③
翌日。ミコは再び太古の森へとやってきていた。
『家に帰る、絶対に』を合言葉に恐怖を凌ぎ、一晩かけて腹をくくったのである。
(本物の竜は
ただ、あとから
なんにせよミコの
(タディアスさんからある程度の話は聞いたけど、現場でも調査をしてみないと……)
昨夜、タディアスに何気なく太古の森の守り主について訊ねてみたら、その正体が竜であることをさも当然のように知っていたので、色々と教えてもらったのだ。
なんでも幻獣は上位種ともなれば強力な能力をいくつも保有し、体内で生成する
中でも、ひときわ強大な力を持つ竜は最上位種とされているらしい。
(見た目そのままの最強ぶりだよね……)
ラスボス的立ち位置かと思いきや、太古の森の黒竜は畏怖の対象でこそあるものの、人里に害を
―― 畏怖は黒竜に限った話ではなく、幻獣
その裏では、希少性の高さから
(黒竜さまのあの態度からして、人間
(……自分たちを狙う人間を毛嫌いするのは、無理もないかも)
ミコは木立の
(でも、人間嫌いの竜か……先が思いやられる)
「ソラくんいないかな……」
ひとまず黒竜について話を聞いてみたいが、どこにいるのかわからない。ねぐらに行けばいるかもしれないけれど、そこには黒竜もいるので
そんなことを考えていれば。
『あっ、ミコだ!』
目当てのソラがミコの方へと走り寄ってきた。なんてタイミングだろう。
ミコの足元に来るなり、ソラは
『近くでミコのにおいがしたから、きてるのわかったの!』
「そうだったんだ。またソラくんに会えて嬉しい」
『ボクもなの!』
ミコを見上げる空色の目は
というか、長くて太いふわふわの尻尾はそよ風を生むほど左右に
「ソラくん、脚の怪我は大丈夫?」
『うん! あさになったらなおってたの!』
……さすがは幻獣だ。
『ミコ、きょうはどうしたの?』
「えっと、ソラくんに黒竜さまのことを教えてほしいなって」
『あるじのこと?』
「うん。黒竜さまは
『あるじはかっこよくてね、すごくやさしいの!』
優しいについてミコはまったくピンとこないけれども。
ソラの
(仲間には
ミコは心のメモにしっかりと記録する。
『もりでわるいことをするにんげんをこらしめてくれて、とってもとってもつよいの!』
「……昨日、
ミコがおっかない
『―― またお前か』
地面を踏みしめる大きな足音とともに、黒竜が現れた。
静かでいて絶大なその圧にミコはたじろいだ。
(み、見つかった!)
罪をおかしたわけでもないのに、なぜか犯行現場を目撃された犯人のような心境になる。
さっきのソラの「こらしめる」の単語がふいに
「こ、黒竜さまにおかれましては、ご
『……ソラ、なぜお前はその人間に懐いている?』
黒竜の問いただすような口調にミコはびくっと震えてしまう。
しかし、ミコの足元でお座りをしているソラは少しも恐れない。どころか、嬉しげに明
るく言った。
『ミコはこわくないし、ボクをてあてしてくれるおててもやさしかったの!』
『……博愛的なその懐っこさを少しは自重しろ……』
「わ、わたしは嬉しいですが……」
『誰もお前に意見など聞いていない』
『……ソラに
黒竜は
―― あきらかに、敵視されている。
ミコ個人というよりは、人間そのものをといった感じではあるけれど。
なんであれ、自分を
「―― 大丈夫、
ね、お母さん! ミコは口角をにっと上げて、ここにはいない母を
これはかつて、母から教わったおまじないだ。
―― 「しんどいときはね、噓でもいいから『余裕』って、笑顔で言ってみるの」
―― 「そうしたら、なんとなくそんな気がしてきて、もう少しがんばれるから」
いつも明るく強い母はミコの憧れ。
その母の教えを
「―― いつもみたいに自分にできることを全力でがんばる! で、元の世界に帰るんだから!」
頭上の高く晴れた空に、ミコは改めて前向きな
そのまた翌日のこと。
(……今日はちょくちょく、動物の姿を見かける気がする)
現在、ミコは情報収集目的で太古の森を歩いている最中なのだけれど、一昨日や昨日とは打って変わって、今日は
ミコを遠巻きに
『……こんなところに人の子? ああ、もしかしてあれが例の噂の……』
(噂?)
声がした方に視線を動かすと、
「こんにちは、鹿さん。今言っていた、例の噂って何?」
『あら? あんたもしかして、あたしの言葉が
「持っているのがそういう能力だから」
『
鹿は動じる
『一昨日から、「ちんまりした人間が、黒竜さまの従
姿はなかったがどこからか見られていたようで、ソラの背に乗っていたときのことが話題になっているようだ。というか、非人間族からもわたしはちんまり
「へ、へえ、……そういえばあなたは、他の小動物たちみたいに逃げないんだね?」
『リスやらうさぎやらは
きっと逃げられたら追いつけないだろうし、蹴っ飛ばされたら大怪我必至だ。
鹿の予測は的中しているのだけれど、
(……いやいや、自分のへなちょこぶりにダメージを受けている場合じゃなくて)
「ところで鹿さん、そのマーナガルムを見かけなかった?」
『それならさっき、あっちで見かけたわ』
「本当!? よかったら、案内してもらえる?」
『近くまでならいいわよ』
案内を引き受けてくれた鹿について、ミコは道なき道の
やがて川が流れる場所に出た。清らかな水音で、耳が安らぐ。
『この川を上流に向かってちょっと歩いたところよ』
「案内してくれてありがとう!」
ミコがお礼を告げると、鹿は『じゃあね』と元来た道を帰る。
姿が消えるまで見送ったミコは、言われたとおり川べりを歩いた。
ほどなくして前方に見えたのは、腹ばいになっているソラだ。―― その背後には残念なことに、躰を地面に
『! ミコ!』
ソラが
それとは正反対に、ミコの姿を視認した黒竜はこれみよがしにため息をつく。
『―― お前はいったいなんなんだ』
黒竜はうんざりした声を放った。
『二度と森に近づくなと忠告したはずだ。……腕
うでの一本でももがないとわからないのか?』
(ひいぃっ!)
黒竜からの
寒くもないのに、背筋に
(だ、大丈夫、余裕!)
胸中でおまじないを唱えて、ミコは自分を奮い立たせる。
ここで弱気になってはいけない。家に帰るため自分にできることを全力でやると決めた
はずなのに、こんな簡単に心が折れてどうするのだ。
「へ、平気です。黒竜さまのことは全然恐くありませんから……!」
『……そういう強がりはせめてそれらしい体勢を整えてから言え』
「え? 最大限にがんばっているんですけど……何かおかしいですか?」
『
『―― 本当に、何がしたいんだお前は?』
ミコの
『つつけば
返答
(……黒竜さまは意外と、ちゃんと返事をしてくれたし)
今のところ、ミコは何もされていない。
ソラの発言や今しがたのやりとりからしても、黒竜は理性を欠いているわけでもなけれ
ば、話がまったく通じないというわけでもなさそうだ。
要求を伝えれば案外承知してくれるかもしれないと、ミコは大きく息を吸って吐いた。
「……わたしは、王太子殿下から
ミコは
「黒竜さま、この森から出ていってもらえませんでしょうか?」
正面切って
(……どうしよう、言い方間違えたかも……っ!)
言ってから、自分の発言があまりにも直球であったとミコは自覚する。黒竜の反応を考えるのさえ恐ろしくて、気が遠くなりかけた。
『………………他の人間とは違うと思ったのは俺の勘違いだった』
間の長さと地を
生命の危機がすぐそこに
「すっ、すみません言い間違えました! 正しくはその、
『……十秒以内に消えないと吹き飛ばすぞ』
「そ、それは
ほぼ反射でミコは声を上げた。
「じ、実は別の場所で生き物の密猟が、横行していまして。人間だけでは、どうしても対処できないから、黒竜さまにそちらの新たな主となっていただきたいんです……!」
ミコは転居してほしい事情をぎこちなく述べる。
とはいえ、これはミコが考えた作り話だった。
噓をつくことは心苦しいけれど、相手が誰であろうと転居を一方的に求めるからには、理由というものが絶対に必要だと思ったからだ。
『……忠告はこれが最後だ。さっさと去れ』
「転居に応じていただけるのなら、すぐにでもこの場から消えます……っ」
『―― では聞くが、俺が人間の勝手な要求を聞き入れる義理がどこにある?』
(それはたしかに……)
黒竜の意見は
アンセルムは希少な
「もちろん、タダとは言いません。王太子殿下は黒竜さまの望むものを用意するとおっしゃっています」
『くだらない』
ぴしゃりと言い捨てた黒竜はミコに背を向けてしまう。
―― ここで退いちゃだめ!
「お願いします黒竜さま! わたしにもできることがあるなら、なんでもしますから!」
『――――ほう? なんでもとは、ずいぶんとでかい口を叩くな』
振り返った黒竜の冷めた物言いには、お前のような
「わ、わたしにできることは多くありませんが、全力でがんばる所存です……!」
『……なら、この先の川の岸一帯を清らかにしてみろ』
黒竜は川下を
『不快なことに、人間どもが打ち捨てていった道具やらが散らばっている。それを
「やりますっ!」
一も二もなく、ミコは黒竜の提案を受け入れた。
『……何日で音を上げるか見物だな』
「音を上げたりしません!」
せせら笑うような言い方をする黒竜めがけて、ミコは本気とやる気を声にのせて叫ぶ。
「わたし、がんばります! どんな無茶でも絶対にやり
それに返事をすることなく、その黒い後ろ姿はやがて樹々の向こうへ見えなくなってしまった。
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