第3話 貴族令嬢VS焼き鳥屋

「まあ、こんな煤けたところで一般庶民の方々はお食事をするというのですか……この、焼き鳥屋というものは……?」




「チューハイ、鳥皮ポン酢、塩キャベツのスピードトリオを注文し、串ものを一考する……これが戦術というものですわ」


 ジョッキを傾けながら、茹でタイプの鳥皮ポン酢を摘まむ。オニオンスライスとポン酢、皮の旨味を堪能しながらチューハイで喉を潤していく。

 座る席は運良く角席をキープ出来た。しかも特等席で店主の大将が鳥を焼いている所を見られる。

 必然的に、マリーのテンションも上がる。


「ここの鳥皮ポン酢は茹でタイプ、ぷるりとした食感は揚げたタイプの鳥皮ポン酢とはまた違う味わい。こちらのほうもわたくし、好みですわ」


 合間にかじる塩キャベツ。小気味よく響くポリポリとした音。


「大将、豚バラにレバー。あといかだを。全部し、いえ全部タレで。あとそれからチューハイもう一つお願いしますわ」


 酒飲みならば串ものは基本塩だ。だが今日のマリーはどこまでもタレで行きたい気分だった。この店は安めながらもタレを自作する本格派だ。


「豚バラ……脂とタレの当然のベストマッチ……」


 そしてすかさずのチューハイ。脂を流し込む快感。


「レバーは新鮮……さすがですわ大将」


 臭みもクセもない。純然たる内臓の旨味の後に、炭火の香ばしさが嬉しい不意打ちをかける。


「昔の立ち飲み屋では串もののタレは素材の悪さや臭みを抑えるためのごまかしとして酒飲みからは忌避されたもの……ですが今はもうそんな時代でもありませんわ」


 酒飲みは甘さを嫌う。甘ダレや味噌ダレの甘味は仇のように嫌われた時代もあった。だが、マリーは今日は、そして今日も自由にありたいのだ。


「たまにはこうしてタレに堕ちる日も良し……そして手羽を開いた串もの、通称いかだ……普段は手羽は塩が最善と思っていましたが、タレもよろしゅうございますわ」


 ハグハグと骨から肉を剥がす。脂、肉、タレの旨味がいっぱいに広がりそれをやはりクピクピとチューハイで流す。


「ふぅ……ゴールデンウイーク中の仕事、やはりありませんでしたわね」


 またも日雇いの仕事が途切れた。

 今日は何も考えたくはないから、こうして飲みに来ているのに。


「い、いけませんわ……今を享楽するのが貴族たるべき姿勢。大将、皮とつくね。あとボンジリ。それからもっきりをくださるかしら。〆張鶴で」


「あいよ」


 小気味よい大将の返事。目の前で升の中のコップに日本酒が注がれていく。溢れた酒を升が受け止める。


「まずはお口からお迎えして……」


 並々と注がれたコップを持ち上げることはできない。口を近づけて酒を減らす。


「ぷっはぁ……次にコップを持ち上げて、升の中身をコップに注ぐ」


 慎重に、こぼさずように、漏らさぬように、一滴残らずコップへ。

 マリーの顔は、職人のように酒杯を見つめていた。


「ふぅ……このもっきりの呑み方を知らなかったころは少々恥をかきましたが、今はもう完璧ですわ」


 貴族たるものあらゆる場のあらゆる礼儀作法に通じねばならない。作法を知らず恥をかくなどあってはならないのだ。


「ここのつくねは軟骨がなくその分ふわふわの食感に重きを置く……大将の流行りに迎合しないその感性に乾杯……」


「あ、焼き鳥きたぁ! 私串から外しますね!」


 向こうのテーブルの団体から、黄色の声。若いOLらしき女性が、運ばれてきた串の盛り合わせから串を外している。


「こーすればみんなで食べられますからぁ」


「……っふ」


 離れた所でその様子をみつめるマリーの目は冷たい。


「串ものは串に刺さっているのが完成形……あのように外すなど店への侮辱ですわ」


 ボンジリの脂を楽しみながら、不作法者を批判する。


「そうですわよねぇ、大将?」


「へぇ、私としちゃお客様においしく食べていただけるならどんな食べ方でも別によろしいですよ」


「そ、そうですわよねぇ、さすが大将さんですわ、お、オホホ! あ、締めに焼きおにぎり一つ……」



 △ △ △


「ふぅ、わたくしとしたことが焼き鳥の食べ方一つでなにをそんなに熱くなっていたのかしら」


 トボトボと、外を歩く。日はくれて月がでていた。


「こんなことではダメね、貴族たるものもっと冷静に……?」


 道端に、倒れる人影があった。

 豪奢な貴族服と、整えられたヒゲ。それでも全体はどこか煤けている。そして握りしめられたワンカップ酒。


「大公殿下! オーギュスト大公殿下様ではありませぬか!」


「う、ぬぅ、君は……伯爵家の……」


 大公と呼ばれた初老の男は、マリーの助けで立ち上がる。


「二年ぶりですわね大公殿下……また馬が負けましたの?」


「うぅむ、第五レースが来れば今頃君に寿司を奢れたのだがな……すまぬが三千円ほど……用立ててはくれぬか」


「それぐらいなら構いませぬが、あまり遊びすぎますと奥方様が怒りますわよ」


「あれとは半年前に別れた。三度目の馬の借金がバレて離婚を言い出されてな」


「……そうですか、それは悲しいことですわね」


「これも身からでたサビだ。仕方有るまい」


「大公殿下。家までお送りします」


「すまぬ、すまぬなマリー君」


 無言で、大公殿下に肩を貸す。二年前に見たオーギュストは、もっと大きいと記憶していたが、肩を貸すと体重の軽さに少し驚いた。


「大丈夫ですわ殿下。ほら月が綺麗」


 指差す先は満月。ウイルスで開く店がほとんどない暗い街を、月の光だけが照らす。オーギュストは、こけた頬で笑った。


「ああ、月が綺麗だ。月だけは、いつも綺麗だな」

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