第40話 夢の中へ・下

 応接室で問わる伯爵家の一同が待っていると、事務員のシャルロタがやってきた。どこか緩く軽やかな雰囲気のあるリュイとは対極にあるカッチリとした女性で、その絶妙なバランスに伯爵家の一同なんとも言えない安心感を抱いたものだ。


「リュイさん――導師アールマーの準備が整ったようです」


 二階の施術室から戻って来たシャルロタがそう告げると、一家が緊張した面持ちで顔を見合わせる。


「参りましょう、お嬢様」


 リュセットがアンゼリカの手を取り、立ち上がるように促す。


「ええ」


 アンゼリカはリュセットの手を借りながらも、しっかりと椅子から立ち上がる。その表情はどこか晴れやかだった。


「アンゼリカ、大丈夫?」


 今までにない妹の様子を不思議に思った姉のクローディアが、アンゼリカを気遣う声をかける。


「平気よ、お姉さま。わたしちっとも怖くないの。うまく行っても失敗してもきっとその結果を受け止められる、不思議とそんな気がしているのよ。ええ、もちろん目が見えるようになら幸せだし、とっても嬉しいけれど、目が見えなくたってわたしきっとうまくやっていけるわ」


 明るくそう言ったアンゼリカの様子は今までとはまったく違っていた。憑き物が落ちたような、とはこのようなことを言うのだろう。


「お前唐突に変わったな」


 そんなアンゼリカにエルクラッドがそう言うと、


「ぼんくらでポンコツのお兄様だって近頃は頑張っているじゃない。わたしだって負けていられないわ。目が見えるようになったらやりたいことがたくさんあるのよ。それに――目が見えなくたってわたしはたくさんのものを持っているって、ちゃんと気づいたから」


 きっぱりとそう言ったアンゼリカはリュセットに手を引かれて家族の一番先を行く。姉のクローディアは心配そうな顔をしていたが、母親のマーシェリーは何も言わずにこにこと微笑んでいる。いかにもお嬢様育ちのたおやかな女性だが母親としての妙な貫禄があった。


「では二階の施術室へご案内します。こちらへどうぞ」


 伯爵家一行はシャルロタに誘導され二階の施術室に向かう。魔術師ギルドに引き渡されて間もない建物は『魔術師ギルドらしい』装飾などない。論理教徒たちの合理主義的気質を考えれば、今後もそれは変わらないだろう。


 少し歩いてある部屋の前でシャルロタが立ち止まる、扉をノックする。


「リュイさん、アンゼリカ嬢とご家族をお連れしました」


「どうぞ」


 中からリュイの声が聞こえ、シャルロタが扉を開ける。応接室や廊下と違ってここはいかにも『魔術師ギルドらしい』部屋だった。


 リュイがトワール伯爵家を訪れ、検査を行った時に見た道具はもちろんだが、他にも見た事のない道具がそこかしこに置かれている。印象的なのは部屋の四方に貴石護符タリスマンが飾られていること。そして紫色に輝く魔法陣が部屋の中央に敷かれていることだろうか。


「部屋の中では自由にしていただいて構いませんが、魔法陣は絶対に踏まないように」


 リュイがそう釘を刺す。もちろん、伯爵家一同にそのつもりはない。


「では、アンゼリカ嬢。魔法陣の中央で仰向けになってください」


 そういうと、リュイはごく自然な仕草でアンゼリカの手を取り、魔法陣の中央に導く。別にエスコートをしたわけではなく、魔法陣に記された魔術文字ルーンをアンゼリカが乱さないようにしたかっただけだ。


魔術文字ルーンが記されていますので静かに――そう」


 アンゼリカは恐る恐るといった調子で魔法陣の上に横たわる。それは治療に対する恐れよりも魔法陣を乱すことへの恐れが先だっているようだった。


「では、そのまま目を閉じて――」


 アンゼリカは言われた通り胸の上で手を組んで静かに目を閉じる。


 それを確かめたリュイは赤、緑、青、黄、紫――五色のろうそくを五芒星の各頂点に置き、火を灯す。


 そして大きく純度の高い水晶球を両手で支え持ち、アンゼリカの頭上に掲げた。


 リュイの少し甲高い、けれども澄んだ声が呪文を紡ぐ。


「羊、カナリア、孔雀石。昴、麦星、天の川。硝子の音色、スミレの香。薔薇の園にて眠る者。汝の名はアンゼリカ・ル・トワール。この大地にて名を刻み、いずれ天へと至る者。我が名リュイ・アールマー。百合の園にて歌う者。河の果てにて名を刻み、いずれ闇へと還る者。汝が心を我が夢に、我が言の葉を汝が夢に。輝く銀の鍵を持ち、今水晶の扉を開かん――」


 リュイが呪文を唱え終わると、その体ががくりと崩れ落ちた。あまりにも唐突だったので誰も動けなかったが、それでも頭を打たずふわりと地面に横たわる。


 見ればリュイの肩の上に乗っていたパッフが体全体から淡い光を放っていた。


「お前がやったのか?」


 エルクラッドがおそるおそる問うと、


「ぷう!」


 パッフは肯定するかのように元気よく鳴いた。

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