008. 愛からの逃亡


 その日の夜中、彼の仕事用に持たされた携帯が揺れた。

 ベッドの中にうずくまっていたグレイスの横でグレイスに寄ってくるように震えるそれに気づき、すぐさま身体を起こす。


 クライヴ・ヴァルケンシュタイン。かけてきた電話の主はアリアステラ戦線の司令官である彼だった。


 その着信に出るとやはり、聞き慣れた渋い声が電話越しにフィルターをかけられた上、聞こえてきた。


「グレイスか」


「はい、どうしたんです? ︎︎こんな夜中に」


 戦闘では味わえない別の疲れを感じ、帰るなり寝てしまったグレイスの部屋の時計は午前四時半を指していた。


 少しの遅延を経て聞こえるクライヴの声にグレイスは問いかける。


「なにかがおかしい」


「何がです?」


「アリアステラが、だ」


 あそこがおかしいのはいつも通り、おかしいのが普通と感じていたグレイスはその何かを理解出来ずにいた。


「いや、アリアステラではなく、ブレイジスのヤツらがおかしいと言った方がいいか」


「戦闘が始まったんですか?」


「まだ始まってない、だが様子がおかしいと感じてしまうんだ」


 急かすような態度で物を言うグレイスに落ち着いて対処をするクライヴ。自分がその場所にいないことだけで悔しいような気持ちになるグレイス。そんな心情をクライヴは知らず、話を続ける。


「アイツら、先程銃声を上げたんだが一切攻撃を仕掛けてこない。何がしたいんだが分からないんだ」


「ただの挑発では?」


「それで済めばいいんだが」


 無意味な行動をしているようには見えない、何か力を誇示したがっている。そう判断するグレイスは寝巻から着替えようとしていた。


「弾を無駄にするほど馬鹿なヤツらではないと思っていたんだが、遂にイカれたか?」


「それだとありがたいですね」


「まったくだ。グレイス今は何をしている?」


 丁度いいタイミングで服を着終えたグレイスはクライヴの質問に答える。


「そちらへ向かおうとホテルで着替えていたところです」


 眠気などとっくに吹っ飛んだグレイスは空港へと向かう準備を済ませていた。


「話が早くて助かる。が、今は見合いの為の休暇だろ? いいのか?」


「……話はつけておきます」


 少しの間を開けクライヴはグレイスの言うことに納得する。


「……そうか、ではまた現地で会おう」


「はい、失礼します」


 深くは聞こうとしないクライヴとの電話を終えたグレイスは彼女アイリーンへの言い訳を考えていた。




 時間をかけ文を綴ったグレイス。


 二泊三日という事で休みを取っていただいたにも関わらず、自分から前線の都合上帰られなければならなくなってしまったこと。

 そのせいで、彼女自身の疲れを自分が癒せずに戦場へと行ってしまったこと。


 そして、アイリーンからの好意に応えられないまま、何も言わずにいなくなってしまうこと。


 謝罪と感謝を詰めたそんな手紙を彼女の家のポストに、一言も声を出さず入れた。


 アイリーンの気持ちは嬉しいが、自分もいつかは死ぬ身。

 想いに応えることは出来ても、共に居ることが出来ないグレイスは天真爛漫かつ、他人を思う彼女の真っ直ぐな瞳に申し訳が立たなかった。





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 アリアステラの最寄りの航空基地へと空中散歩を済ませたグレイス。

 外を出て待っていたのはグレイスの部下、グルニア・ベルファング先任曹長だった。


「ありがとう」


 開口一番、グレイスは戦線では少ない車で迎えに来てくれたことに感謝の意思を示した。


「どうってことないです。それに、大佐から頼まれましたし」


「そうか、すまないな」


 四人乗りの開放的なジープの助手席に乗り込み、グルニアが右足を踏み込むと車は発車した。



「今のところ動きは?」


「左側の山に登ってちょうど中盤あたりに雑木林、あるじゃないですか。あそこの向こうに敵の前哨基地を作られました」


 緩やかな傾斜とともに生えている枯れ果てた木たち、その先に敵の手により簡易的な拠点が出来てしまったと聞くグレイス。


「まあ、本当にテントとかぐらいだと思います。そこまで大々的にやるならこちら側にバレますし」


「銃声が聞こえたと言っていたがそれはなんなんだ?」


「分かりません、ただ酷く乾いた音だとしか」


 車のエンジン音と踏みつける砂利道の心地良くも聞こえる音ともに、彼らの会話は続いた。


 その時間、その音を聞いた見張り兵はすぐさま大佐に伝えたらしく、遠くから聞こえたにも関わらずよく聞こえ、その上重い銃声だと曖昧な表現をされたと聞く。


「本当にただの不発弾の可能性もあります。ただもしもの可能性を考えた結果、中尉を戻す事になったそうで」


 そうだ、今は戦争中。見合いなどやっている暇などないと気づくグレイスは、幻想から現実に引き戻されるようにクライヴに呼ばれた。


「勿論、優先順位は戦争こっちさ。大体のことは分かった、あとは大佐と他の皆との会議の時に聞くとするよ」


「了解です」


 そうやって戦線の現状を確認した彼は、金色の髪色を持つグルニアとの世間話へと発展した。


「そういやグルニア、お前確か伝書鳩飼ってたよな?」


 伝書鳩、鳥の帰巣本能を利用し六〇年代までに幅広く使われていた通信手段。

 二〇三〇年代になって未だ使っている人間は時代の流れについていけなくなった人か、ただの物好きか。彼は後者の方として個人で飼っていた。


「ええ、まあ。家族に渡す時に使ってますね。もう老いぼれてますが」


 父親を失った彼に残っていた家族は弟だけだった。


 ペットを飼うのに好意的で、アリアステラで華々しく散ってしまった魔術の使えない父親、ヴェニア。

 そんな父を献身的に支えたが三年前に他界した母親。

 現在は国連の訓練校に在籍し、いずれは魔術師となる弟。


「弟とは会えているのか?」


「全くと言っていい程です、あっちの外出日とこっちの休暇が全然合わなくて」


 たまに疲れたような表情を見せるグルニア。依然として父親の死を受け入れきれてないように見える彼にグレイスは提案する。


「今度俺から大佐に言うよ、きっと合わせてくれるさ」


「……できますかね?」


 苦笑いを見せるグルニアを元気付けるようにグレイスは話す。


「できるさ、佐官を舐めちゃいけない」


「……そうですよね! 楽しみにさせていただきますよ?」


「任せてくれ、代わりに俺も手紙を送りたい」


「わかりました、こっちだって任せてください!」


 両親を失ったグルニアに最大限気遣う方法なんてグレイスはこの程度しか思いつかなかった。開放感のある心地よい風が彼の金色をなびかせる。碧眼の瞳はグレイスからは少し潤っているようにも見えた。


 そうやって会話していると、砂利道は終わり少しずつ舗装した道が現れ始め、正面にコンクリート製の壁が仁王立ちをしているかのように待ち構えていた。




 アリアステラ戦線基地。グレイスは改めて帰って来た事を実感した。



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