ep.29 不惜身命
「それがファングシステムか」
フルデトネーターを装着しているバイロンに向かって一言。頭頂部からつま先までをまじまじと見てディルバートは仕込み刀でも確認しているようだったが、やがてただの雑兵と分かると大仰な態度をとった。
「人が一人増えたとてしても私の大義が叶うことは揺るぎない事実だ」
「大義だァ? てめぇ独りの勝手な理想押し付けてんじゃねぇ!」
「よく吠える犬だな、君は」
「犬じゃなくて海賊だっ!」
先制攻撃を仕掛けたのはバイロン。ディルバートの隙を突くように華麗な槍さばきを見せるが、反撃が返ってくるのに長い時間はなかった。
「喰らうがいい」
「なっ、うわあああっっ!!」
「あの男、間接を……!!」
マストが見えたものは現実だった。鎧を造る際に確実に生まれる弱点である間接などの装甲が甘い部分を確実に攻撃し傷を生む。
「おいバイロン、無理するな。お前は関係ないだろ」
「関係ねぇだと? それは違うなワイアット」
マストを守るように立つ二人。ワイアットは横にいる男の顔をちらりと見る。吹き荒ぶ風が戦艦に纒わり付く火の手を強くしていく中、バイロンは語った。
「アイツが世界をブッ壊すってんなら俺はアイツをぶっ倒さなきゃなんねぇんだよ。関係がなくとも、役に立たなかろうと俺はやってやらなきゃなんねえ」
「それも、ボスの指示か?」
「いいや、オレの意志だッ!」
「戯言を」
しかしながら風を司る魔術は依然として二人をを苦しめる。ワイアットは赤い膜を盾に進むが無意味であると証明するように消し飛んでいく。
「ふんっ!」
「たあっ!」
「オラァッ!」
「こんの……ッ!」
二人は急ピッチのコンビネーションを繰り出すが、相変わらず拳と刃は届かない。打開する方法も思いつかないまま体力だけが消耗していく。
「つまらないな」
「んッ!?」
「ワイアット!」
不意打ちのように横から飛んできた風圧に左半身が襲われる。瞬時に自らの
不幸中の幸いなのか左足は軽い負傷で済んだものの、左腕は表面の皮に銃弾が這った跡のような傷が幾つも出来る。
「ああっ……!!」
「おい、大丈夫か!?」
背後にいるマストが自身のの出血を抑えながら心配をしてくる事に少しだけ驚くが、直ぐさま現状に立ち返る。
「お前は、自分の心配でもしてろ。後は任せるんだ!」
「そんな、俺は……!!」
そうやって立ち去っていくワイアットの後ろ姿はあまりにも勇敢で、敵であったことを忘れてしまいそうな程に仲間としての情をマストに湧かせた。
ひたすらに足掻くバイロンとワイアット。炎は更に立ち込め、遂には船のほとんどがゆらゆらと蠢く災いの火に包まれる。
ディルバート・アンセラフは胸部を血を滲ませながら衰えを見せることは無い。無尽蔵とも言えるその力の膨大さに自らの生死すら賭してら抗うワイアットにマストはどうしようも無い。どこにもぶつけられない感情を抱いた。
「くっそ、俺は、また…………」
守れないのか。
死んでいった仲間達のことを思うとここで辞める訳にはいかない。あの日、マストが呟いた言葉に対して返ってきた言葉は今でも根底にあり続けた。
あの日から、ありとあらゆる惨状に立ち会ったというのにその殆どは救えなかった。その全てがマスト・ディバイドの悔いの残るものと成り続け、長い年月が経過しようとも消えない傷となる。
彫り続けられた傷は錆び、遂には悲しむことすら出来なくなった。涙腺が麻痺したのか、心に亀裂が入ったのか、無駄な疲労をしなくなってしまった。
救えなかった。
誰も彼も助けられなかった。目の前の相手に屈せず立ち向かうことだけしか取り柄がなく、いざ相見えれば自らの実力は一般兵がわずかに幅を利かせられるくらいで、イクスや魔術師と戦えば所詮劣化品。
何の役にも立たない力はないものねだりをする人間にとっては素晴らしいものでありながら、それを持つ人間にとって苦痛でしか無かった。慣れたはずだと言うのに、世界の時が進む度にその痛みは増していった。
ならばそれは世界に対する絶望であるのか。
かつて取り柄のないこの力を役立てようとその場にいた仲間全員が頭を悩ませていた時があった。思い出せば誰でも思いつきそうな武器を収納するという案を数時間かけて捻り出した時、誰もが喜んでいた気がする。
そんな他愛の無い思い出は自らの価値を認め受け入れてくれた彼らに対する感謝で溢れていた。
その恩返しは未だ出来ず、その場にいた仲間の殆どが死んでしまったがそれでもと生き続けた。エゴであるとわかりながらとそれでも戦場に居座り続けた。
世界の全てを愛し、愛さなかったからこそ、世界を守らなければならない。エゴであろうと、偽善であろうと、その先の世界が絶望であろうとも。彼の後ろ姿さえあればマストは立ち上がれた。
やがて肩で息をするようになり、傷だらけとなったバイロンとワイアットに一条の光が差し込む。
「いい加減に諦めるがいい。全てに絶望し、全てが狂った世界は私が壊す」
「俺はこの世界に絶望してなんか無い。戦い続けた先に何が待っていようとも、それが狂ってようともいまいとも!」
デッキに打ち込まれた杭にワイヤーを仕掛けディルバートの四肢を不自由にする。
「マスト・ディバイドか、こんなことをしても無意味であるといい加減に……」
ものの数秒でそれは壊され、何ら変わりない姿に戻るがその隙をバイロンは見逃さず、同時に攻撃を叩き込む。
「おるりゃああああああ!!!!!」
「くっ」
バイロンの攻撃を防ぎ、それと同じタイミングで彼の身体を切り刻み二度と動けないように捨てるように飛ばすが、彼も人間であり目が二つしかないことが仇となった。
「ラプチャアアアアッッッ!!」
「ぐふッ!?」
その確かな感触はディルバートの左頬だった。右ストレートを全力で振り抜いて彼に膝をつかせたが、当然反撃を食らい生傷が幾つも増えていく。
「よくもやったな……くだらぬ理想を振りかざして大義を邪魔するなど言語道断、私自らが裁いてやるっ!」
まるで神にでもなったかのようなその言葉に怖気付いた訳ではなかったが、体力は既に皆無の二人は自らを守る手段を持ち合わせていなかった。
バイロンのフルデトネーターの鎧は剥げ落ち、ワイアットの疲労はこの場にいる誰よりも多い。あと一撃程度で完全に倒れてしまうほどのスタミナは一度の回避で終わっていくのだろうとも推察してしまう。
「時間はかかったがこれで終わりだ。精々、地獄で世界の終焉を見届けているといいさ!」
ディルバート・アンセラフは勝ちを確信した言葉を吐いたと同時に、その炎の世界に違和感を感じた。
自らの視界にマスト・ディバイドが居なかった。
「ワイアットォォーーーーッッッ!!!」
「っ!」
骨が見え隠れする左足を酷使し、既に上がらないはずの腕を精神力だけで持ち上げて牽制射撃を行うマストはそのままディルバートへナイフを刺そうとしているようだった。
「まずはマスト・ディバイド、貴様だァァッ!!」
風を司る魔術、エスペランサは結集した無数の真空の斬撃を一直線に放つ。ワイアットから見たマストはそれをまともにくらっているように見えた。
戦艦の炎と衝撃による煙がマストの周囲を曇らせる。静寂の瞬間は数秒だけだった。
「まだ、だ……!!」
「何っ!?」
煙の中から現れたのは全身が血だらけのマストだった。既に軍の戦闘服はボロボロになり、ナイフも持たず足元も覚束無い状態でマストは遂にディルバートの懐へ潜り込んだ。
「貴様っ」
「へへっ、ボロが出たな、ディルバート」
力の無い羽交い締めにマストが血反吐を撒き散らしながら辿り着いた場所。ワイアットの瞳からは彼の血に塗れた端正な顔と筋肉が見える両腕しか見えないが、マストはワイアットと眼が合うとゆっくり頷いた。
僅かな時間しか共にしていないはずなのに、歴戦の戦友のような信頼がそこにはあった。マストは託したのだった。
「うおおおっっっ!!」
最後の力を振り絞る。走り出した足は止まることを知らないかのように最速でディルバートのもとへ向かう。
ナタリーは死んだ。自らが背負っていたものをたった一つの言葉に変えワイアットに渡した。
マストは命を引き換えに世界を守る決心をした。マスト・ディバイドの全てがこの一撃に懸かっているのならば、彼が生きた意味を証明するために戦う。
「はああああああっっっ!!!!」
「馬鹿めっ!」
風はディルバートに味方した。彼の後押しをするように風は地面から吹き、マスト諸共宙に浮いた。あと十五メートルの所で彼はワイアットの拳が届く範囲から逃れてしまう。
「ワイアット、これを━━━━━━━━!!」
声のする方向へ顔を向けるとバイロンから武器を投げられる。左手に持ったそれはかつて彼が己の正義で我が物とした
ワイアット・ヴェゼルはその名を叫び、右足を踏み込んだ。
「フルデトネーターッッ!!!」
「━━━━━━━━━━はっ……!!」
血のにじむ左腕は
仮面が壊れ右腕の鎧が無くなるもワイアットは左手に持った槍を彼の首に突き立てた。追撃のようにそれを振り下ろし心臓部にまで彼の傷跡は抉られていった。
「ぁ……ぁ……っ……!!」
戦艦は爆発を起こし、沈没していく。宙へ舞うワイアット達はその全員がデッキの中心に生み出された亀裂の中へ入り込んでいく。
重い瞼が閉じかけたその時にワイアットが観た顔はディルバートの死に顔では無かった。
安らかな笑顔を浮かべるマスト・ディバイドがワイアットの記憶に深く刻まれた。その笑顔が何を意味するかは分からないが、その顔はどういう訳かワイアットも安心できるようだった。
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