四章 悠久の雨音

重たいドアを開けると、僕の名前を叫びながら少女が飛び出してきた。


「悠さん!」


碧は心配そうに僕の顔を覗き込む。

それに罪悪感を覚え、ぎこちない愛想笑いを返した。


「大丈夫ですか?顔色悪いですけど」

「休ませてもらったから大丈夫だ。迷惑かけて申し訳ない」

「迷惑だなんてそんな」


しゅん、と下を向く碧。

何と返したらいいのかわからず黙っていると、スタジオの奥から陽気な声が聞こえてきた。


「悠〜!元気ならさっそく練習しようぜ〜!」


神楽は相変わらずのようだ。

あれから1週間ほど経ち、僕から連絡を入れて軽く怒られた後集まった、久しぶりのバンドメンバー。

少し心が軽くなった気がした。


「ほらはやく、アンプ繋いで」


神楽はそそくさと僕に近寄ってくる。

ちらっとドラムセットの傍にいる隼人を見やると、すごく不機嫌そうだった。

無理もない。数日練習を放棄し、音信不通だったのだから。


「…やる気あんならやりますよ」

「ごめん、よろしく」


むすっとした隼人にそれだけ告げると、彼は無言で背を向けてドラムの前に座った。


「さ!今日もやりますよ!」


明るい碧の一声で、練習が始まった。




軽く2曲ほど通した後、あまりの頭痛に頭を抱えていた。

今日くらいはやり通さないと。

その一心で皆には何も言わずに、次の曲に入った。


碧のソロから始まるこの曲は、叶多がいた前バンドの曲だった。


「〜♪ 深夜2時 過去に思いを馳せて

     きっとなんて 期待しちゃってさ

              何も見えない癖に 」


目の前で歌う碧の姿が霞んで見える。

それはまるで、初ライブの時の叶多の姿とそっくりだった。


いや、碧の声、歌い方がそっくりだった。

声色、少し外すアレンジの音程、息継ぎさえ何もかも。


気づけば、思いっきり声が出ていた。


「やめてくれ!」


自分の怒鳴り声に驚いて、ハッと我に返る。

演奏も碧の歌も止まっていて、スタジオは静寂に包まれていた。

碧も、隼人も神楽も驚いた表情で僕を見ていた。


「え、悠さん?」

「ごめん、僕…」


「やっぱりまだ体調悪いんですか…?

ゆっくり休んだ方が…」


碧の心配そうな声音に胸が締め付けられる様な苦しさを感じ、思わず言い返す。



「ごめん……弾けない。


もうこのバンドでは弾けない。」



僕の言葉に、すぐさま反応したのは隼人だった。


「は?それ本気で言ってんの?」

「音無さん…!」


語気の荒い隼人のセリフに、戸惑ったように碧が口を挟む。


「あんたがやりたいって言い出したんだろ?

訳もわかんねえまま、また辞めるのかよ」


「もう、叶多の隣で…弾きたくない」


僕の呟きに、皆一様に黙った。

隼人は何かを察したように口を開く。


「…………ああ、そういう事ね。

今更自覚したんだ。」


「え、どういう事?全然ついていけないんだけど。なんで急に叶多さんが出てくるの?」


神楽は慌てふためいたように口早に話す。


僕はそれに耐えられずに、ギターを置いてスタジオを出た。


「悠さん!」


後ろで皆が僕の名前を呼んでいる。

それを振り切るように大雨の中、ひとり駆け出した。


喉の奥に、心の内に何かが詰まったような息苦しさを抱えながら。

遠い過去、まだ僕に元気な笑顔を見せていた頃のあの人を思い出しながら。

雨粒の冷たいそれとは別の、生暖かいモノが頬を伝う感触を味わいながら。


このまんま死ねたら、どんなに楽だろう。

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