65.

 事務所に戻り、カメラを借りた。

 ラインを見て回り、何か改善したいことが思いついたら写真に残そうと思って。

 この写真があれば明日の打ち合わせも捗るはずだ。


「じゃあライン回ってきますね」

「はいよー。行ってらっしゃい」


 席に座る二人に声をかけ、事務所の外へ。

 どこから回ろうか。いつも通り第一棟へ行こうか、それともあまり行ったことがない第二棟に行ってみようか。

 数秒、悩んだ末に私は第二棟へと向かった。


「お疲れ様です」


 すれ違う人達に声をかけながら、第二棟の中へ。

 棟が違うと言っても中の様子はさほど変わらない。所狭しと生産ラインが並んでいる。

 端から順番に回ってみよう。





「あれ? 藤代ふじしろさんじゃないですかぁ。どうしたんですか、第二棟なんかに来て」


 いくつかのラインを見て回る中、次のラインへ行こうとしたところで後ろから声を掛けられてた。

 振り向くとにっこり笑顔を浮かべる女の子が。確かこの子は……。


「北山さん……だっけ?」

「ですです。名前忘れるとか悲しいんで、ちゃんと覚えといてくださいよー」


 私より一つ年下の女の子。同じラインに配属になったことがないから、そんなに親しくない。

 けれど彼女は私を見かけると、必ずといって良いほど声をかけてくるのだ。今日みたいに。

 私と話してもさほど楽しくないだろうに、相変わらず変わった人だ。


「それで藤代さんは何しに第二棟へ? 生産応援ですか?」

「いや、ライン改善に向けて写真を撮りに……」

「……藤代さんって今の所属どこです?」

「先週から改善チームに異動したよ」

「え! 改善チームですか!」


 改善チームと聞いて北山さんは大袈裟に驚いた。そんなに意外だったんだろうか、私が異動したことが。


「はー。じゃあ今は事務所の中にいるんですね、藤代さん」

「そうだけど……。なに?」

「いやー、前から誰だろうって話題だったんですよ。改善チームに若い人、入れるって噂になってたから」

「……それ、いつ頃の話?」

「先月くらいですかね。二十代の若手を一人入れたいって。もしかしたら私かも、なんて思ってたけど違いましたね……」


 知らなかった。噂になっていたなんて。だからラインに行くたびにじろじろ顔を見られたのか……!


「北山さんは改善チームに入りたかった?」

「うーん……別に改善チームじゃなくても良いんですけど。事務所には上がりたいなって思いますよ。このままずっと現場っていうのはちょっと……」


 あ、これオフレコでお願いしますね。なんて北山さんはおどけてみせる。

 でも私は笑えなかった。

 他に事務所に上がりたい人がいるのに私なんかが上がってしまって良かったんだろうか、と。そう思ったら笑えなかった。


「けど、ぴったりだと思いますよ。藤代さんが改善チームって」

「……え?」


 私の心を見透かしたように北山さんは朗らかに言った。


「だって改善って現場のことを知らないと出来ないじゃないですか。藤代さん、今までずっと現場にいたし。学卒の現場知らない人より、よっぽど安心だと思いますけどね、私は」

「そうかな?」

「そうですよ! ……ん? ここにいるってことは第二棟も改善してくれるんですか?」

「すぐってわけじゃないけど、今後やっていくつもり」

「やった! 改善してほしいところいっぱいあるんですよ! 私のライン見に来ません?」


 私のライン、と言われてようやく気付いた。北山さんの帽子にはバッチが付いている。つまりそれって——


「班長になったの?」

「えへへ。おかげさまで先月から」


 北山さんは照れたように笑った。

 班長と言うと年上の男の人ばかりなイメージだったから驚いた。北山さんがラインの管理をしてるんだ……。


「でも班長になったせいで事務所から遠のいた気がします……」

「それは……ほら、管理者からチームに抜擢とかあるかもだし」

「ええ……本当ですか……?」


 実際、多井田おいださんがそうだった。

 第一棟のラインで班長をやっていたが、野中さんに誘われて改善チームに入った。管理者が事務所入りすることだってある。

 それに、私も松野まつのさんも現場上がりだし。


「まあ、なんにせよ。いつか事務所に上がってやりますよ。現場だと足が疲れるんですよねー」

「そう? 事務所で座りっぱなしも結構しんどいけど……」

「いやいや、現場で立ったままパソコン触るのもしんどいですよ。現場にもイス、置いてくれたら良いのになぁ」


 現場の管理者は必ず立ってパソコンを触ることになっている。

 自分のラインで何かが起こった時、すぐに駆けつけるためだ。それに作業者が立っている中で管理者が座るのは体裁がよろしくない。

 だから昔から管理者は立ち仕事をするという決まりがある。


「ああ、そうだ。藤代さん、こっちです。私のラインにも寄ってください」

「もちろん。作業者にも話、聞いて良いかな?」

「出荷が迫ってるので、梱包工程以外なら大丈夫ですよ。私も付き添いますし」


 北山さんの後に続き、ラインの中へ。

 少し足を踏み入れただけで分かる。品質も安全も、問題だらけだ。


「本当は私がやらないといけないんですけど、ちょっと手が回ってなくて……」


 現状を察した私に北山さんは申し訳なさそうに言った。

 分かってるよ。管理者が忙しいことも、改善に手が回らないことも。ここ数日、いろんなラインを見て製造課の現状を思い知ったから。


「任せて。そのための改善チームだから」

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