28.

 本屋を出てエスカレーターで一階に下りた。生活雑貨店の前を通り、大通りからレストラン街の通りに出る。

 洋食、パスタ、お寿司屋、ラーメン屋。焼肉屋なんてものもある。私が高校生の頃とは随分と店のラインナップが違っているように思える。

 西に向かって歩く。一番端に定食屋さんがあったはずだ。


「ここで良い?」

「…………高すぎない?」


 ショーケースに飾られた色とりどりの食品サンプル。彩織いおりが見ているのはその中でもとびきり値段の高い、コース料理だ。

「大丈夫だよ。それ、夜のメニューだから」

「……そうなの? 本当に?」

「昼はこっち」


 彩織が訝しげに見つめるものだから慌ててもう一つのショーケースを見せる。

 彩織が立っている位置より、さらに奥のショーケースに並ぶのは全て千円以内で食べられるお値打ち価格の定食だ。

 昼はリーズナブルに学生向け。夜は高級食材を使い大人向けに。そんなふうにこのお店は出来ている。

 トンカツ、天ぷら、サバの味噌煮、生姜焼き、どて煮。定番から少し珍しいメニューまでずらりと並んでいる。どれも美味しそうだ。

 その中でも昔よく食べていたメニューが目に入り、思わず笑みがこぼれる。


「ほんとだ。こっちは普通の値段だ……」

「夜に来たかった?」

「え、無理だよ。こんな値段払えない……」


 夜に食べに行くなら少なくとも万札が二枚は必要だろう。大人でさえ、夜にお店に入るのには少し勇気がいる。


「そうだね、私も夜だったらちょっときついかな」


 二人分だと四枚。下手したら五枚必要だし。


「メニューは中でも見れるし、入ろうか」


 すっかり委縮してしまっている彩織を先導するように前を歩く。

 ああ、懐かしいな。入口にタヌキの置物があって、壁には筆で書かれたメニューが並んでいる。そうそう、レジは入口から向かって左側にあったっけ。


「いらっしゃいませぇ」


 店内の様子を懐かしんでいると奥からエプロンをしたおばさんが現れる。にこにこと優しい笑みを浮かべ、私たちの前へとやってくる。


「すみません、二人です」

「はいはい、こちらに……って、れいちゃん?」

「はい。お久しぶりです、倉中くらなかさん」


 そう。この店は私が高校時代、ずっと雇ってもらっていたバイト先。ありがたいことに三年間ずっと働かせてもらっていた。


「久しぶりすぎて一瞬誰だか分からなかったよ! 大きくなったねぇ……。ああ、席に案内しないと。奥のテーブル席で良いかな?」

「はい、お願いします」


 慌てたように倉中さんが席に案内してくれる。

 時間が遅いせいか店内は私たち以外のお客さんはいない。後ろにも誰もいなかったからしばらくは貸し切りだろう。


「はい、ここね」


 案内された席に着く。昔と何も変わらない机と椅子。机の上には割り箸、爪楊枝つまようじが完備。うん、懐かしい。


「ちょっと待ってて、父ちゃんも呼んでくるよ」


 そう言って倉中さんは厨房へと去って行った。


「羚さんの知り合い……? 羚ちゃんって呼んでた」

「ここ、高校の時の私のバイト先」

「えっ、そうなんだ」

「さっきの人、倉中さんって言うんだけど。バイトを探してた私に手を差し伸べてくれてさ」


 本当に感謝している。高校生にしてはお給料が高かったし、いつもまかないを食べさせてもらっていた。

 最初は簡単なご飯だったのに気づけばお店のメニュー並みに豪華なものを食べていた気がする。


「おう、羚ちゃん。来たか」


 奥からもう一人、強面のおじさんが現れる。

 とてもカタギとは思えない頬の傷。どこで売ってるのそれ、ってくらい派手なシャツ。見るからに彩織が引いている。

 私が高校生だった頃から何も変わっていないその姿を見て少しだけ嬉しく思った。


「ご無沙汰してます。宗平そうへいさん」

「おう、本当にご無沙汰だなぁ。最後に会ったのはいつだっけか。就職してちょっと経った頃か」

「はい。四年……前でしょうか」

「四年! もうそんなに経っちまってたか! あまりにも羚ちゃんが顔出さねぇから、俺の腕が落ちたのかと思ったぜ」

「そんなことは——」

「あー、いい。お世辞は無しだ。まずは食べてから、な」


 そう言って差し出されたメニューに目を通す。パラパラとめくってみるものの、私の注文は既に決まっている。


「はい。彩織、何にする?」

「もう決まったの?」

「決まったというか、決めていたというか」

「ほう。羚ちゃん、アレか」

「はい。アレです」


 私たちの会話を聞いていた宗平さんがニヤリと笑う。まだ何も言ってないけど意思は伝わったようだ。


「えー、っと。どうしようかな……。うーん、どれも美味しそうだけどこれにする」


 彩織が指差したのは定番中の定番、生姜焼き定食だった。


「はい、承りましたっと」


 さらさらと伝票に書き込み、宗平さんは再び厨房へと姿を消した。


「羚さん、注文言ったっけ?」

「言ってないよ。でも伝わったみたいだから」


 さっき書き込んでいた注文を横目で見たが、正しく私が頼もうとしていた定食メニューだった。

 久しぶりにこの店でアレが食べれる。そう思うと口の中で涎が溢れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る