第14話 無知との遭遇・上

 魔術師ギルドに紙と筆記用具が納入され、本格的に読み書き算術の教室が開けるようになった。


 とは言っても最初の生徒はレッキ・レックだけだった。勉学の重要性が貧困層や獣人族の間では周知されていないのかもしれない。重要な課題だが、とりあえずそのことについてはおいおい考えることにして、リュイはマンツーマンでレッキ・レックに指導することになった。


 パッフはリュイの肩の上に乗らず、レッキ・レックがふりふりと揺らしているしっぽにじゃれついている。迷惑がる様子のないあたり、レッキ・レックもなかなか心が広い。


 エルサス聖王国では表音文字が使われている。多少のイレギュラーはあっても発音を文字に当てはめればよいだけなので、読み書きは学び易い方だろう。リュイは習得していないが、東方には表意文字を使用する国もあり、文字の習得には非常に難儀すると聞いたことがある。


 最初の授業は文字に慣れるところからだ。二十数種の文字をひたすら書き取りさせる。文字に慣れていないレッキ・レックの筆跡はみみずがのたくったような、という表現がぴったりだったが、元が器用なのか次第に読める程度の形にはなっていった。


 さて、そんな二人きりの授業の中で、レッキ・レックがふと思いついたように切り出した。


「リュイはなんで魔術の研究に拘るにゃ?」


「何さ、藪から棒に」


「おいらにはヘイジーばあさんの話、半分も理解できなかったけど無理難題を出されてるってことはわかるにゃ。それでもやろうって言うからには特別な理由があるにゃ? ちてきこうきしんってやつだけじゃなさそうにゃ」


 レッキ・レックの言葉を聞いてリュイは顎に手を当てて少し考え込んだ。話すべきか話さざるべきか。いや、話しておいた方がいいだろう。第五元素の魔術は人の精神にまつわるものだ。危険な術を開発するつもりなのではないと表明しておく必要がある。レッキ・レックとは長い付き合いになるのだろうから。


「そうだね――大昔は魔術でも傷や病の治療ができたけど、今はできなくなった。これは理解できてるよね」


「そうだにゃ。確かに言われてみれば魔術師が治癒魔法を使うなんて聞いたことないにゃ」


「僕の目標はその治癒魔術を魔術師なら誰でも使えるように復活させることなんだ」


 そう言ってリュイは視線を落とした。


「――アールマー家は今でこそ四人家族だけどね。数年前は五人家族だった。僕にはね、年の離れた弟がいたんだ」


「……」


 その言葉だけでレッキ・レックはリュイの言わんとすることを察した。レッキ・レックは学がないものの、頭が悪いわけではない。むしろ察しのいい方だ。


「マルク・アールマー、死んでしまった僕の弟の名前だよ。マルクはやんちゃな子でね、いつも街中を走り回ってた。それで――六歳の時、馬車に跳ねられた」


 リュイはうっすらと寂しげに微笑んだ。


「怪我は酷いものだったよ。でも助かる可能性はあった。竜祈法による治療を受けられれば――でもそれは叶わなかった。僕らが聖竜教徒じゃなかったからだ」


 そう、聖竜教会はその信徒にしか恩恵を与えない。論理教徒やレッキ・レックのように祖霊を崇めている者たちの助けを求める声を無視する。そうすることで信徒を増やすのだ。回復魔法という唯一無二の餌をぶら下げれば、死に瀕した人間は改宗せざるを得ない。


「僕は誰もが魔法――魔術による医療を受けられる世界を作りたいんだ」


「論理教は獣人族も治療してくれるにゃ?」


「もちろんさ。信仰や種族によって対応を変えるのは非合理的だ。人種や信仰による差別は論理教では禁じられているよ」


「ならおいら、リュイにたくさん協力するにゃ! おいらの村も病気で死ぬ子供がたくさんいるにゃ。まあ貧乏なのは置いといて、魔術師が回復魔法をかけてくれるようになったら助かる子供が増えるにゃ!」


 そこまで言ってレッキ・レックは肩を落とした。


「――と言っても具体的に何を協力すればいいかわからないにゃ……」


 レッキ・レックがそう言って肩を落とすと、リュイはにこりと微笑んで人差し指を立てた。


「獣化の術を見せてもらえればいいよ」


「? それは前も聞いたけどどういうことにゃ?」


「生き物という存在は第五元素と火風水土の四大元素で構成されている。けれど魔術師は四大元素しか扱えない。これこそ魔術師が回復魔術を使えない理由なんだ。けど竜祈法の治癒術や獣人族の獣化による傷病の急速な自然回復においては明らかに第五元素への干渉が行われている」


 リュイの説明にレッキ・レックは腕を組んで首を捻る。


「つまりおいらの獣化の技の仕組みを調べればヒントが得られるかも知れないってことにゃ?」


「そうだね。まあ……口で言うほど簡単なことでもないけど」


 他人の使う魔法の仕組みを解析するのはリュイの才能をもってしても用意なことではない。それが魔術以外の様式によるものであれば猶更だ。


「あ、今日話したことは誰にも言わないでね。悲しい過去とか、僕のキャラじゃないもん。才能にも容姿にも家柄にも恵まれた笑顔でかわいい勝ち組のリュイくんじゃないとダメなので」


「よくわかんないけどわかったにゃ、約束するにゃ」


 そう言って請け負うと、レッキ・レックは頬杖をついた。


「リュイはすごいにゃ。おいらより一つ上なだけなのに立派な目標があるにゃ。おいらなんてその日のご飯のことしか頭にないにゃ」


「レッキにだってその内目標の一つや二つ見つかるよ」


 そんなやり取りを二人がしていると、ノックとほぼ同時に戸を開けて事務員のシャルロタが顔を覗かせた。


「リュイさん。お客様がいらしてますよ」


「依頼人?」


「いえ、依頼人ではないですね。エルクラッド・ル・トワール様、領主様の嫡子です。どうせ大した用事ではないと思いますが、面会をお求めになっております」


 シャルロタの言葉に、リュイとレッキ・レックは顔を見合わせた。

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