図書室の少女

空乃 夕

第1章

第1話 図書室に現れた美しき少女

 静まり返った校舎に西日が差し、胸を締め付ける物寂しさを抱く。一日が終わりへ向かおうとしていた。

 少年は開いていた本を閉じ、時計をちらと見た。

 図書室を閉めるには、まだ少しだけ早い。森閑とした部屋を一巡り見渡して、身の回りの整理をし始める。

 今日も図書室を訪れる者はほとんどいなかった。スマートフォンなどが、読書離れに拍車をかけているのだろう。クラスでも、本を読む生徒はほとんど見られない。その代わり、大概が恋愛話や先生や親の愚痴を言い合って、時間を浪費していた。

 それに加えて、近所に大きな図書館があることも、この図書室に人が集まらない理由でもあった。

 風が吹き始めた。

 意識が窓の外に向く。

 窓から見える木が風で揺れる度、少年は見知らぬ遠い場所に来たのではないか、という錯覚に陥る。

 手にしていた本を落とした音で我に返る。心臓が音を鳴らす。それを落ち着けるように本を拾い上げ、鞄にしまう。

 平静を取り戻した心臓は、再び鳴動を始める。

 少年の目の前には、少女が一人、立っていた。

 その少女の綺麗で長い髪、透き通った目に少年の心臓の鼓動は、さらに鼓動を鳴らす。

 何時入ってきたのだろうか。

 そこに人が立っていたことと、その美しさへの驚きはまだ治らない。

「あ。えっ」

 素っ頓狂な声を出してしまったと、少年は顔を赤くして下を向くと、少女は、そんな少年の様子を気にせず、

「もう閉める時間だったかな」

 と問いかけた。

「あっ。いえ、まだ少しあります」

 驚きを隠せず、たどたどしい口調で少年は答える。

「そうなの。帰り支度してたみたいだから、もう閉めるのかと思ったんだけど」

「いえ、すみません。誰もいないかと思ったので、閉めてしまおうかと」

 少女の様子を伺う余裕を取り戻した少年は、少女の上履きの色から、三年生であろうことに気づいた。

「あっ、でも、まだ大丈夫です」

 慌てて肩にかけている鞄を床に下ろす。

「ありがとう。でも、今日はいいや。また日を改めて来るね」

 忙しない少年の様子を窺って、少女は落ち着いた透き通った声で言った。

 充はその声を聞くと、今いる場所が異郷の地であるように思われ、不思議な懐かしさと寂しさとを感じた。

「そうだ。名前は何ていうの?」

 去り際に少女は、ふと思いついた様に充を顧みて優しく尋ねた。

「小林、みつるです」

 少しだけ俯き加減で答える充の顔を覗きながら、少女は答える。

「そう、小林君ね。よろしく。また今度来るから」

 優しく、しかし力強くそう言うと、少女は図書室を後にした。

 理由はわからない。しかし、それでも充は直感的に、少女の後を追わなければならないと感じ、急いで図書室を出た。

 しかし、既に少女の姿はなかった。

 一体どこへ消えたのだろうか。近くを探してみたが、少女の姿はどこにも見られなかった。

 少女が図書室を出てから、何秒も経っていない。その僅かな時間で、姿を隠せるような場所などないはずだ。謎が深まる。

 少女が別れ際に言った「また今度来るから」という言葉を、充は頭の中で、何度も何度も反芻した。その反芻が塊となって渦を巻く。今起きたことは全て現実ではないように感じられた。あの少女はそもそも存在していなかったのではないか。

 充はそこまで考えて、我ながら馬鹿馬鹿しい考えをしたものだと呆れた。空想なはずがない。確かに言葉を交わした。あの息遣い、空気感、言葉の一語一語に重みがあった。

 彼女は確かに存在していた。そのはずなのに、薄れていき、存在ごと綺麗に消えて無くなってしまったのではないかという気が脳裏を掠めて離れない。

 なぜ、ついさっき出会ったばかりの少女にここまで惹かれるのか、充には分からなかった。

 友達と呼べるような人は一人もいない。特別勉強が得意なわけでもない。充は、ただ退屈な時間を、読書で埋めていくだけの高校生活にうんざりしていた。

 そんなときに突然目の前に現れた少女によって、自分が大きく変わる気がしたのかもしれない。或いは、美しくも、その存在を疑いたくなるような儚さに惹かれたのかもしれない。

 充は、少女の幻影を追いかけるように学校を後にした。

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