72.

「おはようございます」


 まばらに埋まる席を横目で見ながら、自分の席へと向かう。改善チームは……野中さんと多井田おいださんが既に席に着いてパソコンをさわっていた。


「おー、藤代ふじしろさん。おはよ」

「おはようございます」


 二人に倣い、私もパソコンの電源を入れる。メールを開いてみたものの、特に重要なものは……。


「…………あ」


 今日は違ったようだ。多井田さんから新着メールが届いていた。内容は……業務中断カードの運用についての打ち合わせ。宛先は私たち改善チームと双葉ふたばさんに。

 そっか。今日やるんだ、打ち合わせ。

 じっとメールを見ていると、野中さんの会社携帯がけたたましく鳴り響いた。


「もしもし? ああ、松野まつのか」


 どうやら電話の相手は松野さんらしい。当然、私の隣の席は空いている。松野さんはまだ出勤していないはずだ。


「うん……うん……分かった。先に打ち合わせ始めてるから、しょうBな。うん、じゃあまた」


 電話を切り、野中さんは課長席へと歩いて行った。何だったんだろう……。

 それを見ているうちにすっかり時間が経っていた。そろそろ体操の時間だ。パソコンを閉じてから事務所の外へ出た。





「おはようございます。今日は松野が遅れて来ます。奥さんが体調悪いらしくて、代わりに保育園に子供送ってから来るって。九時すぎには会社来れるって言ってたから、今日の打ち合わせは先に始めていようか」


 松野さん、結婚してたんだ。しかも子供もいるんだ。全然知らなかったから少し驚いた。


「場所はメールの通り、小会議室Bで。朝礼が終わったらすぐ移動しようか。えーっと、他には……特にないかな」


 朝礼が終わり、三人揃って会議棟へと向かう。道中、ちょうど第一棟へと向かう黒部くろべさんに会った。

 以前なら会釈をして通り過ぎていたけど、品質実践研究で同じチームだったこともあり、少しだけお話した。


 ……変わったなと思う。

 自分の在り方も働き方も。前はコミニケションなんて最低限で構わないと思っていた。挨拶さえ出来ればそれで良いと思っていた。こんなふうに世間話なんてしたことない。

 おはよう。最近どう? 仕事忙しい?

 何も難しくない、ただそれだけの会話。たったそれだけで人と人、部署と部署が繋がる。そうすれば仕事だって捗る。

 分かっていたけど、今さら実感した。一人で仕事は出来ない。






「双葉さん、おはよう」

「おはようございます。打ち合わせ、よろしくお願いします」


 小会議室に入ると既に双葉さんが席に着いていた。プロジェクターの準備、部屋の予約。諸々、全てやってくれたらしい。


「双葉さん、準備ありがとう」

「いえ、隣の棟ですから」


 奥から多井田さん、野中さん。その向かいに双葉さん、私。司会席は多井田さんだ。


「松野は遅刻してくるから先に始めようか」

「え、そうなんですか?」

「保育園の送迎行ってから来るって」

「保育園……? お子さんがいるんですか?」


 松野さんに子供がいることは双葉さんも知らなかったようで、目を見開き固まっている。


「今、四歳だったかな。娘さんがいるんだよ、あいつ」

「えー、知らなかった……」

「俺と松野は既婚。多井田は未婚」

「うるさいですよ! 良いじゃないですか、未婚。好きなことできるし、好きなもん食えるし。結婚したらゴルフもパチンコも行けなくなっちゃいますよ」


 多井田さんは怒ることはなく、楽しそうに野中さんにツッコミを入れる。

 改善チームって半分が既婚者だったんだ……。知らなかった。


「まあまあ、それくらいで」

「吹っかけてきたの野中さんですけどね」


 多井田さんは浅いため息を一つ吐き出すと、部屋の電気を消した。プロジェクターの光だけが残り、私たちの視線はスクリーンへと向けられる。


「じゃあ、打ち合わせ始めますね。今日は双葉さんと藤代さんが作ってくれた業務中断カードの運用方法を決めていきたいと思います」


 スクリーンに映し出されたのは業務途中カードの写真。ちょうど作業途中の箇所に挟み込まれている。


「品証の中山係長に頂いたアドバイスを生かしてルールを決めましょう。まずは保管方法から。どこか一か所、置き場を決めましょう」

「ラインにあるホワイトボードは?」

「ありですねぇ……」


 ラインにはそれぞれホワイトボードが設置されている。

 作業者の勤怠表、日々の受注、生産性。それらが全て掲示されている。

 私が入社した頃はそんなもの設置されていなかった。今の課長、谷崎課長が就任してから出来たものだ。見える化、というらしい。


「じゃあ一人ずつ名前プレートを貼って、その下に置き場を作りましょうか。有無の確認は……朝礼で良いですかね?」

「だな。朝一、置き場に戻されているかみんなで確認しよう。でも一応、退社前に管理者は置き場に戻されてるか見といたほうが良いだろ。早めに混入に気づけるし」

「品質的にはそのほうが良いです。あとは名前プレートを表裏に分けるのはどうでしょうか? 表だったら出勤済、裏なら欠勤。就業中に何故カードが置き場にあるのか分かりますし」

「それ良いじゃん。おい、多井田。ちゃんとメモしろよ」

「ちょっと待ってくださいよ……今……必死に……打ってるんで……!」


 みんなが次々と喋るものだから、多井田さんは冷や汗を流しながらタイピングしている。

 でも目線は私たちに向けたままだ。手元は……見ていない。ブラインドタッチ……!


「これで……なんとか……っと、打ち終わりました。お待たせしてすみません」

「あとはそうだな……カードのデザインについて、とか?」


 カードに書かれた文字の大きさも色も、全て私たちのチーム内で相談して決めた。多井田さんや松野さんには全く相談しなかった。


「じゃあ、その辺を決めて——」

「すみません、遅れました」


 多井田さんが言いかけた瞬間、扉が開き、松野さんがやって来た。時計を見るとちょうど九時。予定通りの時間だった。

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