17.

 ようやく今日最後の電車が来た。これに乗れば日付が変わる前に家に帰れる。

 誰もいない駅のホームに立つ私たち二人。電車の中も誰もいない。結局今日も私たちは二人きりだ。

 たったひと駅。座る気にもなれず扉にもたれて水積みずみ駅に向かう。



「……何も聞かないんだね」

「……」


 ポツリと彩織いおりが呟く。


「……聞かない」

「…………そうだよね、私のことなんてどうでもいいもんね。れいさん、人に興味が無いから」

「違う。……いや、興味が薄いのは事実だけどさ」

「……私にも興味ない?」

「そんなことないよ」

「本当に?」

「興味なかったら声かけなかったし」

「それもそうだ」


 なんでこんな時間にあんな場所にいたの。あの男の人は誰。なんでユズなんて偽名を名乗ってたの。あの後、どこに行こうとしていたの。

 聞きたいことはあった。でも聞かなくてもなんとなく分かってしまっていた。

 きっとい大人なら怒るだろう。事情を聞いて、それは駄目なことだと教えるだろう。


「……軽蔑けいべつした?」

「してないよ」

「私が何しようとしてたか分かってるんでしょ。言っちゃうけど、私あの後——」

「言わなくていいから」


 彩織が言おうとしていた言葉を遮る。


「……ごめん」

「なんで謝るの? 別に怒ってないよ、私」

「…………」


 彩織は俯いて何も話さない。


「水積駅だよ、降りよう」

「……うん」


 駅のホームに降り立ったのは私たち二人だけだった。

 誰もいない静かな駅。駅員さんも利用客も誰もいない。

 水積駅から南に歩いて十分。私たちのアパートは比較的駅の近くにある。久しぶりにこの帰り道を歩く。いや、誰かと一緒に歩くのは初めてだ。



「どうする?」


 あっという間にアパートに着いてしまった。


「……羚さんの部屋行ってもいい?」

「いいよ。親さんに連絡は——」

「うちの親、週末は帰ってこないから平気だよ」


 聞かれたくない話題を振ってしまった。私の言葉を遮り、彩織は痛々しい笑顔を浮かべる。


「だから、泊めてよ」


 そう言われると思っていた。もうじき日付が変わる。今日が終わり明日が来る。明日は土曜日だし、仕事は休みだ。特に予定もない。


「良いけど、来客用の布団とかないよ。それでも良い?」

「良い、床でも寝れる」


 ガチャリ。私の部屋のドアを開ける。


「……わっ」


 靴を脱いだ途端、後ろから抱き着かれる。


「…………」

「なに?」


 振り向けないから彩織がどんな表情かおをしているか分からない。分からないけど——


「……おいで」


 回された腕に自分の手を重ねる。大丈夫だよ、甘えて良いんだよと伝わるように。きっと家に帰っても甘えられない彩織のために。


「ごめん、ごめんなさい……見捨てないで…………私から離れないで……」

「大丈夫、怒ってないよ。見捨てないよ」


 離れるも何も私たち隣の部屋でしょ、とわざと明るく言ってみたが彩織は沈んだままだ。どうしたら泣き止んでくれるかな。


「こっち」


 なかなか動こうとしない彩織の手を引いてベッドに座らせる。少し目が腫れてるな、冷やしタオルを用意しよう。

 再び立ち上がろうとすると彩織の右手がそれを拒む。


「タオル取ってくるだけだよ」

「行かないで……」

「……分かった」


 その目はズルい、断れない。縋るように私を見つめる彩織の目。こんなに弱っているところ、初めて見た。


 彩織は見るからに不幸で、傷だらけで。それでも明るかった。初めて喋った日も、昨日も。おかしいと思ってたんだ。そんなの普通じゃない、心が歪んでるって。

 でもそうじゃなかった。彩織は普通の女の子なんだ。

 不安定で、今にも壊れそうなくらい繊細な心の女の子。いつかの私を見てるようだ。


「ちゃんと、話す、から。今日の話も今までの話も。聞いて、くれる?」

「聞くよ。でも、今じゃなくても良いよ、彩織が落ち着いてからで良いから」


 だから今日はも寝ちゃおう? そう言うつもりだった。


「今、聞いてほしい」


 彩織がそう言うなら。


「分かった」


 この子の話を聞く。聞いて私がどうにかできることなんてきっと一つもないけれど、彩織が少しでも気持ちが楽になればそれで良い。

 部屋の時計は十二時半を指している。

 いつの間にか明日が来ていた。



 

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