第28話 貴族令嬢VS新宿

「新宿……? 騒がしくて下品な街だこと……」




ベルク


「レバーハーブパテ、ソーセージ&クラウト、ギネス樽生をお願いしますわ」


 注文を出し会計を済ませるマリー。慌ただしい雰囲気あふれる店内で、店員が答えた。


「はーいこちらでお待ちくださーい」


 受け取り口で待つ貴族令嬢。騒乱の新宿駅の中、ビール&コーヒーが売りの店ベルクにて立つ彼女の姿は嵐の中に咲く白薔薇の如く。


「……現場が近かったし早めに上がれたので久しぶりに来てしまいましたわね、新宿」


 新宿、いわずと知れた日本最大の利用客数を誇る新宿駅と、日本最大の繁華街歌舞伎町を持つ眠らない都市である。

 圧倒的な人間の種類と圧倒的なエネルギーが渦巻くこの街はその魅力に引きつけられて様々な作品の題材となった。具体的にいうとガメラやオーラバトラーが来たり魔界になったりする。

 だがこのコロナ禍で、新宿は少し違っていた。


「相変わらず移り変わりが忙しい街だわ……でも、こんな新宿になるものなのね」


 移り変わりは激しい。だがいままではなにかが無くなれば何かが入ってくるはずだった。入ってこないのだ。日本最大の喧騒都市の場所の空きが目立ってきている。

 まあそれでも変わらないところもあるのだが。


「しかしベルクは相変わらず凄まじい店内ですわね……これ店のファンがつくったのかしら?」


 新宿駅にあるベルクはさほど広い店舗ではない。それでも新宿内の店としては広めなのだが。

 ベルクは新宿駅東改札駅から徒歩5分ほどにある駅内のビール&コーヒーハウスである。

 特色は様々なメニューを手作りすることにより高品質を低価格でだしてくること。その実直な営業姿勢に根深いファンが多い。

 店先にはメニューの紹介の他に店オリジナルのTシャツまで売っている。 

 さらに店内にはなんと店員ではなく客の描いたポップや店の紹介文がところ狭しと並んでいるのだ。なかなかの圧巻である。

 


「ベルクの立ち退き問題は有名な話ですわねー…大企業相手に小さなビアショップが一歩も引かず、多数のファンからの署名を集め対抗し店の営業を守ったという逸話、このわたくしも思わず敬意を表しますわ」


 勇気あるものには敬意を。それが貴族の矜持である。


「ハムもソーセージもパンもみな手作りなのね……こういう徹底したところがファンをつくるのかしら」


「はいお待たせしましたお客様ぁー」


「あ、はいはい私です私です」


 △ △ △


「ふぅ、客が多いから席を取るのに苦労しますわねぇ……」


 客が少なめの時間帯を狙ってもこの有様である。コロナ禍など関係ないのだ。

 席につき、マリーは自らセレクトした品々を見つめる。


「この店は手作りのものが数多いですがとりわりその第一の顔といって良いこのソーセージ、粒マスタードを山盛りにしてまず一口……」


 丁寧かつ優雅にマスタードを塗って、野性的にかぶりつく。パリっとした音が脳内を直撃。やはりこの食べ方がいい。


「溢れ出す肉汁と肉の旨味のスプラッシュに、このギネスビールを合わせれば……」


 グビリと、ギネスビールを煽った。濃厚と泡と、軽やかな味わいが肉の旨味を引き立てる。


「ダンケ……ダンケシェーン…!!」


 感謝……! ただただ圧倒的感謝……!


「そしてザウアークラウト、キャベツの発酵漬けの酸味と食感で口の中をリフレッシュ……これは無限に食べれますわ!」


 本場ドイツ人オススメの食べ方である。止まらなくて当たり前だ。


「次にこのレバーパテ。こちらもベルグ手作りの逸品。香り高いライ麦パンと合わせれば……」


 口の中にはじける旨味とライ麦の香り。


「噛み締めれば、臭みなくハーブの爽やかな香りとレバーの旨味が広がる……そしてギネス…!」


 止まらないビール、新宿駅にドイツが出現した。


「旨さのXYZですわ……! 新宿だけに!」


 貴族令嬢はシティでハンターしてたりする作品のファンである。

 ムシャムシャと食いグビグビと呑む。しっかりと食べ飲むことが明日のためのパワーを生む。力、力こそパワー。それが貴族だ。


「ふぅ……思わず堪能してしまいましたが、まだ行きたい店がありますからセーブしておきましょうか…あ、、そうだアレ頼んどかないと」


 新宿は広い。まだまだ貴族令嬢には行きたい場所があるのだ。コロナなど知ったことか。

 貴族の自由は誰にも止められない。


「ブレンドコーヒーひとつお願いしますわ」


 コーヒー、これもベルクの名物である。眠らない都市、新宿の住民の目を覚まし続けた逸品だ。


「これもベルグ手作りのコーヒー。これを堪能しないと出ていけませんわね」


 △ △ △



「しかし新宿もしばらくいってないとすぐに様変わりしますわねぇ……」


 白のドレス姿がトボトボと新宿の街を行く。たしかにここは新宿である。人通りは多い。だが、それは他の街と比べてみた場合にすぎない。例年と比べて明らかに活気が減っている。

 マリーが今歩く南口付近の都庁近くは歌舞伎町と比べ元からそれほど人は多くないのだが、それでも去年と比べ減ったように見える。なにより、少し裏側にいくと空き店舗が目立つ。


「歌舞伎町側はともかく、南口側も結構店が変わってますわ。コロナの影響かしら……」


 南口付近は歌舞伎町ほどの入れ替わりの激しさはない。ないはずなのだが。


「でもあの店はまだ営業していると信じていますわ……」


 これからマリーが目指す店は、マリーの新宿の魂の故郷と呼べるかもしれない場所だ。


「わたくしが新宿でトンカツを食べるなら、あの店しかないのだから……」


 南口からしばらく歩き、都庁前の裏路地に入る。そこにはマリーの求めていた場所がある。


 豚珍館とんちんかん


「ほらやってた」



 △ △ △


「お一人ですわ」


「はいいらっしゃいませ! こちらへどうぞ」


 二階への階段を上がる。店員が愛想良く出迎えた。

 席に着きながら、一息つく。


「お昼休みの少しあとだから空いていて良かったわ。昼はほんと込み合ってて落ち着かない店だから……」


 豚珍館は都庁前の有名トンカツ屋である。昼頃は客でごった返しまさに地獄の戦場と化すのだ。


「それだけ人気がある店だから仕方ないのですけれど。ライス豚汁お代わり自由ですものね」


 もちろん味もいい、だがコスパも最強なのだ。


「ロースカツ定食、それと瓶ビール。ごはん後で」


「はいわかりましたー」



 △ △ △


「はいロースカツ定、あと瓶ビールっすね」


「来ましたわぁ。まずは……瓶ビールを飲んで一息」


 興奮を鎮めるために、ビールに頼る。ギネスの後のスーパードライもまた乙なものだ。


「ひさしぶりに拝みましたわね…いつ見ても……分厚くデカいカツですわ。新宿のパワーを感じますわねえ」


 それは分厚く、大きく、あまりにこんがりと揚がっていた。カツと呼ぶにはあまりに大きすぎる。


「……世間ではやれトンカツを塩で食えデミソースで食えというのがブームらしいですが、わたくしそのような浮き足立ったものに興味はございませんの」


 貴族令嬢は不器用な生き物である。浮ついた時代の流行に合わせることなどできない悲しい生き物なのだ。


「トンカツには昔からこの備え付けのドロドロのソースをザブザブかける一択しかありませんわ!!! ここは辛口と甘口があるからブレンドしてかけるのがわたくし流!!」


 ザブザブと、本能のままにソースをぶっかける。そして辛子を添える。


「キャベツには豚珍館特製のドレッシング!!」

 

 ここの隠れた名物である甘辛いチリソースドレッシングは、キャベツ千切りとの相性は抜群である。


「そのまま突撃!!」


 ガブリと肉片食いちぎる。


「この分厚いトンカツが、驚くほどに柔らかい…! 昔から通っていますが、この値段でこのレベルのトンカツはそうそうお目にかかれませんわよ!!」


 貴族令嬢はトンカツにうるさい。高貴なる貴族ならばトンカツについて深く語ることができる程度は当然の教養である。

 寿司や焼き肉のように、トンカツもまたディープな世界観がその衣の中に無限に広がっている。

 肉はロースかヒレか牛か豚かという初級者向けから始まり、揚げ油に植物油やラードを使うか、二度揚げか、衣は生パン粉か乾燥パン粉か。無限の選択肢から最適なカツをビルドするためのルートを探すのだ。揚げたカツをカツ丼に使うのかカツカレーに使うかでもやり方はまた変わってくる。

 

 トンカツを舐めてはいけない。


「そこにビールで追う!」


 カツにビール。誰が止められるのかこのタッグを。


「エレガンツッッ!!」 


 カツ、ソース、ビール。答えられない快感。


「これが豚が食えて酒が飲める国に生まれた者のみが噛み締められる幸せですわ……!!」


 特定のものが食べられない宗教、酒が飲めないという教え。これらはマリーにはどうにも理解できないものであった。


「さらにトンカツの端、脂身のところと白飯でフィニッシュを目指す……!」


 トンカツの一番うまいところである。脂こそ旨味。脂こそ強さ。


「トンカツは国の宝ですわ…!!」


 △ △ △


「ありがとうございましたー」


 店員に見送られ、裏路地を歩く。まだ日は高い。


「ふぅ……新宿のトンカツ。ひさびさに堪能しましたわね。やはり私には雑居ビルの狭間にある豚珍館のカツが合っていますのよ……」


 マリーは新宿の空気が好きだった。ドライなようで、様々な人間を受け入れる大らかさがある。大宮のような雑さとはまた違った魅力。


「それにしても十年前からほとんど値上げしてない…すごいトンカツ屋ね……」


「さて、腹もほどほどにくちてきたしどこか立ち飲みやかそれとも……」


 それとも、なにをしたいのか。どうせなら新宿にしかない店に行きたい。


「うーんと、……なにか麺が食べたいわねぇ」



 新高揚しんこうよう



「地下一階というなんだか秘密基地みたいな立地のラーメン屋なのよねぇ」


 トントンと階段を下りると、店があった。


「はいいらっしゃいませ」


「一人ですわ」


 マリーはカウンターにゆっくりと腰を下ろした。


「この新高揚はパイクーメンなどの豚や鳥の揚げ物を載せたラーメンがウリの店……なにげに創業昭和57年からの新宿では老舗な部類の店なのよねぇ」


 ラーメン屋の流行り廃り、移り変わりは速い。長く続けられるということかそれはすごいことである。


「……でも先ほどはトンカツを入れてしまったので」


 今胃の中にはソーセージとトンカツが入っている。これは冷静に状況を考えねば。


「あっさりとこのぱいくーめんの麺少なめにしましょうか」


 貴族令嬢の胃腸はエレガントであった。



 △ △ △


「はいぱいくーめん、麺少なめおまちどうさまです!」


「きたきた」


 間髪入れず箸を割り、麺をすすり込む。そして揚げ豚をかじった。


「うっめ! やっぱ豚の揚げ物にあっさり醤油ラーメンの組み合わせ最高ですわぁ!」


 ハフハフと、ズルズルと、貴族令嬢の箸は止まらない。


 △ △ △


「まいどありがとうございましたー」


「……ちょっとさすがに食べ過ぎたようね、若い頃はこれくらいはいけたんですけれど」


 ウップとなるのを抑える。マリーは高貴なる身分、人前でそのような下品を晒すわけにはいかない。


「しかし、歌舞伎町側と比べると南口側はまたゆっくりしてるほうなんですけれど、かなり昔と変わってますわねぇ……」


 マリーが昔歩いていた新宿都庁前は、まだもう少しのんびりしていたような気がする。


「あっちには昔は鬼太郎の妖怪ハウスみたいなタヒチコーヒーとカレーの店があったんですけどもう跡形もないですわ……タヒチコーヒーにラム酒入れ放題だった面白い店だったのに」


 なんでも中野に移転したらしい。


「昔は変わることにわくわくしたのに、今は少し寂しいと思ってしまいますわ。これが大人になるということかしら……」


 生きることは変わるということ。ならばなにかが変わるたびに覚えることの感傷は、生きているということの傷跡なのか。

 マリーの胸中の問いに、答えるものはない。眠らない街は今日も変わり続ける。


「~♪ ~♪」


 シティがハンターしたりする新宿が舞台の例のやつのエンディングを口ずさみながら、令嬢は新宿を歩いた。

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