028. 動き出す正体
基地に戻ると櫻井 潤がいた。先に戦闘を終えた彼はグレイスの下へ行こうともしたが、ゲレオンと思考が被り万が一全員が殺られた場合、左右中央全ての報告が出来ないままに終わる。
それは避けたいと彼はたった一人、本部に戻ったようだ。
魔術を持たない一般兵すら一人もいない中で未だ戦場に慣れない一等兵が、危険だったグレイスの方へ来ても足でまといになる。彼の戦闘能力も鑑み、正直に考えていたグレイスは潤の行為を咎めることはしなかった。
潤に謝られたあと、一人で向かったのはシャロン・リーチのいる医務室。恐らく義手が原因による倦怠感などの不調を訴える為に、彼女の下にやってきたわけだ。
部屋に入るなり衛生兵長からのお達しがあった。
「五日間、たった五日間戦わなくていいのに。待てなかった?」
「俺もあなたも軍人だ、敵前逃亡は許されない。その上、エッフェンベルガー少佐からの命令があれば嫌でも戦わなければならない。それぐらい分かるだろ?」
上官に敬語を使わないここの人間は恐らくホラーツの指示によるものだろう。彼も自分と同じで上下関係を酷く嫌う人であると、自己評価も交えて推測するグレイス。
「そうね、そうだった。決して忘れていた訳では無いけど、軍医の立場としては貴方達には死んでは欲しくないから」
「勿論それは理解している、俺は死ぬつもりなんて今は……」
シャロンはグレイスに目を向け、首を傾げる。
今は、どうなんだろうか。
言葉に詰まった。久しぶりだった。最後にグレイスがいる今のように喋れなくなるような感覚に陥ったのは五年前、現実を見せられたはずだった時だ。
自分の今の感情は正直理解出来ていない、だが敵は自分が迷っていることなんて知りもせず、絶望だけを押し付けてくる。
自分の気持ちは戦わなければならない戦場に埋もれ、いつしか考えなくなる。
グレイスは発するはずだったその一言を押し殺し、なんだなんだと疑問を浮かべているような顔をしているシャロンにこう告げる。
「……わかってる」
グレイスはシャロンに一度義手を診てもらったらどうやら相性というのが合わないらしい。
シャロン曰く、生体兵器とほぼ同義であるコレは最早生物と変わりない。それはグレイスに対する慣れもあるということらしく、今はまだ完全な状態ではないらしい。
この言葉にどういう意図があるか。それは、彼女の言う完全な状態になるまでサポートが必要だということだ。
魔術を使わない限りさほど時間はかからないが、ついさっきまで戦場にいたグレイスにとってその言葉は言語道断。
だが、シャロンは若くしてこの地の医療部隊の最高責任者と同じ位置にいる。そう易々と異動は許されない。
つまり、グレイスは義手が彼に慣れるまでコペンハーゲンを離れることが出来なくなってしまったのだ。
シャロン・リーチにその事実を告げられたあと、グレイスはホラーツ・エッフェンベルガーの下へ向かった。
ドアを開けると報告を済ませていた潤とゲレオンがいた。全員が全員不穏な顔をしていた。
二人がいる中、万全な状態になるまでここにいる事が確定したことを報告する。
ホラーツはそうかそうかと頷き、それを了承した。
だがホラーツが次に口を開き、案じたのはグレイスがここに残ることではなかった。
「その万全な状態とやらになるまでどれほどかかるんだ?」
「…一週間程度、ではないでしょうか」
ますます部屋の雰囲気は暗くなる。グレイスはたまらず三人に問う。
「一体どうしたって言うんです?」
少し口篭ってからホラーツは事実だけを伝えた。
「単刀直入に言うと今回の防衛が響いている。ゲレオンが最終防衛ラインだった右側も、櫻井一等兵が先導した左側も殆ど……いや、全ての一般兵が死んだ。これ以上、この戦線を維持するというのははっきり言って不可能に近い」
その言葉は大きすぎる重みを含んでいた。
イクスが存在している今、戦争全体から見ても戦況は明らかに防戦一方となっている。
全ての戦線がブレイジスの攻撃を守りきり、逆に攻勢に転じれば勝てる見込みはあるだろう。
だがその前に戦力は大きく削られる。逆転するほどの力はあるだろうか。グレイスは数秒の間で戦争のすべてを深く考えていた。
なにより今いるここ、コペンハーゲンやグレイス達がいたアリアステラは本国にそこまで重要視されていないのだ。魔術師の数も平均より少なく、兵站も厳しい。
特にアリアステラは占拠されれば大きな戦線や本国に上陸され、裏を取られてしまう危険性さえある。それだけなんとしても避けたい。だが、この状況下にあるコペンハーゲン戦線が仕返しできる訳がないと考えるグレイス。
「最悪の事態だ、場合によっては戦線放棄さえ有り得る」
コペンハーゲン戦線は資源は豊富だが、幸いなことか他の戦線とは少し独立した位置にある。だが放棄した場合、撤退ルートは少ない。
「そんな事考えてる暇があるなら、勝つ方法を考えよう……大佐ならそう言うだろうな」
きっとクライヴ・ヴァルケンシュタインのことを言っているんだろう。グレイスは聞き覚えがあるようなその言葉にピクリと反応する。
大佐をご存知なのですか、ガーディアンズに所属している上、少佐の地位さえも獲得したホラーツにそんな野暮なこと聞けずとも接点は聞ける。グレイスは別の質問を彼に投げかけた。
「彼とどこで会ったんですか?」
「ああ、まだ俺がひよっこの頃、特殊部隊に配属された時だな」
へぇ、と感嘆する潤と、会ったことは無いが名前は知っていると言いたげな顔をするゲレオン。
「その時のメンバーは凄かったものだ、司る魔術師が何人もいた」
一瞬だけ時間が止まったかのような気分にグレイスはなっていた。
またその言葉だ。あのサキエル・グランザムが言っていた単語とどこも違わないそれにグレイスは反応する。
「司る魔術師っていうのはなんです? その名前自体聞いたことがありますが……」
「俺も聞いたことは。何かの噂かと」
グレイスに続けてゲレオンも便乗する。
言っちゃまずかったか、そんな顔をするホラーツとモノを知らない潤の表情の差は印象的に思えた。
本人は真面目にやっているつもりだが、失言が多いとはゲレオンから聞いたがここまでとはと感じるグレイス。
まあいいか、そうぼそっと言うと深く息を吐いてからホラーツは口を開く。
「俺や大佐、恐らくレブサーブ中佐もだろうが俺らは所謂"司る魔術師"という存在だ。特定の魔術における全ての力を発揮できる者に付けられるいわば称号だ」
風を司る魔術師なら大きな竜巻を起こしたり、そのうえ人を浮かせることだってできるかもしれない。司る魔術師とは属性などにおける縛りの中ならば、きっと何もかもが出来てしまう。グレイスはその言葉の意味を理解しようとしていた。
通常の魔術師、例えばゲレオンの風圧によってものを運び、相手を吹っ飛ばすことが出来るトラロカヨトルはその風圧による攻撃方法しか出来ない。
だが、風を司る魔術師ならばその風が
ホラーツは言っていなかったが、グレイスは"特定の魔術"、それは恐らく属性に留まらないと思っていた。
「俺は大地を司る魔術師。だけど俺は戦うことより後方でのバックアップの方が時間は長いから、お陰様でその力は微々たるものだ」
「でもそれは、中佐だけではないはずです」
自らの力が弱体化したと言うホラーツ。だが階級が上がれば戦闘に出る機会は減り、腕も鈍る。それは必然的ではないかと潤は彼に聞く。
「いや、きっと俺だけだろう。元々、司る魔術師の中でもパワーの無い俺は当時の部隊長から後方での支援を行うことを命じられた。ステージが違うんだ、俺と大佐たちは」
「ああ……」
元々の力量が他の隊員と違うと聞き潤はその言葉に納得した声を寝息のように吐く。
グレイスはその話を聞いた上で彼らに自分の意見を話す。
「潤と同じほどの年齢の男がこちら側についている司る魔術師を全員殺す、そう言ってきたんです」
「……どんな奴だった?」
「紺色の髪に死人のような白い肌を持っていて、サキエル・グランザムという男でした」
その特徴を踏まえて考えるホラーツ。だが彼はそんな名前の男は聞いたことも見たことも無いという。
結局今はサキエルの存在は謎のままとなってしまった。彼のその言葉になにか深い意味があるのかどうかさえわからないグレイスは、一時彼のことを記憶の片隅程度に留めておくよう努力した。
そうしている中ホラーツは三人に向かって自分の決意を話す。
「三人とも。俺は勝ちたい、この戦争に勝ちたいからここにいる。ガーディアンズとしてかブレイジスとしてか、ただの人間なのか魔術師なのか、それともイクスなのか。そんなのどうでもいい、俺は一個人としてこの戦争に勝ちたい。どうか戦い抜いてくれ。きっと勝機は見えてくる。その時は俺達が勝つ時だ」
それは今のグレイスの心に少なからず響いた。
グレイスはさっきまでシャロンと共にしていた時、言葉に詰まった自分を思い出す。今の今まで感じたことのないような心のもどかしさがその時にはあった。
自分はいつ、どこで、何のために死ぬのかを忘れてしまっていた彼はこの言葉を聞いて思い出したのだ。
きっと、自分はまだ死にたくないのだろう。生きたいと感じたのだろう。
何のために、誰のために生きるのか。その答えは少なからず見えていた。
仲間のため、|彼女(アイリーン)のため、|親友(ニルヴァーナ)のため。
きっとまだ生きなくてはならないのだろう。グレイスはホラーツの発言に心底疲れを吹っ飛ばされたかのように見えた。
グレイス、ゲレオン、潤はその言葉に頷き、その部屋を後にした。
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