おおー!
貴重だよ、それ。
防空壕とか、運動場が芋畑になったとか、勉強はしなくても良かったとか、の話だろうか?
それとも、B29の話とか、空襲の話だろうか?
なんにしても肉声は一番。
でもね、太平洋戦争前は、子供も大人も戦争をしろって、戦争熱が物凄かったんだよね。
お年寄りでそのことを話してる人を見たことが無い。
私はどうもね、多くの国民が戦争を望んだって言うことを、戦争が終わったらしゃべらなくなってるっていうのがね、とても不気味なんだよね。
戦争の定義っていうのは、紛争を解決する一手段だとされているんだけど、今はどうなっているのだろうか?
学校では習わないかい?
私はそう習ったのだけど。
戦争=侵略のため、とすぐに思い浮かんでしまうのは日本人の幻想、刷り込み、悪く言えば洗脳だと思う。
その辺今どう習っているのか、私は知りたいよ。
作者からの返信
私の祖母は終戦時7歳で、満州にいたそうです!!
・裕福に暮らしていた、お手伝いさんもいた
・伯父が軍医としてルソン島に行き、若くして亡くなった
・学校では毎日空襲警報が鳴り、勉強した覚えはない
・近くに空軍基地があり、特攻隊の隊員の方々が家に集まり、最後の飲み会のような会が毎晩行われ、子供ながらに接待のようなことをした
・食事はこうりゃんのごはん、キムチ、りんご、さつまいも
・終戦時、特攻隊員の方々が日本が負けたと号泣しているのを見て、ホッとしたのを覚えている
・朝鮮の人々はその日から態度が変わり、日本人は危険を避けるため夜の外出が禁止となった
・帰国する時、トラブルを避けるため年長のお姉さんたちはみんな髪を切り男装した
だそうです!
そうですね……軍国少年が戦後は日本に対し批判的になったり、帰ってきた軍人を腫物のように扱ったり……民衆思想の急激な翻り?というのがかなり目立つ印象がありますね。「共同幻想論」を読むとこの民衆思想の変化の理由がわかるかもしれないとお聞きしました!!!私はまだ読んでません……
「戦争の定義」を教えられた記憶がありません!!ごめんなさい!!
種類とか宣戦布告→講和のルールは教えられた覚えがあるんですけど……とにかく、「戦争は絶対してはいけない」「みんな不幸になる」ということだけは熱心に教えられました。
まさかのコメ欄w
風鈴ちゃんのとあわせて一個にまとめれば良いのにw
ウケたw
作者からの返信
そうですねwまとめれば良かった〜〜!!!!