カレー彼女トリロジー
菅沼九民
大野さんはまぜまぜしたい
ある夏休み。僕は大学の研究室で仲の良い連中と、コテージを借りてキャンプをした。
キャンプの夕飯といえばカレーと決まっている。僕たちもご多分に漏れずみんなでワイワイカレーを作った。
僕がカレー中毒者であることは、研究室では周知の事実であった。
僕は率先して調理に加わり、最後の盛り付けは全て僕が行った。
カレーの盛り付けにはこだわりがある。僕はルウとライスを美しく皿に盛り付けることに命を賭けた。
その時、僕は一生懸命にカレーを盛る僕を浮かない顔で見ている女の子の存在に気づいていなかった。
無事、カレーを盛り付け終えると、僕は仲間たちが待つテーブルに皿を運んだ。
カレーを待ちわびていたみんなが歓声をあげた。
「よし!みんな存分に食え!」
みな一斉にカレーを食べ始めた。ただ一人を除いて。
僕はみんなが美味しそうにカレーを食べる様子をしばらく眺めていたが、一人の後輩が浮かない顔をしているのに気づいた。
「どうした大野?食べないのか?」
大野は少しうつむきがちにカレーを見つめていた。
「い、いえ」
大野は小さく手を合わせたあと、やはり小さな声で「いただきます」といってスプーンをとった。
しかし大野のスプーンは宙をかくばかりで、一向にカレーをすくおうとしない。
大野はキョロキョロとして落ち着かないようだ。どうにも挙動不審だった。
「カレー、嫌いか?」
「そ、そんなわけありません!大好きです!」
大野の顔が少し赤くなっているのが薄闇でもわかった。彼女は明らかに何かを我慢していた。
大野がスプーンをカレーの上をくるくると漂わせているのを見て、僕はある仮説にたどり着いた。
まさか、大野が?いや、ありえないことではない。僕はこれまで大野がカレーを食べるところを見たことがないのだから。
「大野。体調が悪いなら先にコテージに戻ってろ」
「え?」
大野は戸惑いの表情を浮かべ、僕とカレーを交互に見ている。周りからも大野の体調を案ずる声があがっている。
僕は大野だけに聞こえるように言った。
「大丈夫。あとで部屋にカレーを持っていくよ。──それなら食べられるだろ?」
大野が息を呑むのが分かった。
「木下!悪い、大野が体調悪いみたいだから部屋に連れて行ってやってくれ」
僕は大野と仲のいい女子を指名し、付き添わせた。
夕飯の片付けが終わると、みんなは花火で遊び始めた。
今日は近くで花火大会があるらしい。打上花火が始まるまでの時間つぶしだ。
僕はもう一度火を起こし、カレーを温めた。ライスは冷めてしまったが、問題ない。
ルウとライスを今度は敢えて雑に盛る。これは僕のポリシーに反する。断腸の思いだが、こうしなければ大野をいたずらに苦しめることになる。
僕はカレーを持ってコテージに帰った。
部屋に入ると大野と木下が二人で人生ゲームをしていた。
大野は見事一文無しになっていた。
「ありがとう木下。あとは僕がついてるから花火してこいよ。打上花火もそろそろ始まるぞ」
木下を追い出すと、僕はカレーを大野の前に置いた。
「さあ、好きに食べなよ。誰も見てない」
「で、でも」
「僕のことは気にするな。誰にも言わないよ」
「先輩……」
大野には僕が気づいていることは伝わっているはずだ。しかし、まだ迷っている。スプーンをくるくるさせている。
僕はいい加減じれったくなって、彼女からスプーンを奪い取った。
「あっ!」
「大野がやらないなら僕がやるよ」
僕はスプーンでカレーをかき混ぜた。ぐるぐる、ぐるぐる。ルウとライスがまんべんなく混ざるまでかき回した。
「これでいいか?」
「ーーっ!!」
大野は両手で顔を覆っていた。指の間からのぞく肌が夕陽のように真っ赤だった。
「ぜ、ぜったいに……ぜったいに秘密にしてくださいね!!」
「まあ、ちょっと意外だけど……いいと思うよ」
カレーを食べるときにルウとライスをまぜまぜして食べたい、という人が一定数いることは僕も知っている。
「よくありません!小さい子供みたいで、恥ずかしいです……」
「確かに小学生男子みたいだな」
「うぅ」
大野は今にも泣きだしそうだった。羞恥心が限界に達したのかもしれない。長いまつ毛が湿っている。
「ほ、ほら!冷めるから早く食べろよ」
僕はスプーンを大野に返した。大野はやっとカレーを口に運んだ。
「……おいしい」
「だろ?」
大野は凄い勢いでカレーを食べ始めた。やはり腹が減っていたようだ。
気づくと僕は幸せそうにカレーを食べる大野に見蕩れていた。
「……カレー、好きなんだな」
「はい、大好きです」
──僕もだよ
僕の告白は打上花火の音に掻き消えた。
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