███E███N███D█ ナイトメア



「フッ、ハハ、アーッハッハッハ! これがお前の結末だよ、潤。お前は結局何も守れなかった、誰も救えなかった。そうやって英雄の上澄みしか掬わずに夢見た結果がこれだ。なんつーか、ざまあないなあ?」


 その言葉を聞いて血が吹き出そうなほど剣を強く握っていた。言い返せないわけじゃない。既にこの悪魔と対話することさえ身体が拒否していた。


「英雄なんて成ろうとして成るもんじゃないんだよ、成りたいと願い続けるお前は一生届かないんだ。自分が持っていた浅はかな羨望のせいでこんな風になるなんて思いもよらなかっただろ?」


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ……黙れェェェ!!」


 肩で息継ぎをしながら彼を拒絶する。誰かの為になると思い続けたものが実を結ばない形で終わるなんて、などというのは結果論でしかないはずなのに。潤は悪魔の囁きも聞きたくも聞くつもりもなかった。


「お前が、お前なんかが生きていて、なんになるってんだ。なにを叶えようってんだ!? お前なんかが!!」


「……もう何度も言ってる」


 今度は冷めた目で諭すように言われた。それでも笑みは崩れない。潤から見て眼前の男はまるで初めて会った人間と会話しているようにも見えた。


 その時、潤の左耳から雑音と轟音が連続して聞こえてくる。そのすぐ後に男の声が入ってくるがノイズのせいもあり途切れ途切れの音だった。


「潤……ルカ、聞こえたら……くれ! こっちはも……既にごう……している! 俺……は撤退のじゅん……進めている!」


 その声を脳内でなんとか繋ぎ合わせると、マスト・ディバイドの顔が浮かんできた。合流、という言葉が出たかもしれないことから察するに、生存しているのはマスト含め僅かしか居ないのがその通信で分かる。


「マスト、さん」


 ため息混じりに呟くと少し遅れて反応が帰ってくる。


「……潤か!? 生きて……だな、はやく……りゅうを」


「逃げてください」


 五秒ほど経って再び返答が来る。重要な事だと分かったのか、レブサーブはわざわざその通信が終わるのを待っていた。


「……なんだって?」


「ここから、逃げろ」


「……何を言って……んだ潤、置いて……けないだろ! お前は……」


「逃げろッ!!」


 二度目はとても仲間に向けて放つ力強さではないくらいに荒らげた声を発した。意見は聞かず、突き放すように。


「分かった……だが絶対に……よ」


 彼の表情は最後まで読めなかった。マストがそう言うと通信は途切れ、潤に残されたものは無くなった。


「律儀に待ってしまったよ、今のマストだろ」


 感情を読みとったのか、潤にはそれさえ分からない。


「なぜ律儀に待っていた?」


「だって見たかったからさ」


 頭を手の平にうずめて肩を震わせる。次に見せたのは先程以上の嗤う姿だった。


「英雄になれなかった男が最後の最期に人を救う瞬間って奴をさ、ハハハハハッッ!!」


「ふざけるなよ……!!」


 殺されるべきではなかった人間を殺した彼に、親しくなるはずだった親友に罪をなすりつけた彼に、愛すべき仲間を嘲笑った彼に、己の希望を容易く傷つけた彼に。


 憎悪を抱く。


「お前を殺す、絶対にッ!!」


「無駄だ、お前は俺に勝てない」


 クリスティーネの時と同じく剣から煉獄の炎が巻き起こり、潤の身体を蝕みながら最大の火力を解放させる。以降、腕が使い物にならなくなるとしても今ここで奴を殺せるのであれば構わないという覚悟が出来ていた。


「うぅおおおおおおおおおあああああっっ!!!!」


「食らいな」


 飽きもせずレブサーブは鎖を放つ。一直線に飛んでくるそれを回避、防御しながらレブサーブに近づいていく。かすり傷になるものは一切気にしなかった。


「殺す、殺すッ! 絶対に殺す!」


 潤がジリジリと接近してくる中、レブサーブは応戦しつつ聞くつもりのない彼に有り難い説明をする。


「感情を司る魔術の力の根源は他人からの感情だ。他の誰かが俺に何かしらの感情を抱くとそれが俺の力になる。そしてそれは負の感情であればより効果を発揮する」


 遂には目の前に網のように組まれた鎖が現れる。潤は止まらず突進しそのまま剣をその網目に打ち付ける。すると潤のふた振りの剣にヒビが入る。周囲一帯にはいつの間にか同じような網が張り巡らされており、一種の牢獄にも見える。


「なにより、殺意という感情は俺にとって一番美味いモノだ」


「御託なんてどうでもいいっ!」


 ひたすら、馬鹿の一つ覚えのように鎖を切り刻もうとするが、依然破れることはなくただ潤の武器に深刻な損傷が入る結果となる。


「少しは話を聞く姿勢を見せて欲しかったなあ」


 そう言いながらレブサーブは潤の足元、地中から這い出るように鎖を出現させた。右脚を縛られ思わず膝をつくと、三六〇度に張られていた鎖の先端が全て潤がいる方面を向く。


「そんなに興味が無いか? 俺の魔術、シュブ=ニグラスのこと」


 レブサーブが手を挙げて手首を少し前に倒すと鎖は一斉に潤に飛びかかるようにして放たれていく。


「あああああああっ!!」


 痛々しい悲鳴と共に鎖は潤の身体に突き刺さっていくが、致命傷になる部分をわざわざ避けながら食い込んでくる。


「死ねないだろ、苦しいだろ? これが英雄になる上での代償とでも思えばいい、よかったなあ?」


 悪魔は変わらず嗤っていた。まるで人の生き死にが自分の手の上にあることを知ったかのように。


 激痛が全身からやってくる。

 痛い、痛い、痛い。死んでしまいたいと思えるほどに。だが彼は死ぬわけにはいかない。目の前の悪魔を殺すまで自ら死ぬことを許してはならない。


 全ての鎖が飛び終えるが、潤は未だに呼吸を続けさせられていた。


「これでクリスティーネも報われるなぁ。あいつも言ってた通り。潤、醜い姿だな」


 血反吐を辺りに吐き散らす。これまで見たことが無い量、気を抜けば臓器さえも口から出てしまいそうな程の激痛と死期が迫っているかもしれない謎の倦怠感。


 脚は悲鳴を上げているかのごとく痙攣している、死にたくないと未だ抗っているようだ。腕は既に動く気配がない。自身の魔術の全力で焼け焦げた跡が目につき、ついさっきまであった燃え盛り消えることのないであろう炎は影も形も無かった。


「どうだ気分は。俺は死にかけた経験なんて昔に二度、三度くらいしかないからもうどんな感覚かも覚えてないなァ。そうだ、お前はもしかしたら死んだら英雄になれるかもしれないぞ? 死後評価が高いかもしれない」


 奴の声は遠く遠くで聴こえる。所詮戯言を垂れ流しているに過ぎないと潤はよく聞くことも無かった。最後に聞く誰かの肉声がレブサーブで終わってしまうと思うと吐き気を催してくる。


「会話も出来ねえってか、悲しいなあ。俺はお前をそんな風に育てた覚えはねえぞ、ってな。ハハハ」


 視界が徐々にぼやけていく。左眼には頭の切り傷から流れ出る血が入り込み、余計に見えにくくなり鬱陶しさを感じさせる。

 心臓の鼓動は一定のリズムを崩し、奇怪な音楽を引いているのかと思うほどの音になっていた。


 必死の抵抗も虚しく、悲惨な状態となった潤にレブサーブは一言添えた。


「……英雄なんてこの世に居ないってのが分かっただろ」



 どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。


 どうして。


 無力なのか、虚無なのか、空っぽなのか、幻想なのか、醜悪なのか、歪なのか、正解なのか、不正解なのか、正義なのか、悪なのか。


 英雄なのか。


 違う、全部、何もかも違う。夢にまで見た英雄を追い続けてその座につきたいと願うことの何が悪い。重ねた人間が真の意味での英雄である必要などどこにもない。だって自分自身が英雄になれればそれ以外何も求めないから。

 英雄は仲間の為に自己の全てを犠牲にしてでも動く。何も不思議な事じゃない。それが英雄と呼ばれた人間の責務なのだから。英雄は絶対に仲間を死地へ追いやらない。当然だ。なぜなら英雄とまで言われた男にはそれに値するだけの力があるのだから。


 一体どこが間違えているのだろうか。




「そう考えてる時点でお前はそこまでだったという訳だ」


 第二波とも呼べる鎖がどこからともなく現れると、その全ては地面に刺さり潤とレブサーブを分かつように動き始める。


「悪いが俺は俺の望みを叶えるとするよ。お前のように実現不可能ではない、俺にしか分からない、俺だけにしか出来ないことをな」


 断割されていく。あやふやに切り取られた大地は地球の奥底へと落ちていく。地割れを起こして二人の間に距離が生まれる。鎖を使って潤の周囲に円を描くと今度は綺麗に削られ沈んでいく。その先は暗闇と深淵を持ち合わせた奈落だった。


「自己に陶酔して他者を見下し、自分は英雄になれる存在だと信じて疑わず、腐りきった世界に奉仕し続けた者の顛末だ。潤、君のその愚直かつ純粋だった精神にある種の敬意を払って旅立ちを見守ってやろう」


 潤に突き刺さっていた鎖は粒子となって消失していく。

 自身がその奈落へ落ちていくことに感覚の鈍った身体から感じるもので漸く気づくと挙げられない右手の幻影を伸ばす。


「ま、て……!!」


 その手は、かの悪魔を掴み損ねた。


 静かに堕ちていく。あの日々の記憶がよみがえる。


 英雄に出逢えたことも、全幅の信頼を置ける人間に巡り会えたことも、全部、何もかもが無駄だったというのか。


 その理由はこんな結末になってしまった今でも分からなかった。理解することが出来なかった。


 悪魔は遠く離れていく。救われたあの日から全ての時間を注いで辿り着いたはずの場所は、英雄の座ではなかった。抗いようのない圧倒的な力に屈服され、悪魔によって握り潰された。


「ああ……」


 どうしようもない思いが彼の中を巡る。

 どこにもやりきれない気持ちがのたうち回る。

 何もかもが消えていく。記憶の欠片も、生命の灯火も、英雄の存在も。


 そうして櫻井さくらいじゅんは奈落の底へ堕落し、光の無い眼を閉じた。









「もう少し、もう少しで貴方に会えますよ……ジョージ」









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