私は神様と暮らしている

稲井田そう

第1話


 おうちに帰りたい。速やかに。


 そう思いながら、歩くたびに重量を増すようなビニール袋を提げ、私絢枝あやえすみれは坂道を登る。


 足を動かす度に都会の街並みを見下ろすことができるこの道は、やっぱり苦しいけれどその分景色もいいなと思う。


 田舎だったらこうはいかない。登って見下ろせるのは山だけだ。そしてそこに切り込むように川がうっすら見えるだけ。何も変わり映えしない。


 私がかつて住んでいた町は、都内から電車と、新幹線、そして電車を乗り継ぎバスを乗り継ぎするような場所だった。


 でも上には上がいて、ぱっと県名を答えても「え? それって遠いの? 近いの?」と思われてしまう場所。


 そんな人からは想像しにくい場所だけど、私は自分の住んでいる町を嫌いではないものの田舎だと思っていて、テレビで映る都会の光景や、写真投稿サイトにアップされる都内のお菓子や食べ物、動画で見る投稿者さんのかわいい部屋などに、それはもう憧れていた。


 だから私は大学は何としてでも都内の大学を受けようと決め、都会に住む為に、あのキラキラした世界に飛び込みたいと、それはそれは勉強した。大学生になったら楽しい。受験は今が辛いだけ。大学に入ればこの受験勉強からは解放される。そうしたら、私のキラキラした、都会での生活が始まる。


 大学受験が終わり合格発表を見るその瞬間まで、私はそう考え、そして頭の中で思い描いていたのだ。


 楽しいキャンパスライフ。新しく出来た友達とお洒落で洗練された街並みを歩き、ネットで見るような美味しそうでかわいいパンケーキを食べる。全然地元では見ないような服を着てみたりして、一人暮らしの部屋を都会のかっこいい感じの家具で飾ることを。


 けれど実際憧れていた都会での生活は、そんな夢のようなパステルカラーキャンパスライフとはかけ離れていた。


 新しく出来た友達と研究室に篭り、外に出ることなく実験とレポートを繰り返す。


 食事はスーパーで大量に買ったカップ麺を食べ、入学して真っ白であった白衣は良く分からない焦げや何かの匂いが染みつき、洗っても柔軟剤を強めに使っても匂いは取れてくれない。一人暮らしの部屋は最低限の家具のみで、インテリアを買い足す余裕もない。


 完全に、思い描いていたキャンパスライフとは、真逆だ。


 高校の時は勉強ばかりで大学になったら遊ぼうと思っていたのに、大学に入れば今度は勉強、課題、実験レポートに生活費を稼ぐバイト。考えてみれば高校の時より確実に睡眠時間が足りない。


 家に帰れば洗濯をしなきゃいけないし片付けも掃除もしなきゃいけないし、ネットで楽しそうな同い年の子たちを見るけれど、どうすればあんな感じに時間と余裕が持てるようになるのか友達に聞いたら、「実家住みで家に余裕がある感じの恵まれているほうの文系だよ。お分かり?私たちとは違うんだよ。私文系だけど」と言われ、私は全てを悟った。


 都会に出たとしても、皆が決してキラキラした生活を送れるわけではないと。


 カップ麺よりお母さんやお父さんの作るご飯が恋しいし、家の中でも人と話がしたいと思う。大学は都会が地元です! みたいなお洒落な子が多いけど、地方から上京してきた子も半分くらいいて、友達も出来たし、都会の子も良くしてくれる。


 でも、家族と話がしたいなと、ものすごく思っていた。


 坂を登りきり、神社にたどり着く。私以外誰もいないことを確認しながら、手を合わせて参拝した。神社は、小さな鳥居とお賽銭箱だけで、入れるスペースは無い。裏手は森だし、どう見ても雑木林というか、目に見えて荒れている。


 私は、よくこの神社に、お願いをしていた。パンケーキが食べられますように、友達ができますように、かわいい服が着たい。お母さんとお父さんに会いたい。そして彼氏がほしいと。とにかくたくさんお願いをしていた。そして、あることをきっかけに、全てが叶うようになった。


 この神社にいる、神様のおかげで私は友達ができたし、パンケーキが食べられたし、かわいい服が着られたし、お母さんとお父さんの元へ帰省できたし、そして彼氏ができたのだ。彼氏といっても、……いや彼氏だけど。


 きっかけは、半年前に遡る。当時私は飲み会で先輩にしつこく連絡先を聞かれ、助けを求める友人たちは皆酔い潰れたりして、一人で先輩と対峙していた。


 そしてもういっそ帰ってしまおうと途中で飲み会を抜け家に帰ろうとするとこの坂の途中でその先輩が現れたのだ。私は心底震えた。知り合いといえど、あまりに怖すぎてすぐ逃げようとしたけれど、家を押さえられたらどうしようと思ったり、周りに人はいないし警察に電話は繋がらないしで、訳も分からず走って走り続けた。すると、この神社に辿り着き、私はご神体が祀られている場所に縋るように助けてとお願いすると、現れたのだ。スーツを着た男の人……いや、神様が。


 神様は、始め助けを求める私に最初「どうしたんだよすみれ」と結構荒っぽい口調で声をかけてきた。なんでこの人私のこと知ってるんだと慌てて身を引くと、神様は「いや俺……わたし、この神社の神様ですから。信心深いあなたの名前はよく覚えているのですよ」と笑った。


 私は戦慄した。


 やばいやつに追われたら、やばいやつに出会ったと絶望した。


 もう、一切信じられなかった。でも神様はそんな私の不躾な態度に対して特に気に留めることもなく、先輩に対し警察を呼ぶと、冷静に対処して先輩を帰宅させたのだ。今考えれば、あれだけ追いかけてきた先輩がすんなり諦めたのだ。あれはきっと神のみぞ使える力的なものなのだろうと思う。


 私は、お礼を言って、帰ろうとした。でもそれだけでは終わらず、神様は、神というものは本来信仰の上に成り立ち、人々に直接的に施しや救いを与えてはならず、直接今のように助け魂に介入することは禁忌に属し、理に反するといってきた。


 つまるところ、神社の神様は、私を助けたことで、堕天というか、人間に介入しようとしたことで人間の世界に堕ちてきてしまったらしい。だから、遠回しに、すごく遠回しに私の家に住まわせろ、衣食住を提供しろと言ってきた。


 私は、半信半疑だった。でも神様は私のお願いした内容を覚えていて、「神様の状態ではパンケーキなんて食べさせられませんが、この状態なら施しもいくらでも与えられますよ」などと言ってのけたのだ。そうして、私は神様への疑いを払拭した。


 正直、半信半疑さは拭えないけれど、実際神様は人間の男として今私の家で生活している。




 正直神様なら人間としての常識なんて殆ど無いだろうと疑っていたけれど、そんな彼でも雇ってくれる会社は確かにあった。学歴も職歴もない、どう見ても見た目年齢二十歳後半の神様がすぐに雇ってもらえる会社なんて絶対ブラック企業だと疑ったけど…会社を見に行ったらそこそこちゃんとしている会社だった。そこに私も就職したいくらいだった。


 だから神様を養うことで困ったことは無いけれど、神様と生活する上で困ったことは多い。


「すみれ、私をお風呂に入れてくださいませ。不浄の穢れを落とすのです」


 家に帰り、ソファに座りレポートをパソコンで書いていると、神様はお風呂セットの籠を持ち、ゆったりとした所作でこちらに向かって歩いてくる。これだ。困ったこと。私は神様を、お風呂に入れてあげなければいけないのだ。


「今レポート終わらせるから、ちょっと待っててください」


 正直、すでにレポートは切りのいいところで終わっている。だからこれは、時間稼ぎだ。神様とお風呂に入ることへの、紛れもない時間稼ぎだ。


 神様は、お風呂に入る習慣がないらしい。神様は、汚れないから入る必要がなく、風呂の概念すらないという。 


 神様は、人の常識があまり分からないし、神様としての生活が染みついている。


 だからお風呂が得意ではなく……人間のようにさっと入れない。


 放っておくと沈んでいるし、風呂場を泡だらけにするし、ひどい時は洗濯用洗剤で体を洗おうとする。


 だからきちんと洗い方を教えているけど、神様というものは長い時を生きていて、その記憶が膨大すぎて一週間や一か月は瞬き。だから覚えられないという。そして会社で常識を学んだ分、余計お風呂でのことは忘れてしまうらしい。確かに、お金は大事だ。お風呂より会社のことを覚えることが優先というのも頷ける。


「まだですか。一刻も早く穢れを取り去りたいのですが」

「今、今終わりました……ひっ」


 パソコンから顔を上げると、神様は服を脱いでいる途中であった。くるくるのクリーム色をしたふわふわの髪に、真っ黒な瞳。そしてそれを囲うラウンド型の眼鏡。そしてシャツからのぞく、肌色。神様は、人の体を成している。人間の名前だってきちんとある。天弦将というのが、神様の名前。つまり私は神様とはいえど、成人男性とお風呂に入るわけで、死ぬほど緊張するし、ひえってなる。


「神様、まだ脱がないでください! 今行きますから!」

「はい……ありがとうございます。では行きましょう。すぐ行きましょう」


 最近、神様の要求がエスカレートしていってる気がする。前までは衣食住の提供を求めるというか、住まわせてくれればいいくらいだったのに、お風呂に入れろから始まり、休日はどこかに連れ出されたりもする。連れ出されるのは別にいろんなところを見に行けるし、おいしいものを食べさせてもらえる。それに何より楽しいからいいけど、大学の友達に途中でばったり会って、神様が自分のことを私の彼氏だと平然と言ってのけたせいで、それはすごい言われる。羨ましいだとか、神様の知り合いも絶対かっこいいと思うから紹介してほしいとか。


 それに最近は穢れを持ち込み苦しいから人間の男とはなるべく話をしないでほしい、飲み会は邪念を纏うから控えるようにと、色々言われる。飲み会で酷い目にあったし、男の人も先輩の一件で苦手意識が一気に出たから、別にいいけど。


 この神様、本当に大丈夫な神様なのかな? 


 ふと疑問を覚えながら首をかしげると、風呂場にきれいな所作で歩んでいた神様は、ふとこちらに振り返ってきた。そして私に近づいてきて、唇を重ねる。


「不安を取り除く儀です。心の邪念は払えました?」

「うーん、はい」


 頷くと、神様はくすりと笑って、私の頬に触れる。神様は、不安を取り除く儀というけれど、これは完全にキスでは……。と思う。たぶん神様と人間は常識が違うのだろう。前に神様、そう言ってたし。


「じゃあお風呂に入りに行きましょう神様」

「ええ。でも神様というのはそろそろやめましょうね。外でそう呼んでしまえば、あなたは信心深い信者ではなく狂信者のように思われてしまいます。将ときちんと現世での名前で呼んでください」

「はーい。将さん」


 神様こと、将さんに返事をすると、彼は私の手を取った。自分と手をつなぐことで、心の循環がなんとかで、とにかく離れないようにしているらしい。何が離れないかはちょっと忘れたけど、まぁ神様が言ってるのだから間違いはないだろう。


 私はその手を握り返しながら将さんとともにお風呂に向かっていった。
















 俺はマジで、会社燃やそうと思ってた。


 不動産。家を探す人間はなくならないし、一部上場企業だし、収入は悪くないし、いいかなと思って入ったものの、現実はそう甘くなかった。普通に深夜帰宅は当たり前で残業しない日なんて一か月に一度、それもなにかしらデカいイベントで会社を離れる必要があり、言ってしまえば海外出張の帰りくらいしかなかった。


 全然休めねえし、マジで会社燃やす。会社に勤めて四年。俺は仕事のやりがいで動いてんじゃなく、ほぼほぼ上司への殺意で動いているくらいだった。そんな時だ。後輩がでかい案件……金持ちのタワマンと、どうでもいい大学生の女の一人暮らしの部屋探しをバッティングさせたのは。そんなもん大学生のことなんかほっとけ内見しようとしてたとこ軒並み売れたとか適当にやってろと思ったけど、どうやら奴とその大学生は身内、親戚らしく、その大学生の父親はめちゃくちゃ怖いらしくて、殺されると言っていた。タワマン蹴ろうもんなら俺が殺すぞと思ったけど、結局俺が代替えでその大学生の内見に付き添った。


 で、その大学生にアパート借りさせて、その大学生の借りた部屋はといえば、なんというかまぁ、俺の住むマンションの目と鼻の先だった。しばらく親切にしてやってたから、後々会って話しかけられたらすげえ嫌だなと思ったけど、普通に会うこともなかった。そうして、気が抜けたころに大学生の女と再会した。といっても俺は外回りついでに息抜きとして自分の家の近くの神社の裏手でただ塞ぎこもるように突っ立ってることが数少ないストレスの解消手段で、その日もぼーっとしてると女の怨嗟みたいな、願い続ける馬鹿な声が聞こえてきたのだ。


 今のご時世、神社にわざわざ願いに来る奴なんてみたことない。それにデカい神社ならまだしもちゃんと祀ってるか祀ってないかわかんないような神社だった。


「奨学金きついのでなんとかしてください……」

「カップラーメンじゃなくてパンケーキとか食べたいです」

「単位きついです」

「友達ほしいです」


 聞こえてくるのは、そんなようなどこにでもありふれている願い。それで定期的に、引っ越しの挨拶で配ったんだろうと想像できるクソダサい饅頭や、仕送りで貰ったであろうご当地感丸出しのラーメンを置いてくる。


 マジでご利益信じてる。絶対こいつとは合わない。そう思った。

 

 その頃俺は部長に期待されてるだの早くも営業エースだの言われて仕事任されて、挙句後輩の指導までさせられて、死ぬほど疲れてストレス解消に行けば女が延々と拝んでる。最悪だ。でも、ある時奴は、嬉しそうに報告に来たのだ。友達ができたと、ありがとうございますと。嬉しい嬉しいと言って、はしゃぐように。


 あいつの笑顔を見て、なんとなく、悪くないと思った。こういう笑顔の為に働けたら、俺の人生そこそこ悪くないかもと、そう思った。


 そこから、俺は何となく、何となくあいつへの嫌な気持が、減っていった。代わりに力になってやりてえとか、慰めてやりてーなー、みたいなことを普通に思う。


 でもまぁ、相変わらず俺は隣の女の顔は知らねえし、普通に知り合いでもないわけで。知らねえ奴にそんなこと思われてもキモいだけだろと思って、特に何も行動することなく、奴が鍋が食べたいですとか言えば、その日の夕飯は何となく鍋にした。それで、もともと天体観測が趣味で望遠鏡が家にあって、さらに、働き方改革とかで、夕方に帰れることも増えて家で仕事をすることが増えたから、あいつの夕飯を窓から覗くとぎりぎり見えて、もやしばっか入った鍋食ってるから、肉とか魚とか食わしてやりてえなって思ったし、「カレー食べたいんです」って言うからカレーにしてみれば、何を思ったかあいつかつ丼食ってて裏切られて、ベランダからカレールーでも投げてカツカレーにでもしてやろうかと思ったこともあったけど、まぁそこそこ平和に過ごして、クリスマスは同じ店で買ったケーキを食ったし、年越しのカウントダウンも一緒にした。


 そして時は流れ、あいつの進級祝いもした頃。まーた事件は起きたのだ。


 その日も、待ち合わせみてえなだな、なんて思いながら神社の裏手でぼーっとしていると、「いや」「助けて」とものすごい物騒な声が聞こえた。慌てて飛び出すと、あいつは大学生の、明らかに泥酔っぽい酒にもろ飲まれてる男に追いまわされてる途中だった。慌てて俺はあいつから男を引きはがし、警察行くかと脅迫すると、男はどっか行った。


 でも、俺はそのときしくじっていた。とっさにあいつの名前を呼んだ。俺はあいつのことを覚えているけど、あいつにとって俺は不動産屋で部屋借りさせたやつ。普通に覚えてなかった。だからもう、俺はやけくそになって、俺は神様だから、お前のことなんざ全部知ってんだよ、みたいなことを、丁寧に言った。だって俺まで警察連れて行かれて、がたがた文句言われんのは困る。俺はあいつのこと守ってやりてえのに。


 そしてまぁ、あいつは俺の言葉を信じた。こいつやべえなと思った。マジで俺がついてないと壺とか買わされそうだし、やべえ商法にひっかかって奨学金全部スるとか、マジでやりそうだと確信した。菫は俺がいないとマジでやばい。


 そしてまぁ、こいつは俺が見てねえとやべえってことで、あいつのこと言いくるめて菫との暮らしが始まったわけだけど、普通に楽しい。なんか生きてるって感じがするし、働いた金で菫がいいもん食ったり、かわいい服着たりするのはいい。仕事にも張り合いが出て、昇進もした。


 でもすげえ心配もある。菫はすげえ騙されやすくて、俺が何の気なしに言った風呂の入り方がわからねえし覚えらんねえから一緒に入れろ的な言葉をめっちゃ信じてて、すげえ恥ずかしがるわりに俺と風呂に入ってくるし、適当な理由つけてキスしても怒ってこない。マジで信じてる。ヤバい。洗脳されやすすぎる。絶対目が離せない。マジで誰かに洗脳される前に俺だけにしとかないとって思う。


「菫、何を恥ずかしがってるんですか、美味しそうですね食いたいです」


 菫にキスをすると、顔を真っ赤にしていて、おろおろと目を泳がしている。可愛くて思わず本音が出た。「同期という人間の方が、言っていました。かわいいと、食いたくなると」と誤魔化せば、菫は「それは汚い人間の言葉ですよ!」と焦ったように返してくる。


 まぁ、汚い人間だからな。俺は。


 そんなことを悟らせないように、なるべく慈愛を込めて穏やかに笑う。


 本当に菫はかわいい。可愛いすぎて食い入るように見つめていると、菫は目をそらした。「神から目を逸らすのですか」と声をかけてやれば、「いや……」としどろもどろになる。本当にかわいい。マジでそのうち食ってやるからなと念を押すように、俺は優しく、やさしくそっとその頬に触れた。







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