038. ハレーション
人を殺した上で何が平和か。
グレイスの思想は汚れていた。五年前、何百を越える人間を殺し続けてからずっと彼の人を殺す力は衰えていなかった。
だが、他人の思いを知ってからは何かが違かった。
「先の戦いで居なくなった者を報告してくれ」
グレイスはコペンハーゲンから共に来た仲間たちに指示をした。
確認をしなくとも彼は薄々分かっていた。恐らく壊れた、もしくは紛失した車輌はたった一つ、そして死者もただ一人なのだろうと。
裏口からアリアステラに入ると既に伝えていたグレイスたち。それに応じてニンバスが外へ出てきた。
「お前ら!」
用事を済ませようとした潤とグレイスに声をかける。顔を俯けるグレイスに何かあったと瞬時に分かったのか、激励する為にあえて話しかける。
「色々あっただろう、だが休んではいられない」
グレイスの扱いを心得ていたニンバスは勇気づけるのではなく、次の戦いに向けた話題を振った。
「なにかあったのか」
「各支部が総じて攻撃を受けているとの連絡が入った。本国でも東沿岸部から敵が攻め入っているらしい」
グレイスが反応するとすぐさまニンバスが答える。
各支部、恐らくは大規模戦線を築き上げていた各国の主要都市たちの話だろう。今となっては全て国際連合国として統合された都市の防衛線は強固なものだ。ただの雑兵では太刀打ちできないほどの魔術師が多くいる。
だがイクスがあれば可能性は充分にあると踏んだのだろう。それほどブレイジスはイクスに頼りきりだと考えていた。
本国が攻撃されていることにグレイスは特に驚きはしなかった。あるのはクライヴがいるなら大丈夫だろうという謎の自信だった。
加えてレブサーブが本国に戻っているのは"彼"から聞いていた。
アライアス・レブサーブが戻ったのは本国への攻撃を予測していたからなのだろうか。それともただの雑務を済ませたついでの戦いなのか。どうでもいいことに思考を割くほどにはグレイスには余裕があった。
ただ一つ気がかりなのはアイリーン・グリーンフィールドの安否だった。東沿岸部とは遠く離れた場所で生活している彼女に危険はないだろうが万が一にでも巻き込まれるようなことがあるとしたらグレイスはいてもたってもいられない気持ちになると自分でも思っていた。
「そうか、分かってると思うがここから援軍は出せない。こっちもいつ敵が来るか分からない状況だからな」
「それは理解しているさ。レブサーブ中佐が帰国したが誰が指揮官を務める?」
その問いに答える前にグレイスは深呼吸をした。
今自分の後ろにいる"彼"、ホラーツから託されたコペンハーゲンから生き残り共に逃げてきた者達。三年の月日を過ごし、顔見知りしかいないアリアステラにいた者達。
大きな戦線と比べてみれば少ない数だが、背負うにしてはその人命の大きさをはグレイスには重荷だ。自分でいいのか、やるしかないのかという疑問が未だ残っている。
正直、今すぐにでもクライヴやレブサーブがここに戻ってきたり、ホラーツが生きて帰ってきたりしないかとその重圧から逃げたい気持ちがグレイスに心にあった。願えば来てくれるのなら今すぐにでも願おうと、そんな気分だったが一握りの可能性がないことも理解していた。
誰かがやってくれないか、自分だけ逃げられないか。完璧で最強と他人から持て囃される
だがここで他人に渡してはまたその人間が同じ重圧を背負うことになる。それはとても辛いことだと分かっていた。
自己犠牲をしてでもそれは避けたい。こんな責任をするのは俺だけでいいと本気で願っていた。
数多の命を背負わせることを他人にさせてはいけないと考えるグレイスはニンバスのに応える。
「勿論、俺だ」
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以前まで自分が使っていた部屋に入る。グレイスがいない間は手がつけられておらず、散らかっている資料には埃が乗っていた。でもこれがいつも通りだ。
アリアステラ戦線の基地内は久しく、どこか恋しい部分もあり帰ってこれたことにグレイスは少し安堵していた。
だが、安心する場所へ帰ってきても彼の心には陰りがあった。ニンバスに対してああいった手前、仲間たちには弱さを見せつけられないのだ。
ホラーツから言われたあの言葉を思い出す。分かり合える者になら弱さを見せてもいいと。
彼は自分も含めた仲間を引き合いに出した。確かに彼らに見せているのは弱さだ、でもそれはあくまでも殺人マシーンであるアラスカの英雄としての弱さだと考える。
誰一人として、死人であるホラーツでさえ見れなかった一人の青年としてのグレイス・レルゲンバーンの弱さは見られていない、見せてはいけないと思っていた。
だが精神は過度な重圧に耐えきれない。どこかでガス抜きをしなければならない。
そんな場所はグレイスにはないと思っていた。
椅子に座り、ため息をついている彼の頭の中にあったのは仲間ではなかった。
アイリーン・グリーンフィールド。共に戦う者ではなく、たった一度きり会った彼女の笑顔だ。
一目惚れなのだろうか。彼女の笑顔をとても素晴らしく思えた。
傍から見たら彼女に対する思いも薄く見えるだろうと考える。一回会っただけでこちらが勝手に好意を抱き勝手に思いを馳せる。相手からしたらきっと気分は良くないだろう。
グレイスは引き出しから紙切れを取ると立ち上がり部屋を出る。
向かった場所は電話のある部屋。プライベートは知られたくないものだと、クライヴが自ら指示して個室になったその場所に歩みを進める。
紙切れには彼女の家の電話番号が書いてあった。仕事用の携帯は外出時のみ使用可能な為基地にいる今は使えなかった。
まどろっこしい理由は無かった。単に声が聞きたい、安否を確認しておきたい。そして、打ち明けたい。
部屋に入るとダイヤル式の電話がぽつんとひとつだけあった。
この基地は何もかも前時代的だ。物資も武器も戦略も、機器までもが古臭い。
時代に取り残されたかのような閉鎖的空間のこの地で三年も生きてきたことにグレイスは今更ながら少し感動さえ覚えた。
番号を打ち、受話器と耳を擦り合わせる。
コールが四回するとグレイスは少し落胆した様子だった。
それもそうだ。どれほどの人気かは分からないが仮にも歌手だ。忙しいに決まっている、そう易々とこんなに馬鹿げた男の電話には出ないと思っていた。
もう諦めようと受話器を耳から離そうとした時、ガチャっと物音が鳴った。
「はい、もしもし」
明らかにアイリーンの声だとわかったグレイスはその問いかけに答える。
「お久しぶりですアイリーン、グレイスです、グレイス・レルゲンバーン」
「えっ、グレイスさん?」
大層驚いた声だった。彼女はグレイスから電話がかかってくるなんて思ってもいなかったのだろう。
「忙しい時にすいません」
「いえいえ、電話を取るのには遠い場所にいたので遅れただけですけど……グレイスさんは今どちらにいるんですか?」
アイリーンはグレイスを心配していた。戦いをする為に自分と離れた男がいつ戦闘が起きるかもわからない中、自分の家の電話にかけてくるという自分の常識の中ではありえない事が現実に起きているせいか、少々混乱していたのだ。
「基地の中と言えばいいですかね。大丈夫ですよ、戦闘は起きていませんから」
「は、はい……」
口ではそう言っているグレイスに少しの不安を残しながらもアイリーンは再び質問する。
「どうして電話してきたのですか?」
「あなたの無事を確認したかったからですよ、本国にも敵兵士たちが来たと言われていますし」
「こちらは安全ですよ。報道を見た時は驚きましたが遠く離れた場所でのことですので特に問題はありません」
状況を説明されると彼は見えないながらも頷きそうかと返す。そしてグレイスは先の質問に追加で回答する。
「あと、他愛もない話に付き合って頂ければ嬉しいです。話し相手が見つからないものでして」
「分かりました」
微笑みを浮かべた様子でアイリーンは了承した。大事な話だと瞬時に理解したのか、グレイスから電話がきて驚いていた彼女の顔が見えないグレイスは未だ暗い顔つきで話し始める。
「俺、人を沢山殺したんです。そしてこの地で死にたかったんです」
始めに言った言葉はこうだった。アイリーンはその言葉に動揺せず続けてと促すようだった。
「五年前、十八の頃から様々な場所で人を殺したんです。今でもなおずっと俺たちの仲間を殺してきた相手を殺してます」
毒気を吐くように語るグレイスは話を続ける。
「でも俺、最近気付いたんですよ。自分が平和の為に剣を振るという目的すら忘れてただ来る敵を殺るだけの機械になっていた事に」
自覚はしていた。だが気付こうことしなかったいままでの自分を殴るように語るグレイス。
「それを気付かせたのは共に戦ってくれている仲間で、ヴェニアさんで、グルニアで、ホラーツさんで」
グレイスは名前を出してもアイリーンには分からないのに、聞いてもらっている相手を忘れてしまっていそうなくらいに一言一言に想いが込められていた。
息子に道を示したヴェニアにその言葉を信じ、グレイスのようになりたいと願い戦ったグルニア。
自分の見せかけの鎧に気付き、グレイス自身に弱さを見せたホラーツ。
それに習ってかグレイスはアイリーンにグレイス・レルゲンバーンとしての弱さをさらけ出す。
「アイリーン、貴方でもある」
涙ぐむグレイスの言葉をアイリーンはずっと黙って聞いてくれていた。
「あなたと会えたお陰でもう一度だけ、もう一回だけでもいいから生き延びてみようとそう思えた。そしてもう一度会って笑顔を見たかった」
彼女への想いが止まらない。
グレイスの弱さが唯一出せる場所は戦いとは無縁と言ってもいいアイリーンという存在だった。
グレイスは彼女を無意識に逃げ道として、心の拠り所としていた。
本当は脆く、偉くもない自分を癒してくれる無二の存在ははアイリーンだと、そう考えていた。
「俺は今すぐにでもあなたに会いたい、だけどそれは無理だ。俺には仲間に背負わせてはいけないものを背負っているから」
自分の事情を明かす。自分で何を言っているかも理解できないグレイス。聞いてもいないのにペラペラと話す彼にアイリーンは未だ口を開かない。
「俺は少し頑張りすぎたんです、自分でもそう思えるくらいにはここまでの道のりは長かった。そしてそれはこれからも続く。それでも───」
だが、だがグレイスは
世界に一人しかいないアイリーン・グリーンフィールドという女性に彼は。
「あなたの理想ではないかもしれないこの弱い俺にもう一度、会ってくれますか?」
彼女が出した答えは一つ。
「はい」
目を見開いた。積み重なった想いで潤っていた瞳に希望が見えた。
「私はどんなグレイスさんでも受け止めるつもりでいましたし、いままでもこれからもそれを変える気なんてありません」
グレイスにはこんな自分を受け入れてくれるなんて思ってもみなかったという思いしかなかった。アイリーンは彼にその想いを伝える。
「私はグレイスさんを愛してます、"あの時"、雨の中あなたの背中に肌を寄せてからずっと。そしてそれはずっと変わることはありません。あなたの好きな時に好きなだけ、私に色んな想いを伝えて下さい」
あの時の少年がグレイスなどという確証など何も無かった。名前が同じなだけでただの見知らぬ者だったかも知れない。それでも彼自身に言った理由はアイリーンにしか分からなかった。
「雨の中……!!」
グレイスの脳裏にはその記憶は鮮明に残っていた。少女を救い、少女の両親たちの安心していた顔を見た彼は人を助け、救うことの意味を初めて知ったからだ。
その原点である少女と今、こうして弱さを見せていると考えるとグレイスは少し恥ずかしくなってしまった。
「私もグレイスさんを安心させたいです、傍にいさせてください。だから、生きて帰ってきてください」
こんなにも暖かい、優しい言葉を貰ったのはいつぶりだろう。
彼女からの愛を知り、自分が持っている感情を理解したグレイスはその言葉に再び泣きそうになった。
感謝しかない。一方的でありながら悪く言えば積もった感情の捌け口に、逃げ道にしてしまった自分を責めることもなく、逆に包み込んでくれるようだった。
ありがとう、その言葉を言うにはまだ早い。だからグレイスはアイリーンの願いにこう言った。
「分かった、アイリーン。俺もあなたを愛してる」
グレイスはその日、三年間欠かさず続けた日記に筆を走らせることは無かった。
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