リュヴェルトワールの幻術士
先山芝太郎
天才魔術師とエルフの呪い
第1話 船はリュヴェルトワールへ
ミリュール川の豊かな流れに乗り、帆をはためかせて悠然と船が行く。
春めいて来たとはいえ風はまだ冷たく、甲板に出ると肌寒く感じられた。リュイ・アールマーは上着を船室に置いてきたのを少しばかり後悔する。
とは言ってもその寒さが今のリュイにとってはむしろ心地よくすらあった。
慣れない船旅はリュイにひどい船酔いをもたらしていたから。
エルサス聖王国は大陸中央付近にある、長い歴史を持つ国だ。もっとも、歴史が長いというだけで強国でも大国でもない。北はエルサス連峰の自然の要害があり、南方には大陸全土に権威を誇る聖竜教の総本山であるバハムーア龍王領があり、聖竜教との強い結びつきにより長らく周辺諸国と穏当な関係を保ってきた。ある一時期を除けば、平和な歴史を繋いで来た国と言える。平和ボケ、と揶揄されることもあるが。
そんな王国には聖竜教の聖地とされるラルティア湖を源泉とするミリュール川が横断している。この川は古来より水運の要で、川の遡りが家畜や風、奴隷任せだった頃から多くの船が往来していた。
今は隣接する新興国家ロジロタ共和国から魔導具が流入するようになり、魔導蒸気船が稼働し始めて水運も随分安定したのだが、それでもリュイにとって川波がもたらす独特の揺れは心地の良いものではなかったのだ。
「うう……内臓が口から飛び出そう……」
よろよろと船縁にしがみついてリュイは呻いた。
リュイは今年で十六歳になる。緩やかに波打った絹のような金髪が印象的な線の細い少年で、年齢よりもだいぶん幼く見える。澄んだ菫色の瞳はアメシストのように美しく、こうして川面を見つめている様も中々絵になるものだ。本人からすればそれどころではないだろうが。
「あらまあ、大変そうねえ」
そんなリュイの後ろから女性が声をかけてきた。ゆっくりと振り返るとそこには一人の老婦人が立っていた。決して派手ではないが、品の良さを感じさせる出で立ちのふくよかな女性だ。
「船酔いかしら?」
「はい……」
「船旅は初めて?」
「ええ、まあ――ポルト・ブランキまでの馬車は平気だったんですけど……うっ」
「あらあら」
老婦人の方を向いていたリュイが再び川面に顔を向けると、老婦人は優しくその背中を摩ってくれる。
「ポルト・ブランキということは王都からいらしたのね。ジンジャーの砂糖漬けがあるわ。船酔いによく効くのよ。よければどうぞ」
「ありがたくいただきます」
「王都からは旅行かしら。まだ小さいのにお一人?」
「これでも十六なんです。今年で独り立ちなんですよ。それで、赴任先のリュヴェルトワールに」
「お仕事は?」
「魔術師です。――えへへ、なんだか照れますね」
「まあ。かわいらしい魔術師さんねえ」
「意外だってよく言われます。奥様はご旅行ですか?」
「ええ。奴隷解放令の時はずいぶん荒れたけれど、最近は治安もよくなって来たでしょう? うちもようやく子供たちが全員結婚したから、夫婦でゆっくり国内を巡ってみようと思って。旅の最後には王都に寄って、霊峰エルーアも拝んでくるつもりよ」
「いいですね。王都にはおいしいお店がたくさんありますよ。最近は外国伝わってきた氷菓子の屋台が流行ってるんです。あんまりおいしくて、暑い日には行列ができるくらい」
「まあ、やっぱり王都には新しいものがたくさんあるのね」
聖エルサス王国を東西に横切るミリュール川は国の交通の動脈だ。とりわけここ最近は造船技術の発達により多くのヒトやモノを運べるようになって、その重要度は増している。
リュヴェルトワールという街はその水運の中継地点の一つである。船の速度が増したとは言っても、一日で国内を縦断できるわけではない。今もって風の機嫌に左右されることも少なからずあった。
とは言えそれ以外には目立った産業も観光資源もない、ぱっとしない街だ。魔術師ギルドにしてもあるにはあるが、連絡役の事務員が一人いるだけという放置ぶりだった。ただ魔術師ギルドの意向としては魔術の意義や利便性をもう少し広めたいと考えているらしく、リュヴェルトワールのような魔術師のいない街にも魔術師を配置することになったのだ。
その試金石の一人がリュイである。これでもリュイは王都の魔術師養成学校を優秀な成績で卒業したのだ。使える魔法はちょっと――いや、かなり――偏りがあるのだが――。座学の成績は常にトップクラスだったし、そのまま王都に残って研究者になるようにとの勧めはあった。ただちょっとしたトラブルがあってリュイはその勧めを断らざるを得なかったのだ。
「あら、リュヴェルトワールの港が見えてきたわ」
「ああ、本当ですね」
老婦人の指した方へ視線をやると、リュヴェルトワールの河港が見えてくる。何の変哲もない、ありふれた古い田舎街。
これからリュイが暮らしていく新しい新天地だ。
「それじゃあ奥様、霊峰エルーアは夏でも少し冷えますからお気をつけてくださいね」
「ええ、せっかくの旅行中に風邪を引いたら台無しだものね。あなたも頑張ってね」
そう言うと老婦人とリュイは握手して、互いに手を振って別れた。老婦人の背中を見送っていたら、船酔いはいつの間にか吹き飛んでいた。
「一人暮らし! 楽しみだなあ」
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