30.

「洗剤は?」

「えっと、これかな……。もう家に買い置き無いから二個買っとく」

「トイレットペーパーは?」

「こだわりないから何でも良い……と思う」


 あれやこれやと彩織いおりに聞かれながら買い物が進む。

 今まで日用品を買う時は一人で手早く済ませていたから新鮮だ。


「だったらこれにしなよ、柔らかくておすすめ。それに二倍の長さだからお得だよ」

「ん、じゃあそれにする」


 会計を済ませ、屋上の駐車場に向かう。

 トイレットペーパーは買い物バッグに入らないからレジでシールを貼ってもらい、右手で持つ。左手でバッグも持っているから肩が痛い。いつも思うけど日用品をまとめて買うのは大変だ。


「あ……」


 彩織が隣に来たと思ったら急に右肩が軽くなった。


「半分貸して。というか今日は荷物持ちするつもりだったんだから全部私が持つよ?」

「ううん、半分でいいよ。両方は重いから」


 重みが半分になり、買い物バッグを右手に持ち直す。

 ピピッ。

 ポケットから鍵を取り出し、車のロックを解除した。トランクを開け、先に買い物バッグを乗せる。続いて彩織が持つトイレットペーパーも乗せる。


「やっぱりまとめて買うと運ぶのが大変だね。羚さん、普段どうしてるの?」

「気合でなんとか」

「今度からまとめ買いする時は言ってよ。手伝うからさ」

「ありがとう」


 それは、すごく助かる。お店で買って車に乗せるのも大変だが、アパートの駐車場から自分の部屋に運ぶのも同じくらい大変だ。今までは何往復もしていたから、それが減るのはすごく助かる。


 …………でも、それで良いんだろうか?

 昨日は特例で彩織を家に泊めた。どうしようもない状況だったし、後悔はしてない。だけど、それをこれからもずっと続けるのか? このまま私は無責任に彩織に関わり続けるのか?

 今日一日考えないようにしていたことが今になって頭をぎる。

 ……あまり良くないな。今から車を運転するんだから余計な考え事はしないほうがいい。


「シートベルトした? 車出すよ」

「うん、大丈夫だよ」


 雑念を振り払い、目の前のハンドルに集中する。周りを確認してから緩やかに車を走らせた。

 スロープを下り、東出口から大きな道へ出る。

 チカチカ。

 信号機で一時停止し、左にウインカーを出した。ここを曲がればあとはずっと真っ直ぐ走るだけだ。



「ねえ、羚さん」

「なに?」

「会社でなんて呼ばれてる?」

「藤代さん。会社ってだいたい苗字にさん付けだと思うよ」

「そうだよね……。じゃあ、高校生の時は? 友達とか先輩とか、何て呼ばれてた?」

「藤代さん、かなぁ。そんなに仲の良い人、いなかったし」

「ふーん……」


 彩織は拗ねたような、いじけた態度を取る。話題を振ったのはそちらなのに、なんだか理不尽だ。

 何か言おうと口を開けたが、何も言葉が出てこず口を塞ぐ。

 しばらく車内はエンジンの音だけが響いていた。



「……倉中さん達は羚ちゃんって呼ぶんだね」


 ポツリと彩織が呟いた。


「そうだね。ちゃん付けで呼ぶのはあの二人くらいだよ」

「そう……」


 妙に落ち着きがない。右手をぐっぱぐっぱしている。


「どうしたの?」

「え。いや、なんでもない……」

「本当に?」

「う……」


 信号機が青に変わる。

 彩織に向けていた顔を正面に戻した。


「…………うう……」


 言うべきか、言わざるべきか。そんな葛藤かっとうが感じられる。何か、私に言いにくいことなんだろうか。


「……羚、ちゃん」

「え?」

「私も羚ちゃんって呼んじゃ駄目……?」


 駄目じゃ、ない。それをずっと私に聞きたくてずっとソワソワしていたんだ。それってすごく——。


「……いいよ」

「ほんと?」

「好きに呼んで」

「羚ちゃん」


 ゆっくりと噛み締めるように何度も私の名前を呼ぶ。初めて覚えた言葉を喜んで使う子供のようで可愛い。


「羚ちゃん、顔が少し赤いよ?」

「夕方だからじゃない?」


 熱くなった頬を誤魔化すように運転に集中した。

 自分でも驚いている。六個も年下の女の子に名前を呼ばれただけでこんなに照れるなんて。


「……羚ちゃん……えへへ……」


 ……嬉しそうに彩織が何度も名前を呼ぶから照れ臭くなっただけ。きっとそれだけだ。

 自分に言い聞かせて、ふと思う。私が彩織ちゃんって呼んだらどうなるんだろう。彩織も照れたりするのかな。


「い……」

「い?」

「い……イニシアティブを取るためにはどうしたら良いと思う?」

「……どういうこと?」


 呼べなくて咄嗟に誤魔化してしまった。

 駄目だ、照れた顔を見る前に私が照れてしまう。


「ねえ、羚ちゃん。私分かってるよ? なんか別のことを言おうとしてたでしょ?」

「そんなことない、よ?」

「うそだぁ。羚ちゃん顔に出るからすぐ分かっちゃう。本当はなんて言おうとしたの? 教えてよ」

「う……」


 今度は私が言い淀む番になった。

 運転中だから手をぐっぱぐっぱ出来ないけど、ハンドルを握る力を強くしたり弱くしたり、彩織の見えないところで動揺が顕著に現れていた。


「ねえ、良いじゃん、教えてよ」


 交差点を二つ過ぎたらアパートに着く。それまでに信号に引っ掛からなかったらこのまま沈黙を押し通そう。



「あっ……」


 感知式の、そうそう止まることのない信号機が赤になった。珍しく左から車が走ってくる。


「信号、引っ掛かっちゃったね」


 してやったりとニヤニヤした彩織が私の顔を覗く。


「はぁ……話すよ。別に大したことじゃないよ、羚ちゃんって呼ばれたから私も彩織ちゃんって呼んでみようとしただけ」

「え、あ……そ、そう?」


 ぶわっという音が聞こえるくらい彩織の顔が一瞬で真っ赤になった。


「彩織ちゃん、すごく顔が赤いよ?」

「……夕方だからだよ、きっと」


 聞いたことがあるようなセリフが返ってくる。してやったり、だ。


 そうこうしているうちに信号が青になり、再び走り出す。

 交差点を越え、住宅街の奥へ。

 家に帰ったら買ったものを片付けて、お風呂掃除をして。ああ、朝使った食器も拭いて片付けないと——。

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