偽装クソビッチガチ恋する

稲井田そう

第1話


 ぼんやりとした雲の下、今頭上にある空の景色と同じようにぼんやりとした気持ちで大学に向かって歩いていく。すると大学でできた女の子の友達がこちらに駆け寄ってきた。


「蘭おはよ。なんか今日眠そうじゃない? まーた遊んでたんでしょ、相手どんなんだったー?」

「ダンサーみたいな? あんま覚えてない」


 返事をしていると、一斉に周りの女の子たちもわらわらと寄ってくる。期待を向け、キラキラしたバッグや洋服を身に着けた、いかにも都会みたいな女の子たちが。


「そういえばさあ、今度話聞いてくんない? 奢るからさ!」

「いーよ。時間空いたらね」

「空いたらって空けてよ! 電話するとき蘭いっつも男といるじゃん」

「そんなことないよー」


 私が欠伸をしつつ言葉を返すと、友達は「ほどほどにしなよー! そのうち刺されるよ?」と軽いノリでこちらに笑いかけてきた。その笑みに曖昧に笑い返してから、私は手洗いに向かうと言って皆と別れていく。


 そしてそのまま一番奥……から一つ手前の個室トイレに入り、鍵を厳重に閉めてため息を吐いた。


 脱力しながら扉にもたれかかり、スマホを取り出して『ダンサー 男 雰囲気』と検索を始める。出てきた記事を眺め、信憑性の高そうなものを選んで行って、漏れなくチェックしていく。

「あぁ……」


 記事を見ていくと、瞼に強烈な重みを感じた。この睡魔は、友達が言ったような昨日の遊び——が原因ではない。


 ではどんな理由の睡魔かと言えば、偽装クソビッチの朝が早いからだ。


 私は、昨日の晩、自室にて二十時に寝た。そんな私が朝五時に起きてすることは、スマホから恋愛系の記事を軒並みチェックしていくことだ。恋愛相談のページを開いて、カリスマなんて言われていたり、本を何冊か出している人の記事を読み込んでいく。


 読み終わったら皆に教えてるアカウントとは別のアカウント……閲覧専用の裏アカでフォローしている恋愛系のつぶやきに新しいものがないかの確認作業だ。それらを一通り終えてから、ようやく私の朝は始まる。顔を洗って、化粧道具を置いてるローテーブルの前に座り、顔を作っていく。目標はただ一つ、恋愛に慣れ、それどころか廃れきった性生活を送っているような女に擬態すること。


 つまるところ、私、後鳥蘭はクソビッチを演じている。


 ビッチではない。クソビッチだ。クズとドクズだったなら、ドクズのほう。誰とでもよく遊び、よく寝るような健やかな言い方をした方が最悪な感じが出るほう。


 私がそんなビッチを何故演じようとしているかと言えば、都会の人間に馬鹿にされないためだ。


 きっかけは今から二年前、私が大学一年生の四月……に入るちょっと前に遡る。


 私はいわゆる地方組で、家はコンビニやスーパーまで一時間くらいある場所しかなく、服屋も化粧品屋さんも無いようなところだった。ファッションとかコスメ、みたいな類はすべて自分とは遠いところの存在だと思っていたけれど、看護師を目指す私と、専門学校より大学に行かせたかった親の理想をいい感じに混ぜこぜした結果、私の進学先は都内の大学になってしまった。


 要するに上京をする必要が出てしまったのだ。一生関わらないと思っていた、みんなお洒落できれいな場所に。


 だから私は進学するにあたって、都会について調べた。都民の人たちっぽいつぶやきを調べたり、雑誌を買って読んでみたり。すると皆やっぱりオシャレで、基本近所を出歩くときは中学のジャージを着ていても人権が尊重されていた私は衝撃を受けた。そして思った。


 今のままでは、確実に田舎のやつ、クソダサいと馬鹿にされ殺されると。


 ダサいと言われ、友達も出来ないどころかサイトにアップされて万単位の人間に馬鹿にされると、ネットにも疎く携帯やスマホを持つことが遅かった私は本気で思った。今考えれば叩かれるのはダサい人ではなくアップした方だとわかるけれど、当時の私は本気だったのだ。だから急いで化粧のやり方を調べコーディネートについて勉強し、大学入学に臨んだわけだ。


 その結果、私は知らず知らずのうちに大学デビューとやらを果たした。


 周りの評判は想像していたよりは上々だった。褒めてもらえたし、お洒落で、まるで芸能人みたいな子たちにいっぱい話しかけられた。しかしその矢先だ。


 皆私に、当然のように数多の恋愛経験を経てきた人間前提で話をし始めたのだ。それは朝大学に来てからだったり、授業の前、はたまた授業中であったり、お昼ごはんを食べている時、帰り際一緒に買い物に出かけるに至るまで様々な場面で引き起こされた。


 つまるところ、化粧をし、お洒落な人間に擬態しようとした私の姿は、派手できつい感じの、恋愛経験豊富そうな人間の姿だったのである。


 さらにそういった人間だと見た目だけで判断されたことで、恋愛にまつわるエピソードや相談をされ、期待を裏切らないよう、誤解を解いて馬鹿にされたり虐められたりしないよう尽力した結果、加減が分からず私は大学に入学し一か月でクソビッチと化してしまったのだ。


 クソビッチに擬態する生活は、ただただきつい。まず男子と付き合ったことなんてないし、どうやって付き合うかも分からないのだ。私は人に「どうやったら付き合えるかな?」みたいな相談をされた時、「告白じゃない? 自然に何も言わないっていうのもありだと思うけどね?」と返すけれど自分では自然ってなんだよと思っている。自然に付き合うって何。そんな自然乾燥待つノリで人と人が分かり合えるようになるの? と思う。そんな私の擬態クソビッチ生活をさらに過酷なものにするのが——、


「あーっ! せんぱいっ、きょ、今日もよろしくお願いしましゅっ、あ、噛んじゃった……します!」


 彼女だ。


 トイレから出ると、まるで待ち構えていたかのように黒髪の女が駆け寄ってくる。


 名前を的山るな。私より一歳年下の一年生。爽やかな、ちょっとロリータっぽい雰囲気もある清楚な彼女が、クソビッチを演じて盛り嘘演技過労死しかけている私に何をよろしくするというのかと言えば単純な話で、彼女は私に恋愛指南を求めてきているのだ。


「で、今日は何の話?」

「はいぃ、クリスマスに一緒にせんぱいとお出かけ出来たらなって思ってぇ」


 的山さんは、好きな人がいるらしい。そして恋愛経験豊富とされる私に声をかけてきたのだ。本当に、本当に勘弁願いたい。初めての出会いも突然で、今のトイレから出て爆速襲撃のような形を取られた。「私! 好きな人いるので協力してくださいっ」とこちらに彼女が飛んできた光景を、私は一生忘れないだろう。

 

 以降彼女は、ちょこちょこ私が講義を受け終わったタイミングに現れては相談をしてきて、デートの場所に一緒に行ってほしいと頼んできて一緒に行ったり、彼女の服装チェックをしている。彼女とは系統が違うから毎晩勉強してからアドバイスをしている。その為私の睡眠時間は刻々と減っており……というか私がアドバイスされたいくらいだ。クソビッチだと思われずさらに都会の人間に引きずり回されない装いを教えてほしい。


 しかも彼女はいわゆるオタサーに所属していて、自分以外は全員男子生徒。私より男子と接触をしている。


「いや、その日は無理かな。男と約束あるから。泊まりだし」


 的山さんの誘いに対して、私は表情、声色ともにクールであることに努め断った。あたかも日常ですよ、自然なことですよという雰囲気を醸し出して。


「えぇ、せんぱい彼氏さん出来ちゃったんですか? と、特定の人は作らないって言ってたのにぃっ!」

「いや、彼氏なんかいらないし。面倒なだけだから。っていうか何でクリスマスに会うわけ? それじゃあ練習にならないでしょ? 二十三日とかで良くない?」

「えええ、それじゃあクリスマスじゃないですよぉ! ふえぇんっ!」


 甘やかな声と小動物のように目を潤ませられても、無理なものは無理だ。クリスマスイブとクリスマスは、実家に帰って親戚でクリスマスパーティーをする。おばあちゃんとおじいちゃんと会うのだ。チキンを食べたり、おばあちゃんの作った煮物を食べたり、おじいちゃんの盆栽にオーナメントを飾り付け和洋混在パーティーをする。でもそれを言ってしまうと間違いなく私のイメージが壊れてしまうし言えない。だからとりあえず男の家に泊まり歩くビッチの設定を貫く。しかし的山さんは、あわあわしながら私の腕を握ってきた。


「どうしても駄目ですかぁ? だって相手彼氏さんじゃないんですよね? 遊びましょうよぉ〜!」

「やだ。クリスマスに女と会うとか意味わかんない」

「むー! せんぱい意地悪です……」


 落胆が凄まじい。何となく申し訳なさを感じていると、「なんの話してんの? あっちゃんじゃーん!」と同じゼミの能取が声をかけてきた。


「何でもないけど」


 能取は、あまりいい話を聞かない。私自身、人は見かけに寄らないことを体現しているようなものだし噂に振り回されることはあるけれど、実際は女を泣かせたり、数年前逮捕者が出たような良くないインカレサークルに入っている。さりげなく的山さんを遠ざけようとすると、能取は身を乗り出してきた。


「あ、そーだ二人とも今月の二十三日俺のダチ主催の飲みあるんだけどどう? ひま?」

「いや、暇じゃないけど、この子も——」

「行きます」


 的山さんは即答した。唖然としていると能取は「おけ、じゃあ詳細送っとくね」とスマホを取り出す。二人がやり取りする様を見つめていると、能取は満足そうに去っていった。


「……せんぱい構ってくれなくて意地悪さんなので、お酒沢山飲んで忘れてきます……」


 一方的山さんはじっとりとした目で睨んでくる。いや、意地悪してないし。というか能取の友達だか知り合いの主催の飲み会なんて危険すぎる。


「いや駄目だって。っていうかあんたも知ってるでしょ? あいつ本当いい噂聞かないでしょ? マジでやばいからさ、絶対行かない方がいいって」

「せんぱいもあんまりいい噂聞かないけど、私の相談のってくれるいい人さんなのでだいじょーぶですぅー」

「それとは全然関係ないし、飲みなんて言ったら本当帰ってこれなくなるよ? あんたの周りの男たちとは全く違うんだからね」

「望むところですーっ。それに、クリスマス会ってくれない意地悪せんぱいの言うことなんて聞きませーんっ!」


 的山さんはそう言うと、頬を膨らませて走っていった。どうしよう。本当に行く気だ。犯罪に巻き込まれたりとか、危ない目に遭うんじゃないだろうか……。私は強い不安を覚えながら、駆けていく彼女の背中を茫然と見つめていた。



「むかつく」


 廊下を心の中の苛立ちが出てしまわないようそっと歩く。俯いて、悲しそうで可愛いお姫様みたいに見えるように。すると周りの男たち……特に女なんてぜーんぜん知りませんみたいな陰キャのキモオタ共がちらちらこちらを心配そうな目で見てきて、バーカと心の中で笑う。


 私、的山るなが大学に入って、三年。男との遊び方を変えて三年が経った。


 小さいころから男に優しくされたり適当に媚び売ったりして物贈らせるのが好きで、中学入ったあたりからシンプルに遊ぶようになった。それからずーっと大学入るまではバカっぽい見た目だけそこそこいい感じの男と遊んできたけど、ふつーに女慣れしてる男は食傷気味でワンパターン。段々飽きてきた。


 それで、段々つまんないと思って気分を変えて陰キャっぽいのに手出してみたら馬鹿みたいに乱暴だし退屈で、一回痛い目見て暗いの相手には適当に扱って色んなの相手にさせて潰しあいさせるほうが全然楽しいってことに気付いた。


 いわゆるオタサーの姫、みたいな感じの。


 そうして大学に入ってからはメイクとかも着てる服とかもゆるふわみたいなのに変えて、サークルもキモオタだけどそこそこ不潔そうじゃないところに入ったけど、考え方はまぁ合わなかった。


 キモオタたちは皆じっくり恋愛をして、愛とかに夢を見てる。彼女が出来たら癒したいし癒されたいとかつまんない一発屋の芸人みたいなこと平気で言う。その割にぱーっと遊ぶことには否定的だ。


 なんだろう、手作り至上主義みたいな感じ?


 キモオタたちにとっては、手軽に早く美味しいカップ麺みたいな恋愛は悪らしい。絶対便利なのに。何で手軽で早くて美味しいを求めちゃいけないのかが分からない。ビッチってそんな悪いことかな? っていうか誰にも迷惑かけてないし、親が泣くとかいうけど私の体は私のものなわけで。


 でもまぁ、そんなことを思っている私の笑顔に鼻の下伸ばすくらいだから、やっぱりキモオタはキモオタだ。でもそんなキモオタ共もバカにしてたら痛い目見させられるわけで、入学して一年くらいたったころ、私はとあるトラブルに巻き込まれた。告白され丁重にふってやったのに、キモオタの一人が勝手に私の写真を撮って、私に付き合えと脅してきたのだ。写真自体は何の変哲もない、服もちゃんと着てるものだったけど、隠し撮りとか普通にキモいし、あることないことと一緒にネットにアップすると言ってきた。その時の私は一回寝て相手が寝てるときにスマホのデータ全部消してやろうかな、なんて思っていたけれど、そこに後鳥蘭が通りかかったのだ。


 学校で噂の女、後鳥蘭。高嶺の花だとか、クール美人で男を手玉に取るなんてバカっぽいこと言われてる女に。あんまりいい印象はないし、傲慢そうとか上から目線の発言が鼻についてたけど、は私を助けてくれた。


 私を脅す男に一つ一つ警察に被害届を出すからだとか、親に連絡するとか言ってくれて、そのまま私を大学から連れ出し一緒に警察署に行ってくれたのだ。その横顔が凛としてて、善人ぶってまじでむかついたけど、全部終わった後、あの女は「あぁ〜終わった〜」みたいな、心から安心したような顔をしてへたり込んだのだ。その顔は大学で見たきつそうな顔じゃなくて、ちゃんと私より一歳上の人間って感じがして、作り物みたいだった雰囲気は駄目そうな、残念そうな感じがして、そう思うとぎゅっと心臓がつかまれた気がしたのだ。


 以降、私は後鳥蘭を見ると、胸が苦しくなった。


 男は大学を退学して、地方の実家へと連れ戻されることになったけど、全然大学で安心できなくなった。あの女がぱっと私の横を通り過ぎたり、声が聞こえるだけで胸がざわざわする。今まで楽しいこと以外で人間に触りたくも触られたくもなかったのに、さらさらの黒髪に触ってみたいとか、変なことを思うようになった。


 女相手に。


 友達に女が好きな女はいて、それを聞いたとき私はむしろ男しか好きじゃないからどんな感覚なんだろうなと思ってたけど、死ぬほどきつい。女相手にこんな気持ちになってるからこうなのか、今まで男に抱いていた気持ちが玩具だったのか全然分かんないけど、ものすごく苦しい。


 それで、こっちはめちゃくちゃ苦しいのに、後鳥蘭は涼しい顔で生きてることに腹立った。だって、私はあの女のせいでこんな心臓痛かったり息が出来なくなってんのに、あっちは平然としてるし、しかも私のこと警察署まで連れて行ったくせに私のことなんてすっかり忘れてるのだ。本当にむかついて一回どんな生活してるか見てやろうと思ったら、あの女は駅で定期失くした女子高生の話聞いてやって駅員に伝えてやったり、色々バカみたいな善行繰り返してて、私にとっては特別なことだったのに、あの女にとってはいつも通りの取るに足らないことだったことに気付いて、一緒に死んでやろうかと思ってしまった。


 このまま私はあの女に無視され続けたら、死ぬ。


 そう考えた私は後鳥蘭に、「好きな人が出来たから協力してくださーい!」なんてクソみたいな誘い文句でおねだりした。バカなあの女は困惑しながらも承諾した。それからはせっせとあの女をデートに誘ったり、身体にさりげなく触ったり上目遣いで見てるのにあの女は全然私の気持ちに気付いてくれない。本当にむかつく。大嫌い。好きだけど。


 そして今日、クリスマスのデートに誘ったら、普通に断られた。本当にむかつく。男と会うって何? 毎晩毎晩男遊びしてるって言うんだから、クリスマスくらい私と会ってくれてもいいのに。今度の飲みはもうバカみたいな男ひっかけて飲もう。最近は大人しくしてたつもりだったけど、もうむかついた。主催はヤリサーの知り合いだし、碌な男いなそうだけどそこがいいし。


 私はあの女が不安そうにこちらを見るのに知らないふりをして、すたすたと廊下を歩いて行った。



「かんぱーいっ」


 クリスマス前日である今日、私は能取の知人主催のパーティー会場にいた。理由はもちろん、的山さんが危険に遭わないようにするためだ。というかそれ以外にこんな場所に参加する理由がない。絶対行かない。いっそのこと火災報知器めがけてお香でも炊いてこのパーティーを強制終了させたいくらいだ。


 周りを見渡すと、華やかな服に身を包み、薄暗い照明の中アップテンポな曲を聴きながら酒を飲む若者であふれている。本当に辛い。野山広がる実家へ帰りたい。というか的山さんは、どこだ。一体どこにいるんだ。探しても彼女の姿は見えないし、いないならいないで帰りたいけどトークアプリのメッセージは既読無視されていて全然姿が見えない。


「ありー? 蘭さんじゃん」


 的山さんの姿を探していると、全然探していなかった能取が現れた。軽くあしらおうとしたもののへらへら笑いながらこちらに駆け寄ってくる。


「なにー? 全然飲んでなくない? ほら飲めってえ」

「安酒は身体に入れないって決めてるから」

「意識たかーい! そういうと思って俺カフェラテ持ってきたから」

「はぁ?」

「コーヒー牛乳みたいでちょー美味しいから飲んでみ、ほら」


 ぐいぐい進めてくるグラスを手に取る。見たところそこまで小さなグラスでもないし、めちゃくちゃ度数が高いものならもう少し小さいグラスに入っているだろう。一杯飲んでこの場を立ち去ろうと一口飲むと、能取はへらついた顔でもっともっとと手を叩いてくる。


 飲んでる感じ、そこまで喉が焼ける感じもないし大丈夫か。


 そう思ってグラスを空にして、その場を離れようとしたとたん目の前がぐらついた。慌てて大勢を立て直そうとすると、能取が私の腕をぐっと力任せにつかむ。


「あれ、ここ来るまでちょっと飲んできたとか? あはは」


 にやける能取の顔が、歪んで見える。何かを盛られたかと朦朧としながら考えている間にも視界はどんどん不鮮明になっていって、色合いすらぼんやりとしたものに変わっていく。


「せんぱい? 何してるんですかあ?」


 掴まれる腕に不快さを感じつつ、払いのけられないでいると、横から聞きなれた声がかかった。目を凝らしてよく見ると、やはり見慣れたシルエットが視界に入る。


「的山さん……?」


 声をかけても、彼女は返事をせずこちらをじっと見入るばかりだ。やがて私の持つグラスを見て舌打ちをした。


「何飲んだかと思ったらこれかよ……、せんぱい何杯お酒飲んじゃったんですかぁ? もう駄目ですよぉ、今日私とお泊りする約束だったじゃないですかぁ!」

「一杯しか飲んでない……から」

「一杯で!?」


 的山さんは私を見て愕然とした。そんな驚いた顔をしないでほしい。言い訳しなきゃ。そうだ私は大酒のみで通っているんだった。本当は成人式から飲んでないけど、誤魔化さなきゃ。


「この前に、けっこー飲んでて」

「えぇ〜そうだったんですかぁ! じゃあ私と一緒に先に抜けちゃいましょ〜!」


 彼女は私の腕を取った。しかしそれまで黙っていた能取が不満げな声を口にする。


「えぇ、もう抜けんの? まだ夜は長いじゃん! 楽しもうよ!」

「うるさいな、酒飲まさないと女抱けない屑が調子乗ってんじゃねえよ」


 ぼそっと、横から聞いたこともない冷たい声が聞こえてきて、ぼんやりとしていた頭がわずかにはっきりとした。隣を見ると的山さんが酷く苛立ったような、恐ろしい目つきで能取を睨んでいた。


「じゃあ、私たちはこれで抜けるので、また学校で会いましょう!」


 しかし的山さんはその恐ろしい表情を一変させ、私を伴い店から去っていく。私は彼女の豹変に何も言葉を発せないまま、ただただ後をついて行った。



 適当に男をひっかけようとしたら、先輩をひっかけてしまった。


 本当に意味が分からない。私はクリスマス……イブでもよかったのに先輩は私と会ってくれなくて、仕方ないから適当に男食べようとしたら先輩を家に持ち帰ってしまった。クラブで何故かそこそこ度数は高いものの一杯でへばりはしないはずの酒を飲んだ先輩は完全に泥酔状態で、私に連れられるまま私の家に来て、私のベッドに横になっている。


 本当にどうしよう。


 っていうか何で私はこんな、「人と付き合ったことありませーん!」みたいな精神状況になってるんだ。意味が分からない。というか先輩は何でクラブで一杯だけ酒飲んで朦朧としてるんだ。


「せんぱい、なんで今日クラブ来たんですか……?」


 ベッドに横たわり、真っ赤な顔をする先輩の頬をつついてみる。すると先輩はむずがりながら寝返りをうった。


「的山さん、が、危ないと思ったから……、たすけにいこーとしたの……、でもぜんぜんいないし」


 は? 私のためにクラブに来たってこと?


 まぁ、確かに善良な先輩のことだ。ありえないわけでもない。


「すごい、こわかった。ぱりぴばっかで……。住む世界が違いすぎる……こわかった」


 は? パリピ? なんで先輩陰キャのキモオタみたいなこと言ってんの? 酔うとそうなるタイプとか? いやでもそんな酒癖持ってたら男と遊べなくない?


 ……男と、遊んでない?


 いやそんなわけないか。でもなんだろう。奇妙な感じ……強い違和感がする。先輩をじっと見ていると、不意に邪な考えが浮かんできた。


 ……一旦、先輩を脱がして、そして私も服脱いで寝れば、一緒に寝たことにならないだろうか……?


 先輩、結構基準を満たせば誰とでも寝るみたいだし、ワンチャン……、いやでもそこから身体だけ……みたいになるパターンじゃん間違いなくこれは。じゃあどうする……?


 私だけ脱ぐ……? 


 私だけ脱いで、私の服を先輩に持たせていれば、「あれ、酒飲んでる間に服脱がすくらい私ってこの子のこと好きだったの?」とか思ってくれるんじゃない?


 いやでも逆に先輩が寝てるところに私が服脱いで襲い掛かったみたいな、私のほうが好き感出ちゃわない? 


 いや私のほうが圧倒的に好きだけど、先輩にそれ知られてマウント取られたらむかつく。この女私のこと好きだしちょっと雑に扱ってもいいかとか思われたくない。いや先輩は思わないけどさあ。


 じゃあ先輩だけ脱がす? そうしたら先輩が服着た私を襲おうとして脱いだって感じで「あれ、私酒飲んでる間に襲おうとするぐらいこの子のこと好きだったの?」とか思ってくれる?


 いやでも私が脱がして先輩の裸存分に眺めてから寝たと思われたら絶対無理なんだけど。


 ……キスでもしておく?


 とりあえず、先輩寝てるし。


 キスしてから考えよう。そうしよう。


 先輩の寝顔を確認すると、先輩の眠りはかなり深いらしく呼吸も深い。きちんと呼吸をしているのか不安になるくらいだ。深呼吸をしてからベッドに乗り上げ、そっと先輩に顔を近づけていく。あと少し、あと少しと先輩を起こさないようにしていると——、


 爆音で先輩のポケットからスマホの着信音が鳴りだした。


 驚きのあまりベッドから飛びのき、そのまま後ずさるようにしてベッドから離れる。本当にびっくりした。でも私はこんなに驚いているのに、先輩は全く起きる様子がなく呑気に寝ている。可愛いけど本当にむかつく。苛々しながら先輩の身体を弄りスマホを取り出すと、ロックがされていなかった。


「超不用心じゃん。バカなの?」


 遊んでるどうでもいい男に中身見られたらどうするんだろうと思いつつ、鳴りやまないスマホの画面を見ると「おばあちゃん」と表示されていた。何の気なしに出てみると、早々にきつめの方言が飛び出してきた。


「すみません、あの、私後鳥蘭さんの後輩で、同じ大学の一年生の的山るなと申します。今蘭さん手が離せなくて、代わりにお電話に出てほしいと言われたのですが……」


 大嘘だけど、まぁいいかと伝えると、先輩のおばあちゃんは私に待機を命じてきた。そのまま待っていると今度はさっきより少し若め……先輩のお母さんが電話に出た。


「あらぁ、もしもし。蘭ちゃんのお友達? いつもお世話になっておりますー。あぁあの子にも後輩がぁ……嬉しいわあ。本当にこっち田舎でねえ、町ってわかる? かなり端のほうの場所でねえ。そんな場所で育ったもんだからあの子も全然服とかお洒落に興味ない子で、勉強ばっかり好きなもんで……実家帰るたびにこっち戻りたいこっち戻りたいって言うから心配してたんだけど、よかったわあ」


 先輩のお母さんの言葉に、愕然とした。もしかして先輩、あんまり遊ばないっていうか……大学での姿は、嘘だったってこと? 驚きながらも先輩のお母さんに相槌を打っていくと、やっぱり男遊びなんて絶対出来ない感じの先輩の人柄がどんどん暴かれていく。


「あの子ねぇ、大学入る前、このままじゃあ虐められるーって、お洒落勉強してお化粧勉強したんだけど、どう? 虐められてない?」

「ええ、みんなの、人気者です」


 周りのバカ男の目集めて、そういうところがむかついてた。男ってだけで、先輩に遊んでもらえて羨ましい……じゃなくて、先輩のそういう対象になれることがいいな……、じゃなくて、とにかく先輩が男の視線集めるところにむかついていた。先輩が遊んだ男に嫉妬した。でももしかして、先輩の遊んだ男って、先輩の作り話で、言っちゃえばキモオタが妄想してるみたいな、架空の存在では——?


「本当!? 嬉しいわあ。彼氏できたのー? 彼氏はー? なんて聞いても、恋人なんてもう一生出来ないとか、恋愛怖いとかわけのわからないことばかり言うからあの子ー」


 いや架空の存在だな。先輩の言ってた男、実在しないな。お母さんの手前嘘言ってる可能性もあるけど、遊び方分かってる女は酒で沈まないし。


「じゃあ悪いけど、明日と明後日のクリスマス会、おじいちゃんがインフルになったから中止ねって伝えておいてもらえる?」

「分かりました。おやすみなさい」

「ありがとう! おやすみなさーい」


 電話を切って、先輩を見る。先輩は変わらずすやすや眠っていて、むかつくくらい寝顔が可愛い。


「家族とクリスマス会って、小学生かよ」


 スマホで脇腹のあたりを突いてやると、先輩は「うっ」と呻き、私に背を向けた。そのままベッドのサイドテーブルにスマホを置いて、ため息をつく。


 ——練習でもするか。


「せんぱいってぇ、本当は全然男遊びとかしないんですよね? お母さんに聞いちゃいました! 私びっくりしちゃいました! これ、みんなが知ったらどうなっちゃうんですかね? えへへ、せんぱい、私の奴隷になってくれるんだったら、黙ってあげててもいいですよぉ! ……違うな」


 先輩が、大学で嘘をついている。そのことをうまく利用して、こう、お付き合いに持っていきたいけど奴隷はさすがにやりすぎな気がする。でも強めに脅して逃げられなくはしたい。


「せんぱい、私ぃ、せんぱいが全然男に免疫ないこと知っちゃったんですぅ、なんなら私が男との遊び方ぁ、教えてあげてもいいですよ?」


 いや、普通にむかつくな。私が教えて先輩が私に触るのはいいけど、私のおかげで先輩が男に触っていくの無理だな。


「せんぱい、好きです。責任とって一生そばにいてください」


 先輩の肩につんと触れてみる。この言葉を言うくらいなら、やっぱり奴隷にさせろと言うほうが恥ずかしさはマシだ。よし、先輩の寝顔を見てから、自分はソファに寝よう。先輩は私の家に泊まりにきた側なのになんで家主である私がソファで寝なきゃいけないんだ。そう思いつつもベッドに乗り上げ先輩の顔を覗き込み、時間が止まった感覚に陥った。


「せんぱい……」


 先輩が、真っ赤な顔で大きく目を見開いている。停止しかける思考を動かしながら「どこから聞いてました?」と問いかけると、先輩は「家族とクリスマス会って、小学生かよって言われたとこ……」と震える声で返事をした。


 まずい。全部聞かれてた。


「あ、あの、……的山さん……?」

「聞かれたなら仕方ないです。今日が先輩の命日だと思って、私に食べられてください。っていうか先輩食べられかけてたところを私が助けたわけですし、あの男より私のが顔もいいでしょ? いいですよね?」

「は!? いや、待って、そういうのはもっと段階踏んでからじゃないかな? 話し合おう? っていうか、キャラ違くない? そんな押しが強いタイプじゃなかったよね!?」


 先輩は酔いが覚めてきてしまったのか、焦りながらばたばたと私から逃げ始めた。聞かれたし、仕方ないし、もう強行突破でいこう。


「話し合いの最中に逃げられたら嫌なんで無理でーす。あと私、先輩と同じで猫かぶってるタイプなんで。同じですよ。良かったですねー」


 とりあえず、逃げられる前に逃げられなくしておこう。もともと私をこんな、人の顔見て胸が苦しくなったりバカみたいな悩みでおろおろするような感じにおかしくしたのは先輩なんだし、先輩も私におかしくされればいい。先輩は、ちゃんと責任とるべきだ。


「せんぱい、私と一緒にイブも、クリスマスも、楽しく過ごしましょうね!」


 とびっきり可愛く、先輩に見せる最後の作り物の笑顔を見せて、私は先輩の腕を強く掴んだのだった。

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