第1章 カナの場合

 この世界に生きてる人は、子供の頃、性別がない。もともとからそうなのか、環境ホルモンとかの影響で、いつのまにかそうなったのかわからないけど、とにかく性別がない。男の子も女の子もいない。ただ子供なだけ。


 仲良しみんなは、まずは保育園みたいなところに行く。保育園というか学校というか、みんなで暮らし学ぶ場所。だいぶんおおきなお友達もいて、月の初めに行って、月の終わりに家に帰る。だから、その間は子供達と先生とお世話をしてくれる人たちだけで暮らす。大人達はその間、仕事に専念できる。


 大人になって性が決まるときは、誰にも見られちゃいけない。そうしないと、望む性になれないから。大人になる少し前からなんとなく、わたしこっち側かなぁとかに気付くものなのだけど、なかには望む性が明確じゃなくって決まらない子もいる。


 そんなとき、大人になっても1回だけ性を変えることができることもある。極まれだけどむりじゃない。望めば自然と体はかわるみたい。わたしは子供だからよくわかってない。


 わたしはカナ。いま10歳。この学び暮らす場所にはいってもう9年ぐらいになる。赤ちゃんのときからいるから。いまは初等科


 0〜5歳が保育科、6歳〜10歳までの5年間が初等科、11歳〜18歳までの7年間が高等科なので、わたしは初等科最後の5年生。グレードはそのままカウントアップするから、12年生までいることになる。


 自分の性が見えてくるのが、18歳から、すくなくとも20歳ぐらいまでの間なので、学校を卒業したら、知ってる人にはあわないように、自分探しの旅に出る人が多い。わたしもそうするつもり。


 まだ難しいことはわからないのだけど、私たちがこういう暮らしを始めたのは、大昔からというわけでもないみたい。むかしは、産まれた時から性はきまっていて、子供達は、おとうさん、おかあさんに育てられてたらしい。


 でも、食べてきたものや、暮らしていた場所の環境や、進化?退化?の影響で、こういう風に自然とかわったんだって歴史の授業で習った。まだまだ変化の過程だから、産まれた時から性がきまっちゃってるお友達も、少ないけど、いないわけじゃない。


 そもそも性って、体の性、心の性、好きになる人の性、社会的に見られてる性の四つがあるって習ったけど、イマイチよく分からない。わたしたちこどもは、そこのところ全く白紙だから。白紙は中性っていうことじゃないとおもう。まだなにも書かれてないっていう意味で白紙は白紙。


 友達のゆかちは、産まれた時から、少しだけ心や気持ちが少し女の子だった。でも体はまだぜんぜん白紙。結局、大人になって、体がどちらに変化するのかってことだけで、心や気持ちは本人の自由なんだと思う。ゆかちだって、産まれた時はそうだったかもしれないけど、大人になるときに、どう変化するのかわからない。産まれたときの性なんて、そんなもん。


 名前って、なんとなく、女の子っぽかたり、男の子ぽかったりするんだけど、それって少しこうなって欲しいかなぁっていう親の希望がはいってるかもしれない。でもほとんどの子は、中性的でジェンダーレスな名前をつけられることが多い。


 それでも漢字にすると、どちらかに見えちゃうことが多いので、基本ひらがなの子が多い。わたしだって、カナちゃんって言われたら女の子だし、カナくんって言われれたら男の子。ゆかちは、本名は「ゆか」だけど、少し女の子だったから、すこしガーリーな名前をつけられたんだろと思う。でも、これだってゆかくんってよばれたら男の子。くりかえすようだけど、まぁそんなもん。


 大昔だったら、4・5年生って、男女とも体の変化が起こる頃だから、保健や体育の先生から、そういう話を聞いたけど、わたしたちは、そういう変化はまだまだ先なので、まずは、歴史と知識を学ぶことからはうじまる。だれも生理が始まったり、声変わりしたりしないから、正直、実感はない。すこし頭でっかちになるだけ。そういう変化は、大人になってから起こるモノ。


 でも、わたしなりに、なりたい自分っていうものを、すこし授業をうけて考えて見た。なんとなく、わたしは、今のところ男の子になりたいかも。だって、出産とか大変そうだし。育児はこの保育園っぽい学校がやってくれるから、男女に仕事上の差別はなくって、ほんと、出産前後10日ぐらい休めばいいのだけど、そもそも自分の体から別の生命体が出てくること自体に違和感を感じる。もちろん、体外受精や、借り腹とかをつかって、受精や妊娠を外部化しちゃって、経験しないことはできるって話だけど、病気なら仕方ないけど、健康なのに違和感だけでそれを選ぶのは違うかなっておもう。


 前にいったとおり、大人になっても1回だけ今とはちがう性になることができる。それは、もし、ちゃんとした性別違和があったとしても、望めば必ず成れることもあるってコトではない、誰でもかんでも成れるわけじゃないし、1回こっきりだから、後戻りはできない。


 たまにこのタイミングに、ちゃんと決意できなくって、後から社会的に生まれ変わる人のことをトランスジェンダーっていうらしい。じつはうちのママが、そうだった。だからわたしは、ママのおなかの中でそだったわけじゃなくって、からだの外でそだって産まれたらしい。でもそんなのコトどうでもよくって、月末に帰って、いろいろ学校であったことをお話して、意見くれる人が、パパだし、ママだと思う。産んだかどうだかって正直どうでもいい。そもそもパパは産まないんだもん。もっと言えば、遺伝子が繋がってるかどうかすら、あまり関係ないと思う。自分のことを、ちゃんとみてくれてるかどうかだけがすべてだと思う。



 時は経って、わたしも学校を卒業して、自分ん探しの旅にでる時期がやってきた。実家にかえって、荷物をリュックにまとめて、両親にこれまでありがとうって、挨拶をして、家をでる。


 まずは、先に旅にでた、けいとや、ゆかちたちと短期滞在できるコリビング(シェアハウス+コワーキングスペース)の場所で落ち合って、そこで各自がどこへ旅したいか、ないを得たいかを共有して、そこから分散して1人になって旅にすることにした。そのほうがみんなどうしてるかなぁとか心配しなくって済むし。


 旅に出るスタイルはいわゆるバックパッカースタイル、大きなリュックスタイルのバックパック1つに中くらいのスーツケースの2つのバックにに最低限の荷物をいれて旅をする。だって2年を超える旅になるわけなので、洋服は基本洗濯するのが前提。なので、下着は3組、トップスは半袖と長袖が3組ずつ、ボトムスは2組、それに寒い時期のフリースやのフロントジップパーカーが加わればあとはそれを回転して行けば暮らせる。


 結局、人間なんて、起きて半畳、寝て一畳、スーツケース以上の荷物なんて不要なんだなってことが、改めて気付かされる。死ぬのときには何も持って行けないわけなんだから、極力、ミニマリストな暮らしをしたい。そういうライフスタイルにも気付かされるのがこの旅のいいところかもしれない。だから大人達はみんなシンプルな生活をしてる。これって本当に必要なものしか手に入れないし、環境にとっても、とってもエコなことなんだと思う。


 基本、毎晩泊まるところは、こういうコリビングやホステル、ドロップインでとまれるシェアハウスになる。ほとんど違いはないんだけど、コリビングは長期滞在用で、個室が中心、ホステルは、ドミトリー(2段ベッドの共用部屋)、シェアハウスは、基本ずっと住んでる人がいる所だから、誰かが旅にでていて、一時的に開いてるよっていう情報がながれたときにだけ利用できる。どこも大きめの共用ダイニングキッチンとリビングがあって、ホテルや旅館と違って、自分でご飯作って食べる感じ。


 最初のコリビングでみんなとであって、一緒にご飯をつくって食べて、その後、地図を広げて、みんなの行ってみたいところをはなしあった。 


 けいとは、西の端の島にある、ロングボードに最適な波がくる浜にいって、波乗りしながら、少し長めに住んでるかもって言ってた。波乗りと、ヨガと、瞑想は隣同士だし、波は一日たりとも同じ波が来ない、毎回、新しい自分との出会いなんだていってたけど、そういう所が、自分の内面への旅に近いのかも。 

 ゆかちは、北のほうにいって、魔法使いに会ってみるっていう。魔法使いは占いができるので、しっかり占ってもらって、これからどうするのがいいのか、しらべてもらうんだって。ゆかちは、すこしジェンダーの揺らぎがあるから、余計にそう思うのかも知れない。さらに、自分が他人を占うことができるようにもなりたいっていってた。それは占いだけじゃなく、カウンセリングやヒーリングをまなぶことになるだろうってことだった。


 ちゃんと考えてる2人に正直びっくりで、そんなわたしはノープラン。もうちょっと下調べしておきゃよかったかなぁとか思った。でも思いつきばったりの旅も、考えてもなかった出会いがあるかもなって気がするんでよいことにした。


ゆかち

「んで、カナは、どこにいってみるん?」


わたし

「うーんと、ゆかちが北で、けいとが西だから、残ってるのは、南か東かなぁ? 南や東にはなにがあるんだっけか?」


けいと

「南は穏やかな海があって、のんびり暮らせるし、東には大きな山や、その麓の高原があるよ。どの方向にいっても、国境だから、となりの国の人たちにも会えると思う。」


 高原か穏やかな海。どっちも好き。わたしは小さい頃キャンプとか好きだったので、山派だったけど、いまはSUPとか体験してから海派になりそうな感じ。


 でも、遊びにいくんじゃなくって、あくまでもどんな大人になりたいのかを独りで考えるための旅、だから、つい遊んじゃいそうな海じゃなくって、ひっそりと高原にいって、と高原特有の透明な空気を、いっぱい自分の中いれて、体を入れ替えて考えて見ようと思った。


 次の日、3人はそれぞれの目的に向かって、宿を出た。サーフボードを乗せて車で行くけいと、鉄道とバスを乗り着いていくゆかち、ヒッチハイクをするわたしに別れた。わたしはお金も節約したかったし、気ままな旅だったから、ヒッチハイクをすることにした。


 ヒッチハイクをするには、大きな街道にでて、画用紙に目的地を書いて、車に見せる。よく映画でやってる、親指をあげるサインは、意外と伝わらない。ターゲットになる車は2つ、長距離トラックと、独りで運転してる営業の車。トラックは鉄板として、独りであっちこっちを営業してまわってる車は意外と乗せてくれる。近場が担当じゃなくって、1つの営業所で、かなり広範囲の地域を担当してる人。隣町ぐらいじゃなくって、、隣の隣のさらに隣の街ぐらいまでが担当の人がねらいめ。


 基本的にはヒッチハイクは日中しか捕まらない。やっぱり、知らない人を夜のせるのは、ちょっと心配だから。そして、最初から、遠くの目的地を目指してもだめ、その日のうちに到着できるぐらいのところにして、すこしづつ距離を稼いく。夜は道の駅か、ちかくのホステルで過ごし、また翌日またヒッチハイクをする。宿代と深夜バス代ってそんなにかわらないから、うまく野宿する場所が見つからなかったら、夜行バスをつかってもいい。そうすれば距離が稼げる。わたしも1回だけそうした。


 ヒッチハイクの車の中では、いろんな話をする。だって、お互いはじめましてなわけで、相手のプライベートゾーンにお邪魔してるわけなので、自分がなにものなのか、どうして旅をしているのかは説明しないといけない。


 でも、この世界では、子供から大人になるときに旅をするのは当たり前だから、乗せてくれるひとは、みんな理解あるし、親切。さらに自分が旅をしたときの話をしてくれる。それがヒッチハイクの大きな魅力。


 まず、バイパスにでて、白いステーションワゴンにのった営業さんの車に乗せてもらった。まずは、ちょっと離れたハイウエイの入口の近くまでお願いする。


 18歳の旅立ちなの?って聞かれて、うんって答える。乗せてくれた人は、まだ若かった。自分はてっきり女の子になるもんだって思ってたけど、旅にでて、色な人にであって、こうやってあっちこっちにいる人と人をつなげる仕事がしたいなぁって思ってたら、なぜか、気持ちが先に男の子になったんだよって教えてくれた。そうなのかぁ。人と人をつなげる人って、男子にも女子にもいるけど、この人の場合は男子のほうが自然だったのかも知れない。いろんなコトを教えてくれたり、気おつけないと行けない場所や人を教えてくれたりするうちに、ハイウェイの入口に到着した。ここで丁寧にお礼を言ってお別れした。


 ハイウェイ横に小さな食堂があって、これから長距離をはしるドライバーさん達がご飯を食べてる。わたしもそこで、軽く食べてから、ハイウエイ入口から少し離れたところで、ゲートの職員さんに見つからないようにヒッチハイクをする。ほんとはここでやってはいけないから。ご飯時間でドライバーさんにご迷惑をかけないのもポイント。でも仲良くなったら、たまにご飯奢ってもらえることもある。ラッキー。


 さて、ヒッチハイク再スタート。長距離トラックは深夜に出発して、早朝に到着することが多いので、この時間は中距離のとラックが多い。でも長距離トラックがいないわけじゃない。とはいえ、簡単乗せてくれるひとがみつかるわけじゃない。目的地が違う人、そもそも他人と旅をしたくない人、会社の規定で禁止されてる人、ともかく急いでる人、いろいろいる。なので、乗せてもらえるのは、本当にごく稀。10台に1台のせてもらえればいいほうで、へたをすると、100台に1台も乗せてもらえないこともある。夕方から夜にかけては特に難しい。だから午前中のはやい時間からお昼が狙い目になる。


 20台ぐらい過ぎたところで、1台の長距離トラックが止まった。目的地には行かないけど、その途中の分かれ道のと頃まで行くから、その手間のSAで下ろすならどう? そこは大きなSAだから、目的地方面に行くトラックも多いだろうから、乗り継げる可能性あるよっていうお声がけ。こんなありがたいお話なかなかないので、ぜひお願いします!って言って、高いところにある助手席に、よっこいしょって登って、乗せてもらった。


 大きな長距離トラックは大好き。普通の車からは考えられないような見晴らし。大排気量のエンジンがドロドロとトルクを産んで、ゆったり速度に乗せていく。まるで船に乗ってるみたい。


 乗せてくれたドライバーさんは珍しくすこしお歳を召した女の子。あ、女の子っていったら失礼か、女性ですね。うん。女性。すっごく綺麗だった。


 なんで、こんな綺麗な女性が長距離ドライバーみたいな、基本、あんまり人に会わない仕事なので、もったいないなぁって思ってたら、聞くまでもなく、自分から話してくれた。


 実は、長距離ドライバーの仕事は、旦那さんがやってたってコトだった。子供がまだいないころ、旦那さんについていって、一緒にトラックにのって、国内のあっちこっちに一緒にいったことがあったらしい。さっきもいったように、まるでクルーザーや大型客船のように道を航路のようにきままに(一応配達してるわけだから自由じゃないけど)移動出来るのがいいなって思ったんだって。


 でも、旦那さんが、若いのに急死しちゃった。血液循環管関連の病気、脳溢血とか脳梗塞とか。基本、突然死。既往症(糖尿病とか、高脂血症とか)があると、結構、危機度が高い。でも、そんな既往症がなくっても、結構若い人でも死ぬ時は死ぬ。


 それで、彼女は、子育てが一段落したあと、旦那さんと一緒に旅したち長距離トラックからみた風景がわすれられなくって、一生懸命、努力して免許をとって(普通免許ももってなかったのに!)大型免許をとって、長距離トラックドライバーになったんだ。


 トラックは、郊外のハイウエイを、順調に巡航していって、町外れになると、ほぼ直線の荒野を走って行く。でもすっごく遠くの地平線に近いあたりに、ちらちらと目指してる東の山々が、小さな起伏にあわせて、見えたり消えたりする。山頂には雪が積もってるから、すぐにわかる。でも近そうに見えて結構遠い。順調に乗り継いでっても、2日はかかるかなぁ。


 しばらく進むと、少しずつ高度が上がっていた感じがする。エンジンの音がかわって、まどから入ってくる風が、少し冷たく乾いてくる。ぼちぼち、このトラックともお別れ、分岐点のあるSAに着く。そろそろ日が落ちてきた。でもシーズン的には白夜の少し手間だから、真っ暗になることはない。


 SAについて、ドライバーの彼女に丁寧にお礼して別れる。イートインで軽く夕ご飯を食べて、次ぎの車を探すか、一晩ここで過ごすかを考える。白夜の少し手間とはいえ、少し着込めば野宿はできる。その用意はしてきたし、いつも独りでキャンプしたりしてたから、その辺は別に慣れてる。違うのは昼夜ひっきりなしに車が出入りして、ずっと明るいってことだけ。


 ご飯食べたら少し眠くなってきたから、今晩はここ一晩を過ごすことにする。この地域最大のSAだから、温泉があるので、体を温めて入ることにする。私たち性別のない子供達は、基本的にどっちにはいっても構わない。でも少しそこに自分の選択があるようで悩む。どちらにしても、露天風呂は混浴なんだけど。


 お風呂にはいって、照明が当たらない木陰に寝床を作る。使うのはダウンの寝袋とスリーピングマットとビビーザック。ビビーザックっていうのは、テントというより、防水透湿素材で出来たの寝袋カバーのようなモノ。普通の寝袋カバーと大きく違うのは、顔のところだけフレームが入ってて一応、空間ができること。テントのように重くないし、組み立ても寝袋とマットをいれて、顔のところのフレームを差し込むだけだから、ほんと瞬殺で完成する。わたしのお気に入りギアー。キャンプのときには、この上に小さなタープを広げれば完璧。万一雨が降っても、タープの下で調理ができてご飯が食べられる。


 とはいえ、今回は登山ではなくって、旅だから、そんなに調理道具は持ち歩いてない。雨降ったら素直にホステル、野宿は緊急事態だけなので、タープも持ってきてない。寝袋とマットと、ビービーザックだけ。調理器具は、美味しい珈琲が飲みたいから、ホステルにはないだろう小さなコーヒーミルと、コーヒー豆、小さなアルコールストーブと、なんでもつかえるメスティンだけを持ってる。水はペットボトルは環境に悪いから、ドロメタリーバックっていうウォータータンクを持ち歩く、登山の時は4Lいっぱいにいれるけど、いまは半分いれて、朝昼晩とコーヒーを淹れて飲む。そうすればいつでも挽き立てのコーヒーが飲めて、環境に優しい。


 寝床を作って、太陽電池で充電できる折りたたみの小さなランタンを灯して、眠くなるもをまつ。車の音をかき消すために、音量を落として、優しい音楽をストリーミングの動画サイトから、ワイヤレスのスピーカーから鳴らす。普段、何かをしてるときは、JAZZを架けるのが好きなんだけど、夜も深まったときは、ちょっとチルアウトなローファイのヒップホップが好き。歌モノじゃないから、気が散らない。かといって歌モノが嫌いなわけじゃない。カラオケいって絶唱もするし。ただ詩の内容に気持ちがいっちゃって、聞き流すには辛いときがある。


 さて、眠くなってきた。明かりと音を消して、眠りにつこう。



 車はどんどん高度を上げていく、酸素が薄くなっていくから、エンジンもちょっとした坂でもうなりながら登って行く。SAで乗せてくれた人は、高原でペンションを経営してるオーナさんだった。街にDIYのための工具を買いにいった帰りのところを捕まえた。SAをでて分岐点を曲がって、3つめの出口からハイウエイをでて、高原を目指すバイパスにはいる。下の村と、上の高原のあいだに大きな坂があって、そこを登ると一気に空気が澄んでくる。木々は杉の木から白樺に代わり、そのすき間から雪を山頂にかぶった、大きな山が見える。


 オーナーさんは、自分探しの旅が2年でおわらず、10年以上、性別もあいまいなまま、世界中を旅してきたって話だった。そして、数年前、旅でであった人がパートナー(女性)になったことを切っ掛けに、旅で尋ねた場所のなかで、1番気に入った場所に、旅人が気軽にたずねられる、ホステル風のペンションをつくったんだそうだ。


 彼は、その場所を、「終の棲家」と呼ぶ。初めて聞いた言葉。すなわち、そこで人生を終える場所。産まれて育った場所で、そのまま人生を終える人も多いけど、同じぐらい、産まれた場所を何らかの理由で出ていって、その時の職場やパートナーとの関係で、住むところを、その度に変えていく人たちもいる。 いつかは産まれた場所に戻るんだって、考えてる人もいれば、産まれた場所は何かの理由で誰もいなくなってしまい、帰る場所がないから、自分で終の住処を選ばないといけない人もいる。


 わたしのパパ、ママは、その土地で産まれて、旅をして、また戻って其処に家を建てた。多分ずっと死ぬまでそこにいると思う。でも、わたしは3人兄弟だから、だれかはその家を継ぐ事が出来たとしても、残りの2人は家を出ないといけない。もちろん、継いだ子に少しお金を協力してもらって、近くに家を建てて住む事は出来ると思うけど、そもそも、どんな仕事について、どんな生き方をして行きたいかが見えないことには、住むところも決まらない。その為の旅なんだし、わたしもいつか終の住処を見つけなきゃって強く思った。

 

 オーナーさんのパートナーさんはもういない。ゆっくりゆっくりいなくなっていったって話してくれた。その間、彼はなんにもできなかった。一緒にいてあげること以外は…


 彼は、

「カナちゃんさえよければ、ここに当分いてもいいんだよ。ゆっくり将来を考えればいい。宿代は、スタッフとして働いてくれれば、それでいい、少しお小遣いが残るぐらいは払えるから。」

と、言ってくれた。当面はそのお言葉に甘えようと思うけど、ずっとはいれない。その覚悟がない。


 なぜなら、ずっといるということは、それは彼の新しいパートナーになることを意味するからだ。もちろん年齢も離れてるし、仕事上のアシスタント的なパートナーかもしれないし、ちゃんと仕事を覚えたら、ビジネスパートナーとして認めてくれるかもしれない。


 でも、二人っきりでいるってことは、もっとプライベートな関係に発展する可能性があるってことかもしれない。そうすると、彼は男性だから、わたしは必然的に女性に変化することになってしまう。まだ、自分の性自認がハッキリしないのに、それは無理だ。正直、2年の旅の間でそれをハッキリさせる自信すらない。

 

 わたしはその辺をあいまいにしたまま、オーナーのホステル兼ペンションを手伝うことにした。建物はダブルベットのある個室が4つと、2段ベッドが4つある、バックパッカー向けの混合ドミトリーが1つの合計5部屋。お風呂やキッチン、洗面台は共用で、各部屋には付いてない。でも寒い場所だから、各部屋には薪ストーブがある。朝食は、食べ放題のパンと、コーヒーか、ショコラか、カフェオレがある。昔の言葉でいうとコンチネンタルブレックファーストってやつ。その代わり夕食は、各自で食べてもらう。外食する人たちもいるけど、近所にレストランなんてないし、少し離れた場所にあるスーバーで、簡単な食べ物を買って、キッチンでご飯を作って食べる人が多い。でも気分によってはオーナーが腕を振るまい夕飯を作って、そのまま宴会になることも稀ではない。


 宿にはドミトリーを使うひとり旅の人もいるし、個室を使うカップルや家族の人たちもいる。ホステル併設とはいえ、基本はペンションだから、夕飯が原則付いてないこと以外は普通の宿。家族のひとが来たときは、ギリギリはいるエクストラベッドを2つ部屋にいれて、4人までは一部屋で寝泊まりしてもらえるようにする。


 宿のお手伝いとしてまず教わるのは、薪割り。冬が本格的になる前に、各部屋の薪ストーブにくべるための薪をひたすら作る。できた薪は、裏側の壁沿いに天井に届くまで積み上げて乾燥させる。初めての薪割りはなかなか狙ったところに斧を振り落とせなくって、太いのと、細いのができちゃったりしたけど、慣れてくればちゃんと割れるようになる。。


 薪割りがおわったら、個室のベットメイクと、共用スペースも含めた掃除。ドミトリのベットメイクは借りた人各自が自分でやって、使ったシーツはお風呂の前の籠にいれてもらう。そうやって集まったシーツを洗濯して、太陽に当てて乾かせば、一日のお仕事は終わり。やっぱり、夕ご飯を作らないでいいのは、すごく楽。15時ぐらいには、ほぼ仕事はおわってるので、あとは本を読んだり、お散歩したりする。そして、夕方、シーツが湿気る前に取り込みさえすればいい。


 高原には、なにもないがある。点在するペンション。たまに併設されているレストラン。遠くのほうには学校寮がある地域。いっときブームになったときにできたチープなお土産屋さんの廃墟。標高四千メーターを超える山への登山口。そして感染症の隔離施設しかなかったこの場所に、開拓民が入植し、小さな村ができた切っ掛けになった、教育牧場がある。


 高原は、あまりにも寒いので、基本的に農作物の生育がわるく、高冷地野菜と言われるモノしか作れない。いまでは、隣村に、新鮮なレタスを、街で出来る時期とは違うタイミングで出荷できることを売りにした、大規模農地があるけど、自分がいるところは微妙に傾斜地なので、大規模な農地が作りづらく、基本は牧畜と観光だけが盛ん。耕作地はみたことがない。


 牧場では、普通の牛ではなく、もっと脂肪率が高いめずらしい牛を中心に飼っていて、濃厚な牛乳や、バター、ソフトクリームなんかを売ってる。とはいえ、観光施設ではなく、高冷地牧畜の実験研究施設だから、沢山売ってるわけじゃなく、欲しかったら、結構、朝早くに行かないとすぐ無くなる。大量販売を前提とした生産工場があるわけでもないし。


 この高原は、山を中心にして、北麓と南麓がある。私がいるのは南麓。北からきた、海で湿気を帯びた雲は、北麓にいっぱい雪を積もらせて、湿気がなくなった冷たく乾いた風だけを南麓に吹かせる。だから、南麓は雪が、基本的に積もらない。雪が積もる北麓より、風が冷たい。雪が家の周りに積もって断熱効果があるわけでないので、本当に冷たい。寒いじゃない。冷たい。


 この冷たい風をつかって、薫製を作る。三枚肉やソーセージなどを風にあてて、乾燥させ、生ハムなどを作る。たまにゆで卵とかも薫製するんだけど、これらがたまらなく美味しい。本当にお酒がすすむ。薫製は、発酵とならんでマジックだと思う。


「カナちゃんご飯できたよ!」


 ベットメイクをしてたら、オーナーの呼ぶ声がする。お昼ご飯の時間だ。


「はーい すぐ行きます!」


 と、元気よく返事。とりあえず元気だけが取り柄な子。


 茹でたてのパスタが並ぶテーブルに走って滑り込む。この時間帯はお客さんもいなくって、ゆっくりご飯が食べられる時。

「カナちゃん、そろそろ3年だよね。何か少し見えてきた?」
 あれ、わたしまだ2年だと勘違いしてた。そっか、もう3年になるんだ。本当なら、少し体の変化とか合ってもいいはずなのに、全然その傾向が見えない。相変わらず、中性というか無性。

「前言ったこと、考えてくれた? ずっとここにいること。」

 

 オーナーは、いつもご飯を口にほおばりながら、おしゃべりする。

「うーんと、まだ、答えがみえないんですよねー、大体、体の変化も全然ないし…。わたし奥手なんですかねぇ」

「そうなんだ、こないだそんな感じしなかったけど」


 そう、この話をするのは今回がはじめてじゃない。ことある毎に聞いてくる。ようするにわたしを口説いてるんだと思う。
 実は、オーナーとは何回か関係を持った。お客さんが寝静まった深夜、二人でワインを5〜6本空けて、オーナーの旅の話や、わたしの産まれた場所の話、いっしょに旅を始めた友達からきた手紙の内容とか、いっぱい話した。彼の話はよく聞いてたけど、自分の話をじっくりしたことってそういえばなかった。それはお酒が入ってたからかもしれないけど、自分のことをこんなに他人に話すなんて不思議な体験だった。


 一通り酔った勢いでしゃべっちゃって、そして沈黙の時間が流れた。その間、彼はずっとだまって聞いてくれて、時折うなずいてくれた。黙っちゃうと、酔っ払ったせいか、急にねむくなって、その後記憶がない。気がついたら、彼のベッドに横になっていた。別に裸になってたとかじゃなく、吞んでた時のままの姿で。彼は横のソファーで寝てた。


 アルコールで眠ちゃったときは、かならず中途覚醒する。結局、睡眠時間は短く、、中途半端な時間に目が覚めてしまったので、ぼーっとしてるような、すごく冷めてる感じがするような、でも二日酔いで頭も痛いしっていろいろで、なんか、急に誰かに甘えたくって、そのまま彼の寝てるソファーに潜り込んだ。

 そしたら、彼起きちゃったみたいで、そのままぎゅーってしてくれた。そのまま流れで…みたいな。でも、わたしまだ体かわってないので、そういう行為は最後までできない。ハグして、チューして、そして、あっちこっちにキスされて、それで終わり。でも、それで充分。すこし彼の領域に入れたような気がした。


 そんなことが、何回かあったんだけど、それとて、そんなにセクシャリティなエッチなことをしたって感覚はなくって、むしろ、歳の離れた兄に、頭なぜなぜしてもらった感にちかい。これを続けてれば、もしかしたら私は女の子になったのかもしれないけど、いきなりそうなるわけでもなくって、自分で、こっちにいくんだなって分かってから、2年とか3年かけてからだがかわっていく。だから、もし恋して、だれかに体をあずけたくなたり、あずかったりしたくなったとしても、数年またなければできない。残念ながら。1番気持ちがもりあがってるときにできないんだなぁ。これが…。


 わたしは、昔、奥さんがいたとはいえ、いまはひとりの彼のところにお世話になってる時点ですこし女の子側に振れてきてるのは確かかも知れない。でも、ここは宿なわけで、客室とプライベートゾーンは別れてるとはいえ、キッチンや浴室は共用だし、けっして二人で暮らしてる感はない。でも、まぁ女の子でもいっかって気持ちがないわけじゃないけど、絶対、どうしてもわたしは女の子!みたいな、強迫観念はない。だから、ちゃんと振り切れなくって、女子っぽい中性みたいな中途半端なところでぶらぶらしてる。


 その事を、彼も少し心配してるようで、だからわざと、わたしを抱こうとしてるのかもしれない。多分、彼なりの優しさなんだと思う。でも、女の子になるのと、男の子になるのと、決定的に違うのは、自分の体の中に命を宿すということ。逆に言えば、月末以外の子育てが実質ない私たちの世界では、それ以外に大きな違いはないのかもしれない。


 別に、女の子になって、誰かとの子供を宿してもかまわないんだけど、彼の子を…って考えると、それはないな。決して嫌いじゃないけど、どうしても、歳の離れたお兄ちゃんに見えちゃう。むしろ、あり得るのは、同い年ぐらいの男の子。もっといえば、幼なじみがいいかもしれない。いろいろ最初から、分かり会えてて。でも、今の時点で、だれが男子になって、誰が女子になったかっていう正確な情報がないし、そもそもみんな、故郷ちゃんと帰ったのかどうかも分からない。そんなことを、つらつら考えてたら、もしかしたら、そろそろ帰り時なんじゃないかなって、思い始めた…。



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