森、叫ぶ

黒瀬

第1話

「はぁ、はぁ、」

ねばっこくて暑い夜、ありったけの木が生きている森の中で荒っぽく呼吸をしながら登っていく。シャツの中ではべったりと汗が噴き出していて、虫が這い回っているような感覚。気持ち悪かった。それでも、足を止めることなく一歩一歩、舗装されきれていない登り階段を上がっていく。私が何故こんな真夏の熱帯夜に山なんて登っているのか。少し前に遡る。


「ねぇ、沙織」

大学の授業が終わり、皆が後片付けをしている時に、子供の時からの親友の日夏に話しかけられた。

「ん、どうしたの?」

「随分昔のことなんだけど、黒笠山って覚えてる?」

「うん、覚えてるよ」

黒笠山。家から自転車で暫く行った先の山のこと。子供の頃に日夏とずっと遊んでた所。近所では1番馴染み深い場所だった。でも、ここ最近は一切行っていない。最後に行ったのも小6の頃、つまり6年も行っていないことになる。

「黒笠山がどうしたの?」

「あそこさ、もう1年くらいで開発されて更地になっちゃう予定なんだって。」

「えっ?本当?」

「ホントホント。子供の頃の遊び場がなくなっちゃうのってちょっと寂しいよね、」

「確かに、あそこでいっぱい思い出作ったのにね、」

そんなことを話ながら、片付けを済ませ終わる。

「帰る?」

「うん、また明日ね、日夏」

「じゃ〜ね〜」

そう言って日夏と別れる。大学を出た時に上からジリジリと肌を焼く太陽に目を細めながら帰路につく。


「ただいま」

誰もいない部屋に声が谺する。1人暮し、広くも狭くもない普通のアパートだから返事がないのは当たり前だ。ソファに倒れ込みスマホを眺める。直ぐに飽きて天井を見つめる。クリーム色の天井はスマホと違って見ていても苦にならない。

疲れた、とつぶやく。大学1年生、特に問題もなく楽しい。でも、もうちょっとだけ刺激が欲しい。疲労と欲望が矛盾している。

そのまま少し、ジッとソファに横たわってから、帰った後の支度を済ませ、夜ご飯の用意をする。冷蔵庫の残りと野菜炒めとご飯で済ませる。野菜炒めの中に入れたソーセージの焼き加減が絶妙で噛むごとに肉汁が溢れ出た。

あっという間に食べ終えて片付けをする。ボタン1つで水が出てくるシンクでお皿を1つ1つ洗いながら、この後何をするのか考える。

特にやりたいことはない。何も目標もなく、少し人生を楽しみながら生きてきた自分。それでいいじゃんと言い聞かせてきた自分。

お皿を全て洗い終わった後、小さくため息をつく。ソファにまた座って何かやることがないか考える。

ふと、日夏と話していたことを思い出した。黒笠山、今はどんな感じなのかな、もう一度行ってみようかな、1年後にはなくなってる訳だし。でももう8時、梅雨の夜は外出するべきでないくらいに不愉快だ。

「 」

何かが聞こえた気がした。部屋を見回すが音の出処は分からなかった。呼ばれた、ような。奇妙な感覚に襲われる。

動きやすい格好に着替え、水分や簡単な山登りの装備を整えた。決心して黒笠山に行くことにしたのだ。特に今行っても変わることなどないだろう、休日の昼にでも行けばいいだろうと頭の中では思っていたが、何故行くことにしたのか、明確な理由は分からなかった。


自転車で暗い道を駆ける。黒笠山は住宅街に囲まれているから、近くでは家の光が漏れ出て完全な闇という訳ではない。

10数分自転車を走らせて山に着き。自転車を停める。ライトを持って、ずっと自分に「何故今なのか」を問いかけながら山に入り込んだ。


もう山頂の終盤。少し休憩を挟みながら着実に登っていく。ガサガサ、ザアザアと木々が揺れる。風が、虫の群れが、静けさが、音を絶えることなく奏で続けている。何もなくても、家でずっとソファに座っているよりかは運動になるからと、入口の時に自分に問いかけた質問に答えを出して進む。

違う。そんな浅ましい理由だけじゃない。

感じる。何かを、山頂に感じるんだ。


登りつめた。小さな広場がある。木製の手すりがあり、そこでは街を一望することができる。沢山の人、ひと、ヒトが自分の足元の下で蠢いていると思うと少し気持ち悪かった。

広場にあったベンチに座り休憩をする。

本当に疲れた。熱帯夜ということもあって不快度は普通に運動して疲れた時の比ではなかった。

水筒のお茶を飲む。

喉を鳴らしながらキラキラに冷えたお茶を流し込み、生き返るのを感じる。

飲み終えた後、広場の少し奥に何かが見える。荷物を置き、近づく。

とても小さな神社。社の中は閉ざされて見えないけれど、ここには、この山の神様が、いる。

ずっと感じていた「何か」の正体が分かった気がした。

思い出す。子供の時もこの小さな広場でずっと遊んでいた、何処よりも、家よりも安心感があった。何かにずっと護られているような感じがしていたから、それが心地よかったから、ここが大好きだったんだ。

「 」

何かが聞こえる。木々が唸る音、虫が咽ぶ音で、声には聞こえないけど。何が言いたいのかは理解出来た。

ずっと、ここに来れなくてごめん。

子供の頃、じっと私たちを護ってくれてありがとう。

本当にここが楽しかった。大好きだったんだ。

今度は、私が。


山を降りる。登っていた時の不快感は感じない。下の方をライトで照らしながら着実に降りていく。登っていた時よりも遥か視界は開けている。


やっと見つけた、目標。守るべきもの。

「 」

うん。分かった。必ず助ける。


降りていく山道の木々の音、虫の音は、私を労るように優しかった。

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森、叫ぶ 黒瀬 @KusiroAyasiki

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