第34話 正体

 里長は信じられないものを見つけたかのように瞠目している。その視線はリュイの肩の上に向けられている。リュイの右肩にはパッフが座っている。この使い魔ファミリアーはそこが自分の定位置だと思っているようで、リュイが研究に没頭している時と眠っている時以外は常にこの場所に居座っている。


「――お、お前――なんてものを連れているんだ」


「? パッフのことですか? 庭先で拾ったんですけど、未だに正体不明なんですよね」


「そ、おま、そ……」


 口をぱくぱくとさせる里長。リュイは何を言いたいのか理解できず、首を傾げるばかりである。


「お、お、お前っ、そ、それはドラゴンの幼生体だぞっ!」


 里長はやっとのことで言葉を絞り出した。


「へえ――ドラゴンの子供だったんだねえ、お前」


 が、リュイは大して動じることもなくパッフと向かい合う形で抱いて鼻先を近づける。パッフはいつものように「ぷう」と鳴いてリュイの顔をぺろぺろと舐めた。


「見ての通り人懐っこい子だから怖くないですよ」


 リュイはにこにこと微笑んで言うが――実のところ知っているのだ。


 『ドラゴン』に対する接し方は宗教によって違う。聖竜教においては崇拝の対象、論理教においては大いなる神秘グラン・ミストアの顕現であり研究の対象、獣人族のような祖霊信仰に帰依している者たちにとってはただの魔物の一種、そしてエルフのように霊教――自然崇拝を行っている者たちにとっては……。


 意志を持つ災害、災厄そのものである。


「よ、幼生体とは言えどドラゴンだぞっ!? な、何が起こるかわからない――早く封印、いや、討滅を――」


「え、困ります」


 動転する里長に対してリュイは当然のように言った。


「パッフは僕の使い魔ファミリアーなんですよ。これから色々教えるところなんですから。封印とか討滅とかする気ないです。ね、パッフ?」


「ぷう!」


 そう言ってリュイは定位置に戻ったパッフを撫でた。


「な、ならせめてそいつをけしかけないと約束してくれ! 使い魔ファミリアーなんだろう!?」


「はあ……」


 里長の要求に、リュイはパッフの頭を撫でながら首を傾げる。


「言いたいことがわかりましたけど、そんな約束をして僕になんの得があるんです?」


 真顔で告げられた一言にその場の空気が凍り付く。


「はあ、いるんですよね……。狭いコミュニティの天辺に立っただけで他人がなんでも言うこと聞いてくれると思ってる人」


 そう言うと、リュイは呆れたように嘆息する。


「あのですね。縁もゆかりもない他人を動かしたいと思うのなら、それに見合うだけの対価を提示してください。この場に来た僕たちがあなたに対して何を求めているか、わかりますよね。だってエルフ族は人族より賢くて優れてるんですもんね?」


 同行者たちまで引いているのも構わずにたっぷりと皮肉をこめてリュイは言った。


「しかし、あの件は――」


「ああ、じゃあいいですよ。そういうことなら、僕はパッフにだけなので。魔力の痕跡くらいならあなたの話を聞かなくても調べられますしね」


 リュイがそう言うと、里長は一気に顔を青ざめさせた。霊教を奉ずる者たちとってドラゴンとはそれほど恐ろしい存在らしい。


「ま、待ってくれ……! 話す、話すからそれだけはやめてくれ……!」


「結構。では五年前この里で何があったのかお話いただけますか?」


 リュイは満面の笑みを浮かべて里長に問う。


 その様子を見ていたムーンボウが他の同行者四名に対してひそひそと声を潜めて問う。


「――あの子、いつもあんな感じなの?」


「普段は優しいけどキレると獲物を弄ぶ猫みたいになるにゃ」


「大人しそうな奴ほど怒らせるとやばいって典型だよな」


「……ノーコメントだ」


 他の同行者たちがひそひそとリュイについての寸評を述べると、


「――聞こえてるからね?」


 リュイはしっかり釘を刺しに行くのであった。一同の背筋が伸びる。


「こほん。では改めて、どうぞ」


「あ、ああ……」


 どうも緊張感のないやり取りに戸惑いつつも里長は話し始める。


「十年前、確かに我らとトワール伯爵は相互不干渉の誓約を交わした。私としてはそれを遵守するつもりでいたのだが、どうしても納得をしない輩が居てな。私も説得をしたのだが――暴走を止めることができなかった。若い……未熟な精霊使いだった。彼は闇の精霊と契約し、命と引き換えにトワール伯爵家に呪いをかけたらしいのだ――。具体的にどのような呪いをかけたのかは、彼が命を落とした今となってはわからんが――」


「闇の精霊――?」


 その言葉にリュイは眉を顰める。


 闇とは『光のない状態』を指している。そんなものを司る精霊が存在し得るとは思えなかったからだ。だとすれば『闇の精霊』とは、でしかない。


 つまり、魔物の一種だ。


夢魔ナイトメア――」


 そう呟いたのは背後でやり取りを見守っていたムーンボウだった。


 全員の視線がムーンボウに集まる。


 その視線を受け止めつつ、彼女はおずおずと口を開いた。


が死んだあの日、見たの。燃える鬣を持つ漆黒の巨大な馬――あれは間違いなく夢魔ナイトメアだったわ。夢魔ナイトメアをわたしたちは闇の精霊の一種として理解してるの……でもわたしやみたいに未熟な精霊使いがどうにかできる精霊じゃないのよ。だから……」


「心当たりっていうのはそのことだったんだね」


「……ええ」


 ムーンボウは少し沈んだ様子で頷く。年齢が近い同胞なのであれば、それなりに親しい関係だったのかも知れない。


 だがそれはリュイに関係のない話だ。あれこれ詮索するほどムーンボウとリュイは近しい仲にはない。


夢魔ナイトメア夢魔ナイトメアか……」


 リュイは顎に手を当てて考え込む。


 夢魔ナイトメアは人間に取り憑いて悪夢を見せ、その精気を奪うと言う厄介な魔物だ。ゴーストやレイスのように実体を持たず、物理攻撃が通用しない。


 もしアンゼリカに取り憑いているのが夢魔ナイトメアだと仮定すれば、彼女が視力を失った――呪いを受けた後意欲を失ったのも納得がいく。精気を少しずつ吸い取られている状態だからだ。それと「目が見えない」ことの因果関係までははっきりとわからないが。


「かなり危険な相手だけど、何とかできるかも知れない」


 リュイは顔を上げる。


 その顔からは笑みが消え、菫色の瞳には凛とした意志が籠っていた。

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