最終話ー① 担当受付嬢を変えたくない 1/2


 モストルの冒険者ギルドに、久方ぶりに顔を出したラパン。

 日は傾き始めているというのに欠伸を噛み殺し、怠惰に過ごした弊害が抜けきっていない。

 けれども、目を擦りながら辿り着いた受付で、冷水を被ったかのようにパッチリと目を覚ますことになる。


「……エラーブルさんが、いない?」

「そうなんですよ~」


 受付カウンターには、桃色髪を肩口で切り揃えた可愛らしい受付嬢のリコが、困ったように唇を尖らせていた。

 どことなく女子高生を思わせる距離の近い態度に、ラパンは相槌を打ちながらそっと椅子を後ろに下げる。


「ここ一週間実家に帰っているようで。おかげ仕事が終わらなくてもぉ。……ラパンさん、この依頼の山片付けてくれません?」

「お断りします」


 リコの受付に残されている書類は比喩ではなく山となっている。見るからに滞っている依頼に軽い気持ちで手を出せば、抜け出せない蟻地獄が待っているのは明らかだ。

 目に見えた罠に手を出すほど、ラパンは愚かではなかった。

 ですよねぇ、とため息を付くリコは、何かに気が付いたのかニヨニヨと下衆な笑みを浮かべる。


「あれあれぇ? もしかして、先輩がいなくて寂しいんですかぁ?」

「寂しいです。困ってもいます」

「あら、意外と素直」


 そんな反応が返ってくるとは思っていなかったのか、口元に手を当て目を丸くする。

 素直なのも当然で、ラパンにとってエラーブルがいないことは、他人事でも笑い事でもなく、人生のおける重大な損失に他ならない。

 ぎゅっと力強く零しを握り、この世の終わりかのように力説する。


「これから一体誰が、冒険者ギルドで私の面倒を見てくれるって言うんですか!」

「わぁお、呆れるぐらい駄目男発言。というか、面倒見てもらってた自覚はあるんですね」


 精神的ヒモ男を見つけてしまいリコはそそそっと距離を取る。


 ■■


 王都に隣接した場所にある、

 豊かな領内にある最も大きな建造物であるレセプシオニスト公爵家の屋敷の一室で、領主とその娘が重苦しい空気の中で向かい合って座っていた。

 張り詰めた雰囲気を跳ね除けるように、最初に口を開いたのは領主であるエメリック・レセプシオニストであった。


「……いい加減我儘を言うんじゃない」


 威圧のある厳かな声。

 エラーブルの眉が一瞬動くが、気付かず話を進める。


「お前ももういい年だ。帰ってきて、身を固めなさい」

「お断りします」

「エラーブル」

「お断りします」


 取り付く島もないツンッとした態度に、海千山千の貴族たちを相手取るエメリックは深く息を吸い込み、吐き出す。


「全く。レセプシオニスト公爵家の娘として、もう少し自覚を持ってほしいんだが。見合い写真には目を通したか?」

「よく燃える燃料を送っていただきありがとうございます」

「誰が燃やせといった馬鹿娘!」


 よく燃えましたと悪気もなく言う娘に、たわけと𠮟りつける。

 苛立たし気にエメリックは指先で机を叩く。

 エラーブルからすれば、仕掛けていた罠に獲物が飛び込んできた瞬間であった。


「そもそも、お父様の選んだ方々は信用なりません」

「なにぃ?」

「オルデュール元伯爵の件はご存じで?」

「むっ……」


 エメリックがしかめっ面を作る。

 触れられたくなかったであろう話題に、返答を探すように言葉が詰まる。


「あれは……」

「あのような下衆な男を娘の結婚相手の候補として選ぶお父様の目を信用できかねます」

「そういうつもりではなく、奴は教会への寄付や浮浪児を引き取る慈善活動を……」

「教会との癒着に奴隷売買ですか?」

「うぐぅっ」


 父親が持ってきた見合い相手の不祥事である。

 信用できないと言われればそれまでで、唸るほかに言葉は出なかろう。

 ここが分水嶺と、エラーブルは冷静に、あくまで理性的に畳みかける。


「いずれ結婚は考えておりますが、お父様の政治に道具になるつもりはございません」

「そんなつもりはない。私はお前を想っているだけだ」

「口でならいくらでも言えます」


 現実は、女性に非道な扱いをするオルデュール元伯爵を娘の見合い相手の一人として選んだ。それだけだ。

 想っているなどと家族愛を口にしたところで、覆るわけではない。

 娘に言い負かされ震え出したエメリックは、吹っ切れたように腕を組むと踏ん反り返った。


「ええい! とにかく帰ってこい! 父親の言うことが聞けんのか!?」

「癇癪を起さないでくれますか? みっともない」


 王国公爵とは思えない態度に、エラーブルは冷え切った視線を向ける。

 けれども、ここまで醜態を晒したエメリックは止まらず、感情に任せて横暴に告げる。


「お前はここにいろ! 受付の仕事も辞めさせる! 冒険者ギルドには私から言っておく!!」

「……そのような勝手を許すとでも?」


 氷にように冷たい瞳。

 視線で人を殺しかねないほど冷たい激怒に、エメリックは一瞬顔を青褪めさせるも、その視線を振り切って立ち上がる。


「っ、これは決定事項だ! エラーブルは黙っておれ!」

「ちっ、頭ごなしの糞親父か」

「おい今なんて言ったぁ!」

「大嫌いですお父様と言いました」


 その言葉がなによりも辛かったというように、エメリックはショックを受けて膝を付いた。


 ■■


 穏やかな陽気に誘われ、ベッドの上で気持ち良さそうに眠るウサギ。

 枕を抱き、丸まっている姿は白いウサギそのものだ。

 そして、そんな眠れるウサギ《獲物》の近くには、当然息を潜めた捕食者がいる。

 三日月のように頬を吊り上げ、手に持った身の丈ほどの鉄槌を大きく振り被ると、一切の躊躇なく振り下ろす。


 ズドーン!!


「うぉいいいいいっ!? 殺す気かぁ!?」

「あらぁ? 後もう少しで安らかなる永遠の眠りにつけるところでしたのに。残念ですわ」

「死ねと!?」

「はい♡」

「せめて否定してぇ」


 ハートを飛ばし、晴れやかに笑う捕食者アデライド

 命懸けの寝起き危機一髪にラパンは肝を冷やした。

 ――ほんの少し反応が遅ければ死んでいた。

 ぞっとする想像を振り払い、真っ二つに中折れしたベッドを魔法で修復する。

 朝から気の滅入る作業にふわっと欠伸をし、寝巻姿で膝を抱える。


「何のようですか? まさか本当に殺しに来ただけとか言いませんよね?」

「それはついでですわ」

「ついでで殺される私って」

「貴方の感傷はどうでもいいのですわ」


 目に付いたから潰そうとした程度の、蚊のような扱いに増々落ち込む。

 それすらもどうでもいいと、鉄槌を放り投げたアデライドは、率直に目的を告げる。


「このままですと、エラーブルお嬢様が冒険者ギルドの受付を辞めさせられてしまいますの」

「……はいぃ?」


 ――


 とんでもない事件に慌てて着替えたラパンは、困惑しながらもアデライドを問い詰める。


「え、え? なんでそんなことに? 実家に帰っているだけじゃないんですか!?」

「ええ。ただ、以前からエラーブルお嬢様の御父上から仕事を辞めて帰ってこいと打診をされておりますの。一度戻れば簡単には返していただけないかもしれませんわ」

「で、でも帰ってくるかもしれないんですよね?」

「いいえ。このままでは、帰ってこれませんわ」


 首を横に振ったアデライドが、突然胸元を開けだしてぎょっとする。

 普段はカッチリとした服装であるため見えない白い肌がちらりと覗く。微かに見える谷間に指を入れると、見て分かるほどに上乳が沈み、ラパンは赤面して魅入ってしまう。

 絶句するラパンを尻目に、谷間から目的の物を取り出したアデライドは、指の間に挟み込む。


「しょっと、こちら、エラーブルお嬢様からのお手紙ですわ」

「どうして谷間から出したの!? えっち!」

「ふふふ、一度やってみたかったんですわ。嫌いではありませんでしょう?」

「大好きですけど!」

「ただ、実際にやってみますと、汗で濡れてくしゃくしゃになってしまいますわ」

「止めて! 口にしないで見せないで! えっち条約違反で逮捕されますよ!?」

「はい、どうぞ」

「渡すなぁあああ!!」


 眼福と歓喜ではなく、ただただ恥ずかしいとラパンは全力で叫んだ。


「冗談ですわ」

「こ、ここまでやって冗談もなにもないと思うのです」


 いそいそと胸元を直すアデライド。だが、その表情は不満そうで、そんな怒らなくてもよいではないかという気持ちが言外に伝わってくる。

 服を正すアデライドを、ラパンは目に毒と顔を覆い俯く。


「エラーブルお嬢様からの手紙によりますと、現在屋敷に閉じ込められて外に出るのは難しいそうですわ。御父上はエラーブルお嬢様の仕事を辞めさせるよう動いているご様子」

「外に出れないのにその手紙はどうやって届けたのですか?」

「本家の使用人が連携して御父上の目を盗んで送ってくれましたの」

「エラーブルのお父さんに味方はいないのかな?」


 男親の悲しい現実に、同じ男としてラパンはうるっときてしまう。


「というわけで、少々困った事態になっておりますので、ラパン様にはご協力していただきますわ」

「お願いじゃないんだぁ。拒否権はないんだぁ」

「いりますの? 拒否権」

「せめて人としての尊厳だけわぁ」


 ハンッと鼻で笑われる。やはりペットか……。


「それで、何をすればいいんですか?」

「ラパン様のそういう素直なところ、嫌いではありませんわ」


 素直ではなく、諦観と呼ぶのだが、ラパンは訂正しない。言っても意味がないと悟りの境地を開いているからだ。

 うんうんと従順な下僕に満足そうに頷くアデライドは、なんでもないかのように導火線に火のついた爆弾を投げつけてきた。


「ラパン様には、少しの間子供に戻っていただきますわ」

「…………幼児退行プレイ?」

「泣いてごらんなさい」

「ばぶぅ」


 ウサギがメイドのペットになった件。

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