027. 異形





 目の前にいた男は、それはそれは容姿の整った男だった。


 死人かとも思えるほどの白い肌。深みを持つ紺色の髪。長いまつ毛たちの間には果ての見えない遠くを見ているかのような目。


 男は彼の前に立ちはだかっていた。彼は男の名を知らなかったが、男は彼の存在を知っているようだった。


 彼、グレイス・レルゲンバーンは鋭い目付きで、イクスを持つ人間が着る制服を身につけた目の前の男を見ていた。








 彼らは、今頃戦っているだろうか。

どこまで歩いたかなんて彼にはもう分からなくなっていた。


 潤やゲレオン達への最低限の心配をしながら別のことを考えているグレイス。



 グレイスはアリアステラにいた時、左の二の腕につけたギリシャ数字で"1"と書かれた青のバンダナを付けていた。


 アリアステラ戦線の第一魔術師小隊長を示すその布は、コペンハーゲンにいる今は外しグレイスがいない間、臨時で全二部隊の隊長を務めるニンバスに託されていた。


 彼は今頃左腕に元々つけていたであろう"2"のつくバンダナとグレイスのバンダナの両方をつけているだろう。


 アリアステラ戦線にあるガーディアンズの戦闘服や制服で分かることは階級以外の全て。

 本国の服は階級も分かるのだろうか、それは三年もアリアステラに居座ったグレイスには、今になっては分からない。


 今の今までずっとアリアステラにいた訳では無い。彼らの制服をまじまじと見る暇がグレイスに無いだけだった。


 ただ、戦闘服は恐らくガーディアンズだけのものでは無い。

 ブレイジスのような組織化された軍隊に、戦闘服があるのは当然であると感じているグレイス。


 彼等の服はガーディアンズとあまり変わらない。

デザインこそ変わるだろうが、分かることは全てわかる。


 やはり、戦闘に特化した邪魔にならないような服でありながらも、格好良さも兼ね備える出来になっていた。それはグレイス自身で見た目でもわかるくらいに。


 ただ、彼等の中にもデザインが違うものがいる。その服に特徴的な赤のラインを含めた戦闘服だ。

 それは一見、他のものと見かけは変わらないように見える。


 だが相対するとその意味が分かる。

 グレイスは今もなお、その意味を実感していた。


 左右には崩れた建物といった中、開けた大通りに出ていたグレイス。

 砂に埋もれた石畳が彼に年月の経過を感じさせる。


 その道を踏みしめていたグレイスはある時ぴたっと、その歩みを止める。

 目の前の人影に気付いたからだ。


 シルエットは分かる。自身と変わらないくらいの身長の男だと理解するグレイスはその影が露わになるのを止まりながらずっと待っている。


 そのうちでてくるその影はやはり彼の知らない人間だった。


 赤いラインが入ったその戦闘服は今まで三度見てきた。


「イクス使いか!」


 遠くにある男の顔を見続けるグレイス。男は口を開きグレイスに向かってこう喋る。


「……」


 黙りこくっている男。

 だがその目の前にいる男が今までの敵と同じ服を来ている手前、油断は見せらないと分かっていた彼は変わらず彼を睨む。


「声帯でも失ったか?」


 潤と同じ年代のような若さを身体から表す男を注視しながら、珍しくジョークを含めて質問を試みるグレイス。


「ふっ、バカにしているのか?」


 反応はした、余裕を持っていることをグレイスに誇示する男に対し、彼は続けざまに質問する。


「何しにこんなトコ来たんだ?」


 ブレイジスについた理由を聞く。魔術師を絶滅させるため、親がブレイジスに関係する人間だったため、いくつかの候補を頭に浮かべながら返答を待つ。


 男はグレイスという敵が正面にいるにも関わらず、目を瞑って考えていた。ようやく口を開き出てきた言葉はこうだった。


「そうだな……そちら側につく"司る魔術師"を全員抹殺する為、と言ったところか」


「司る、魔術師?」


 その言葉は聞いたことしかなかった。

 身に染みて、肌で感じることは今までなかった。


 その時、男は素早くグレイスに左手の甲を見せつけるかのように握り拳を作る。


 首筋が張って今にも何かしらの感情が昂り、叫ぶかのような顔をグレイスに向けると名前も知らないその男は左手を地面に叩きつける。


「ネクセス!!」


 彼の発したその一言で地面はうごめいた。


 正確に言うならば大地はどんどん別のものに変わっていった。

 土が盛り上がり、へこんでいく。そしてどんどん形を成していくと、その土は地球と離れ離れになった。


 約十五メートルを誇る人型、だが人間の形は保っておらず、グレイス自身が随分昔に見たスプラッター映画のクリーチャーをぶくぶく太らせ、砂を被せたような存在だ。


 正しく異形。形容しがたいその巨大な物体の頭部と思われる部分に立つ男はグレイスに言い放つ。



「俺の名はサキエル・グランザム。グレイス・レルゲンバーン、俺は"意思"によってお前を消す」


 話す言葉も行動原理も不明なまま分かったのは名前だけ。

 サキエルと名乗った彼は巨大な物体を動かす。


 地に足をつけ先程まであった廃墟を踏み潰しながらグレイスに近づいてくる。


 彼のような顔立ちの男を今まで見たこともなかったが、グレイスはその男に聞こえないほどの声量でぼそっと呟く。


「意思だかなんだか知らないが!」


 小さなその言葉に明らかに強い思いを込めて、グレイスは彼を屠るべき剣を創り出す。


 異形の姿の生物は彼に指示に従うかのように腕であろう部位を振る。


「ふっ!」


 逞しさすら兼ね備えたその巨大な腕を跳躍でかわすグレイス。

 その足をつけた場所は異形の振った腕の上だった。人の形をぎりぎり保っているその生物を、グレイスは駆け上がっていく。


「うおおおおおおお!!!」



 上り詰めた先にいる頭部、さらにその上に居座るサキエルめがけてグレイスは連撃をかます。


 渾身の一撃とも思えるグレイスの攻撃はいとも容易くかわされ逆に隙を作ってしまう。


「ふんッ!」


 サキエルは背中にかけられた剣を一瞬で抜き出し振りかぶる。


 それにすぐさま気付いたグレイスは虚空に四本の刃を作り出す。

 それらが一斉に集まりサキエルの攻撃からグレイスを守り抜く。


 保険をかけて回避をとっていたグレイス本人は後ろに五歩ほど下がっている。


 だがそんなグレイスを見ることもせずサキエル自身は真下を直視していた。

 目線の先には異形の頭頂部、互いに無意識にやっていた読み合いはサキエルが制した。


「グオオオオォォォォォオオオ!!!!」


 まるで地鳴りかのようにも聞こえる異形の雄叫び。

 その咆哮が終わると今度は大きな両腕をグレイスに近づけていく。


 砂埃が吹きすさぶと次の瞬間グレイスの姿は先ほどいた場所には居なかった。


 文字通り異形の"手中"に収まったグレイス。

 頭だけを外界へ出していたグレイスはサキエルの、これで終わりだと言いたげなその殺意に満ちた顔が脳裏に焼き付いた。


「くっそ……!!」


 異形の手に掴まれもがき、這い出ようとするグレイスは自分の力だけじゃ抜け出させないと確信する。


 だがまだ諦める訳にはいかない。そんな風に必死に抗うグレイスを前に、サキエルはネクセスの力で作ったであろうこの怪物の握力を強めていく。


「ぐッ」


 苦しみに耐え続けるグレイスがぼそっとその言葉を呟くと巨体は力一杯に握りしめる。


 体の中の血流がその場で滞り、あらゆる場から血液が飛び出そうになるその時、異形の右手首は吹っ飛んだ。


「ん?」


 右腕には弾痕が手首を切り取るように何個もあった。

 抉りとるように貫通したその銃弾を尻目に、サキエルは弾が放たれた方向を見つめるとそこには汚れた戦闘服を着たゲレオン・ブラントの姿があった。


 全速力で走ってきたのか、肩を上げ深呼吸をするゲレオン。それを見つつもグレイスは異形の手から離れ、受け身を取る。


 二回ほど転がり体勢を立て直した彼は異形の手首をもう一度見てからサキエルがいた場所に目をやる。


「大尉!」


 スコープから目を離し危険を知らせようとするゲレオン。


 異形の腕は転がっていた間に元に戻っている。グレイスはその再生力に驚くと同時に再び攻撃の構えをとる。


 ゲレオンが再び身を寄せ円筒の中を覗くとそこにはグレイスが既にサキエルの近くにまで辿り着いている光景を目の当たりにする。


「はああああ!!」


 サキエルの剣をかわしながら傷をつけようとするも、振っても振ってもその体に届かぬ剣戟。

 サキエルの強さはグレイスと互角、もしくはそれ以上とも思える。


 先程の四本の剣を再び呼び戻しサキエルに突撃させていく。

 四本すべてを見事に避けたサキエル。その間にグレイスは高台にいるゲレオンにアイコンタクトをとる。


 ゲレオンの持つ風の魔術、トラロカヨトルとグレイスの刃を作り出す魔術、エクスマキナを組み合わせ連携を取る。


 ゲレオンはグレイスの作戦を汲み取り、理解したかのように頷く。


 ほんの少し出来た隙の間に出来た中途半端とも言っていい作戦を実行する。


「───ッ!!」


 瓦礫の山に立ちグレイスが手を上げ、喚んだのは先程とは比にならないほどのつるぎ達。


 グレイスの後に輪のように並ぶ数多のソレは、異形の持つ他人を絶望に陥れる程の禍々しさと渡り合えるかのようだ。

 何十もの刃を従えるグレイス。上げていた手を正面に突きつけると、それらはサキエルに向かって空を切る音とともに一斉に飛んでいく。


「ふっ、そんなものッ!」


 異形のもう片方の手で振り払おうとするサキエル、あと少しという所で剣達はその右腕から逃れる。


 剣は不規則に動いている。多数の剣をゲレオンの風を使って相手の予想出来ないような動きをしてみせ、かく乱しながらも攻撃を与える戦法だ。

 数の多い剣を操ることに集中させてしまうせいか、ゲレオンの狙撃での援護は見込めないが風での助力が今の状況では一番助かると考えるグレイス。


 つい数分前までに出来ていた整列しきっていて、調和の取れた輪とは真逆に乱れ、荒狂うように動いていく。


「行け、エクスマキナッ!!!」

「巻き起こせ、トラロカヨトル!!」


 二人は急ピッチの合わせ技を繰り広げる。

 サキエルは目を見開き、その剣を全て回避しようとする。


 異形の手による防御をかわしながらやってくる。その巨体の上でサキエルはひたすらに逃げている。


 乱雑に、だが確実に彼への体を付け狙う攻撃は、遂に逃げ惑うサキエルの背中を捉えた。


 届く、殺(や)れる。ゲレオンとグレイスは殺意をもって彼を仕留めようとした。


 刹那、サキエルの体から光が漏れる。


「なんだ!?」


 ゲレオンが驚くと光は何本にもなり外に出る。するとサキエルはこう叫ぶ。


「アブソーブ・スカル!」


 分かれた細い光はその呼応とともに心臓へ戻っていく。オーラを纏ったようにサキエルは灰色の輝きを放っていた。


 その言葉を発したあとからはサキエルはグレイスとゲレオンの魔術を難なく避け、近くに来るものを跳ね除けていた。

 全てを防ぎきられると、何があったのか理解の追いつかない二人。だが、混乱の中でもたったひとつ分かることはあった。



 彼は明らかに強くなっていた。



 そのうち、異形は形を成さなくなっていき大地へと還った。

 サキエルは唖然とするグレイスを尻目に呟く。


「時間か。まだ慣れないのか」


 まるで自分に言い聞かせているかのようなその言葉は誰もが聞けずにいた。


 サキエルは目の前にいるグレイスと辺りが良く見える所にいるゲレオンに背を向けこう言った。


「また会おう」



 彼はそのまま自軍の陣地のある方へ帰っていった。

 何が起きたかも分からないその時間の中、グレイスはふと正気に戻る。


 赤いラインの入った服を着たサキエルはそこにはいなかった。

 逃してしまった。その責任を感じつつも、感じていたのは男の謎でもその違和感でもない。


 右腕がだるく感じている。シャロンが本来一週間程の日数をかけるはずの微調整も行わずに来たものだから、グレイスは久しぶりに疲労を感じていた。



 だがそれは、グレイスが戦場に帰ってきたことを意味するものでもあった。


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