ep.final 諸行無常





 白日の光と歪に揺れる炎が水面に写される。海に落ち行く男は自らの意志で動くことができなかった。

 両手両足に力を入れることも出来ず、脳からの信号は身体のどこかで途絶してしまっている。

 まともな息継ぎすら行えず、このまま溺死していく未来すら見える。


 光が遠くなる。景色は深く淀みの無い群青となり霞んでいく。口から泡を吐き意識すら曖昧になる。


 そこが現実かどうかも分からない。青を通り越し黒となる景色に目を開けば人が立っていた。こちらをじっと見続けてた末に後ろを向き遠くへ行くそれに、何処へ行くのか問うとぼやけた存在は答えた。


 貴方がまだ来ていい場所じゃない所。


 無意識かどうかすら分からない中、力むことの出来ない右手でその存在を掴もうとするが手の届く距離にその存在は居なかった。


 背中をそっと押された感覚がした。ゆっくりと落ちていくのみの身体であるはずが少しずつ浮上していく。海水で滲みきった瞳をそっと振り返らせると一定の形を保てない影が居るようだった。


 瞬きをすればその存在は消えた。ワイアット・ヴェゼルは薄い視界で新たな光を見つけると陰りが生まれることに気づく。それは段々と大きくなりこちらに近づいてきた。


 途切れていたはずの神経が繋がったように感じ、再び手を伸ばすとその手をとった感触を知る。手を握られてからはそれなり速度で光へ自ら近寄っていく。


 水面を砕くように水上へ上がると、ワイアットは酷く咳き込み呼吸を過剰に行う。体内に入り込んだ水を吐き出していると背中をさする騎士は彼の名前を呼ぶ。


「大丈夫ですか、ワイアット」


「ああ、フリッツか……ありがとうな」


「いえ…………」


 気がつけば救命ボートの上に打ち上げられていたワイアットを救ったのはフリッツだった。水中で気を失いかけていた彼は、今度は安堵による睡眠に誘われる。


「ワイアット」


 フリッツの声が遠くなっていく。閉じかける瞳に彼は一言呟いた。


「ありがとう」


 ワイアット・ヴェゼルはその瞳に映る景色を大事に仕舞うように眼を閉じた。











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「身体の調子はどうだ?」


「良くなったと言いたいが、アンタが見舞いなんて柄じゃないだろ」


「大したことの無い話をする為に来た」


 花束を抱えたその女性は病室の花と取り替える作業を行いながらベッドから動く気配の無い彼に向かって真意であるかどうかも分からない言葉を放った。


「相変わらずだな、博士さんよ」


「グラシアナでいい」


 誰も居ない時間を狙ったのか、病院へ来たグラシアナ・カベーロは戦争の終わる気配の見えない今でも落ち着いていた。


「よかったのか?」


「何がだ?」


「三号機だよ。俺の為に交換なんて、本当はもっと薄情な奴だと思ってた」


「私はブレイジスの開発に携わってはいるが、所詮は雇われだ。どこの誰が使っていようとも大した発明だったという結果が誰かから聞ければいい」


 持論を話すグラシアナに対して認識を改めるワイアット。彼女の言葉には会った時には感じられなかった。人間味というものがあった。


「アンタでも人を助けたいとか、思うのか」


「まるで人の心が無い怪物に対して質問しているみたいだな……決してないとは言わないが、仮に死んでしまっても仕方が無いとは思う」


 それが世界の常であるならば、尚更だと。諦めきれず、しかし達観しているその感情は誰かが治そうとして治せるものでは無いとワイアットは思う。


「まあ、だが」


 しかし彼女は付け加えた。この世界に絶望しておらず、どうしても諦めきれない証拠のような言葉だった。


「私は誰に対しても興味が無ければ、会ったこともない赤の他人に贈り物を届けるなどしないだろうな」


「へぇ、何を?」


「そこら辺のがらくたでも造れる、ただの義手だ」











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 あれから数ヶ月の時が経った。


 名誉ある勝利を手にしたワイアットはその功績と讃えられるかのように自宅で慎ましく過ごしていた。


 旧ロシアの都心に住む彼の地域は生憎の雨。さらさらと降る雨粒に感傷に浸ることも無く彼はかつての戦いで負った傷を治すため、リハビリの日々を過ごしている。


 あの日、あの男の暴走でどれだけの人間が時間をかけて、どれだけの人間が死んだのだろうか。ワイアットは自分の身体を調子を取り戻そうとしながら考えていた。


 ナタリーは旗艦を守るため自分とそこにあった大海の力の全てを使い果たす様にしてこの世界から散った。

 マスト・ディバイドは自分の信念の下動き、味方である奴を止めようとした。その結果が自分たちブレイジスに間接的ながら協力することになろうとも己の信念のみを頼りに生きていた。


 その後、ワイアットが聞いた所によればカンデラス・マルハリサはあの戦いで行方不明になったという。恐らくディルバートに出くわしてしまったのだと推察していたワイアットは彼に対しても感謝の念を抱いていた。自らの土台である僅かな教養と戦い方を叩き込んでくれたことに対して恩があった。



 雨が段々と強くなっていく中、日課のリハビリを終えてソファーに座りテレビをつける。衣食住に一切の関心がなく、着られれば、食べられれば、住めれば良かっただけの感性はここ最近の生活でも変わることは無いが、確かな幸福感を得られてはいた。


 インターフォンが鳴る。ワイアットはまるで誰が来るのか、事前に分かっているかのようにドアへ向かう。


 ドアノブを捻り、本格的に降ってきた雨が地面を打ちつける音を聞きながら視線を扉の前の三人に誘導させる。


「来たのか」


 黒いレインコートを羽織っている目の前の三人を知っているような口調で話すワイアット。真ん中の男がフードを取りながらワイアットに向かって話しかける。


「回復してるようで何よりだぜ、ワイアット」


「お前も生きてて良かった、バイロン。そっちはハンナと洸だな、中に入れ」


「分かった」


 入室を促すとバイロンの右手にいる女もフードを取り自らが名前を呼ばれたハンナ本人である証明を行う。先んじて外套を脱ぎ捨てるように自らの肌から離したバイロンはワイアットの自宅へ入りながら彼に向かって説明する。


「ああ、ソイツ。コウじゃねえよ」


「えっ。まさかアイツ……」


「死んでなんかねえって、今日はボスんとこでお留守番だ。今日はこいつ連れてけって話でさぁ」


 あの日の戦いではハンナと洸は水中で待機させ自分が落ちてくるのを待たせていたとワイアットの後ろで懇切丁寧に説明しているバイロンであったが、その言葉は届かなかった。



 ワイアットはその者に問う。濡れたローブをその身に纏い一言も紡がないその男の名を、身分を、存在の証明を。



「お前、名前は?」



 その男は被っていたフードを上げ顔を晒す。宝石のような煌めきを灯すその瞳に打ち震えるとも無くワイアットは男を見続ける。



 それもそのはず、男に特別な力など何も感じないからだ。



「僕はライズ、ライズ・シルヴィア。元ブレイジス所属のなんでもない、ただの男さ」



 彼が此処に至る半年前の物語。










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「『器』の回収は?」


「完了しました。あとは準備に取り掛かれば降臨します」


「そうか、遂に来たか。器があれば…………」


「国連を統べ、世界をも統べる究極の頭脳が降りる……」


の者がえがく、理想の未来を築いてみせましょう」


「……………………『ヘヴン』に、我々の、人々のすべてをあたえましょう」


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