第二章 瞳に映るもの-ワイアット・ヴェゼル-
ep.1 捲土重来
「被検体、そこに横たわってください」
冷徹で気力も精力も感じられない女性の声がする。壁にかけられた時計以外何も無い白い空間にひとつ、随分と位置の高い鋼鉄が部屋の中心に置かれている。決して古ぼけた様子のないその床へ就くよう命じられた者は大人しく、反抗の意志も見せずに寝転がった。
見渡せば何人かの研究員が壁の向こう側から窓を使って覗いている。後光で彼らの顔が見えることは無いが、誰も何も言わずただそこに寝る人間を観察していた。
「貴方はこれから重要かつ貴重な戦力となります。この力をもってしてこの戦争に役立つよう励んでください」
手元にある台本を心を込めず読んだようなその口上に、硬いベッドの上に乗る男はそれが本心ではないことを察していた。
男が上を見上げると自分の左腕にかけて細く、しかしゴテゴテとした機械が向かってくる。よく見ると先端は針のように鋭く、勢いよく刺されたら思わず声を出しそうなほどに見える。
おあつらえ向きに用意された身体とは別途に左腕を載せる台が用意されており、男は再び導かれるようにそこへ腕をすんなりと置く。
「注入します」
男の心の準備もなくそれは宣言された。男は辺りを見渡しそれが彼女のミスではないことを悟る。機械は正確に血管に針を届かせソレを男の身体へと侵入させていく。寸分たがわぬ精度に胸中で拍手しながらもその終焉を今か今かと待ち続ける。
彼は自分の過去に思いを馳せる。他人から寄られずたった一人、自分の腕っぷしだけを使って上り詰めようとした時期もあったが、今では見る影もないと彼自身は思っている。
「終了しました」
男の体感では五分以上かかっているようにも思えたが唯一置かれた時計を見るとたった三十秒ほどしか経っていなかった。
注射された後に起こる左腕のだるさには目を瞑りながら彼は起き上がり、自分の身体の変化に気付く。
「重りが外れた気分だ……」
彼の言葉が聞こえていないのか、先程の女性は男を無視するようにして話を進めた。
「後は経過を見ながら実戦に向かってください」
「分かってますよ、そんなんは事前に聞いてます」
手を使って自らの心情をアピールする男。そんなちょっとした冗談でさえ軽くスルーして彼女は次に予定していたであろう言葉を口にする。まるでお決まりの台詞を吐くかのように。
「おめでとうございます。被験者、ワイアット・ヴェゼル。これで貴方はイクスを持つ者となりました」
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翌日、彼が呼び出されたのは旧パキスタン・ハイデラバード支部の三階、その一番右端の部屋だった。
「実験ご苦労様、身体に不調は?」
「特には、むしろ万全と言っていいくらいすよ」
「お前は身体は丈夫そうだもんな、昔何やってたんだ?」
「別段珍しいものは、スポーツとかですかね」
ワイアットは上司と思しき男と会話をしていた。ここへ呼び出したのはその上司であるが故に彼のご機嫌取りを続ける。ワイアットはその類いのリップサービスが大の苦手だった。
この部屋に入ってから十分、そろそろ本題へ入って欲しいと願うような表情をしていたのか、彼の感情を読み取るように上司は本題へと話を移した。
「そろそろここに来た理由を説明するか、お前にはこれから遊撃隊の一員としてある場所へ向かって欲しい」
「はぁ」
上司は続けた。この世の中がこの世の中であることに至った理由を。
「前大戦から二年、第二次新世紀戦争が開戦してから半年、俺達のように前大戦を知る奴や前線に出張っている奴らは疲弊しきっている。提携していたはずの軍事会社は自滅して我々ブレイジスは苦境に立たされている」
民間軍事会社の不祥事はブレイジスにとって大きな痛手だった。その詳細は世間や兵士に明かされることは無かったがワイアットは彼らにただ一言、何をしでかしたらそうなるんだと一度問うてみたかったと思っていた。
ブレイジスに入るまで世情を一切知らなかったワイアットは彼から様々な情報を事前に聞いた。
前大戦から約二年。冷戦とも言えるその間、国連はブレイジスとの統合を半強制的に推し進め凄まじい速さで軍縮が行われた。それが反抗勢力を二度と生み出さない為の策であることは誰もが分かっていた。それは必然であり、必要であったが不自然な速さだった。軍縮が決定した時、まるで人間の御業では無いかのように事前の段取りは済まされていたと男は言っていた。
しかし戦争は起きた。ブレイジスのトップはその不快なまでの政策に反旗を翻すチャンスを探っていたが、それが半年前であった。最早、国の一つとして形成されているブレイジスに不要なまでの干渉、そしてガーディアンズでもブレイジスでもない小規模のレジスタンスの幹部が国連の手によって暗殺されていると知った時、交戦理由を得た。
他複数のレジスタンスと統合し軍縮された兵力等を補ってワイアットの所属する革命連合戦闘軍、ブレイジスは半年前に開戦を宣言した。
そうは聞いていたが長ったらしいとまで思っていたその話はワイアットの右耳から左耳へと流れていた。今では話された情報の二割も覚えていない。ワイアットはそんなことは自分にとって関係ないと思っていたからだった。
「そんな中でブレイジス逆転の目となるのが我らが天才科学者、グラシアナ・カベーロだ」
「そんな有名人が一体なんだって言うんです?」
そんな教養と礼儀のないワイアットでも知っている人物はいる。ブレイジスの中でその名を知らぬ者は殆ど居ない。天才と謳われているグラシアナ・カベーロはブレイジスに技術提供を行っており、その頭の良さはどこにだって知れ渡っていた。
前大戦時からブレイジスに協力的な姿勢を見せる彼女が今までどれだけの勲功を挙げたか、数える暇さえない。
未だ見ぬ新型兵器やイクスの開発計画にまで携わっていると風の噂で聞いたことがあったワイアットは自分なんかとは一生縁がないとまで思っていた。
「彼女との接触機会が出来た」
「へぇ」
ワイアットは別段興味も湧く様子も見せない。上司は若干驚いた表情を見せた。
「嬉しくないのか、お前の前に言った奴はこれを聞いて胸の高鳴りが抑えられないって言ってたぞ?」
「俺と彼女に関連性なんか何一つないすからね」
そんなことない、と反論しようとする男だったがこれ以上話が逸れてしまうことを恐れたのか、融通の効かないワイアットに呆れたのか喉まで出かかっていたその言葉を腹の奥に閉じ込める。
「とにかくだ、彼女の下にある品を送り届けたい」
「それは構いませんが、一体何を?」
知りたいかと眉を上げて問いかけてくるような表情をした。今度は人並み程度に興味がある天邪鬼なワイアットは改めて男に聞く。
「その品の正体とはなんですか、カンデラス・マルハリサ少佐」
そう問われたカンデラスはワイアットの素直さに悦に浸ったような顔をしたのち答えた。
「グラシアナ・カベーロが作り上げた兵器。対魔術師用兵士装着型戦闘装備、名を『
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