241.

「お待たせ……ごめん、お話中だった?」


 昇降口に彩織いおりを見つけたから声をかけたけど、誰かと話している最中みたいだ。タイミングが悪かったな……。


れいちゃん! 全然! 気にしないで。……じゃあ、もう帰るから」


 私に気付いた彩織が慌てて話を切り上げるものだから、話していた相手になんだか申し訳なくなってくる。一体、彩織は誰と——


「お迎え来たんだ。良かったね。神田さん、また明日」

「ん、バイバイ」


 私に向かって駆けてきた彩織を抱き留めつつ、さっきまで彩織と話していた男の子に目を向ける。

 すらりとした体付きに端正な顔立ちの男の子。所謂、塩顔イケメンってやつかもしれない。前にテレビで見た気がする。


「何見てるの?」

「え? ……いや、なんでもないよ」

「……? 変なの。帰ろ?」


 彩織は困ったように私の顔を見ていたが、視線の先にさっきの男の子がいることに気付いた途端、強引に私の腕を引いた。


「羚ちゃん、帰ろうってば。これからどんどん雨が強くなるんだって」

「ん、分かったから引っ張らないで」


 半ば引きずられるようにして昇降口を後にする。彩織の強引さに驚きつつも、その必死に私の腕を引く姿を愛おしく思う。

 ……独占欲、なのかな。私がじっと男の子を見ていたのが気に入らなかったのかな。



「…………」

「じゃあ、車出すよ?」

「うん」


 車に乗ってからの彩織はすっかり借りてきた猫のようになってしまった。ちょこんと隣に座り、窓の外を見ている。

 だからさっきから車内には雨音しか聞こえない。ざあざあと変わらず振り続けている。

 途中、ラジオでも流そうかと思ったけど止めた。多分、雨音で上手く聞き取れないだろう。



「どうしたの。なんかあった?」

「……別に。何もないよ」

「何もってわけないじゃん。なんで機嫌悪いの?」

「…………」


 信号で止まっているうちに話しかけてみたが、一瞬で会話が終わってしまった。

 というか、女の子の何もないよって言葉は、絶対何かあると思うんだけど。いつも大体そうじゃん。


「嫉妬?」

「……違うもん」


 図星だったせいか、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。せっかくこっちを向いてくれていたのに。


「あのね。……嫉妬したいのはむしろ私の方だからね?」

「……え?」


 思い切って私の正直な気持ちを話してみる。さっき男の子をじっと見ていたのは決して見惚れていたからじゃない。ああ、本当なら彩織もああいう子と……って思っちゃったんだよ。


「さっきの男の子と仲良さそうだったから……。学校で同い年くらいの子に告白されて、彩織がそのまま付き合っちゃったら嫌だなぁって思う。……うん、すごく思うよ」


 まさか私がそんなことを言うとは微塵も思っていなかったようで、彩織はポカンと口を開けたまま固まっている。

 その珍しい表情をもっと見ていたかったが、目の前の信号が青に変わろうとしている。残念だ。


「え、待ってよ。今の話、もっとちゃんと聞きたい」

「今はやだなぁ。運転に集中させて」

「わ、分かった!」


 途端、彩織は背すじを伸ばして、さっきよりも大人しく借りてきた猫になった。ちらりと盗み見ると両手を膝に置いて、入学式か何かみたいだ。

 別に座り方は楽にしてて良いんだけどね? 面白いから言わないけど。





「……っふ。ふふふ」


 次の信号で止まった瞬間、とうとう我慢出来ずに吹き出してしまった。


「ちょっと、なに? せっかく真面目に座ってたのに!」

「いや、だって……ふふふ……!」


 一度笑い出したら止まらない。久しぶりに声を出して笑ってる、私。だって面白かったんだもん。

 彩織が顔を真っ赤にして抗議してくるまで全く笑いは収まらなかった。久しぶりにこんなに笑ってお腹が痛いよ。楽しいけど。





「帰ったら何する?」

「とりあえずお風呂かな。羚ちゃんはもう入った?」

「うん。もう入っちゃった」


 ひとしきり笑い終えた後は、なんてことのない会話。今日の夕ご飯は何か、家に帰って何をしようか。そんな緩い会話が続く。


「宿題は?」

「さっき終わらせてきた」


 ブイっと指を立てて、彩織は屈託ない笑顔で笑う。そのための居残りだったのだろう。偉い。


「偉いね」

「後で頭撫でて」

「ん」


 この頃、彩織はやたらと頭を撫でて欲しがる。また子ども扱いしてって怒るかと思っていたけど、案外そうされるのが好きだったみたいだ。



「さっきの男の子は同じクラスの子?」


 聞くのは止めておこうと思っていたけど、今なら聞けそう。そう思ってつい口にしてしまった。


「うん。今年初めて同じクラスになった子」

「仲良いの?」

「うーん……よく分かんない。仲良くした記憶はないんだけど、向こうが話しかけてくるの。嫌いじゃないけど、ちょっと苦手かも」


 苦手だなんて言うとは思わなかった。てっきり普段から仲良くしているのかと。


「苦手なの?」

「なんかキラキラしてて気後れしちゃう……」

「ああ、そういう……」


 彩織が言いたいことはなんとなく分かる。キラキラしているというか、なんというか。クラスの中心って感じ。


「羚ちゃんが心配するようなことは何もないからね。むしろ、羚ちゃんが迎えに来てくれたから一緒に帰らなくて済んだし」

「それは良かった……?」


 ぴしゃりと言い放つ彩織を見て、あの男の子に向かって思わず心の中で両手を合わせた。


「また迎えに行こうか? こういう雨の日とか、遅くなる日とか。一人で帰るのは何かと危ないし」

「羚ちゃんが迷惑じゃないなら」

「迷惑じゃないよ。前からずっと迎えに行きたいって思ってたの。帰りが遅くなる時は遠慮なく言ってよ」

「……うん」


 ……やっと言えた。これで次からは難しいことは考えずに迎えに行ける。

 ずっと心配だったんだ。バイトで遅くなる日とか、勉強で遅くなる日とか。

 今までずっと、来ないでって拒絶されるのが怖くてずっと言い出せなかった。


「……じゃあ、今度お願いしようかな。また学校に残って勉強することがあると思うんだ」

「今度ね、分かった。迎えに行くよ」

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