鞄いっぱいの思い出

彩理

第1話 旅立ち

「爺ちゃんの蕎麦が食べたい」

 母さんがそういうと父さんも「俺も久しぶりに食べたいなぁ」と相槌を打つので、「僕も!」と勢いよく手を挙げて賛成した。


「そうでしょ、そうでしょ。なんたって爺ちゃんが臼でいた蕎麦粉は格別だから」

 爺はもう畑を引退して街に住んでいるけれど、母さんが蕎麦好きなので今でも自分たちが食べる分だけは作って、毎年送ってくれる。


「昨日ね、電話が来て、今年は夏蕎麦を作ってみたんだって」


「夏蕎麦?」


「そう、いつもより収穫が早い蕎麦だよ。香りが高く若い味わいなんだって、食べたいね。食べたいよね」

 ねっ、ねっ。と母が顔を近づけてきて僕の目を覗き込んできた。その瞳にはワクワクと書かれているようだった。


「食べたいような、食べたくないような?」

 なんか、いやな予感がして、素直に頷けない。


「やだぁ、きょうちゃん。爺ちゃんがせっかく恭ちゃんとはなのために夏休み中に食べられるように作ってくれたのに、興味ないの?」

 興味はあるよ、興味は。いつも送ってくれる蕎麦はめっちゃおいしい。でも、なんでこんな大げさに前振りする必要があるんだ?


「そう、じゃあ爺ちゃんの所に取りに行ってくれない?」

 母さんは当たり前のように、仕度を始める。


「取り合えず着替えは3日分くらい鞄に詰めておくから、あとは宅配で送るね」

 えっ? 宅配?


「車で行かないの?」

 いつもは家族で爺の所に行くときは、華がまだ小さいので荷物が多く4人で車で移動する。


「うん、今回は恭ちゃん一人だからJRでね。旭川に着いたら爺が迎えに来てくれているから」


「僕一人で? JRでいくの?」

 なんで、僕一人で?


「無理だよ、一人でなんて行った事無いし、乗り換えとか途中お腹が痛くなったり、事故で運休したりしたらどうすればいいの?」

 JRといえど、どこで急に立ち往生するかわからないし。

 無理無理無理。


「大丈夫、恭ちゃん鉄オタだし、母さんよりしっかりしてるから。初めての一人旅? かっこいいじゃん」

 まあ、確かに鉄オタだし、母さんよりしっかりしているような気がするけど。やっぱり9歳のこともだし。家出少年と間違えて職務質問されたらどうするんだ?


「さぁさぁ、急がないと乗り遅れるよ」

 そう言って母さんは大きな荷造りの終わった鞄を押し付けてくる。

 押し切られるように、JRに乗り込むと父さんが「母さん、初めてのお使いのファンだから」といって携帯を持たせてくれた。


「じゃ、札幌駅で乗り換えるの忘れるなよ。帰ってくるのはいつでもいいから」

 のんびりと父さんが発車する列車に手を振って、その横で妹の華が一緒について行く! と泣いていた。


 それが何だか、かわいそうで自分の方がよっぽど酷いお使いに出されて

 いるというのに、うちの両親こんなだよな、と深いため息をついて乗り換え電車を検索した。


 *


 旭川駅に着くと、爺が満面の笑みで迎えてくれた。


「恭、でかくなったな。一人で寂しくなかったか?」

 もう畑は引退したはずなのに、真っ黒に日焼けした爺がズボンのポケットに片手を突っ込んで、手を振って合図してくれた。


「爺、ひげ伸ばしてるんだ。なんか、めっちゃ怪しい人みたいだよ。しかもひげまで白髪だし」

 そう言うと、爺は大声で笑った。


「爺なんで軽トラ?」

 迎えに来てくれた車を見て思わず文句を言ってしまう。

 いつも、遊びに来たらバカでかいランドクルーザーでさっそうとあちこち連れまわされるのに。

 いや、軽トラが悪いわけじゃないよ。でも、お年頃の僕としてはやっぱりちょっと街中を乗るには恥ずかしい。


「おう、ちょっとお前に頼みがあってな」

 爺はなぜか照れ笑いを浮かべると、目の前のカーナビを指さした。


「今の軽トラはめちゃめちゃ進んでてな。安全ブレーキとかはもちろんナビでいろんなことができるんだ。おまえ、こういう設定するの得意だろ? ほれ、前に携帯に音楽入れてくれたけど、あれ車でも聴けたりとか……」

 ああ、ブルートゥースね。


「いいよ、爺の家着く前に設定しちゃうね」

 僕は、爺から携帯を受け取ると。ブルートゥースの設定のほかに、ラインや電話番号も入れてやった。


「できたよ。地図の登録もしてあるから。携帯で検索した場所ナビで送れるよ」


「おう、ありがとな。じゃあ、このまま蛍を見に行くか」

 爺はご機嫌でまずは腹ごしらえな。と言ってラーメン屋に軽トラを停めた。


 それからというもの黒岳に登り川で釣りをして、来る日も来る日もひたすら遊んで、もうそろそろ夏休みの宿題をしなきゃなと焦ってきたころ。


「明日は蕎麦の実の碾き方を教えてやる」

 そう言えば、こっちに来てから一度もまだそばを食べていなかったな。


「なんたって、蕎麦は碾きたてが一番だから、その後駅まで送ってやる」

 爺は少し寂しそうに言って、花火の束を取り出し、僕に虫よけスプレーを噴きかけた。


「え? 明日帰るの俺?」

 蚊取り線香を片手に外に出ていく爺に聞き返すと「まあ、いつまでいてもいいけど、お前の母ちゃんが寂しいからそろそろ返してくれって電話来てたぞ。華も暇すぎてぐずってるようだしな」とニヤリと笑って次々と仕掛け花火に火をつけていった。


 夜空に打ち上げられた花火と違い、バチバチと七色の光が飛び出してきて、美しいというより怖くなって爺の袖につかまった。

 爺は、僕の頭に手をのせて「来年は華と一緒に来い」と優しくなぜてくれた。

 いつもなら花火が終わるとすごく寂しい気分になるのに、今は僕たちの上には見たこともない星空がひろがっていて、なんだか急に叫びたくなった。


「また来るぞー」

「また遊ぼうなー」

 二人して大声で笑った。



 次の日、僕は朝から臼で蕎麦を碾いて、鞄いっぱいのお土産を詰め込んでJRに乗り込んだ。

 多分、爺と同じ真っ黒の肌になっていただろう。


「爺、また来るから」

 手を振ると、爺もただ頷いて手を振った。



 夏休みが終わって数日後。

「実は爺ちゃんね、この前悪い所を手術したんだ。しばらく入院するけど元気になるって。元気になったらまた蕎麦送ってくれるってよ」

 母さんは笑っていたけれど、声を詰まらせて涙を流した。


 僕の初めてのお使いはそばを取りに行くたっめじゃなくて、爺を元気づけるためだったのかもしれない。















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鞄いっぱいの思い出 彩理 @Tukimiusagi

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