ep.10 殊塗同帰



 時刻は早朝の五時前。太陽は地平線の向こう側に落ちており、人類にとっての偉大な光源はその世界から消えている。


 多くの人間が足を踏み入れていた土地は草が生い茂り、基地の街灯は離れていくにつれてその数を減らしていく。暗闇とまではいかないものの視界の悪い中、青年が二人草むらに隠れ潜んでいた。


 あれから十数分、未だ沈黙を貫く二人。自分の本音を吐いた男とそれを聞いて固まったままの男は同じ方向を向いて敵を待ち構える。


 虫たちのさざめきがよく聞こえてくる。ジャングルに住む虫に造詣が深い訳では無いが二人にとっては前日からの付き合いでよく聞き慣れた声だった。


 響き渡る鳴き声は静かに二人にプレッシャーをかけていくようだった。仲間から他人のような距離感となった彼等は同じ敵を待ち侘びなくてはならないという状況に片側の男は苦しささえ感じる。


 彼はどうしても許せなかった。努力して努力して自分を鍛え抜いて、険しい戦場で何とか生き延びた。ファングシステムに選ばれたという事実はその結果に報われたような気がしていた。


 やっと自分を正しく視てくれる人間と出逢えた。そういう意味では彼はグラシアナ・カベーロという女性には感謝と敬意を持っていた。


 しかし、現実は思い通りにはならなかった。一号機を使うはずだった男はその壇上から一段降ろされた。どこから湧いてきたかも分からない戦士ですらない男に。


「そんなに、嫌だったのか。アルテュール」


 その声が聞こえてくる右側に視点を移す。そこには彼が妬んだ青年、フリッツ・クライバーが確かに存在した。夢であって欲しいと思うほどにこの世界に居て欲しくない男が。


「ああ、嫌だったさ。何も出来ないお前の持つ数字なんかに俺が積み重ねてきた努力が全部壊されたようでな」


 それは憎しみではなかった。劣等感という些細な感情で自己の存在を否定されているようだった。

 そしてフリッツ本人が彼をそのステージから降ろそうとする気が全くもって無い所をアルテュール自身も理解していたせいで、なおさら腹を立てていた。


 怒りのやり場を失い、残るのは努力と才能のない自分に対しての嫌悪だった。


「……ごめん」


 謝罪の言葉が降ってくる。アルテュールは手のひらをぎゅっと握る。今すぐにでも胸ぐらを掴んで殴りたかったが彼にはもっと大事なものが存在していた。彼に今できることはフリッツに言葉を投げることだった。


「その言葉を二度と俺に吐くな。胸糞悪くなる」


「…………」


 きっと再び謝罪をするつもりだった彼は口を噤む。まるで口癖を禁止された子供のように、その単語を発さないように必死に口元を抑える。


「沈黙とは良い武器だな」


 アルテュールはフリッツに聞こえないようにぼそっと小さく呟いた。その皮肉は彼に呆れ、彼に対して再び嫌悪を抱いていることを意味していた。


 刹那、森林の動きに違和感が生まれる。


「アルテュールっ、向こうの草むらが揺れた!」


「確認している」


 静かに待ち続けていたものが遂に来る。ナタリーが伝えた簡潔な作戦の内容からはアルテュールとフリッツが囮と正面からの攻撃部隊を兼任していることが分かる。


 十秒ほどの沈黙が二人には三十分にも思えた。呼吸をすることすら忘れているような瞬間に現れたのは見覚えのある顔だった。


「こっちで合ってるんですか、ヴィオラ・シドニーの姐さん」


「ワタシが方向音痴とでも言いたいのかしらハルバート・クラーク君」


「ヤツらは……」


 その二人は先日、一戦交えたコンビであることをアルテュールとフリッツ確かに覚えていた。毛先にウェーブがかかった女と髪を乱雑に切ったような男。


 戦った経験上彼らに奇襲は不可能であることは明白だった。アルテュールは隠れている茂みから大人しく出ようとするが、フリッツがそれを止めた。


「アルテュール、この際だから俺も言っておくよ」


「なんだ。奴らを殺すことよりも大事なことか?」


「ううん、どんなことよりも優先度が低い話だ」


 ため息をついて、さっさと話せと言わんばかりの姿勢をアルテュールが見せるとフリッツは感謝の会釈をして、その言葉を紡ぐ。


「お前が俺のことを嫌いなのは分かったよ、俺もお前のこと嫌いになりそうだ。でも今俺達に出来ることはお互いを嫌いあうことじゃない。一緒に脅威に立ち向かうことだ。難しいことかもしれないけどそうしなくちゃ勝てない」


 彼が先に言っていた通り、その話題は何よりも優先度が低かった。何を言い出すかと思えばなんの身にもならない話だった。



「お前なんかが何を説教垂れているんだ。そんなの……分かりきってるんだよ」



 アルテュールはその言葉の羅列を聞いたのは時間の無駄だと認識した。


「おいお前ら!」


 彼は威圧的な態度を見せながらヴィオラとハルバートの前に姿を現す。


「お前らが欲しいのはこれだろ」


 そう言いながらファングシステム二号機を彼らに見せびらかす。


「ん、あら。一日ぶりね。元気にしてた?」


 彼女の質問に対して開く口をアルテュールは持ち合わせていない。横から遅れてフリッツが出てくると、彼にもほんの少し手を振る。懐かしい知人に会ったような素振りを見せるが、ヴィオラは二人の微妙な空気をすぐに感じ取る。


「喧嘩中? 仲良くやらないと私たちには勝てないわよ」


「いいじゃないですか、ヴィオラ姐さん。どうせ俺たちがファングシステムを頂くまでなんですから」


 それもそうね、とハルバートに呼応するヴィオラは自身の武器である鞭を腰から取り出す。

 そんな彼等に対抗するべく、二人も戦闘の準備をする。


『ファングシステム二号機、初起動の為調整を行います』


 耳元で囁く声には耳を傾けず、アルテュールはフリッツのあの言葉に対しての返答を行う。


「いいかフリッツ。私情よりも任務を優先するのは当たり前のことだ。くだらないことを言ってる暇があるのなら、さっさと起動しろ」


「……ああ!」


 彼の悪態に笑顔を取り戻したフリッツは先んじて、剣を天に差し向ける。そして声高らかに黄色き瞳の未来の騎士の名を叫ぶ。


「エルメサイア!!」


 あの日と同じ装甲が出現していく。救世主の名を冠したそれは現世に現れ、自らの仲間の脅威となるものを排除するべく戦う姿勢を見せる。


『ファングシステム適合率、八十六パーセント。適合を確認。身長及び体重に自動修正、増殖を六十パーセントに設定。およそ四秒後に起動可能です』


 その名を自ら聞くことはなかった。何れ自分が手に入れ、いずれ知ることになると分かっていた彼はこの日になるまでその名を見聞きしなかった。アルテュール・カイゼルは好きな食べ物は一番最後に残すタイプだった。


「……行くぞ、俺のファングシステム」


 歪な拳銃にトリガーをかける。自分の敵を消す為に、自分を守る為に、誰よりも強くなるために彼は起動する。



「ウルリベンジャーッッッ!!!!」



 銃身が五センチほど伸び、ボウガンのような形になる。そこから漏れ出す暗闇がアルテュールを覆っていく。身体は溢れる力を待ち侘びていたようだった。

 全身に増殖した装甲が装着されていく。左右非対称の漆で塗られたような黒きボディに青いラインが施される。闇に紛れる為に生み出されたようなデザインはアルテュールのものとなった。青い瞳が光り、戦闘準備は完全に整った。


「白き騎士と黒い射手。随分とお洒落なデザインね」


 アルテュールとフリッツは並び立つ。同じ敵に対して、同じ方向を向く。黒き仮面は横を向いて嫌味を吐く。


「せいぜい足は引っ張るなよ、フリッツ」


 フリッツは仮面の下で思わず口角を上げた。この一瞬だけでも背中を預けてくれるに値した男になれたことに喜びさえ感じていた。


 いずれ彼と向き合うことになろうとも、フリッツは今を必死に生きていたかった。


「善処するよ」



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