この気持ちもいつか忘れる

 マンガ化、実写映画化、アニメ映画化もされた『君の膵臓を食べたい』で有名な、「住野よる」氏の作品『この気持ちもいつか忘れる』。

 タイトルと表紙のデザインから、切なくてはかない印象を受けた。



 主人公は、こじらせた男子高校生「鈴木 香弥」。

 彼は、人生なんてつまんねぇと思っているし、そのことに気付いていない周りの人間たちもつまんねぇと思っている。卑屈な態度で、他人を軽蔑して生きている。

 最後の「誰も望まないアンコール」の章で、彼のこじらせがより表出する。


 その香弥が、異世界の少女「チカ」と出会い、彼の人生は色を持ち始める。

 つまんねぇ人生の中での、異世界の少女との「特別」で不思議な体験。



 チカの世界には、「恋愛」という概念がない。

 「恋愛」のない未来からきた「恋を知らない」男の子との恋。2016年の『時をかける少女』のドラマを思い起こさせた。


 「キスの仕方を知らない君」とか「キスの仕方を教えてあげる」とか、そんな歌詞やセリフは世間に溢れている。しかし、みんな「キスを知っている」。

 だが、チカは本当に「キスを知らない」。

 この小説から、本当に「キスの仕方を教える」というシーンを体感することができた。




「俺が心の中に思い浮かべることが出来るのは、全てただの事実に過ぎなかった。

 あの時の想いの強さを、重さを、激しさを。

 心の中で描けない。」


 何をしたか、どんなことを話したか、エピソードは明確に覚えていても、あの時の熱い感情を同じように感じられない。『この気持ちもいつか忘れる』ことが描かれている。

 しかし、私は、どんなことをしたか、何を話したか、エピソードや情景は思い出せないのに、「想いだけが残る」ということも、また、あると思う。

 記憶は薄れていくけど、想いだけは消えない。そういうことが。

 この苦しい気持ちを消してしまいたくとも。



 ひとは、幸せだった時間を忘れるのが怖い。あの「突風」を感じた時間を、失ってしまうのが怖いのだ。

 だから、過去の幸せな思い出を大切に想い続けている。

 しかし、「どんなに強い気持ちもちょっとずつすり減って薄れて、かすれていく。」



 そして、ずっと気になっていた「見つからないように」という意味深な挨拶の意味。作中で明言されることはなかった。

 他の方が考察で、この土地の空き家をしばらく残しておく風習は「かつてこの土地に逃げてきた人々が先住民から隠れるために空き家を利用した」という名残からで、「見つからないように」という挨拶は、出掛ける際に「(先住民に)見つからないように」と言う、昔の風習が残っているのではないか、と書かれていて、なるほどと思った。




 主人公の香弥の考え方がかなり歪んでいるので、共感できない部分も多いかもしれない。しかし、思春期特有のあの厭世的なこじらせだ。理解できる人も多いと思う。

 過去に囚われている人に、「その気持ちもいつか薄れる」「今、その大切なものに恥じない自分でいなければならない」と、前を向いて生きて行く考え方を与えてくれる小説だと思った。



 また、この作品は『THE BACK HONE』とのコラボレーションで、読み終わった後に、音楽も聴いた。






住野よる(2020)『この気持ちもいつか忘れる』,株式会社新潮社

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