第十二話 千影、銀狼に潜入する②

(俺、殺されんじゃね?)


ここは砂埃舞う体育館裏のグラウンド。

ただいま千影は、銀狼のヤンキーたちがびっしりと隙間なく円を描いて立ち並ぶ直径十メートルの円の中にポツンとひとり、立っている。

どこを見渡しても時代遅れのもっさりリーゼントで決めた人相の悪いヤンキーの顔、顔、顔。

このままでは今にも意識が吹っ飛んでしまいそうだったので、千影は心の中で必死に九字護心法を唱え、腹の下で両手を合わせ、指先の動きを最小限に留めながら印を結んだ。だが、いくら唱えど心臓の速さと呼吸の浅さは一向に落ち着かない。それどころか、どんどんひどくなっている。

そうこうしているうちに、千影の目の前にスキンヘッドの男が姿を現した。


「最後にもう一度確認するが……オメェ、本当にうちの入隊テストを受けるのかぁ?」


男は無表情でそう言ったが、周りを取り囲むヤンキー達は千影を挑発するかのように、下品な笑い声をあげた。


(受けるもなにも……たとえ今断ったとしても、こいつら、俺をタダで返す気ゼロだろ……)


千影は印を結び終えた両手を固く握りしめた。


「はい!ぜひ、受けさせてください!お願いします!!!」


千影は勢いよく頭を下げた。すると、ヤンキー達は口笛を吹いたり奇声をあげたりして囃し立てた。

異様なざわめきの中、千影はゆっくり顔を上げた。そして、目が点になった。


「バ、バケモノ……?」


千影は顔を引きつらせて反り返るほど見上げた。

なんと、千影の目の前には、スキンヘッドの男ではなく、身長が三メートルをゆうに越した巨漢が、大木のように太くて長い鉄骨を肩に担いでどっしりと立ち構えていた。


「これからオメェにはコイツ、小太郎こたろうと戦ってもらう。合格条件は、小太郎を打ち負かす、それだけだ。そんじゃあ、始め!」


激しく吹き抜ける砂嵐舞う中、巨漢の隣に立っていたスキンヘッド男が後ろで手を組みながら言い放った。

千影は頭のてっぺんから血が引いていくのがわかった。


(ウソだろ……コイツ、ただでさえ図体デカいのに、それだけじゃなくて、人をひとり簡単に潰してしまえるような物騒なモン持ってるんだけど!)


千影はしばらくその場でオロオロしていたが、小太郎は片手で掴む鉄骨を地べたにザリザリ引きずらせながら、まるで血肉に飢えた獣のように舌なめずりをしてゆっくり近づいてきた。

千影は一歩ずつ迫り来る生命の危機をひしひしと感じつつも、頭のわずかなスペースで蛍の言葉を思い返していた。

そして、その中でも強烈に響いてきたのは“戦わずして逃げろ”であった。

千影は深呼吸をすると、九字護心法を唱え手で印を結び始めた。


(俺は戦っちゃいけないんだった。余計な争いはさらなるいざこざを生む。だいたい、俺がこんな大男にまともに立ち向かっていったところで勝てるわけがない。気合だけで闇雲に立ち向かっていったところで、あの鉄骨で頭をぐしゃりと潰されるのがオチだ。そうなったら元も子もない。

そんな俺が今やるべきことは……逃げる!これに限る!)


呪文を唱え終えると、千影はゆっくりと目を開けた。小太郎がすぐ目の前まで迫ってきている。

千影は小太郎のわずかな動き一つ一つに細心の注意を払いながら、一歩ずつ後ろに引き下がり周囲を見回した。


(さて、どうやって逃げようか……ここは草木も何もない真っ平らな砂地のグラウンドだ。さらに、周りにはヤンキーたちにぐるり一周囲まれていて逃げも隠れも出来ない。こういう場合、どうすればいいんだっけ?)


引き下がるばかりで一向に戦おうとしない千影に、周囲を取り巻くヤンキーたちからはブーングの嵐。

今まで悠々と歩いていた小太郎は、ついに本気を出した。

ゴツゴツとした岩のような全身の筋肉を伸縮させながら、ドスンドスンと地響きを立て、砂埃を巻き上げながら走ってきた。


「ひぃぃぃ〜!」


千影は未だに何もできないまま、ただひたすら小太郎から逃げ惑った。だが、そうしているのも時間の問題であった。千影に追いついた小太郎は鉄骨を振り上げ千影の後頭部目掛けて思い切り振り下ろした。


「ヒェッ!」


振り下ろされる間際、真後ろに立つ小太郎の行動を見た千影は、とっさに横に飛び避けて間一髪、鉄骨の餌食にならずに済んだ。


「ちょこまかちょこまかと!おとなしく往生せいやァァァ!」


小太郎は鉄骨を頭上で振り回しながら地鳴りのような声を轟かせた。周りのヤンキーたちもそれに加勢するように汚いヤジの嵐を千影に浴びせた。

千影は今にも心がポキっと折れて腰が抜けてしまいそうだった。


(くそっ!何かいい手はないか……?)


千影は二重息吹をしながら呪文を唱え、両手で印を結びながら今までの修行を一つ一つ思い出しつつ、必死に逃げ回った。


(敵に追われて逃げも隠れも出来ない状況に追い込まれた時の遁法は……)


そして、急に思い立ったかのように懐に手を突っ込んだ。

今度こそは外さないと、小太郎は鉄骨を持ち上げ千影の頭に狙いを定めると、再び振り上げた。

その時だった。

もう獲物は仕留めたも同然の小太郎の目の前には、何やら火花を散らしたものを片手に、引きつった顔を振り向かせながら走る千影の姿が映った。


(忍法、百雷銃ひゃくらいじゅうの術!これでも喰らえっ!)


千影は手に持っていた“百雷銃”という爆竹のようなものを小太郎の足元目掛けて投げつけた。すると、その途端、百雷銃は凄まじい破裂音を轟かせた。

いきなり自分の足元で爆音と煙が上がったので、小太郎は仰天し、その場にドシンと尻餅をついてしまった。その小太郎の様子を見ていた千影は、すかさず腰にぶら下げていた麻袋に手を突っ込んだ。


(ひぃ〜気持ち悪りぃ!)


千影はうごめく袋の中身を身震いしながら鷲掴みすると、それを未だに尻餅をついて動けずにいる小太郎の顔面めがけて投げ飛ばした。


(忍法、虫獣遁ちゅうじゅうとんの術!)


大男の顔には色鮮やかな大蜘蛛やムカデ、青大将が降りかかった。


「グワァァァァァァ!」


小太郎は絶叫すると、手に持っていた鉄骨を放り投げ、顔にへばりついたヘビや虫を必死で払った。あまりにも勢いよく放り投げたので、鉄骨は場外遥か彼方へと吹っ飛んでいった。


(よし……ひとまず、これで俺の頭はぐしゃっとならずに済んだな……)


千影は遠くへ飛んでいった鉄骨を見て、顔を引きつらせながら笑った。


「テメェ……よくも…この俺をコケにしてくれたな……」


震えながらも勝ち誇っていた千影の真後ろに、殺意に満ち満ちた大きな黒い影がそびえ立った。千影は背中の毛穴に何千本もの針を刺されたような殺気を感じた。


「え?あ、あの……」


おそるおそる千影が後ろを振り返ると、大男は全身の青筋を立てながら、岩石のような大きな拳を振りかざしていた。


「くたばりやがれェェェ!」


小太郎の大拳は千影の顔面めがけて飛んできた。千影は拳が飛んでくる様子を、息を吸い込んだまま、ただ呆然と見ていた。


(あぁ……こんな拳で殴られたら、俺はもう……)


拳はもう目と鼻の先まで近づいた。千影は目を閉じようとした。


「待てぃ」


突然、しゃがれた声が飛んできた。

小太郎の拳は、千影の鼻先に触れるか触れないかのところでピタリと止まった。勢い良く振り下ろされた拳の波動だけが千影の顔面にぶつかった。千影は少しちびってしまった。

千影と小太郎の元に、無表情のスキンヘッド男が歩いてきた。そして、大男の足元でへたばる千影の肩にずしりと手を置いた。

男の口端がつり上がった。


「逃げ回るのは感心しねぇが……次から次へと妙なモン取り出してきてなかなか面白かった。オメェ、まるで忍者みてぇだな」


その日から、千影は晴れて銀狼の一員となり、とりあえず、忍務の第一関門である潜入を果たしたのであった。

そして、銀狼のヤンキーたちからは、忍者の“ニン”というあだ名がつけられたのであった。

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