046. 不完全な英雄



「グレイスよ、お前は目はいつも怖かったなぁ」


 昔話を始める。もう誰も覚えていないはずの昔話を。あの時の彼は殺すだけのマシーンになりかけていた頃だった。

 弱い精神が、あの時のニルヴァーナの死がグレイスを機械にさせた。だが、グレイスは過去を振り返るのはもう辞めた。


「だが今はこんなに敵に囲まれても一点の曇りのない瞳でいられる、あっぱれと言うやつだよ」


「ヴィクトル、付き合いの浅いお前ではない、大切な人が別にいるからな」


 仮にもかつて同じ敵を相手にする戦友だった彼らだが、今はもう違う。

 ただ自己の目的を達成させる為に殺し合う。


 かたや、自分以上の才能を持つ人間を全て殺す為に。

 かたや、自分を知り、自分を頼る全ての人間を守る為に。



「アラスカの英雄と言われた貴様でもこの人数では勝てまい!!」


 優に百人は超えるであろう"人間"たちとグレイスという魔術師ひとり。隙のない隊列で囲まれているが驚きもせず見渡す。


「この人数を指揮できるような地位に立てたのかヴィクトル。お前のことだ、さぞ嬉しいんじゃないか?」


「そうだ、貴様のように魔術を持っていなくともここまで辿り着けるのだ、跡形もなく撃ち尽くしてやろう」


 ヴィクトルの魔術師に対する憎悪は収まらない。いつからなのだろう、ヒトの魔術師に対する偏見が高まったのは。もう何も分からない。分からないが、戦うしかないことは誰にだって分かる。


「死ぬがいいさ、グレイスゥ!」


 グレイスに向けて一斉射撃が始まる。無数の鉛が軌道を描き飛んでくる。大半はグレイスの周りに飛んでいくがそれでも身体に命中する弾は存在する。


「うおおおおぉ!!!」


 グレイスが咆哮すると魔術、エクスマキナの力によって天空から空を切り裂き小さく自分を取り囲む大剣が何本も降りてくる。

 貝のように殻に閉じこもり、外敵から身を守るその大振りの剣には数多の弾丸が撃ち込まれる。


「ハッハッハ!!」


 ヴィクトルの笑いとともに銃声が延々と響く。止まないその音はグレイスを殺しにかかっていた。


「いい加減顔をだせい、そこからどうやって攻撃を仕掛ける気だグレイス!」


 全方位にグレイスを守る為に大地に突き刺さる大剣達はその攻撃を耐えられなさそうだ。辛うじてグレイス自身の身体には影響はないが、このままでは近いうちにでもやられてしまう。


「がはぁっ!」


「ひぃっ!」


 その時、弾が切れた銃をリロードしていたヴィクトルの兵士の胸に剣が突き刺さる、それも次々と。飛来してきた剣に対応出来ず十数人が倒れる。彼らの横にいた別の兵士たちがその無残な姿をみて狼狽えている。


 グレイスが考えた打開案は大剣の前から直剣を創造し飛ばすというものだった。剣と剣のほんの小さな隙間から覗き込み、狙いをつけて放っていた。


「こんの……おい、グレネードだ! グレネードをあそこに投げこめ!」


 この発言を剣の中から聞いていたグレイスは、ヴィクトルは階級こそ上がったが部下への寛容な器や指揮力はそれに不釣り合いとしか思えなかった。

 しかし、その言葉が確かならここを離れなければならないのだが、未だ攻撃は続いてる。


「この弾幕から逃れられまぁい!」


 顔を見なくても喋っているヴィクトルのニヤケ面が目に浮かぶグレイス。そんなことを考えていると手榴弾のピンを抜く音が微かに聞こえる。

 今だ、そう悟ったグレイスは地に刺さっていた剣を一斉に操りヴィクトルの周りの兵士たちに飛ばす。


 聞き慣れた悲鳴が上がる。

 ヴィクトルの周りにいた者達は次々に倒れる。

 鍛え上げられた素早さを活かして銃を持つ兵士の懐に飛び込んでは切り裂き、飛び込んでは切り裂きを繰り返す。


 手榴弾を持っていた男は次は自分が死ぬのではないかという恐怖に怯み、それを落とし逃げようとするが、グレイスは逃がさずすぐさま剣を創り、背中に当たるように願いながら身体を使わず魔術で飛ばすと左肩甲骨に刺さる。


「ああ、痛い痛い痛いぃぃぃ……」


 そのうめき声を聞かずただ人を殺し尽くす。

 返り血を浴びでも気にしない。血にまみれていくアラスカの英雄、グレイスは人を守るために人を殺していた。


「うおおおお!!」


「ば、バカな……」


 為す術なくやられていく自分の手駒と、紅く染まったグレイスの姿ヴィクトルはたじろいだ。

 銃を捨てナイフを持ち近接戦に持ち込む者もいたが、近接戦闘を専門に戦うグレイスに勝てるはずもなく倒れ込む。


「私の、栄光が」


 ニルヴァーナという立場上では上司の男に頼まれただけだが、ヴィクトルはこの状況自分の成果だと言い張る。


「お前は自分に付き従う者達でしか自分の名誉を理解出来ないのか?」


 百数人いた兵士は十五分足らずで全員地に臥せていた。

 残るのは無傷だが、この人数でかかれば自分は必ず勝つと慢心しきっていたせいでライフルを持っていないヴィクトルだけが立っていた。


「く、来るなグレイス……元は仲間だろう?」


「あの時、お前達が寝返ったせいで一時は劣勢に追い込まれた。何人も死んださ」


 グレイスは過去を語る。惜しげも無くヴィクトルやニルヴァーナが居なくなってからの話を。

 ヴィクトルは尻もちをつく、無意識に後ずさりしていたせいで、普通は転ばないような所で転倒していた。


「つらかったよ、魔術師ではカバー出来ない塹壕隊、しかもその一角を担うレベルの人数が突然全滅したんだ。誰もが死ぬ気で戦いに挑んだ」


「黙れ! 死ね、死ね、死ね、死ねええ!」


 思考が止まったように同じ単語しか連呼しない。グレイスは目を覚まさせてやるかの如く、左手に持っていた剣を後ろに下がっていこうとする右足に突き刺す。


「うあああああ!!!」


 血肉が風にあたって更に痛むだろう。その痛みは自分が過去経験した痛みと同じものだろうとグレイスの脳裏はあの時の痛みをフラッシュバックさせた。


 それを振り落とすかのようにグレイスはもう一つ剣を持つ右手を上にあげる。彼を殺す準備は出来た。


「悪いな、ヴィクトル」


 死んでくれと言わんばかりに投げかけたその一言に叫び、泣きわめくヴィクトルは小さな声で反応する。


「グレイス、やめてくれ……」


 グレイスの右手はすんでで止まった。ヴィクトルのその一言はグレイスにあらゆる思考をさせた。

 そうだ、今でこそ敵だが経緯で言えばニルヴァーナと同じように裏切ったのだ。

 ヴィクトルを説得すればニルヴァーナも連れ戻せるかもしれない。グレイスはヴィクトルの足に刺さっていたを抜いてあげると彼に問掛ける。


「戻って、来ないか。ヴィクトル」


 もう遅いかもしれない、だが期待したかった。誰も成し遂げられないことをするのが英雄ならばそれでもいい。彼は今は敵であろうと縁を持っているものならば手を差し伸べる。それをこれから続けて無意識に英雄になろうとしていた。


「はぁ……はぁ……」


「お前がいればニルヴァーナも帰ってくるだろう」


 ヴィクトルを利用しようとしているような口振りであることは分かっていた。事実利用する。それでも親友に帰ってきて欲しかったのだ。


「へ、へへへへへへ……」


 ヴィクトルは痛みで頭がおかしくなったのか突然笑いだした。ありえない理想を嘲笑ったのか、気づいていなかった希望を見た嬉しさなのか。


「レルゲンバーン大尉、大変です!」


 伝令兵が基地からやってきた。前線のことを伝えるためだろう。緊急事態には人をよこせとシャロンに言ったのは自分だと分かった上でヴィクトルに背を向けようとし、味方兵士に対応しようとした。

 ヴィクトルの笑いの答えはすぐに分かった。


 たった一発、銃声が鳴った。誰に向けてなのかは明白だった。だが血が垂れてきたのは別の人間だった。


「え……?」


 伝令兵の頭には小さくも大きなへこみが出来た。即死だ。ヴィクトルのグレイスを狙って撃った弾丸はヴィクトル自身の痛みの反動で逸れ、偶然にも伝令兵の頭に命中した。


「ハハハハハハハッッ!!! これが、英雄であるお前に付き従った結果だ! 恨むがいい、その男を! その人生を! くだらない死に方だったぞ、ハハハハッッ!!」


 グレイスは自分に対する悪意を感じとってしまった。

 よっぽどのきっかけとはこの事かと、悟ってしまう。目の前で仲間が死ぬことはいつまでも慣れなかった。油断すれば目が潤んでしまいそうな瞳は途端にヴィクトルに対する怒りに変わった。


「はあッ!!」


 グレイスはヴィクトルの両腕を切り落とす。先程の十倍ほどの悲鳴が上がる。戦う際に最も自分を動かす理由にしては行けない感情で敵を攻撃してしまった。

 この伝令兵はつい最近入ってきたような男ではない。軽く二年はここに住み着いている。彼にとってもここは第二の故郷とも言っていいだろう。


 この男を知っている。そしてその男を殺された。これだけでグレイスの戦う理由になるには充分だった。無情かつ非情なる戦争に横にいる仲間達という温もりはいつしかのグレイスには響いていなかっただろう。

 今だからこそここまで怒るのだ。それはたとえ自分の昔を知る元仲間であっても許せなかった。


 ついでかのように左太股に剣を突き刺すと彼を放置しようとする。犬のように呼吸をするヴィクトルは先ほどとは打って変わってグレイスに懇願する。


「グレイス! 置いていくのかこの俺を! おれは、仲間なんだろう!」


「……知るかよ」


 後ろは振り向かずそう呟いた。

 ニルヴァーナはそんなことはしない、そのような浅はかな期待は止めた。何事も程々にだ。たとえ誰だろうとニルヴァーナであろうと、今自分の隣にいる仲間を殺したのなら倒す他ない。


「置いてかないでくれぇぇぇぇ!!」


 そう叫んでも決意したグレイスは歩みを止めることは無く血の滴るその場を後にした。






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 今にも死んでしまいそうだ、ヴィクトルは叫ぶのも疲れてしまった。


「やあヴィクトル」


 ヴィクトルの耳につけている無線から声が聞こえる。彼はその声の主が誰かすぐにわかった。ニルヴァーナ・フォールンラプスであると。


「ニルヴァーナか、ニルヴァーナだな! 助けてくれ、今俺は両腕を失って……」


「随分と助かったよ」


 ヴィクトルは困惑していた。


「な、なにを……」


「お前のおかげで作戦が遂行された」


 最低限の情報だけで構成された言葉にヴィクトルは引っ掛かりを覚えた。


「もしや貴様、この私と私の手駒を"犠牲"にしたな……!!」


「どうだかな」


「答えろニルヴァーナ、ニルヴァーナ!」


 既に通信は切れていた。かけ直すことも今の彼の体ではできない。

 枯れ果てた声を使いヴィクトル・ザドンスキーは叫ぶ。


「謀ったなアアァァァアア!!」


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