211.

「えっ!」

「マジかよ!」


 私も多井田おいださんも全く気付かなかった。気付けるわけもない。私たちはその人の外見を知らないんだから……!


「名古屋に着く一個手前の駅を過ぎたあたりだったかな……」

「な……なんで言わないの!」


 私たちに言ったってどうにもならない。そんな表情で小野寺おのでらさんは首を横に振った。


「何かしてくる気配もなかったし、近づいてくる様子もなかったから一旦は様子見、かなって……」

「そりゃそうだけど……もしものことがあったら危ないじゃん」


 一体何のために私たちが付いて来たのか。もはやその意味が危ぶまれてしまう。


「でもさ、こういうのってちゃんとした証拠がないと、言いがかりだって言われちゃうでしょ?」

「う……それも確かにそう……でも……!」

「そう。だから、ちゃんとしようと思って」


 そう言うと小野寺さんは意味ありげに笑った。なんだ……?


「小野寺さん。一体何を——」

「……しぃ。私の右後方。見える? マスクした男の人がいるでしょ?」

「…………いるね」


 気取られないようにゆっくりと背後を盗み見る。小野寺さんの言う通り、確かにそこにいた。飲食店でマスクだなんて逆に怪しい。


「あれ、か……? 小野寺さんの知ってる奴なのか?」

「間近で顔を見たわけじゃないので確証は持てません。でも思い当たる節はあります」


 どうやら小野寺さんにはある作戦があるようで、それを私たちに手伝ってほしいらしい。

 ……危ないことじゃないなら構わないけど、大丈夫なんだろうか。


「じゃあ早速、作戦を教えるね。まずこの店を出て——」












「だ、誰だ! その男は!」


 お店を出て数分、例の男は小野寺さんの横に立つ多井田さんに食って掛かる。


「それはこっちのセリフですよ。……お前こそ誰だ?」


 冷静に、だけど厳かに。いつもとはまるで違う態度で多井田さんは言い返した。


「うるさい! 関係ない奴が出しゃばるな! 俺はお前に聞いているんじゃない。ひかるちゃんに聞いてるんだッ!」


 どうやら男は錯乱しているようで、その拳はわなわなと震えている。


「……あまり近寄らないで貰えますか? 燿が怯えてます」


 燿。多井田さんがそう呼んだ瞬間、男の動きがピタリと止まった。目は見開き、口はだらしなく開いたまま。何か信じられないものを見たかのように男は静止した。


「それにどちらかと言えばあなたのほうが部外者だ。さっきの言葉をそのままお返ししますよ」

「な……な……!」


 パクパクと口を動かし、目の前の二人を睨みつけた。

 ……ここまでは小野寺さんの作戦通りに事が運んでいる。


「もう付きまとわないでください。……俺の彼女に」


 ……今ちょっとだけ顔が照れてたな、多井田さん。ここまで一切照れも緊張も出さない名演技だったのに。


「彼女、だと……?」

「はい。そうですよ」

「だって前に聞いた時は誰とも付き合ってないって……!」

「俺と付き合い始めたのは最近です」


 小野寺さんをかばうように立ち、強気で言い返している。だが男も怯むことなく、二人を追い立てる。


「嘘だろう、それは! さっきから見ていたが全然付き合っているようには見えなかった!」

「う、嘘じゃないですよ」


 ……そろそろ潮時かもしれない。これ以上話していたら流石に墓穴を掘りそうだ。

 小野寺さんにしか見えないように合図を送る。さっきから喚いてばかりの男に見えないようにこっそりと。



「付き合ってる人はいないって、前に聞かれたから答えましたよね? 私」

「あ、ああ……」


 唐突に口を開いた小野寺さんに驚きつつ、男は引きつった表情でなんとか返事をする。


「付き合っている人はいない。好きな人はいない。それ以上でも以下でもないのに、貴方が勝手に勘違いしたんでしょう?」

「勘違い……だと……?」

「一緒にご飯に行ったくらいで勘違いされても困ります。あまりにも何度も誘うから付いて行っただけ。好きだなんて思ったことありません」

「…………」

「金輪際、私に付きまとうのは止めてください。……次は警察を呼びます」

「……う……ぐ……」


 完全に言い返せる言葉が無くなったせいか、男は呻き声を上げる。このまま何もせず立ち去ってくれると良いけど……。

 ぎゅっと両手でスマホを握りしめ、三人の様子を窺う。暴れる様子も、叫ぶ様子もない。お願いだから、このまま何事なく終わってくれ……!


「お引き取り、願えますか?」


 多井田さんのトドメの一言を喰らい、男は背を向けた。言い返すことも、騒ぐこともせず、トボトボと歩き去る。




「…………っはぁ」


 男が完全に立ち去ってから、多井田さんは大きくため息を吐いた。さっきまでの憮然とした態度が嘘のように、疲れ切った顔をしている。


「すみません、多井田さん……助かりました」

「緊張したよ……。もう一回頼まれたら断りたいくらいだ」

「何も起きなくて良かったよ」


 物陰に隠れるのを止めて、ようやく私も二人と合流する。ずっと握りしめていたスマホにはすっかり手汗が付いてしまっていた。


藤代ふじしろさんもありがとう。これでもう大丈夫だと思う。はっきり断れたし。もう付きまとわれないと思うよ」

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