実によくある異世界転生
色々太郎
第一章 「実によくある異世界転生」
第1話
昼と夜が混ざり合う夕方頃、車の通りが少なく、道行く人のほとんどが赤信号を無視して渡る横断歩道を佐藤龍一は無言で待っていた。
大学の帰り道、授業の参考書を購入するために、彼は普段から利用している書店を訪れた。デパートの一角にあるような小さなものでも、かといって町の片隅にあるような古本屋でもなく、ビル一つを贅沢に使った大型の書店である。
目的の本の前にたどり着く前に、何となく新刊コーナーに立ち寄ってみた。所狭しと可愛げのある女の子のイラストと、タイトルの後に数字が付いた本達に隅に追いやられるようにして、手のひらから少しはみ出るくらいの小さな本がいくつか並んでいた。佐藤はその本の中から、タイトルにちょっとした感動を覚えた本をいくつか手に取った。彼は別に、そう言った類の本が嫌いではなかったが、長くシリーズが続いている物を新規に開拓するのが苦手であったし、そういった本を手に取ると、何だかこなれ感と言うか、文豪みたいな雰囲気を纏える様な気がするからである。
佐藤が本を引き抜くと、隣にあった本も一緒に落ちてしまった。落ちた衝撃でズレた本の帯をきれいに整え、元あった場所に彼は本を戻した。戻した後に、落ちた本を誰かに買わせるのは申し訳ないと思い、これも何かの縁かもしれないと自分を強引に納得させ、その本を手に取った。
本のタイトルに書かれてあった『異世界転生』という単語を見て、佐藤はため息をついた。数秒静止して彼は思考したのち、本をまた戻した。傍から見れば随分無駄な行動であったが、彼にとっては必要なものだった。
(そんな簡単に今を捨てられる訳無いだろうに)
目的の本を目指して歩こうとした所で、そんなことを佐藤は考えた。最も、本に向かって悪態をついた所で、誰も答えてくれるはずが無かった。
本屋を出て少ししたところで、彼の記憶は途絶えた。
* * *
佐藤は、気が付くと真っ白な空間に存在していた。どこにも出口のような物は存在せず、角や輪郭はあいまいで、星のない色を反転させた宇宙のようであった。
「やあやあ、お目覚めかい?」
訳も分からずにいると、スピーカーで流したような声が響いた。向こうの人物像を想像できない、中性的な声だった。
「あなたがここに俺を連れてきた犯人ですか?」
喚くでも騒ぐでもなく、第一声がそれだった。自分でも信じられない程、彼は冷静だった。
「まあ、そんなところかな」
「詳しく説明してもらっていいですか」
返答は期待していなかったが、彼は義務的に聞いた。
「おっけー。まあ、単刀直入に言うと私神様で、君を手違いで殺しちゃったんだよね。で、君がこのままだとかわいそうだから一つ能力を君にあげて別の世界に行ってもらうことにしたってわけ」
と、悪びれもしない、他人事のような宣告だった。
「質問いいですか?」
「どうぞ」
「さっきから混乱せずあなたの話を聞いている俺がいるんですが、これはあなたのせいですか?」
「まあそうだね。トチ狂って話が理解できないんじゃこっちが困るからね。君の精神を安定させてる」
彼は、先ほどからここがどこか夢のように思っていて、恐ろしいほど冷静であったが、その原因がはっきりした。精神を操作していると宣言されても、やはり恐怖や怒りの感情は湧かなかった。
「能力とは?」
「それは言えないなあ。役に立つとは思うけど」
「俺はどうして死んだんですか?」
「ただの交通事故だよ。居眠り運転してるトラックに轢かれて即死さ」
佐藤はほんの一瞬だけ、この声の主に対して怒りの感情が湧いたが、それもすぐ消えてしまった。
「あなたが神様なら、事故を無かったことに出来ないんですか?」
「色々あってそれは無理」
「元の世界に帰るにはどうすれば?と言うか、そもそも帰れるんですか?」
「さあ?頑張れば行けるんじゃない?」
適当な言い方で声の主は言った。佐藤は何だかこの会話が無意味なように思えてきた。
「……そうですか。大体理解しました。後はあっちで考えたいと思います」
「そうかいそうかい。案外喜んだりされるんだけど、君は違うんだね」
彼はその言葉に違和感を覚える。
「君は……って、俺が初めての手違いじゃないんですか」
「まあ両手の指じゃ足りないかな。いわゆる神隠しってやつさ」
「……こんなことされて、喜ぶ人なんているんですか?」
「案外いるもんだよ。やったー異世界転生だーってね。ま、いいや、後は頑張ってねー」
何が頑張ってだ、と心の中で佐藤は毒づく。
佐藤の周りを謎の光が包む。妙に暖かく、それがまた彼の心をざわつかせたが、死ぬよりは幾分かましと、強引に自分を納得させる――元より彼に死ぬ予定は無かったわけであるが。
光が完全に佐藤の体を覆ったあたりで、彼の意識は再び沈んでいった。
* * *
佐藤が目を覚ますと、彼は大の字で森の中で寝ていた。空以外、どこを見ても緑と茶色だった。空を支配する太陽の白い光が、木の葉の間を縫って、僅かに佐藤の顔に差し込む。彼は反射的にそれを手で遮る。
佐藤の手には、デジタル式の電波時計が巻かれていた。いつも彼が身に着けているものだ。時計は18時を指していて、いつもは点いていた電波が届いていることを知らせるマークは、今はなかった。
佐藤は、そのまま長く大きなため息をついた。そのまま上げた手で目を覆った。しばらくして手を戻しても、当然ながら景色は変わらなかった。
どうしようもないほど重い体に、彼は鞭打ち立ち上がる。あのいい加減な神に、文句が無限に出てきそうな気がしたが、そんなことをしたところで現実が変わるわけでもないので、頭の中を何とか生き抜くことを考えるように切り替える。
(呼吸も出来るし、体の重さも変わってない。って事は重力は一緒で、酸素もあるのか。あの神様とやらは別の世界って言っていたけど、物理法則とかはあまり変わってないのか?……とりあえず水だな。火を起こす自信はないし、綺麗な川が無いか探して、食べ物はキノコとかを安全か調べてみるしかないか)
佐藤は嗤った。無意識に心の中を支配としている何かを振り払うように拳を強く握った。
(上等だよ。生き残って、元の世界に帰ってやろうじゃねえか、クソ神様)」
* * *
佐藤は再び目を覚ました。霞む視界から、何とか情報を得ようとする。霞んだ視界からは、止めどなく光が差し込み、反射的に鉛のように重たい腕を動かし、彼はそれを遮った。自身の腕に巻かれた時計が目に入った。彼が同じような姿勢で時計を見た日からは、五日ほど過ぎた日時が時計には記されていた。
(あの後……どうなったんだっけ)
断続的に痛む頭で、彼は何とか思考を纏めようとするが、上手くいかなかった。
(駄目だ……頭が痛すぎて、それどころじゃないや)
頭が痛い。ということは、まだ生きてはいるんだろうなと、彼は直感する。相変わらず体は地面に縫い付けられたように動かないし、喉が掠れてまともに声は出せそうにないし、おおよそ生きているとは言い難い状態ではあったが、それでもここが天国や地獄でないだけ、マシと言う奴だろうか。
……丈夫?……大丈夫?と声が聞こえた。若い女の声だった。ここでようやく、佐藤は自身の頭の位置少し高くなっていることに気が付いた。
(あれ……ああ、俺もしかして、誰かに助けられたのか……?)
お礼を言おうとしたが、喉で空気が引っかかる。掠れたうめき声が、彼の口から出た。
(ああ、声が出ねえや)
「あのー……」
再び、女の声がした。佐藤の視界が、段々と明るくなった。
「せっかく目を覚ましたところ悪いんだけど、私の胸から手を離してもらっていいかな?」
佐藤がおもむろに伸ばしていた手の指先は、彼に膝枕をしていた女性の胸を下から支えるようにして触れていた。
その刹那――彼の体は、嘘のように躍動した。陸に上がった魚のように、彼は彼女の膝から跳ねるようにして逃げだした。そのまま一糸乱れぬ動きで、土下座の姿勢へ移行し、地球を割るような勢いで、頭を下げた。ゴン!と鈍い音が鳴って、彼はそのまま言葉を続けた。
「すいませんでしたぁ!!!」
喉に引っかかっていた空気を、彼は一気に放出した。
彼の予想外の行動に、女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「いや、わざとじゃないなら別にいいんだけど……」
「ごめんなさい。すみませんでした。誠に申し訳ございません」
土下座の姿勢のまま、頭を何度も地面に打ち付けながら、佐藤は無限に謝った。
「いやちょっと落ち着いて……」
宥める様に手を伸ばしながら、女はそう言った。
「あの……死をもって償った方がいいでしょうか」
今にも消え入りそうな声で、彼は言った。
「いやホント落ち着いて!?」
結局、三十分ほど謝り続けて、彼は再び気を失った。
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