せつなにっき。

ねも

私の執筆は正しいのか。

どうもこんにちは。ねもです。

自主企画に参加してくださる方が想定以上にたくさんおられて、とてもうれしい今日この頃です。土日などまとまった時間に読ませていただきます。


ここ最近小説を書き始めたわけですが、みなさんの創作意欲ってどこから湧いてくるんでしょうか。たぶん今の私においては、執筆が生きるための手段というか、生きる=執筆ですね。作品が自分の存在を確かなものにしてくれる、というか。


自分で言うのもなんですが、もともと責任感や正義感が強い性格で、中学二年生からは自分という人間の愚かさや、この世の不条理さに自殺しようとしたり、といったことが中三の一月まで続きました。それが変わったのは中三の二月、ツイッターのバズっていた執筆関連のツイートで、自分もこれならできるかも、と小説を書き始めたことでした。今まで自分の中でたまっていた世界への嫌悪感を作品に吐き出せることが楽しくて、また自分の思慮の浅さにも気づけて成長していける。そんな執筆が好きになり、今ではぼんやりと小説家になりたいなと思ったりもしています。


そんな中最近、執筆について思うのが、「執筆によって自己を成長させていく」としたら、今現在私が書いていることは間違いだらけなのかということです。「正しい」って難しいですよね。個人的に「正しい」には限りがないのかなと思っています。今の当たり前も十年後には異常になるかもしれなくて、個人によっても変わるものですから。なら、私は何を書いているんだろうって。ちょっと自分の思想・行動の愚鈍さに笑ったりもします。


まぁ、それも含めて書いて消して書いて消して、人生の最後に一行くらいなにか書き残せたらいいな、そんな気持ちで書いていこうと思います。


では、今日はこのくらいで。季節の変わり目ですのでみなさん体調にはくれぐれもお気を付けください。明日からも全力の七割くらいで頑張ります。

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