地面を覆い尽くすほどの人々が我々を見送っていた

船内の廊下に設置されたスピーカーから、銅鑼(ドラ)の音が聞こえてきた。


ドラは出港の合図で使用される円形の金属の楽器だ。


フライパンの底のような形の楽器を叩き、音を鳴らす。


なかなか臨場感のある演出だ。


薄暗い廊下を進んでいくと、左手に子供向けの遊具が置いてある小さな部屋があった。


この部屋は、その奥にある一等食堂で大人が食事をする間に、子供を預ける場所のようだった。


その間、子供をスチュワーデスという役目の女性のスタッフが、面倒を見てくれるようだった。


一等食堂に入ってみた。


絨毯がひいてあり、銀の食器がテーブルに並べられていた。


裕福な乗客は、子供を預かり所に託し、ここでゆっくりと食事をしたようだ。


アールデコの装飾が、豪華さを演出していた。


今私がいるBデッキから一つ上のAデッキに上がると、読書室があり、1等社交室があった。


こちらも1等食堂同様、豪華な作りであった。


この場所で、船内のレセプションやダンスパーティーなどを催したようだ。


その後氷川丸の歴史を伝える展示室を抜けると、一等喫煙室があった。


ここは当時は主に男性の社交場として利用された。

天井は高く作られており、換気もできるようであった。


廊下をさらに奥に進むと、一等客室が並んでいた。


いわゆるファーストクラスである。


廊下に面した窓から室内を覗いてみると、寝心地の良さそうなベッドがあり、洗面台や、バスタブもあった。


私がまじまじと覗き込んでいると、背後から


「エクスキューズミー?」


と声がした。


振り返ると、古いアメリカ映画に出てきそうな格好の女性が立っていた。


相当この船の時代が好きな人で、仮装までしてくる人もいるんだなと思った。


おそらくこの人もこの豪華な1等客室を覗いてみたいのだと思い、


「ソーリー」


と言い、その場を譲った。


順路としては、次は屋外デッキだ。


廊下の向こうの扉から光がさしているのが見えた。



屋外デッキに出る扉に近づくにつれて、なにやら騒がしかった。


人々の歓声のようなものか。


その時、汽笛が鳴った。


たしか氷川丸は引退した後も、毎日正午や大桟橋からクルーズ船が出港する時に、歓送の汽笛を鳴らすことは知っていた。


しかし今は15時である。


大桟橋からクルーズ船の発着もないはずだ。


薄暗い廊下から、私は屋外デッキに出た。


デッキには大勢の人々がいた。


そして桟橋に向かってテープを投げたり、手を振ったり、叫んでいる人もいた。


人々をかき分け、桟橋を見ると、そこは地面を覆いつくすほどの人々が、我々を見送っていた。

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