四
予想だにしなかった言葉に驚きを隠せない。
いやいやいや。冗談だろ。
「えっと…僕と?会うの初めてだよね?本当に僕と?音楽を?」
思わず聞き返したが、彼女は一切表情を変えない。どうやら冗談ではないらしい。
冗談だとしてもつまらないし、笑えない。
「そうです。叶多さんから話を聞いてるのは悠さんだけじゃないです。私もたくさん聞いて話して、これだ!って思ったんです。冗談とか、軽口とかじゃないです」
「いやいや、ちょっとまって。えっと…うーん……」
僕は少しの間考え込む。どうしたらいいのだろう。
「…私は本気なんです、話だけでも聞いて欲しいんです、ちゃんと理由があるんです
というか、私にはこれだけしかないんです」
さっきまでの語気が無かったかのように弱々しい声になり、碧ちゃんは下を向いてしまった。
「……どうしてもっていうなら話だけでも」
いくら子供の言う事とはいえ、叶多と親しかった友人だし邪険には扱えない。
記憶喪失の彼女が音楽をやりたいという、その小さな身体に抱えている理由とやらも気になるし。
今日の所は話だけでも聞いてみよう。
僕が悩んだ末に口を開くと、碧ちゃんは目を見開いた。
そしてまた、不器用な作り笑顔で笑いかけてくるのであった。
初対面の女の子を、いきなり男の車に乗せるのはとても気が引けたが、彼女が良いと言うならば…と汚い言い訳をし、一応神様と叶多に心の中で謝罪を入れて、車に乗りこみ、お墓を後にした。
3分程車を走らせ、近くの喫茶店に停める。
店のドアを開けると、昔ながらのカランカランというドアベルの音が鳴った。
「2名で」
そそくさと近づいてくる店員に告げ、窓際の席へと座った。
彼女の目の前にメニュー表を広げて見せると、大きな目をキラキラさせながら眺め始めた。
「なんでも好きなもの、どうぞ」
「いいんですか?」
「もちろん」
碧ちゃんはしばらく固まった後、これ、と
これまた大きなチョコレートパフェを指さした。
「かなり大きめだけど食べられそう?」
「たぶん大丈夫ですよ」
既にわくわくしている様子。「すみません」と店員を呼び、チョコレートパフェとブレンドコーヒーを頼んだ。
「嬉しいです、ありがとうございます」
彼女は満足そうにお礼を言う。無邪気なところがあって可愛らしいな、と思った。
ついさっきまで泣きながら遺品を整理していたのが嘘みたいに、僕の心は軽かった。
「それで…本当に僕と音楽をやる気なの?」
そう問うと碧ちゃんは瞬時に頷く。
「記憶を失う前の私の事、何も分からないんです。好きだった物、嫌いだった物。好きだった人、嫌いだった人…何をして何をしないか、何がしたかったのか、全て忘れてしまいました。」
彼女は固い表情で話し始める。
「それでも、どうしても、前の私の事を知りたいんです。どうやって生きてきたのか何も知らないままは嫌なんです。病院でぼーっとして誰にも何にも興味が持てなかった時に、叶多さんからもらった音楽が私を救ったんです」
また語気が強くなる。張り詰めたような空気を感じた。彼女は必死で、それでいて本気らしい。
「でも、私には叶多さん以外に頼れる人もきっかけも無い。…音楽をやりたいって、叶多さんに話したんです。そしたら」
碧ちゃんは一息ついてから、やっと顔を上げて僕の目をじっと見つめた。
「『私と一緒にやろう、って言ってあげたいんだけど私はもう、音楽は出来ないの。
だからもし私がいなくなったら、悠を頼って。
私は今でも音楽がやりたい。ステージの上で思うま間に歌いたい。でも叶わない。多分この先何もかも叶わない。
だから、貴方が歌って。
きっと私が死んでも私の後を追えば、悠を見つけられると思う。そしてこの事と碧の事を全部話すの。少し強引なくらいが丁度いいから。
そして見つけて。
前の貴方を知ってる人は必ずいるはずだから。』
って、私に言ってくれました」
その口調はまるで、叶多そのものだった。
朗らかな声。そして芯の強い、決意に満ちた言葉。
「『私の叶わない願いを碧に託すわ』なんて言って、『ちょっと臭いねこのセリフ』って笑ってました。
私は叶多さんの代わりにもなれないしそれを超えることもないと思います。
それでも叶多さんが託してくれた物を実現したい。そしてそれと一緒に、私を見つけたい。」
生暖かい物が頬を伝っていた。
自分が人目もはばからずに泣いていると気づいたのは彼女が話し終わってから少し後だった。
店員さんが驚いた表情で注文したチョコレートパフェとコーヒーをテーブルに置いていた。
「お客様、大丈夫ですか?」
「はい、すみません…」
店員さんは親切にポケットティッシュを差し出してきた。
我に返り恥ずかしいと思いながらも、彼女の言葉、今となっては遺言だが。
全くいい歳して、今はもう居ない人間に泣かされてしまった。
ずっとやりたかったんだ。歌いたかったんだな。
絶対に叶わない願いを抱えたまま、いなくなってしまったんだな。
最後の最後まで僕に頼りっぱなしじゃないか。
君はいつもそうだな…なんて思い出に耽ける間もなく、彼女___碧ちゃんは話を続ける。
「音楽をやりながら、私が誰なのかを皆に問いたい。そして私の拙い歌を叶多さんに届けたい。
記憶を辿る旅を、悠さんにお手伝いしてもらいたいんです」
「…叶多は碧ちゃんを選んだんだね。」
僕が漏らした言葉を聞いて、彼女はふふっと笑みをこぼす。
「選ばれてしまいました。でもこれには、悠さんもやる意味があると思うんです。だから今日あのお墓できっと会えると思って…」
「待ち伏せされてたわけだ」
「ストーカーみたいで気持ち悪いですよね、すみません。でも後を追えって言ったのは叶多さんですから」
しれっと叶多のせいにする彼女は、やっと肩の荷を下ろせたようで安堵のため息をつく。
「かなり強引にここまで来てしまいましたが、決めるのは悠さんです。もし心を決めてくれたら、呼んでください。これ」
そう言って彼女はスマホを操作し、連絡先が表示された画面を見せてきた。
「いつでも駆けつけます!」
「ははは、なんだそれ」
だいぶ的外れな宣言に思わず吹き出してしまう。
「まあ一度持ち帰らせてもらうよ…
本当にやるとしたらメンバーは僕だけじゃないからね」
「もしやるとしたら、バンド作ってくれるんですか?」
「僕だけじゃあ荷が重いよ。…きっと、いい答えを出せる、と思う。」
我ながら無責任なことを言ってしまっただろうか。もしこれでナシになったらぬか喜びさせてしまうな…そんな僕の杞憂を吹き飛ばすように、碧ちゃんはとびっきり喜ぶ仕草を見せた。
「……いや、でもまだ分からないですよね!
ずっとずっと待ってます!なんせ全部忘れちゃって何もやる事ないので!」
「…それは笑える冗談って事で笑っていいの?」
「あはははは!もちろん!」
彼女は笑い飛ばしながら目の前の大きなパフェを頬張り始める。
こうして奇妙な彼女、碧と僕は出会った。
叶多の残した面倒くさい約束と願い、遺言のせいで、彼女の死をゆっくり悲しむ暇もなく。
中々面白い事になりそうだ。
僕は彼女…叶多が死んでから初めて浮き足立つような、心躍るような気になった。
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