035. 在るべき形と見せかけの鎧


 大地を司る魔術師、ホラーツ・エッフェンベルガー中佐。三十代後半になりストレスで白髪も増えてくるようになった彼は、若かりし頃クライヴやレブサーブと同じとある特殊部隊に所属していた。優秀だった二人に比べて魔術の力が弱かったホラーツは後方支援を任されていた。


 何事も積み重ねだ。時が経ち彼は長年の従軍でその努力を認められたのか、コペンハーゲンの指揮官という地位に就いた。

 部隊の指揮の経験こそ無かったが任務を全うしようという気概はあった。何も根拠が無いものだったがその時のホラーツにとっては必要なものだった。元々自信が無い彼だからこそ見せかけの鎧がいるのだった。


 だがそれも無意味に終わってしまう。約一年半守り通した基地はある日現れた謎そのものに負けた。

 イクスという不可解な存在はホラーツの首をしっかりと締めていた。その強さに絶望し昔と同じように他人の強さに頼りきりになってしまった。


 それでも昔とは違う点があった。歳をとったからだろうか。信頼における仲間の強さだけではなく弱さや脆さが見えたのだ。


 グレイス・レルゲンバーン、特に彼に対してはそれが顕著に見えた。仲間を守るための些細なもの程度ではない。自分と自分の心すら見せない、見せようとしない彼にホラーツは何か伝えたかった。

 何も出来なかったこの短い期間にグレイスだけにでも"足跡を残し"たかった。それがホラーツなりの『格好つける』だからだ。


 あの時、心の中では少し弱気になりながらも仲間たち全員の前で言った本心で、グレイスの表情もホラーツ自身の気持ちも、少し晴れやかになった気がした。

 グレイスに希望を見出したような思いになったホラーツは、この戦線での全ての責任も含めて殿を務める。


 こんな地位の人間が仲間を逃がす為に自分の身を犠牲にするなんて、馬鹿なことだとは自覚していたがやらない訳にはいかない。盲目的だがそれがホラーツの出来るグレイス達への、国連軍への最大限の行いだった。

 たとえ誰に止められようと辞めるつもりもないどうしようも無い男だとも自覚していた。


 後方でたった一人、静寂の中車を運転するホラーツ。前方に連なる車と少し距離を置き、逃げながらも撤退の妨害をしようとしてくる敵を待ち構えていた。


 このまま敵が来なければそれが一番ありがたい。だが夢と希望のぞみは潰えるもの。予想を反してくるのだろうとホラーツは考えていた。


 すると前方から爆発のような音がした。炎が巻き起こるような音した。魔術の類だと分かるとその爆発を起こした本人は潤だと考える。

 奇襲をかけられたあとは本軍が来る。自分の中にある定石を信じて、助けには行かずただ待ち続けていた。


 後ろからエンジン音がする。予想通りに来た敵にホラーツは動じなかった。

 彼はすこし口角を上げると軍用車に付いている無線機を使って全車両に伝える。


「こちらエッフェンベルガー、全員聞こえているな?」


 無線の向こうでは少しざわめきが起きる。ゲレオンが静かに反応する。


「こちらブラント少尉、聞こえています。どうしたんですか?」


 少し疑問を浮かべている彼らにホラーツは作戦の通達だけをした。


「これからアリアステラに行け。どうやら本国に敵が来たらしいのか、基地の司令官であるレブサーブ中佐が本国へ帰ったと聞いた」


 驚き、そして不安が入り混じる。どうすればいいのか、冷静に対処をする為にホラーツは道を示す。


「アリアステラに着いたらレルゲンバーン大尉を臨時司令官に任命する」


 その言葉は本人が誰よりも早く反応する。


「馬鹿を言わないで下さい少佐、貴方の方が階級も技術も上だ」


「お世辞が上手いなグレイスは。だがこれは上官からの命令だ、拒否権なんて無い」


 ホラーツはグレイスの戸惑っている様子が目に浮かぶようだった。グレイスは今までのホラーツの言動と今やっている自分の行いについて批判する。


「上下関係を嫌っていたのはあなたもじゃないですか、今更そんなこと言っても」


「そんなに嫌か、俺からの命令は」


「そんなこと……」


 静かに諭す。グレイス本人も口には出したくないだろうがきっとホラーツが死ぬ気だということをホラーツに言い出せないのだろう。

 ホラーツ自身もグレイスの心情には気付いている。だが相手が言わない以上、ホラーツから言うつもりもなかった。


「レルゲンバーン、了解しました」


「エッフェンベルガー、アウト」


 彼がホラーツの指示に従うことが分かると全員に開いた無線を切り、グレイスの乗っている車だけに周波数を合わせる。

 彼にはまだ言い残した事がある。


「グレイスか、言い忘れていたことがある」


「どうしたんですか少佐」


 次に聞いた彼の言葉に動揺は一切無く、まるで別人のようだった。再び見せかけの鎧を纏い振る舞う彼に頼み事をする。


「息子がいるんだ、血の繋がっていない息子がな。偶然にでも会ったら父親は格好いい男と伝えてくれ」


「わかり、ました」


 少し躊躇いを見せるが願いを聞き入れるグレイス。ホラーツは少し間を開けると、彼を諭す。


「グレイス、見せかけの鎧ソレは疲れるだろう。だからお前が分かり合えると確信した人間には弱さを見せていいんだ。俺がゲレオンやシャロン、潤にグレイス、お前達に見せているのは紛れも無い弱さであり、本心だ」


 グレイスはずっと黙りこくっている。脳での処理は出来ているがきっと形容しがたい何かがグレイスの体を廻(めぐ)っているのだろう。そう考えるホラーツはもう一言残す。


「無責任だが言っておく。グレイス、ほんの少しくらい胸張っていいんだぞ。じゃあな」


 グレイスも何か思うところがあるのだろう。最後まで何も言わなかった彼の真意をそうやって汲み取るホラーツ。


 無線を切りやって来る後ろの敵を注視する。バックミラーを見ると、一人の男が先行してやってきた。


 紺色に死人のように白い肌を持つ男。少し遠いが特徴は合致していた。あれがサキエル・グランザム。バイクできたその男を確認し、車のエンジンを止める。


 ホラーツがドアを開けて外に出ると、彼もバイクから降りる。


「お前がサキエル・グランザムだな。話は聞いているぞ、お前のイクスにみんな手酷くやられた」


「そっちはホラーツ・エッフェンベルガー」


 自分の名前を知っている、そんなちっぽけなことに慣れていないホラーツは少し余裕を持って返答する。


「俺の名前を知っているのか、それはそうだよな。お前が俺のことを殺すと言っているのだからな」


 司る魔術師を全員殺す。グレイスからサキエルの目的を聞いていたホラーツは本人に問う。


「知っているとも、当たり前だ」


「なぜ俺たちを殺そうとする?」


 目的の意味を問う。相手が答えなければそれまでだが、ホラーツは彼に対して敵ながらどこか期待を寄せていた。


「それが意志だからだ」


「誰かのか?」


 眉がぴくりと動く。嘘が苦手なのだろうか。

 一体誰なんだ、そこまで教えてくれないだろうか。ホラーツはちょっとした駆け引きに誘われている気がしてならなかった。


「それが誰なのかは教えてくれないのか?」


「死ぬ前に出会った男の名前など知らないな」


 意味が分からなかった、その男の言っている意味が。彼は確かにここに存在している。敵ながらその意味さえも尋ねたいが、サキエルはホラーツに向かって言い放った。


「もういいだろう、そろそろ殺ろうじゃないか」


「それも、そうだな」


 もうそんなことを考えることも無くなる。ホラーツが右手を握り締めると大地が揺れ、地割れを起こし背後に巨大な壁が出来上がる。


「誰一人としてここを通すつもりは無い。お前も、お前の後から来るであろう奴等もな」


「随分と強がるじゃないか、行くぞ」


 彼も左手を握り、力を発動させる。


「アブソーブ・スカル!」


 解放されたその力はオーラになりサキエルにまとわりつく。

 ホラーツが先手を打ち、相手に近づく。


「アウストガイア!」


 大地を司る魔術、アウストガイアで応戦する。地面に打てば地球ごと割れるのではないかとさえ思わせるその拳はサキエルの体に届く。


 だが物凄い反応速度でサキエルはこれを防いだ。ホラーツは続けて連撃を放つが、これもまた防ぎきる。


 ホラーツは一旦距離を取り、外に着ていた自分の足首の上まであるオーバーコートを脱ぐ。再びサキエルに近づき話しながら攻撃を仕掛ける。


「殺した男と言ったな、お前は一度死んだとでも言うのか?」


 ホラーツの正拳とサキエルの剣戟が打ち合うと重い轟音が鳴り響く。平静を装いつつも余裕の無いホラーツに対してサキエルは答える。


「自分の頭の中で考えるといい、お前にはそれが出来るはずだぞ」


 馴れ馴れしく心の中に入ってくるサキエルにホラーツは不快感を感じていた。もどかしさに似た感情の中、二人の戦いは拮抗していた。


 このままでは先にスタミナが切れ負けてしまう。ホラーツに残されたカードは短期決戦しかなかった。


「その言い草は十年来の友のようだな、お前に言われる筋合いは無い!」


 その瞬間に拳を地に叩きつると大地が蠢き割れる。戦いに決着をつける為、彼を宙に浮かせて見せる。

 小島のように小さく割れた地に乗りながら舞い散る岩を操り、サキエルに飛ばす。


「ネクセス!」


 対してサキエルは器を造り出し骸の巨人を生み出す。巨人の右手に足をつけ、左手で自分を守る。


「なるほど、察するにイクスと魔術を使えるのか」


 ホラーツ自身の理解は速いが身体が追いつかない。飛ばした岩の方向転換も出来ぬまま、左で防がれてしまった。

 左手が退かれるとサキエルは目を閉じていた。ひっそりとその瞳を晒すと彼はこう言った。


「ホラーツ、貴様を殺すことに躊躇いはない」


「後悔しても知らないぞ」


 二人の中間には地中へと続く奈落があった。あの中に先に入った者が死ぬとわかっていた両者は戦いを決めようとする。


「アウストガイア、最期の力を見せてみろ!」


「ふんっ!」


 割れた大地を使って岩の塊を作り出してみせた。サキエルは骸の巨人と共にホラーツに接近すると同時に心臓部分に移動した。

 サキエルが右手を突き出すと巨人もそれに応えるように殴りにかかる。ホラーツは岩石球をサキエルと巨人に寄越す。



「「うおおおおおおお!!!!」」



 世界が壊れてしまうのではないかという程、二人の戦いは激しいものだった。司る魔術師の力はたとえ微弱でも尋常ではないものだ。

 巨人の拳に対して塊がぶつかるとサキエルは少し後に引く。細かな違いを逃さなかったホラーツは圧力をかけて押し切ろうとする。


「くそっ!」


「喰らええええええ!!!」


 遂には攻撃をやめて両手で抑えようとする巨人とサキエル。更に圧をかけるホラーツはこのままサキエルを奈落に落とそうとしていた。


 両手で支えるも、どんどんとその体にヒビが入っていく。巨人の右腕が砕けるとそれが響いたのか、他の部位までもが綺麗に散っていった。岩石球もホラーツの圧力に耐えきれず割れた。


 力を発揮し過ぎたせいか、お互い同じタイミングで底へと堕ちていく。

 まだ諦めはしない。ホラーツは割れていき、礫となった岩石をサキエルの周りに囲む。


「全方位からの攻撃、かわせるものなら!」


「くっ……」


 歯を食いしばるサキエルの表情など気にせず本気で彼を殺しにかかったホラーツ。

 だが礫たちがサキエルの身体に当たる直前に、目に見える異常が起こった。


「!?」


 眩く冷たい光がサキエルの体から放たれる。戸惑うホラーツだが、両者とも宙に浮いた状態では避けることさえ叶わない。

 岩はその冷ややかな何かですべて消えていく。光がホラーツに届くと、四肢の自由を奪われていった。


 先程とは違い青白い光に囲まれたサキエルはホラーツを凝視していた。

 鋭くもどこか陰りのあるその瞳にホラーツは心当たりがあった。迷いもなくホラーツは彼に大声で話しかける。


「なぜ、なぜお前……いや、あなたが! ……まさか!」


 掠れていき、声すら出させないようにしようとするサキエルにホラーツは続けて喋る。


「そちらにつく理由も俺を殺す意味さえないはずだ、なのに!」


 体の身動きがその何かによって完全に出来なくなり、息絶えようとする。それでもホラーツはサキエルに話す。


「グレイス・レルゲンバーンは、今のあなたが思い描いているような存在ではない!」


 その発言に少し反応するサキエルだが、侵食は続く。


「今のあなたのような意志に囚われた存在ではない、生きる意味と理由を知っている!」


 自分を殺そうとしているその男、サキエル・グランザムに対して最期の言葉をホラーツは語った。


「だから、あなたももう一度考えろ! 俺を殺して、何を思ったかを! その心はあなただけの……」






 目を見開き、口を大きくしながらホラーツ・エッフェンベルガーは何もかもが止まってしまった。その世界の一瞬に取り残されたかのように。

 サキエル・グランザムもまた、奈落へと堕ちていった。何かを忘れていた彼は世界の一瞬に見出されたかのように。


 地上には何も残らなかった、二人の戦いの形跡以外は。歪んだ土地と地獄への亀裂を視たナタリー・ヴェシエール率いる革命軍は別の路を探し求めた。


 グレイス・レルゲンバーン達は犠牲を負いながらもアリアステラに辿りつこうとしていた。たった一人の犠牲者は彼の心を大きく動かしていた。


 こうして彼らは還っていく。あるべき世界の一片に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る