間……。


 ぶわっ……。


 全身から汗が噴き出る。


 あれだけ朝から鍛錬で温めた身体が一気に冷えて、寒気すら感じる。


 なのに汗だけは止まらない。


「な、名前を聞いていなかった……ね」


 精一杯……それはハガネの精一杯の強がりだった。


 せめて名も知らぬ誰かに倒されたくはないという、最後の矜恃だったかも知れない。


「おお、まだ名乗ってなかったか。我が名は陣屋尚吾……陣屋尚介の子と言えば正成に教えてもらえよう」


「わかった……陣屋尚吾……アタシは金剛ハガネ……いざ、尋常に……」


「いいのか?」


「はっ? はあっ? アンタがいきなり挑んできたんでしょう?!」


「それはそうだが……お前……声が震えて居るぞ」


「なっ……」


 わかっていた……。


 それはハガネにもわかっていたことなのだが、敢えて気付かないフリをしていた。


 自分の声が震えていることに。


 いや、声だけではない……。


 寒さに、怖さに、脅威に、恐怖に、焦りに、油断に、愚かさに身体が震えていた。


 それは今、自分の目の前の立つ男が、陣屋尚吾が、自分よりも格上だという証拠だった。


 だが……。


 だからと言って、ハガネには退けない理由があった。


 なんと言っても今日は武術大会の日だ。


 こんなところで負けてはいられない。


 今日はいい日だ。


 そうでなければならない。


「情けを掛けるのか!」


 そう、こんなところで怖じ気づいていてはいけない。


 彼女は……ハガネは強くならなくてはいけない。


 誰よりも強くあらねばならない。


 それが『プリ☆スタ』を目指す者の宿命だった。


 あの日2人で交わした約束を果たす為、負けるワケにはいかない。


「プリ☆スタは……負けないっ!」


 そう小さく呟いて全身を覆う恐怖を振り払い、ハガネはその拳を放つ。


 ひゅんっ、と空気さえも切り裂くその正拳を、


 河原一帯にごおっ、と突風を起こすその突きを。


 男はいとも簡単に躱した。


「えっ……」


「金剛流の奥義、金剛掌を会得したと聞いたが……この程度か?」


「っ?! 金剛掌を知ってるの?」


「ああっ、痛いほどなっ!」


「ハガネちゃんッッッ!!!」


 そこに鋭い声が飛んだ。


 チヨの声だった。


「はっ!」


 拳を打ち込んだ後の隙を狙って、男の手刀が飛んで来たのだ。


 それはハガネの放つ拳のスピードよりも速く!


「あああああああっ!」


 避けられない!


 負ける!


 負けてしまう!


 今日は絶対に負けられない日だというのに……。


 さっきまではいい日だったのに……。


 最高の一日になると、そんな予感すらしていたというのに……。


 負けてしまうというのかっ!!!!





 ガシィイイッ!





 その男、陣屋尚吾の手刀はハガネに触れる寸前で止まっていた。


「えっ……ど、どうして……」


「ほう……我が一撃を止めるか……貴様も金剛流の手の者か?」


「元金剛流門下の一人……高野チヨ」


 その男の手刀を、身体を使って止めているのは、高野チヨだったのだ。


「どうして……チヨちゃんが……?」


 ハガネには理解出来なかった。


 無論、チヨが金剛流を学んでいたのは知っている。


 幼い頃、共に修行した仲だからだ。


 だが、毎日祖父の厳しい鍛錬を受けているハガネよりも、この男の攻撃が受け切れているのは一体なぜか?


 その疑問と、かつて味わったことのない敗北の一瞬に心を奪われたハガネは動けないでいた。


「貴様も憎き金剛の弟子なら容赦は要らぬっ!」


 憎悪によって気を高めると、今度はその気合いの込めた手刀をチヨへと向けた。


「うぉおおおおっ! 女だからと言って俺は容赦しないぞ!」


 一手、二手、三手、四手とまるで無数の手刀が一気にチヨに向けて繰り出されていく。


「それはボクにじゃなくてハガネちゃんに言うことだよ!」


 その無数の手刀を避けながら、チヨは言い放った。


「なにっ?」


 チヨの言葉の意味がわからず、陣屋尚吾はほんの一瞬気を抜いてしまう。


 その一瞬を見逃さずに気の抜けた手刀の手首を取って、柔道の空気投げの要領で男を投げ飛ばした。


「ボクは、男だっ!」


 何が起こったのかわからず、男は河原にすっ飛ばされた。


 石だらけの河原に勢いを付けて背中から投げ飛ばされて転がったのだ。


 攻撃の力がそのまま自身にダメージとして全身を覆った。


「くっ……ぬぉっ!」


「あなたの負けです」


「高野……たかの……その名……まさか現代にも受け継がれていたとは……」


「よく言いますね。陣屋流手刀術……その技を極めれば、斬れぬ物はないと聞きます……手を抜かれましたね」


「ふっ……全部お見通しか……恐れ入ったよ……」


 そう言って男は身体を起こそうとする。


「ぐふっ……小柄なくせになんてえ投げをしやがる……俺の力を利用したとはいえ……」


「無理はしない方がいいですよ」


「くっ……自分で勝負を挑んで情けを掛けられてたまるか……まあいい……」


 よろよろと男はよろめき立ち上がる。


「今回は俺の負けだ……」


「いいえ、手を抜かれて勝ちとは言えません」


 チヨはそう言って男を見送る。その足取りから、どこかの骨が数本折れている様子だった。


「いいか、高野の……お前とはこの決着……必ず付ける……次は加減は出来んぞ」


「わかりました」


「それと……金剛の孫娘! その後で貴様とも再戦だ。それまでしかと腕を磨いておけ!」


「ひぁっ!」


 全く状況について行けていない中でいきなり自分に話を振られて、奇妙な声を上げてしまうハガネだった。


「わ、わかった……」


「では……さらばだ……」


 そう風の中に短い言葉を残して、男は去って行った。


「ハガネちゃん、大丈夫?」


「だ、大丈夫……だけど……」


 差し出された手を見つめハガネは目を背ける。


「どうしたのハガネちゃん?」


「どうしたも……こうしたもないよ……チヨちゃん……そんなに強いだなんて……アタシ……ちっとも知らなかった……」


「うん、隠していたからね」


「どおしてっ?!」


「う~ん……ボクんちいろいろと複雑だから……知ってるでしょ?」


「でもそれって、お家が舞踊の家系だからだって! そう聞いてた! ずっと……ずっとずっとそう聞いてたよ?」


「うん」


「じゃあ……なんで……どうしてそんな……アタシ……あの人……怖かったよ……どうしたって勝てないって……そう思ったよ……」


「うん」


「なんで? なんでアタシより弱いチヨちゃんが、アイツに勝てるの? どうして?」


「ボクが勝てたのはまぐれだよ。ハガネちゃんだって、油断しなけりゃ勝てるよ」


「ウソよ!」


「ホントだ」


「ウソ! ウソウソウソ! アタシに黙って……そんなに……そんなに強くなって……ズルイッ! チヨちゃんズルイよっ!」


「ズルイって……そんな……」


「だって……だってだって……チヨちゃん、可愛いのに……そんなに可愛いのに……なのに……それに強いだなんて……絶対にズルイッ!!!」


「可愛いって……それはそうだと思うけど……でも、ハガネちゃんも可愛いよ」


「ウソだっ! またウソをついてる!」


「ウソじゃないよ」


「ウソウソ! もう信じない! チヨちゃんの言うこと……もう全っ然信じらんないっ!!!」


 完全に不信感を募らせて、駄々っ子になってしまったハガネだった。


「じゃあ、本当のことを言うよ……ボクはね……ボクは……暗殺者なんだよ」


「えっ……なに……それ……」


「ボクの修めようとしている武術はね……ハガネちゃんの金剛流と対を為す、暗殺術なんだ……だから……人には……言ってはいけないんだ……」


「なに……それ……そんな話……信じれるわけないじゃない……そんな……そんな……」


 およそ常人離れした武術を修めようとしている少女の言葉とは思えないが、そんな彼女からしてこの現代に「闇の暗殺術」など、ファンタジーとしか思えなかった。


「あは……あはは……」


 ハガネは乾いた声で笑った。


「なに……それ……あは……ごまかすにしたって……もうちょっと……マシなウソ……つきなよ……あ~あ……」


 ふらり……。


 それはいつも体幹のしっかりしたハガネとはほど遠い後ろ姿だった。


「アタシ……負けちゃった……」


「…………」


「アタシ……強くも……可愛くも……なれて……ない……」


「……ハガネちゃん」


「もう……ほっといてよっ!」


「ハガネちゃんっ!」


「うわぁああああああああっ!!!」


 愛しい愛しいチヨの制止も聞かず……否……。


 愛しているからこそ、今はチヨの顔が見れないのだ。


 そんな乙女心を抱えて、ハガネは逃げるように駆けだした。


「ハガネちゃんっ!」


「ああああああああああああああっ!」


(こんなの……こんなのってないよ……守ってあげるって……ずっと守ってあげるって……そう思っていた子に守られるだなんて……助けられるだなんて……最悪だ! 今日は最悪の一日だ!)


 ハガネは一心不乱にどこへともあてどなく走り続けたのだった。





 そしてハガネは、総合武術大会、女子の部に不出場となった。

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